衆参同日選挙が現実的になってきた。解散する大義なんてどうでもいいのだ。永田町では、議員達が浮足たってきた。しかし、国民は選挙に興味を持ってないようだ。全然盛り上がってない。投票率90%以上の国なら、安部も簡単には選挙に打ってでないであろう。安部は強気だ。支持率が高いし、今のところ、大きく票を減らす可能性はない。勝てると見込んでる。今の日本の雰囲気は、安部の感性、価値観が日本社会を包んでる。非常に保守的であり、右傾化している。日本の若者の多くが安部を支持している。幼稚でちゃらくて、骨抜きのくらげみたいな存在だ。もうひとつの大きな存在は無党派層だ。政治に対して無関心層であり、関心はあっても、支持する政党や政治家がいない人々だ。政党にとって、組織的な支持者は心強い存在だ。公明党を支持する創価学会は有名だ。共産党も割としっかりした組織がある。立憲民主党の支持母体とは、なんだろう。創価学会のような強い支持母体が見つからない。労働組合はあるが、立憲民主党や国民民主党の支持率は低い。選挙をやったところで政権交代なんていう事は起きない。野党側にとっては、良くて、自民党議員の数を少し減らせるぐらいだろう。野党の現状維持がいいところだ。もし、自民党が大勝するなら、安部は念願の憲法改正に前向きに取り組むだろう。安部的世界感を盛った憲法改正だ。戦前の悪夢が始まるかもしれない。自由なく、人権なく、平和でなく、貧しい社会の復活だ。今も日本は壊れつつある。内向きの日本すごいのナショナリズムが蔓延している。世界の骨太のナショナリズムとは異質だ。日本のナショナリズムは、どこか女性的であり、パワーに欠けるナショナリズムだ。多くの自民党議員達は、戦前のような国家主義的幻想を抱いてる。日本では時代の回転が逆回りし始めてる。日本では本当の意味で民主主義が根ずいてない。国家とは人間あっての国家なのだ。国家あっての人間ではない。戦後、制定された新憲法をアメリカから押し付けれれた憲法だから、自主憲法を作るのだと、日本会議の連中は息巻いてる。天皇を中心にした国家を作りたいなんて時代錯誤もいいところなのだ。安部は日本会議の中心的人物であり、わかりやすく言えば右翼なのだ。マスコミは保守だなんて、やんわりした表現をしてるが、さほど街宣右翼と変わりない。日本の政治風土は外国に比べると、死に体だ。安部という虚構に群がり、依存して、安部に裏切られ、日本は死んでゆく。