じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

怠惰って心地良い

2020-12-30 15:31:57 | 日々の雑感
本日は見事に家から一歩も出ずに読書とブログとYouTubeで遊んでおりました。
あっ・・・朝っぱらはテレビ鑑賞もしていましたね。

で、タイトルに釣られて間違って買った本を今更啓蒙本なんてと放って置いたんですが、いよいよ読むべき本が無くなり仕方なしに開いたわけであります。

いや、人には添うてみよ本は読んでみよと先人は教えていたわけですが、それは当たっています。

で、何に釣られたのかと申しますと「あなたは あなたが 使っている言葉で できている」とのタイトルでありまして、てっきり言語的なことが書かれているのかと勝手に勘違いした次第であります。

いや、我流の速読とか流し読み、あるいは斜め飛ばし読みなどを得意とする自分はとても稀ですが、頻繁に誤読や誤解をするわけであります。

で、この本もタイトルだけ見てスゲェこと言うな、英語と日本語の思考回路の違いとか言語別か? と、勝手なことを想って評価も見ずにポチっとしたのであります。

が、中身はスコットランド生まれのアメリカ人が書いた「やればできる」の本だったのであります。

なんと申しましようか、もはやこの歳になりますとやればできることも、やってもできないことも含めて自分を知っているわけであります。
なので心を鼓舞して人生に立ち向かう言葉を聞いても肥やしにはできないのであります。

しかし、斜め読み系の速読で読破して見たらだてにAmazonでベストセラーになったわけではなく見るべきところはあるわけです。

で、中身を述べてもアレなんでナニしますが、随所に仏様の教えと通じるものがありまして、特に時間の概念は刹那を語っておりました。

で、もう一つは、あるがままを受け入れろ、とこれはもはや仏教の教えでありましょう・・・と、思うんですが、はい、そこのあなたの異議を認めます。

そして、最後の言葉が「自分の人生を生きろ」でありました。
わたしゃこれを読んでピーンと来たんですがおそらく鈴木大拙の書いた英語版を読んでるな、と思った次第でありますが、まっ、いいでしょう。

いや、現実は受け入れ、しかし今を否定して明日へ向かうってのは言うは易し行うは難しであります。

何故ならどんな酷い環境にも人は馴染むからであります。
で、馴染まないと生きていけないので麻痺することを馴染むと表現しているわけであります。

少しマジな話をしてしまうと、人は放っておけば楽をする生き物だから大多数は凡夫なんであります。

しかし、この場合の苦と楽は相対的なものでして簡単にいうと基準なんてないのであります。

ここがミソなんですが、基準がないということは上にも下にも限界が無いということであります。

なので、この本の著者が言う「自分の人生を生きろ」の前提が上昇志向であることは笑い飛ばすしか無いと思うのであります。

誰かと比べて幸か不幸かなんて評価は私はいらない、でありまして刹那さえ気にせずと思うのであります。

なんと申しましようか、牛も蝿も人も生かされているわけであります。
生かされる立場の決まりごとは自然界の摂理だけでありまして人間が作った社会の約束なんてのは娑婆の小賢しい方便なんであります。

あるがままを受け入れる時、それは自然も含めて受け入れるのが真っ当なわけでして、人も狸も芋虫も仏性が自然との縁が切れた時は形を変えるだけであります。

人も豚も蛙も腐るか焼かれるか喰われるかは知りませんが死んだら形を変えて自然に変えるだけでしてただそれだけのことなんであります。

だから娑婆でいう頑張りが楽しければすれば良いし、怠惰が楽で良いならそれが幸せと思うのであります。

まずはなんであれ世の中に張り巡らされた巧妙な物差しや計量器に騙されないことが肝心でありましょう。
そして、自分が良ければ聞く耳など持たず、社畜隣過労死するも人生だし、引き篭もって人生になんの痕跡も残さずこっそり逝くのも人生であります。

私の人生は私だけのものではあるけれども支配しているのは自然の理りでして自由にはなりません。
その証に生きとし生けるものには必ず自然に返る日があるわけでしてそれには誰も抗えないのであります。

どーですか、自分としてはかなりの力作と思うんですが・・・はい、あなたの嘲笑は快く受け入れます、なんちゃって。






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ミュージックは演歌!!!

2020-12-30 12:55:19 | 日々の雑感
本を読んでいました。
で、PCはYouTubeMusicで演歌を流しています。
ちなみにYouTubeは有料契約ですが来年の三月まで無料のお試しを使っております。
しかし、忘れるんですよね、解約の時期なんて覚えていないわけでして大概はしばらく放っておくわけです。
それにしても3ヶ月無料ってのが味噌です。
3ヶ月あれば生活に織り込まれて切り離せなく可能性が高いと思うし、私のように契約したことさえ忘れある日久しぶりに打ち込んだ通帳の字面で我に返る、と。

演歌・・・悲しいかな、これは廃れる一方でありましょう。
なんたって時代背景と言いますか社会から演歌の素が消えているんですから歌が作れないし、無理な創作で作っても年寄りの懐古趣味しか満たさなくなると思うんであります。

あれです、演歌の世界では色恋沙汰さえ悲しいものと相場が決まっていてキラキラ感は無し。
そして貧乏くささをこれでもかと醸し出しそこに自分を重ね合わせて酒を呑み一緒に泣くのが醍醐味と思うのであります。

いや、これは間違いか? 
自分の環境だけで語っては危険でありましょうか?

なんとなれば今でも貧乏は蔓延っているし悲しい色恋も自分が縁遠いだけで厳然として有るんでありましょう、きっと。

なんなんですかね、自分などはご当地ソングと呼ばれる演歌を聴くとその地に想いを馳せいつかは尋ねたいと思ってしまうんであります。
そして、もっと若かった頃は演歌のような話に出会さないかと場末の路地を彷徨っては何事も無くただ泥酔していたのを思い出します。

まっ、ばかなジジイの戯言と笑って見流していただけるとアレなんですが、自分は昭和50年の半ば過ぎ頃から出張の多い仕事をしていたわけであります。

あれです・・・昭和の50年半ばというと景気はそこそこで地方の都市にも小さな夜の街が形成されていまして、いわゆるスナックなんて所には妙齢の女性なども接客係としていたわけであります。

で、あの頃はそんな女性の中にまだ国力の乏しかった台湾からの出稼ぎ女性がいたのであります。
声を聞くまでは日本人と思ってましたが片言の言葉からどこの国の人か、となるのでありました。

あれは、雪の降る会津若松でのことでありました。
仕事の相手と話がまとまり、んじゃぁ今夜は軽く一杯ということでその方の先導でとあるお店へ。
そこにいたのがテレサテンでありまして、素晴らしい歌声で「空港」を歌ってくれたわけであります。
そしてその後仕事にかこつけて出張し私はテレサテンの歌声を聴いていたのでありました。
が、どーも半年程度でビザが切れるのか、突然いなくなったのであります。

そして地方のドサ回り営業から少しずつ大きな街へ行くようになり、北は札幌、南は大阪や神戸まで脚を伸ばすようになったわけです。

で、あれは神戸の三宮の夜の街でありました。
地方の飲み屋で夜の街を知ったつもりでいた田舎者は三宮のクラブ、なんて見たこともない世界に脚を踏み入れ舞い上がったのであります。

そこには若かりし頃の桂銀淑がいまして、西日で焼けた畳の上、と歌っていたのであります。
その頃の私はまだ政治的に韓国を嫌っていませんでしたので違和感なく歌声に痺れました。
雰囲気に呑まれ桂銀淑に呑まれ、さして飲んでもいない酒にも呑まれたのでありました。
いや、常に取引先が一緒なので自分は脇役と、この頃には立場もわきまえ弾けることはなかったんですが、幾度か通ううちに桂銀淑ともいくらか親しくなり、ある時帰りの飛行機を見送りに伊丹空港まで一緒に、なんてこともあったわけです。
しかし、事情は知りませんが桂銀淑もある日突然いなくなったのであります。

で、テレサテンと桂銀淑に共通することなんですが店にいる他の女性に行方を訪ねても誰も知らないということであります。

で、時代は移り時はバブルの真っ最中でありましょうか。
日本の世相もだいぶポップ調になり夜の街には東洋のラテンと称されるフィリピン娘が大挙して押しかけたわけであります。

いや、この少し前はタイからのお嬢さんが夜の街に多かった筈なんですがどーいうわけか自分は接点が少なく記憶に無いのであります。

で、フィリピンパブと称する店は仕事の延長では使えないやや特殊な飲み屋でして、自分はフィリピーナとの接点もなかったんですが、ある日東京は台東区の場末の静かな飲み屋でAizaに出会ったわけです。

歌っていたのはPagadating ng panahonでありました。
いや、フィリピン女性がラテン的と言うのは噂では知っていましたが自分が出会ったアイザはどちらかと言うと物静かな、言って見れば日本的とさえ言える女性でして当時はろくに話せない英語に四苦八苦しながらもなんとかコミュニケーションをとったわけであります。

で、東京は本社でして自分は東北の田舎支店・・・それでもあれこれと用事を作ってはお上りさんを決めていた次第であります。

いや、ここは私的に通った店でしてAizaとは清く軽いおつきあいでありましたが、フィリピン国に興味を持った種は間違い無くここで蒔かれたものでありましょう。

随分と飲み歩いた割には浮いた話は無く、とても健全な自分なんですがやがて日本国の景気は傾き自分の会社もなぜか潰れたわけであります。

そして自分は夜の街から遠ざかりアジア女性の歌う演歌の世界もフィリピン女性の歌う情熱的な歌とも離れたのであります。

と、一生懸命創作して見ましたが描写力に乏しく伝わりませんでしたかね?

いや、YouTubeって凄いもんですね。
フィリピンのローカルな曲や歌手も一発で出ますもんね。

で、只今この瞬間はPangakoなんて勝手に流れたフィリピンの歌を聴いているんですが、これは言葉は違っても紛れもない演歌でして、そして自分が彼地にいた頃のことを思い出させるのであります。

あれ、庭で飼っていた豚や鶏はどーしたろうか、置いてきたバイクと車は鉄くずになったろうか、なんてことを思うのであります。

あーーーー 早く飛行機飛ばないですかねぇ〜😭 

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糸は 切れたか?

2020-12-30 10:58:44 | 日々の雑感
今日も座っております。
朝飯を食べつつテレビに見入り、たけしくん ハイを観、そのまま引き続き北野武まルーツを探る、なんてのも観たしまったわけです。

テレビって恐ろしい!!!
見なければ気にもならないのに一度見てしまうと離れられないと言う、恐ろしい特性を持っているわけでして、昭和の頃に散々言われた「テレビを見るとバカになる」は現代でも変わっていないのであるな、なんてことを思いつつも楽しいのだから仕方がないの諦め気分も醸し出されているわけであります。
なので明日の朝もたけしくん ハイの続きを見る所存であります。

しかしね、テレビの番組に見入ってしまうのは必然と思うんですよね。
だって、テレビの番組を作る人は観てもらおうと思って作るんですからそんな仕掛けがふんだんに盛り込まれているわけです。
なので制作側が狙ったツボに嵌ると抜け出せないのは宜なるかな、でありましょう。

それにしてもNHKの調査力ってのは凄いもんであります。
北野武のルーツを探る番組で父方と母方の先祖を辿るんですが、どんな手法で探すものか、ほとんど古文書の類まで見つけてくるわけでして、その根性には少し恐ろしい気もしました。

さて、ただいまpcに向かいつつ傍にスマホを置きYouTubeを垂れ流しているんですが、某所から教えて頂いた松田政経研究所なるものを見ているわけです。
タイトルは「日本コロナの真実とは?コロナ狂想曲の真相と処方箋」ゲスト:大阪私立大学名誉教授 井上正康氏、であります。

いやぁ・・・聞き流しなので所々飛ばして聞いているんでナニなんですが、面白いであります。
そして、我が意を得たりって感じで痛快であります。

なんと申しましようか、本物の知識で武装している人の話は安定していてわかりやすく面白いわけで、無学慚学の私でもするすると頭に入ってきます。

で、只今はPCR検査の裏話を話しているんですが、とんでも無く瑕疵だらけの方法で役立たず、切って捨てております。

さらに、PCR検査を民間がやるようになって一気に感染者が増えたとも語ってまして、言って見れば商売っ気が感染者を増やしていると言うことで今更ながらに目から鱗であります。

そして、話が締めに向かっているようですが、コロナの指定分類を変更すれば医療現場の混乱も落ち着くと語っております。

いや、御用とお急ぎでない方はYouTubeで探して見てください・・・楽しい上にためになり科学的知見に基づいた知識を仕入れられるのでお守りとして一家総出でお試しください。

で先生は、コロナに対処するのは普通の風邪と一緒で自己免疫だけでして、卵酒を飲んで寝てろ、と言っていました。

さて、ワクチンについても語ってまして、日本国ではリスクと効果のバランスは危険率の方が高いそうでありまして、具体的に突っ込んだ説明がありますので参考になります。

で、説明欄を開いたら井上先生の著書 ・・・本当は怖くない新型コロナウィルス 最新科学情報から解明する「日本コロナ」の真実の紹介がありました。
これは買うしかないなと思うのでチョットAmazonに行ってきます。
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今夜の罵詈雑言

2020-12-29 19:57:30 | 日々の雑感
トランプ・・・勝つな!!!

いや、毎日めまぐるしく交錯する情報にドナルドはどーなっちまうんだと気を揉んでいるんですが、本日拾い集めたニュースではトランプの勝ちは決まったようであります。

いや、これが決め手ですと言うものは提示できないのがナニなんですが・・・と、言うことで今夜もぬか喜びの類かもしれませんが宜しく御願い致します。

では、状況証拠をいくつか並べてみようと思います。

ホワイトハウス経由ドナルドの発表のようでありますが、いつものように英語なので肝心と思う部分をGoogleさんに翻訳してもらいました。

月曜日に、下院は個人への支払いを600ドルから2,000ドルに増やすことに投票します。したがって、4人家族は5,200ドルを受け取ります。さらに、議会は、アメリカ国民を犠牲にしてビッグテックに不当に利益をもたらすセクション230が見直され、終了されるか、大幅に改革されることを約束しました。 同様に、下院と上院は、11月3日の大統領選挙で起こった非常に重大な不正投票に強く焦点を当てることに同意しました。 上院は、小切手を2,000ドルに増やし、セクション230を廃止し、不正投票の調査を開始する投票のプロセスを開始します。 ビッグテックはセクション230の保護を受けてはなりません! 不正投票を修正する必要があります!

翻訳部分はずーっと後の方でありまして、前の方にも重要なことが書かれていますが端折りました。

いや、頑なだった半トランプの議会が折れたと思われるのが2000ドルの給付金であります。
当初の案では600ドルだったものをドナルドがそんな屁みたいな額ではダメだと押し込んだものであります。

そして一番肝心なのはセクション230であります。
これで保護されていたソーシャルメディアは意図的なコントロールができなくなるわけであります。
まっ、詳しくは英文にありますので御用とお急ぎでない方はじっくりと読んでくださいませ。

なんだか世界的に中国への警戒が強まっていると思うわけですが、捕まったのはスパイというよりもテロリストか戦闘要員と感じるのは私だけでありましようか?
いや、もしもバイデンが勝つのであればこの逮捕もなかったはずで数日前のフランスの中華離れの記事と無関係では無いと思うのであります。

100兆ドルですってよ・・・100兆円でも小国ならすっ飛ぶのにドルですからね、魂消ます。
円に換算すると1京1000億ですとぉ・・・想像もつきませんしなんぼ中国でもそんな金は払えないでありましょうから夜逃げですかね?
しかし、気になるのは日本の名前が入っていないんですよね。
此の期に及んでまだ中国に忖度しているんでありましょうか?

あなたはこのニュースをどー受け止めますか?
私ゃ素直には信じませんよ。
たぶん、中華國ももはやこれまでと観念し大将首を差し出してお家の断絶だけは、と命乞いをすると踏んだんですが・・・はい、そこのあなたの異議を認めます。

漏れ伝え聞くニュースでは習近平の弟を加えた側近四名に後を託したと言われていますが、私ゃ習近平はこのまま消え去るに120ペソ差し出します。

と、いうことで、今日は大きな話題が結構拾えたわけですが、日本のマスコミって鈍感と言いますか、仕事してないですねぇ・・・特派員とか駐在員ってどーしてるんでありましょうか、なんちゃって。

で、トランプが再選した暁にはスガさんはすんなりと退陣しあとにはやっぱしドナルドの親友の安倍ちゃんでしょ・・・このトランプは前勲章もくれたしね。

と、いうことで、本日はとても静かに1日が終わった私でありますが皆様は如何でありましたでしょうか?
そーですか、まだ仕事をしていましたか・・・ご苦労様です。
そんな貴方と自分の明日が引き続き平穏でありますように願いまして、おやすみなさい、と。

と、言いつつ寝床で読書とYouTubeなんですけれどもね。


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そーか、そう言うことかも

2020-12-29 16:22:26 | 日々の雑感
いや、今日は諸般の事情により身体的活動は諦め脳みそに燃料を入れる方に傾いてみました。

脳みそへの燃料補給は色々ありまして、ネットニュースもそうですし、映画やテレビもその一つであります。
様々な燃料がある中でも刺激として長く燻って欲しいとなると薪なんですが自分のそれは読書であります。

薪も本も堅いものほど火持ちが良いわけで、本日選んだのは仏教の本でありました。
とは申しましても専門書では無くシロート向けの禅の本であります。

さて、読んだ本の感想を述べようとは思わないんですが、どうにも一つ引っかかることがありましてそこだけ書きますと・・・。

禅僧が修行を積んで煩悩を断ち切ると物欲がなくなる話がありました。
で、平易な言葉で凡夫にも物に囚われない暮らしを解いて居られるんですが、この本はお金を出さないと買えないわけでありまして、そこに軽い疑問を感じた次第であります。

禅僧のいる寺は遠くて説法を聞きに行くのは無理だし、図書館に借りに行くにも本を買う半分程度の足代は必要で返却時と2度往復する時間を考えると買ったほうが効率が良いのでアマゾンで手に入れた次第であります。

さらに、文中には「一捨一買」とあって読んだ刹那は納得したんですが読了して思い出すと何かが引っかかるわけであります。

いや、著者は紙の本であれ電子書籍であれ消費経済の供給側なわけでして、ここに矛盾を感じるんですがどうなんでありましょうか。

恐らく私程度の者が議論を吹っかけても静かに方便で返されるんでありましょうが、ここに仏教の、良くいえば中道の幅、悪くいえば曖昧な逃げを感じた次第であります。

でもね、こんなことを考えるのが楽しいわけでして、だから禅宗の人の本は好きなんであります。

さて、表題のそういうことかも、と言うのはとあるブログで知った記事を読んでイマイチ納得できずにいた事を「そーか、そー言うことかも」と思った話であります。

それは村上春樹の対談の記事の話なんですが・・・

僕は学者だとか芸術家だとかいった仕事をする人は、どちらかというと浮世離れしていなければならないと思っています。片足は地面に着いているけれど、もう一方の足はどこか別の所に突っ込んでいる。それぐらいじゃないと、そもそも学者や芸術家にはなれません。
 そしてこういう人の意見は、世の中にとっても大事なのだと思っています。「一歩、向こう側」に足を置いている人の意見がね。なぜならそういう人の意見は必ず、「固まった意見」に風を吹き込むのですから。つまり、政治家のような人が発する、世の中の「ある種の総体としての意見」を崩すわけです。

ここ、一般論として読めば納得なのですが対象が学術会議となると自分は承服できないわけです。
その理由は、学者が政治に首を突っ込むまでは良しとしてもイデオロギー的に偏って影響しているのが明白と思ったので納得できないのであります。

が、先ほど読んでいた本の言葉から村上春樹の話の解釈はそう言うことかも、と閃いたのであります。

それは、禅問答についての説明で「向こうから来るのは姉か妹か」や「片手の音を聞いてこい」などの問答は理屈的な答えを求めているのではなく、時に答えは叫び声であったり、また身体的表現であったりすると言うものでありました。
そこには既成概念とらわれない自由な発想と柔軟性云々と書かれていたのでありまして、発足して間もないスガ政権の足を引っ張る学術会議と野党を嫌悪したわけですが、しかし、自分の心情に従って読むと村上春樹は何を言っているんだ、ですが、ひょっとして自分が、と反転させると違和感はないわけです。

と言いつつ、本に感化されていた一瞬は発想の転換でなるほどなぁ〜と頷いていられましたが、対談を総合的に解釈すれば話は変わるわけです。
いや、村上春樹が最後まで現政権に苦言を呈し続ける記事なので自分も本性を現して続きを書きますと・・・

米国の大統領だったフランクリン・ルーズベルトは、炉辺談話(ニューディール政策に当たり、ラジオ放送で展開した国民向けの政策説明)をやりました。英首相だったウィンストン・チャーチルも戦争中、ラジオで国民に語り掛けました。
 これはどちらも僕はまだ生まれていなかったけれど、ジョン・F・ケネディのことなら、当時中学生だったのでよく覚えています。彼もきちんと自分の言葉を発信できる人でした。
 日本人であれば、田中角栄さんは話がうまかった。どこまでが本心か、よく分からないところがありましたが。
 こういう人たちと比べると、今の多くの日本の政治家はどう見ても、自分の言葉で語ることが下手です。今の総理大臣だって、紙に書いたことを読んでいるだけではないでしょうか?

田中角栄の政治手腕では無く話題が演説の巧さにしか行かないのは話の底が浅いと自分は思うわけでして、言ってみれば愚衆政治の演説が上手い角栄を持ち上げてどーするの、であります。
しかも時代背景が違いすぎるわけで、大きく変質したマスコミの体質を踏まえないのは・・・そーか、そもそもそっち側の人だよな、思うのであります。

余談ですが大平正芳などはどう評価するんでありましょうか?

そんなわけで、隙あらばと狙っている野党やマスコミの前で原稿無しの持論など展開したら火だるまになること間違いなしでありましょうし日本の総理大臣の権限の無さは他国とは比較にならないこともお忘れのような村上春樹、なんちゃって。

うーん・・・読み返すのも面倒なんでこのまま飛ばしますが、ネタ選びと展開に無理がありましたかね?




コメント (2)
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