Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

カトリック神田教会(2019年3月17日見学)

2019年04月09日 | 教会・モスク
東京ジャーミイからJR水道橋駅に移動。

こちらには聖堂の雰囲気がとても素晴らしい教会があります。
それがカトリック神田教会です。

駅から日本大学の学部が並ぶ白山通りを歩き、
10分もかからずカトリック神田教会に到着。

こちらには駐車場が無く、
近隣の有料駐車場を利用する必要があります。



所在地:東京都千代田区西神田1-1-12
宗派:キリスト教 カトリック教会
創建:明治7年(1874)


【沿革】
明治5年(1872)マレー半島沖のペナン神学校より、
明治初頭のキリシタン迫害から逃れペナンに渡り、
ラテン語を勉強していた日本人神学生8名が、
パリ外国宣教会の神学校教授であった司祭に引率され横浜に帰国。

同年4月、フランス公使ベルトミーの周旋により、
現在の千代田区三番町にあった旧旗本亀井勇之助の家屋敷を借り受け神学校を新設した。

当時はキリスト教が禁止されていた為、
表向きは英語・フランス語・ドイツ語の他、ラテン語を教える外国語学校とした。

この学校の大広間に聖フランシスコ・ザビエルを保護聖人とする聖堂が設置された。

明治11年(1878)10月、閑散とした学校はついに閉鎖され、聖堂は教会として独立し、
司祭のアルフレッド・ペティエが主任司祭、ユルバン・フォーリーが助任司祭に就任した。

この聖堂こそ東京教区の歴史においては、
日本人に宣教する為に開かれた聖堂の第一号で、
聖フランシスコ・ザビエルに捧げられました。

それが神田教会の発祥です。

神田教会の古い建物は明治27年(1894)の明治東京地震によって、
著しく歪み、修繕を余儀なくされた。

明治21年(1888)主任司祭のジャック・エドモンド・パピノは、
明治29年(1896)自ら設計した地震や火災に強いゴシック式の新聖堂建設に着手し、
同年10月28日完成した。

大正2年(1913)に失火により焼失、その後、レンガ造の新聖堂が落成する。

だが大正12年(1923)9月1日の関東大震災により再び全壊、焼失する。

震災後、道路拡張や区画整理等の問題で再建が遅れたが、
昭和2年(1928)12月9日、現在の聖堂が完成した。

この聖堂は戦災も免れ、昭和28年(1953)から昭和39年1964)の間、
関口教会の新聖堂(東京カテドラル聖マリア大聖堂)が完成するまで、
仮司教座聖堂(プロカテドラル)として機能し、
平成14年(2002)2月には、国の登録有形文化財に登録された。


【聖堂】


教会に到着しました。

こちらは裏側のようですね。

古ぼけた、いやもとい、歴史を感じる重厚な外観です。




それにしても電線が邪魔。

早く海外のように地中に埋めればいいのに。




結構奥行きがあるようです。






表というか入口に到着。

昭和3年(1928)建立されたもので、
やっぱり重厚感があって渋いです。






教会堂名は聖フランシスコ・ザビエルという、
日本人なら誰でも知っているビッグネームの偉人の名前が付いています。

歴代教皇の名前より有名ですよね。


【レリーフ】



【聖マリア像】


さぁ、中に入ってみましょう。


【聖堂内陣】


撮影禁止なので画像はネットで拾ったもの。

私が入った時はもう少し照明が落とされ、
厳かな雰囲気満点でしたね。

ここでゆっくりしたかったが、
今日はここで結婚式があるようで、
新郎新婦が聖堂でリハーサルをやっていました。

凄く良い雰囲気を堪能したかったが、
おめでたいことだから素直にお祝いしました。


【聖フランシスコ・ザビエル聖遺骨】


画像はネットで拾ったものです。

このカトリック神田教会には、
聖フランシスコ・ザビエル聖遺骨が安置されているとか。

胸骨の一部らしい。

仏教で遺骨といえばお釈迦様の仏舎利が有名ですが、
現在残っている仏舎利の全ての重さは何トンもあるという。

そういう眉唾ものが多い仏舎利とは違って、
ザビエルの聖遺骨は本物なんでしょう。

貴重で宝で大切な聖遺骨があるカトリック神田教会は、
日本では重要な教会の一つなんでしょうね。

もう一度訪れたい教会となりました。

いつの日か。


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