Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

法輪寺(2021年2月28日参拝)

2021年04月10日 | 大和北部八十八ヶ所霊場
今日は長閑な寺院で仏様を拝みたいと思い、
大和郡山市や斑鳩町界隈を巡ります。

まずは法隆寺近くの法輪寺へ。

こちらは随分御無沙汰しており、
約10年振りの参拝となります。


<2011年1月22日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/b05fe976d24dacfabd22581286baa3db


所在地:奈良県生駒郡斑鳩町三井1570
宗派:聖徳宗
御本尊:薬師如来
創建:推古天皇30年(622)または天智天皇9年(670)
開基:山背大兄王または百済開法師・圓明法師・下氷新物
札所:聖徳太子霊跡、大和北部八十八ヶ所霊場、大和路秀麗八十八面観音霊場会


【縁起】
法輪寺の創建には2説が伝えられています。
聖徳太子伝私記によると推古30年(622)聖徳太子がご病気になられた折、
太子の御子・山背大兄王がその子・由義王らと太子の病気平癒を願って建立されたという説。

もう一つは上宮聖徳太子伝補闕記によると天智9年(670)の斑鳩寺焼失後、
百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が合力して造寺したとする説です。

創建から江戸時代中期まで、当寺に関する史料は乏しい為、
奈良時代の様子はほとんどわかりませんが、十一面観音菩薩立像・弥勒菩薩立像・
地蔵菩薩立像・吉祥天立像・米俵毘沙門天立像等、
平安時代の仏様を多く伝えることから平安時代には寺勢が盛んだったことが想像される。

鎌倉時代の様子は金堂・講堂・塔・食堂等が建っていて、
建立の様は法隆寺に似たりと聖徳太子伝私記に記されています。

大乗院日記目録には南北朝時代の貞治6年(1367)正月三日に法輪寺が炎上したとあります。

正保2年(1645)の大風により金堂・講堂・中門・廻廊・食堂等、
諸宇ことごとく倒壊し三層目を吹き飛ばされた三重塔だけが残った。

享保年間(1716~1736) 寳祐上人は法輪寺の復興に着手。
上人は復興の勧進の為にも当寺の聖徳太子感得と伝える妙見菩薩の信仰を広められ、
熱心な信者となった大坂の町人が檀主となり、さらに多くの法縁を得て、
大小の仏像三十余躯・画像二十幅・舎利塔二基・霊宝十余箱の修理、
ついで鐘楼・妙見堂・八幡宮の修理が行われました。

元文4年(1739)には三重塔修復が緒に就き、その年の7月には心礎から仏舎利が発見される。

塔修復なかばで倒れた寳祐上人のあと、遺弟・大圓上人等により、
宝暦10年(1760)に塔修理は完成、宝暦11年(1761)には現金堂、
続いて旧講堂、南大門が復興されました。



【駐車場】


無料駐車場がありますが、
舗装されていないデコボコの地面なのでご注意を。


【南門】




いいですね~。
いかにも古寺といった風情が伝わってきます。


【三重塔】






昭和19年7月21日に当寺国宝であった三重塔は落雷で焼失。

現在の三重塔は昭和50年(1975)に再建されたもの。


【境内】



【金堂】




本来の本堂ですが老朽化により、
御本尊の薬師如来等の諸仏は講堂に遷されています。

宝暦11年(1761)に再建されたもの。


【塔心礎】





【講堂】


拝観料を支払って堂内へ。

こちらは収蔵庫になっていて貴重な11体もの仏様が安置され、
仏像好きにはたまらない空間になっていました。

残念ながら撮影は不可でした。


【鐘楼堂】





【地蔵堂】




鎌倉時代のお地蔵さんが祀られていました。


【妙見堂】


写経会の開催場所でした。


【庫裏】





【御朱印】