本日は見事に家から一歩も出ずに読書とブログとYouTubeで遊んでおりました。
あっ・・・朝っぱらはテレビ鑑賞もしていましたね。
で、タイトルに釣られて間違って買った本を今更啓蒙本なんてと放って置いたんですが、いよいよ読むべき本が無くなり仕方なしに開いたわけであります。
いや、人には添うてみよ本は読んでみよと先人は教えていたわけですが、それは当たっています。
で、何に釣られたのかと申しますと「あなたは あなたが 使っている言葉で できている」とのタイトルでありまして、てっきり言語的なことが書かれているのかと勝手に勘違いした次第であります。
いや、我流の速読とか流し読み、あるいは斜め飛ばし読みなどを得意とする自分はとても稀ですが、頻繁に誤読や誤解をするわけであります。
で、この本もタイトルだけ見てスゲェこと言うな、英語と日本語の思考回路の違いとか言語別か? と、勝手なことを想って評価も見ずにポチっとしたのであります。
が、中身はスコットランド生まれのアメリカ人が書いた「やればできる」の本だったのであります。
なんと申しましようか、もはやこの歳になりますとやればできることも、やってもできないことも含めて自分を知っているわけであります。
なので心を鼓舞して人生に立ち向かう言葉を聞いても肥やしにはできないのであります。
しかし、斜め読み系の速読で読破して見たらだてにAmazonでベストセラーになったわけではなく見るべきところはあるわけです。
で、中身を述べてもアレなんでナニしますが、随所に仏様の教えと通じるものがありまして、特に時間の概念は刹那を語っておりました。
で、もう一つは、あるがままを受け入れろ、とこれはもはや仏教の教えでありましょう・・・と、思うんですが、はい、そこのあなたの異議を認めます。
そして、最後の言葉が「自分の人生を生きろ」でありました。
わたしゃこれを読んでピーンと来たんですがおそらく鈴木大拙の書いた英語版を読んでるな、と思った次第でありますが、まっ、いいでしょう。
いや、現実は受け入れ、しかし今を否定して明日へ向かうってのは言うは易し行うは難しであります。
何故ならどんな酷い環境にも人は馴染むからであります。
で、馴染まないと生きていけないので麻痺することを馴染むと表現しているわけであります。
少しマジな話をしてしまうと、人は放っておけば楽をする生き物だから大多数は凡夫なんであります。
しかし、この場合の苦と楽は相対的なものでして簡単にいうと基準なんてないのであります。
ここがミソなんですが、基準がないということは上にも下にも限界が無いということであります。
なので、この本の著者が言う「自分の人生を生きろ」の前提が上昇志向であることは笑い飛ばすしか無いと思うのであります。
誰かと比べて幸か不幸かなんて評価は私はいらない、でありまして刹那さえ気にせずと思うのであります。
なんと申しましようか、牛も蝿も人も生かされているわけであります。
生かされる立場の決まりごとは自然界の摂理だけでありまして人間が作った社会の約束なんてのは娑婆の小賢しい方便なんであります。
あるがままを受け入れる時、それは自然も含めて受け入れるのが真っ当なわけでして、人も狸も芋虫も仏性が自然との縁が切れた時は形を変えるだけであります。
人も豚も蛙も腐るか焼かれるか喰われるかは知りませんが死んだら形を変えて自然に変えるだけでしてただそれだけのことなんであります。
だから娑婆でいう頑張りが楽しければすれば良いし、怠惰が楽で良いならそれが幸せと思うのであります。
まずはなんであれ世の中に張り巡らされた巧妙な物差しや計量器に騙されないことが肝心でありましょう。
そして、自分が良ければ聞く耳など持たず、社畜隣過労死するも人生だし、引き篭もって人生になんの痕跡も残さずこっそり逝くのも人生であります。
私の人生は私だけのものではあるけれども支配しているのは自然の理りでして自由にはなりません。
その証に生きとし生けるものには必ず自然に返る日があるわけでしてそれには誰も抗えないのであります。
どーですか、自分としてはかなりの力作と思うんですが・・・はい、あなたの嘲笑は快く受け入れます、なんちゃって。