昨日までの自分をフォーマットする・・・普通はリセットと言うのか?
新たにやり直したいと思う気持ちって誰にでもあるよね・・・無い? アッそー。
おっさんは度々有る訳です・・・輝かしいかこのアレコレに囚われず、この先の人生を慎ましく生きてみたいなどと・・・いや、一番フォーマットしたいのはこの手の嘘を平気で宣うこの脳味噌・・・おっさんの性根で有りましょうか?
しかし、リセットしたい程に悲惨な過去・・・世間の片隅で密かに生きている個人の忘れ去りたい過去なんてものは、自分以外に覚えている人も居ない訳で、ホントは敢えてリセットなんて必要も無いモノなんでありますが。
まっ、リセットしたいと言うよりは、あの日に戻りたいと言いますか・・・戻れない過去の時間をやり直したいと言う事なんでありましょうね。
解ります・・・あの日、あの時、ああしていれば・・・こーはなっていなかった、と。
すべては無情であります・・・たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ、であります。
おっさんはもうすぐ仕事を捨てて旅に出る所存な訳ですが、その心は・・・リセットやフォーマットでは無く、さらなる生臭いモノを求めてであります・・・人生のムフフやウフフやグフフや、或は、デへへへ、などを再度求めてみたいと思う訳であります・・・そして、願わくば旅の空の下で野垂れ死にたい、と・・・仏様の最後のように・・・なんて言ったらバチが当たるか?
高野山真言宗の宗務総長、宗会解散についての説明文を公開 「粉飾・不正をしていない」
いや、バチが当たるデ思い出した訳ですが・・・高野山の真言宗が解散したんですと? 解散って・・・真言宗を止めたと言う事なんですか? で、日蓮宗にでも鞍替えするとか?
いや、葬式仏教ナンてのがドーなっても良いんですけれども、しかし、高野山が潰れちまっては、高野豆腐はドーなるんですか?・・・いや、マジで、真言宗の総本山な訳ですから・・・まっ、アレか? 使い込みした一派を追い出して新しいのが出来るんでしょうけれどもね・・・単なる内部の権力闘争とかなんじゃないんですか? 仏門に在る者がみっともないね・・・聖者必滅・聖者必衰・・・無情であります。
さて、無情と気軽に宣っている訳ですが、これが仏教の真髄と言いますか、総てと言いますか、基本なんだそうであります。
で、無情には三つの教理が在る訳で・・・「三方印」と言うのだそうであります。
「諸行無常」・・・皆、結局は滅びるよ、無くなっちまうよ、と。
「諸法無我」・・・結局普遍的なモノなんて無いよ、と。
「涅槃寂静」・・・娑婆には煩悩が煩いから、涅槃が良いよ、と。
要するに、娑婆はインチキであるぞ・・・涅槃に来いと。
涅槃は静かで落ち着くぞ、さっさと成仏してこっちへおいで、と宣っているんじゃないかとおっさんは解釈している訳です。
天国良いとこ一度はお出で~酒はうまいしネェちゃんはきれいだ・・・と、古人は唱っている訳ですし。
さて「一切皆苦」を加えて「四方印」と宣う場合も在るようですけれども、これは読めば解るで在りまして、娑婆は総てが苦であるぞ、と言っている訳です。
で、おっさんは難しい経文など読む教養も知識も持ち合わせていない訳で透けれども、巷に溢れている、多少まともな仏教関係の本などを読みますと、結局は「四方印」をアレコレ、アッチコッチと喩えを使って解らせようとしている訳で、行き着く所は「無情」しか無い訳であります。
で、またちゃんと知りもしない事をネタに書くとアレしてナニな訳ですけれども、人生のフォーマットやリセットなんて自分から仕掛けなくても、漏れなくその時はやって来ますし、涅槃に行ったら落ちつくから、安心して娑婆で苦労してろ、と・・・仏様は教えてくれている訳です・・・その日はきっと来るから、と。
で、おっさんはこの事を信じているんで何もの怖いモノが無い・・・娑婆において天下無敵な訳であります。
しかし、性格的に静かに涅槃に渡る日を待つのも退屈なんで自分からその日に近寄ってみたりした方が良いんじゃないか、と考える訳です。
なので、野垂死にする方向で余生を送ってみてはドーだろうか? などと考える訳であります・・・分るかなぁ? わかんねぇだろうなぁ~?
新たにやり直したいと思う気持ちって誰にでもあるよね・・・無い? アッそー。
おっさんは度々有る訳です・・・輝かしいかこのアレコレに囚われず、この先の人生を慎ましく生きてみたいなどと・・・いや、一番フォーマットしたいのはこの手の嘘を平気で宣うこの脳味噌・・・おっさんの性根で有りましょうか?
しかし、リセットしたい程に悲惨な過去・・・世間の片隅で密かに生きている個人の忘れ去りたい過去なんてものは、自分以外に覚えている人も居ない訳で、ホントは敢えてリセットなんて必要も無いモノなんでありますが。
まっ、リセットしたいと言うよりは、あの日に戻りたいと言いますか・・・戻れない過去の時間をやり直したいと言う事なんでありましょうね。
解ります・・・あの日、あの時、ああしていれば・・・こーはなっていなかった、と。
すべては無情であります・・・たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ、であります。
おっさんはもうすぐ仕事を捨てて旅に出る所存な訳ですが、その心は・・・リセットやフォーマットでは無く、さらなる生臭いモノを求めてであります・・・人生のムフフやウフフやグフフや、或は、デへへへ、などを再度求めてみたいと思う訳であります・・・そして、願わくば旅の空の下で野垂れ死にたい、と・・・仏様の最後のように・・・なんて言ったらバチが当たるか?
高野山真言宗の宗務総長、宗会解散についての説明文を公開 「粉飾・不正をしていない」
いや、バチが当たるデ思い出した訳ですが・・・高野山の真言宗が解散したんですと? 解散って・・・真言宗を止めたと言う事なんですか? で、日蓮宗にでも鞍替えするとか?
いや、葬式仏教ナンてのがドーなっても良いんですけれども、しかし、高野山が潰れちまっては、高野豆腐はドーなるんですか?・・・いや、マジで、真言宗の総本山な訳ですから・・・まっ、アレか? 使い込みした一派を追い出して新しいのが出来るんでしょうけれどもね・・・単なる内部の権力闘争とかなんじゃないんですか? 仏門に在る者がみっともないね・・・聖者必滅・聖者必衰・・・無情であります。
さて、無情と気軽に宣っている訳ですが、これが仏教の真髄と言いますか、総てと言いますか、基本なんだそうであります。
で、無情には三つの教理が在る訳で・・・「三方印」と言うのだそうであります。
「諸行無常」・・・皆、結局は滅びるよ、無くなっちまうよ、と。
「諸法無我」・・・結局普遍的なモノなんて無いよ、と。
「涅槃寂静」・・・娑婆には煩悩が煩いから、涅槃が良いよ、と。
要するに、娑婆はインチキであるぞ・・・涅槃に来いと。
涅槃は静かで落ち着くぞ、さっさと成仏してこっちへおいで、と宣っているんじゃないかとおっさんは解釈している訳です。
天国良いとこ一度はお出で~酒はうまいしネェちゃんはきれいだ・・・と、古人は唱っている訳ですし。
さて「一切皆苦」を加えて「四方印」と宣う場合も在るようですけれども、これは読めば解るで在りまして、娑婆は総てが苦であるぞ、と言っている訳です。
で、おっさんは難しい経文など読む教養も知識も持ち合わせていない訳で透けれども、巷に溢れている、多少まともな仏教関係の本などを読みますと、結局は「四方印」をアレコレ、アッチコッチと喩えを使って解らせようとしている訳で、行き着く所は「無情」しか無い訳であります。
で、またちゃんと知りもしない事をネタに書くとアレしてナニな訳ですけれども、人生のフォーマットやリセットなんて自分から仕掛けなくても、漏れなくその時はやって来ますし、涅槃に行ったら落ちつくから、安心して娑婆で苦労してろ、と・・・仏様は教えてくれている訳です・・・その日はきっと来るから、と。
で、おっさんはこの事を信じているんで何もの怖いモノが無い・・・娑婆において天下無敵な訳であります。
しかし、性格的に静かに涅槃に渡る日を待つのも退屈なんで自分からその日に近寄ってみたりした方が良いんじゃないか、と考える訳です。
なので、野垂死にする方向で余生を送ってみてはドーだろうか? などと考える訳であります・・・分るかなぁ? わかんねぇだろうなぁ~?
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