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糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

あらためまして

2014-11-28 | 日記

 あらためまして、群馬5区の国政対策責任者の任を背負い、西毛地区委員長の仕事は代行者を立てて、最近の日々を送っております。

 ブログの日付をご確認くださればお分かりかと思いますが、前回までの文章は、私の候補者としての立場が決まる以前に書いたものです。念のため。ま、候補者になったら言うことが変わるのかと言えば、変わりゃしないんですがw

 

 さて、今回はすごいぞ、群馬5区。私の周りが大変です。え?私?いや、私も大変なんですが。何と言っても「政治とカネ」の問題を起こした震源地です。

 

 中之条町の町長選までやることになってますよ。始まってます。というか、もうこのタイミングでは「最終盤」ですな。総選挙の前哨戦のような捉え方も。あながち間違ってはいません。何しろ発端がそうなんですから。

 

 私も群馬5区で頑張ってるわけですが、初めはちょっと躊躇してました。個人攻撃とか、人の足を引っ張るのは、端から見ていて気持ちのいいものではありません。しかし、有権者のみなさんの声や激励に、本当に励まされ、背中を押されている気分です。何より、あちこちで話をしているうちに、ほんとに腹が立ってしょうがないw。そんな気持ちになっています。

 

 間違っていることは「間違っている」ときちんといえる世の中にしようとしているわけですから、「人の足を引っ張る」話にしないよう気をつけながら、はっきり批判させていただいています。みなさんに「意思表示を!」なんて言っている自分がハッキリものを言わないのでは申し訳ないことです。

 輪をかけてひどいのは自民党。疑惑の前議員を公認ですよ。考えられません。政党助成金が政党を腐らせているなあと、つくづく実感します。そして腹が立つ。

 なにしろ、私たちの税金ですよ。税金を政党間で山分けにして、「政党活動の自由を保障する」ために、領収書も不要、何に使ってもかまわないというのですからあきれます。こんな制度があるために、野党もすっかり骨抜きになってしまっています。

 

 こういう政治とはもうおさらばしようと、あちこちで声をかけてるわけですよ。いま。

 

 でも、街頭での限られた時間では、全てがなかなか話せない。安倍政権がいまだ残している問題は山のようにあるんですよ。しかも、国のあり方、国の形を変えるほどの大問題が。

 集団的自衛権の行使容認や、秘密保護法の問題など、戦争と平和に関わる問題。原発再稼働をめぐる問題。TPP参加交渉の問題...。どれをとっても重要な問題です。

 

 公示が迫っています。一気に駆け抜けながら、今度は安倍政権の暴走にストップをかけたい!全力でがんばりぬきます。みなさん、応援してください。みなさんの応援がとっても励みになります。

  

 

 

 


急転直下というべきか

2014-11-13 | 日記

 Facebookの方ではカメラや写真の話ばかりで「真面目に仕事をしているのか」と思われているかもしれませんので、たまには真面目な話をw

 にわかに「解散総選挙」が騒がれ、急に忙しくなってきました。私たちの立場としては、「安倍内閣打倒」を主張してきたわけで、総選挙となれば「望むところ」ではあります。

 解散のタイミングは権力側が決めること。彼らとしてもタイミングをはかっての判断なのでしょうが、これ以上政権運営を伸ばしたところで「手詰まり」「行き詰まり」は拭えず、うっかりすれば重要な「戦力」を失いかねない状況でもあるのだということがうかがえます。

 

 秘密保護法の施行、消費税の10%への増税、沖縄の新基地建設...どれをとっても国民からの大きな批判は免れません。また、どの問題も決着がついていません。しかし、これをごり押しできるほどの人気が今の政権にはなくなっています。となると、あとはできるだけ自分たちに有利な条件があるうちに解散した方が良いという判断でしょう。いずれにしても消極的な手でしかありませんね。

 

 「解散」を直接決めるのは権力側には違いありませんが、彼らが本当に望んでいるのは現政権の継続と政策の実現です。全てが中途半端な段階で解散を決断させたのは、まぎれもなく国民のみなさんの「声」だということです。

 これからは、みなさんが考えていること、政治に対して期待すること、求めていることを直接反映させる期間がやってくるということです。

 この際です。政治が誰のためにあるべきか、意思表示をしましょうよ。この国の主人公は国民一人ひとりなんですから。


カネが政治を動かす時代を終わりに

2014-10-22 | 日記

 小渕氏が経産相を辞任した騒ぎは、私の周辺でもそれなりに騒ぎになってます。まあ、当然と言えば当然 。21日付「しんぶん赤旗」日刊紙には、小渕氏の選挙区内(群馬5区)で配られたワインが見つかり、写真入りで報道されました。

 以前にアポなしで職場へ取材にきたテレビ朝日の記者さん、一昨日には私の自宅まで来て「あれ?」なんて言ってました。私の顔と名前が一致しなかったようで。そのとき私に、「(小渕)ワインは見たことありますか?」と聞いてきました。これも地元で聞いた方が良いだろうと言っておきましたが、テレビ朝日のニュースで取り上げられたようです。うまくいったのかな?

 

 地元では小渕氏に同情的な声もあるようです。

 こういう人たちの多くが考えるのは、地元びいきもあるでしょうが、「他の議員だってやってるだろう」ということではないでしょうか。

 このことは、同情的な人にかぎったことではありません。「またか」とか、「しょーがないなあ」くらいに思い、大して気にしていない人にもあてはまるかもしれません。

 この国は、長いことカネによって政治が動かされてきました。今だってそうなんですが。でも、カネが政治を動かす時代をもう終わりにしませんか?

 

 自民党は、金権体質では折り紙付き。昔から汚職の絶えない体質でした。たまたま見つかったことが大きな事件に発展したことも数知れず。

 そういう体質の政党ですから、「ここにカネを注げば、自分たちの思い通りに政治が動く」と考える大金持ちは自民党を応援するし、政治をやろうと志す者の動機も、初めからカネ目当てだったりするんじゃないでしょうか。なんといっても企業献金も政党助成金も「歓迎」の体質の政党です。

 使い古された言葉ですが「赤信号 みんなでわたれば怖くない」といいますね。「みんながやってるから問題ない」「みんながやってるからしょうがない」では、いつまでも私たちの思いが政治に正しく反映されることはありません。何しろ「カネを持っているかどうか」が政治の行方を決めることになるんですから。連中が「怖くない」のは、みんながやってるだけでなく、主権者がそれを黙っているからです。主権者が、自分たちの権利をカネでどうこうしようということを許さなければ、彼らは怖くてしかたないでしょう。

 

 原発が地震大国日本にこれだけ増えてしまった要因には、原発を置く自治体をカネ漬けにした歴史もありました。群馬5区だって、八ッ場ダム建設を巡って村を分断したのはカネでした。巨大な企業の利権のために巨額のカネが投じられ、小さな、真摯な声はその口をふさがれてきたのです。

 

 カネが政治家(政治屋という方が適切か)を動かし、主権者国民を黙らせる。これが残念ながら自民党が長年続けてきた「政治」の性質なのだと思います。こういう人々は「国民にはカネを配れば大丈夫」だと思っています。はっきりいえば、有権者をなめているんです。

 主権者たる国民のみなさんが、「しょーがない」と思うことなく、本気で「カネが政治を動かす」歴史を終わらせようと思うこと、そのために自らが政治を見つめ、監視して、主体的に関わることが必要なのだと思います。

 

 あきらめないこと。政治を遠くの誰かのものだと思わないことが大事です。政治は、余所事ではなく、身近なあらゆるところに関わっています。民主主義、国民主権の日本なんですから、みなさんの声こそが政治を動かすようにしたい。そのために私は今ここにいるのだと、あらためて思います。

 

 


無事に?卒業しました。ので、卒業によせて

2014-10-04 | 日記

 先日、まんなかの娘(双子の片方)が無事に高校を卒業しました。定時制のフレックスで2学期制。編入などもこの時期なので、この高校では年に2回、入学式と卒業式があります。

 

 一番目の娘は「3年で卒業する」と言っておきながら、あまりの居心地の良さに、必須科目をわざと取らずにおいて4年通いました。3番目の娘は、迷いながらも先生に説得され、3年で卒業しました。今回卒業した娘は、3年で単位が取れなかっただけという...。

 

 ま、それはさておき、紆余曲折を経ながら卒業式を迎えることができたわけです。

 通常なら、卒業生の保護者は、PTA役員も保護者として出席しますが、今回は会長がどうしても出席できないとのことで、副会長の私が代理で会長席に座り、祝辞を読むことに。まあ、ゆるい運営ですので、こういうことも有りです。あ、でも親御さんはみなさん、まじめで一所懸命ですよ、もちろん。

 

 校長が式辞で、餞の言葉として「考えることをやめないでほしい」とおっしゃいました。あ、いいこと言うなあと思ったので、いただきましたw。

 

 私が祝辞で述べたのは、「なぜ考えなければならないのか、それはみなさん一人ひとりがこの国の主人公だからです」と話しました。

 この国がおかしな方向へ向かおうとしたときに、この国の行方を人任せにし、考えないでいて何もしなかった場合、それはそのことを許したことと同じことになります。

 憲法では、主人公がみなさんであること、代表者は、みなさんのもっている力を預けられているにすぎないこと、そしてその利益は、みなさんに還されることが明記されています。

 とはいえ、一人でできることはしれています。支え合わなければ、人は生きて行けません。一人ひとりの得手不得手を活かしながら生きて行くんです。

 

 みなさんの未来がどうなるかは、みなさんのこれからの生き方次第。明るく切り拓かれることを心からお祈りします。

 

・・・と話したと思います。何しろ、いつもその場でしゃべっているもんで、原稿がありませんw。

 

 式のあとは、私は仕事にもどり、夜帰宅したのですが、式の主人公である娘は、「共産党の演説みたいだった」と感想を述べ、保護者席にいた末娘(双子のもう片方)は、「先生や生徒らが『感動した』って言ってたよ」と話してくれました。

 

 「一人ひとりが主人公」という言葉が響いたのだそうです。うちの娘たちくらいの青年たちは、著しく成長する社会の姿を見たことがありません。

 卒業を前に目にした現実は就職難と先の真っ暗な社会、そして自分の未来です。そういう未来を明るく拓くのは他でもない、青年たちです。

 同時に、暗い未来を見せている私たちの責任も重い。私たちおとなだって、この国の主人公です。

 

 いろんな人がいてこその民主主義、みんなが主人公なのが民主主義です。そして、民主主義というからには、自らが主張することと同じくらい、他人の主張を聞かなければフェアではありません。

 人の意見に「見解の違い」と話を切り上げ、「指摘が当たらない」とまともに返答せず、自分の主張だけを、国民から預かっている権力をふりかざして押し通す安倍首相には、民主主義の基本が理解できていません。

 私たちの権力が、預けた先で国民を蹂躙する強権政治に使われ、主人公である私たちを苦しめています。こういう内閣を私たちの代表などと認めるわけにはいきません。即刻退場を。

 


お仕事への誇りとかなんとか

2014-09-28 | 日記

 通販サイトでモノを買おうとするとき、消費者のレビューをよく参考にします。できれば安くて品質の良いものを買いたいと思うのは消費者の当然の思いです。

 いきおい低価格のものを中心にレビューを見ることになるんですが、よく見られるのが、製造が外国であることへの不満。同様に見られるのが、国内製造であることを褒めるレビュー。

 私の場合は、こうしたレビューは買うときの参考にはしません。まあ、参考にするかどうかは、各々が決めれば良いことですが。

 気になるのは、そうしたレビューのなかに、『ダメ』な根拠が、『海外で製造されているから』というものや、『日本製だから良い』というもの。「海外で製造されているからダメ」というのは、圧倒的に多く見られるのが中国です。こういう考え方は一面的だなあといつも思います。

 

 何年も前の話ですが、知り合いが中国の業者と取引して、試作品の出来がよかったので量産でゴーサインを出したところ、送られてきた製品の品質は、試作品とは比べようもないほど低品質だったということがありました。

 どうしてこんなことになったのかを問い質したところ、『示された単価の範囲でやった仕事だ』との答え。もっと丁寧な仕上げを求めるなら、相応の単価が必要だということでした。

 

 日本人の多くが、中国など、アジア諸国は物価も安く、賃金も安くすむから低単価で仕事ができると思っています。低品質なのは、技術が足りないとか不真面目だとか、そういう理由にしているようですが、本当にそうなんでしょうか。実は「単価の安い」海外に対して、日本はとても無礼な振る舞いをしていないだろうか。おおいに考えさせられる出来事でした。

 

 今の仕事に就く以前は、私は町工場で働いていました。仕事の中身の大部分は、他社から請ける仕事です。図面には一流メーカーの社名が入っています。

 私は自分の仕事に、それなりに誇りをもって働いていました。自分の品物が、あのメーカーのこの製品を支えているのだと。あるいは、そこいらの同業者より丁寧なつもりだとか。

 しかし、現代ではそういう誇りは、評価とは関係ないんです。製品として求められるレベルに到達していれば、それ以上にクオリティが高いから仕事が来るか、単価が上がるかと言えば、そうでもありません。「不良品を出さない」「単価に文句を言わない」「どんなに無茶な短納期でも守る」ことが、下請けの町工場に求められる『クオリティ』なんです。

 単価はどんどん「コストカット」と称して削られます。文句を言えばすぐに他の業者に回されます。あるとき、社長が「こんなに削られたのでは材料費も出ない。中国じゃないんだ」と文句を言ったところ、取引先の人は「中国と単価を競ってるんだ」と言い放ったそうです。

 

 「町工場には大企業の及ばない技術がある」などと一部でもてはやされていますが、よほど特殊でなければ、そういう技術を大企業は高く買ってはくれません。

 大企業を支え、社会を支えているのは中小業者、町工場です。中小業者の経営を支え、活気を取り戻すことが、今の日本の景気を良くする道筋だと思います。中小業者の誇りは技術力、仕事への真摯な姿勢。ならば、その技術力を正当に評価し、買ってもらうこと。大企業の隷属業者ではなく、事業者同士、対等の取引ができる仕組みをつくることが必要です。

 

 消費税をさらに引き上げ、「赤字経営の中小業者には消えてもらう」などと平然と言ってのける安倍政権のこれ以上の存続を、私は断じて許せません。彼らは仕事をしている人々の誇りを奪い、やる気を根こそぎに奪ってしまいます。