お日柄が良さそうなのでバイクで出かけてみた・・・バイクで出かけたら距離の如何に関わらずツーリングなんだ、と。
で、何処ヘ行ったのかと言うと、まっ、家の敷地内を走り回っていたようなもんで、裏庭をチョット、だ。
まっ、それじゃ分らないだろうから少し詳しく言えば、夜盗沢から奥武士を抜け大倉ダムから根白石に出て明日の湯に入って帰って来た・・・まあ一回り50キロも有るのかドーか?
夏の名残のような白い雲に誘われ、自分の具合も顧みず出かけちまったんだけれども、やっぱし、思った通り夏の名残に会えて嬉しかった。
いや、秋の真っ直中だからこそ夏の名残、去り難いそれが見られるんだね。
雲は良いね・・・見ていると旅に出たくなる。
おっさん、大人になったり爺さんになったら子供じみた欲求は収まるのかと思っていたんだ。
だって、自分が子供の頃の大人たちには分別が有って、叶わぬ夢を見たり遠い憧れの地に思いを馳せて、あまつさえ夢に走るとか旅に出ちまう大人を知らなかったから、さ。
しかし、おっさんはこの歳になっても子供の頃とちっとも変わらずに雲を見れば旅に出たくなり、メンコイおなごを見ればグフフフ、だ。
おっさんの家から出て西へ向かうと大倉ダムへ抜けられるんだけれども、これが中々に風光明媚で辺鄙な所なんであります。
で、仙台市青葉区大字山奥字谷底方面のバスの終点、大國神社が直ぐ裏に有る訳です。
いや、この神社が何だか胡散臭い訳で、10年程前迄は大和神宮と名乗っていたんでありますが、教祖が変わったとかナントカ言って神社の名前が変わっちまいました。
で、山野草を見られる遊歩道が整備されているんですけれども、整備した時が頂点で、それ以後ホッタラカシなのか荒れていて見る影も無い訳です。
で、大した話題でもないんですけれども、ここの説明を読んでいたら、神殿が丸木柱堀立式(まるきばしらほったてしき)と言うのだと書かれていまして、それは大した由緒正しい物なのである、との事なのであります。
いや、しかし、おっさんの家も掘建て小屋で似たような様式なんでありますが、由緒も格式もまるで有りません。
夜盗沢から奥武士を抜けるべく山道を走っていたらそろそろシマが消えかかったウリボウがいた。
道に落ちた栗の実を夢中で喰っていたんでおっさんがやって来た事に気づくのが遅れ大慌てでおっさんの前を暫く走って息切れ寸前で土手を上って逃げた。
前の雑草にピントが来ちまってボケ写真なんだけれども、まっ、おっさんの裏庭には猪も熊も居る訳です。
で、奥武士から抜けると大倉ダム経定義山の県道に出る訳ですが、土日以外はあんまし人も居なくて良いドライブウェーです。
3.11の地震で右岸周りの道路が通行止めになったのでダムの上の狭い道を行くさいの行き違いが一寸煩わしいんですけれども、まっ、交通量が少ないのでナニですが。
で、定義山に向かって真っ直ぐ行っちまっても何も楽しく無いんでダムの途中から細い道路を左折します。
普通車すれ違い不可の狭い橋なのですけれどもあっち側が見えますんで譲り合えば済む話であります。
この橋から眺める大倉ダムが一番キレイだとおっさんは思うのと、後ろ側を見ると後白鬚山がまた此れが見事な訳です。
残念な事はここの細い道へ曲がる手前に有った「てんよ屋」が店を閉めちまった事です。
夏にはここで冷たいてんよを喰うのが良かったのに・・・てんよは心太の事です。
で、こっちの道が定義山への本当の参道な訳で行くとすぐに立派な鳥居が有る訳です。
鳥居が有るんで定義山は神社なのかと思うと、五重塔とかあるし、言われは・・・肥後守・平貞能(たいらのさだよし)が、壇ノ浦の戦い後に当地に隠れ住んだとされる平家落人伝説が残る地である・・・とか言って正式名称を西方寺と呼び、正式山号を極楽山と呼ぶ浄土宗の寺なのであります・・・仙台市民は子宝の定義山として親しんでいる訳です。
で、お写真はおっさんの家の奥の院、離れや妾の家では無くて、道の途中に立つ大倉の古民家です。
少し前迄は開放されて自由に入れた家が往時を偲べたのでありますが、ただいま現在は座敷を利用してそば屋になっちまいまして風情が台無しであります。
初めて行った時にはとても良い写真を沢山撮れたんでありますが現在はどちらへ振ってもそば屋のメニューとか冷蔵庫やテーブルの箸箱なんかが写り込み絵になりません・・・まっ、薪の燃えるいろりを見たいと思う人には行く価値があるかも知れないです。
さて、定義山に行って子宝なんかに恵まれると揉め事の種なので行かずに七北田ダム・泉が岳方面に舗装の良い山道を登る訳です。
ワインディングを軽快に抜けて行くと根白石の一直線道路に出るので、明日の湯に立ち寄り、一風呂浴びて戻って来たのでありました。
で、何処ヘ行ったのかと言うと、まっ、家の敷地内を走り回っていたようなもんで、裏庭をチョット、だ。
まっ、それじゃ分らないだろうから少し詳しく言えば、夜盗沢から奥武士を抜け大倉ダムから根白石に出て明日の湯に入って帰って来た・・・まあ一回り50キロも有るのかドーか?
夏の名残のような白い雲に誘われ、自分の具合も顧みず出かけちまったんだけれども、やっぱし、思った通り夏の名残に会えて嬉しかった。
いや、秋の真っ直中だからこそ夏の名残、去り難いそれが見られるんだね。
雲は良いね・・・見ていると旅に出たくなる。
おっさん、大人になったり爺さんになったら子供じみた欲求は収まるのかと思っていたんだ。
だって、自分が子供の頃の大人たちには分別が有って、叶わぬ夢を見たり遠い憧れの地に思いを馳せて、あまつさえ夢に走るとか旅に出ちまう大人を知らなかったから、さ。
しかし、おっさんはこの歳になっても子供の頃とちっとも変わらずに雲を見れば旅に出たくなり、メンコイおなごを見ればグフフフ、だ。
おっさんの家から出て西へ向かうと大倉ダムへ抜けられるんだけれども、これが中々に風光明媚で辺鄙な所なんであります。
で、仙台市青葉区大字山奥字谷底方面のバスの終点、大國神社が直ぐ裏に有る訳です。
いや、この神社が何だか胡散臭い訳で、10年程前迄は大和神宮と名乗っていたんでありますが、教祖が変わったとかナントカ言って神社の名前が変わっちまいました。
で、山野草を見られる遊歩道が整備されているんですけれども、整備した時が頂点で、それ以後ホッタラカシなのか荒れていて見る影も無い訳です。
で、大した話題でもないんですけれども、ここの説明を読んでいたら、神殿が丸木柱堀立式(まるきばしらほったてしき)と言うのだと書かれていまして、それは大した由緒正しい物なのである、との事なのであります。
いや、しかし、おっさんの家も掘建て小屋で似たような様式なんでありますが、由緒も格式もまるで有りません。
夜盗沢から奥武士を抜けるべく山道を走っていたらそろそろシマが消えかかったウリボウがいた。
道に落ちた栗の実を夢中で喰っていたんでおっさんがやって来た事に気づくのが遅れ大慌てでおっさんの前を暫く走って息切れ寸前で土手を上って逃げた。
前の雑草にピントが来ちまってボケ写真なんだけれども、まっ、おっさんの裏庭には猪も熊も居る訳です。
で、奥武士から抜けると大倉ダム経定義山の県道に出る訳ですが、土日以外はあんまし人も居なくて良いドライブウェーです。
3.11の地震で右岸周りの道路が通行止めになったのでダムの上の狭い道を行くさいの行き違いが一寸煩わしいんですけれども、まっ、交通量が少ないのでナニですが。
で、定義山に向かって真っ直ぐ行っちまっても何も楽しく無いんでダムの途中から細い道路を左折します。
普通車すれ違い不可の狭い橋なのですけれどもあっち側が見えますんで譲り合えば済む話であります。
この橋から眺める大倉ダムが一番キレイだとおっさんは思うのと、後ろ側を見ると後白鬚山がまた此れが見事な訳です。
残念な事はここの細い道へ曲がる手前に有った「てんよ屋」が店を閉めちまった事です。
夏にはここで冷たいてんよを喰うのが良かったのに・・・てんよは心太の事です。
で、こっちの道が定義山への本当の参道な訳で行くとすぐに立派な鳥居が有る訳です。
鳥居が有るんで定義山は神社なのかと思うと、五重塔とかあるし、言われは・・・肥後守・平貞能(たいらのさだよし)が、壇ノ浦の戦い後に当地に隠れ住んだとされる平家落人伝説が残る地である・・・とか言って正式名称を西方寺と呼び、正式山号を極楽山と呼ぶ浄土宗の寺なのであります・・・仙台市民は子宝の定義山として親しんでいる訳です。
で、お写真はおっさんの家の奥の院、離れや妾の家では無くて、道の途中に立つ大倉の古民家です。
少し前迄は開放されて自由に入れた家が往時を偲べたのでありますが、ただいま現在は座敷を利用してそば屋になっちまいまして風情が台無しであります。
初めて行った時にはとても良い写真を沢山撮れたんでありますが現在はどちらへ振ってもそば屋のメニューとか冷蔵庫やテーブルの箸箱なんかが写り込み絵になりません・・・まっ、薪の燃えるいろりを見たいと思う人には行く価値があるかも知れないです。
さて、定義山に行って子宝なんかに恵まれると揉め事の種なので行かずに七北田ダム・泉が岳方面に舗装の良い山道を登る訳です。
ワインディングを軽快に抜けて行くと根白石の一直線道路に出るので、明日の湯に立ち寄り、一風呂浴びて戻って来たのでありました。
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