中国の給食
日本の給食
まいったなぁ~・・・完全に負けてますね。
いつからこんな具合になったんでありましょうか❓
いや、昭和30年代の給食だってもう少し食べ応えと見応えがありましたよ。
と、言うよりも、とてつも無くまずいものに限って量が多く、今と違って全部食べ切ら無いと給食が終わら無いという拷問的な仕打ちもありましたから女子供にとっては辛いものでもあったわけです。
まっ、軍隊上がりのセンセーが豊富にいた時代ですからビンタとか蹲居とか一本背負とかでふざけたガキはセンセーに痛めつけられていた時代ですから給食も死ぬ気で食えと言われたもんであります。
で、写真を見て気になって検索したわけであります。
それは・・・山田牛乳の文字でありました。
なにっ❓ 山田牛乳って言ったらオラ方のだべ、と思ったからであります。
で、関連記事を調べて驚きました・・・やっぱし日本は貧困国になっていたのだ、と。
給食の栄養が足りてない!?
ナントぉ~・・・上記のお写真の貧相な給食は日本の秘境とかど田舎のモノでは無く、我が郷土、政令指定都市の仙台市のモノであったのであります。
いやぁ~ たいした魂消だぁ~・・・と。
古い記憶を思い起こすと、自分が小学校の一年か二年ごろ・・・昭和38年とか39年ですね。
その頃の仙台市の給食費は650円くらいであったと記憶しています。
まっ、定かではありませんが遠からずであると思います。
で、当時は各家庭の食事事情が未だしっかりして無くて「欠食児童」なんて言葉もあったわけです・・・要するに貧乏とか様々な事情で言えて満足なご飯が食べられず、の子が居たのであります。
で、量的には満たしていたと思う家庭でも各栄養的にはバランスに欠けていて、今では見られ無い脚気、ナンテのが居たわけであります。
で、そんなカロリー不足と栄養不足を補うためにとんでもない工夫をしていたらしいんですけれども、栄養補給の一端を担ったものに「肝油」がありました。
いや、肝油の写真を求めて検索しましたが自分が低学年で食べた三日月型でオレンヂ色のモノは出てきませんでした。
アレです・・・低学年は三日月型の甘い糖衣のものですが、確か三年生からは丸いボタン型であまり美味しく無いものであったはずです。
と、言うことで、50年以上も前に栄養不足が騒がれた日本・・・平成も終わろうとしている今、またそんな話が持ち上がっていたとは驚きであります。
しかし・・・給食が子供の発育に占める割合をそんなに重くして良いものかどーかって、少し疑問なんであります。
親ぁバカで無知だから子供の栄養は学校が管理ですか❓
子供の躾やらも家庭よりも学校頼りと思える昨今・・・子供の基本は家庭にあり、で、責任は親が背負え、ナンテのはやっぱし昭和の遺物でありましょうか❓