ニライカナイへの憧れ

沖縄への思いを自分なりに綴った日記

若泉敬氏の言葉。

2011-02-22 | 問題
TBS『シリーズ激動の昭和 総理の密使い~核密約42年目の真実』
昨夜の放送を見ました。

「愚者の楽園」という若泉氏の言葉。
身体に電気が走ったような感覚がありました。
本土の人間は沖縄の苦しみや悲しみには無関心で
自分の快楽だけに生きているという意味に私は取りました。

米国防総省企画担当次官補佐代理のモートン・ハルペリン氏。
沖縄返還の指南役として役割を果たし、若泉氏の盟友でもあったそうですが
近年「沖縄返還から何十年もたつのに基地構造が全く変わらないことは驚きだ。
政府は何もしてこなかった」と述べたと、琉球新報の記事に掲載されていました。

日本政府は何で何もしなかったのでしょうか?
不思議でなりません。

米国もいよいよ軍の維持費が国防費を圧迫している事を指摘しているようですけど。
軍に掛けるお金がないからもういい加減に在日米軍も撤収しなきゃねって
米国の議員でも言っている人がいるにも関わらず
「日本を守ってやっているんだから払って」ってウソにまんまと騙されて
何でまた5年も思いやり予算をホイホイ払い続けなければならないのでしょうか??
払ってくれるって言ってるんだから、そりゃ米国側からしたら貰いますよね。
カツアゲと一緒じゃないですか。
日本にだってそんな余裕がこの先あるとも思えないのに。

今の日本には外国ときちんと交渉出来る人がいるのか疑問です。
いつまでも先延ばしにしているとあっと言う間に世界から置いてきぼりにされるでしょうね。

若泉氏は表向きは癌を患い亡くなったとされていますが
実際は責任を感じ、自らの命を絶ったそうです。


“私は若い世代の人々への熱い期待を表明したいと思う
この著作とそこに流れる私の志が彼らの魂に点火しうるかどうか私には分からないが
その可能性を持っていることを信じたいと思う”
                                英語版「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」より



彼の行動は到底真似の出来るものではありませんが。

若泉氏の言葉。
同じ本土の人間として深く心に刻み続けようと思います。






他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス
若泉 敬
文藝春秋


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9 コメント

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Unknown (ban-kuko )
2011-02-22 18:27:49
初めまして!
縁あって故若泉敬氏を存じ上げています。
若泉夫人は55歳という若さで心筋梗塞という病魔の急襲を受けて他界されましたが、私も奇しくも同じ年齢の時に脳出血に襲われて九死に一生を得て今現在は極度の右片麻痺の後遺症はあるものの社会復帰を果たしました。
多分、私には未だ遣り残しているものがあるのだと、自分に言い聞かせています。
昨日は酷い痺疼痛に悩む一日でしたが、夜9時にTVを見始めると、不思議な事に23時放映終了まで痺れも痛みも忘れていました。
故若泉敬氏曰く
“私は若い世代の人々への熱い期待を表明したいと思う。この著作とそこに流れる私の志が彼らの魂に点火しうるかどうか私には分からないがその可能性を持っていることを信じたいと思う”

これからの日本に将来があるのかどうかも疑問に思う今日この頃ですが、上記の言葉を念頭に出来る限り、若き現代人に伝えていきたいと思います。

突然のコメント、失礼しました。
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ban-kukoさん (kukuru)
2011-02-23 00:14:09
初めまして。コメントありがとうございました。

私は最近になってやっと戦争の事実について知るようになりました。
そんな年代なのだと思います。
戦争の詳しい事は教わる事がありませんでした。

私が沖縄を想うようになってからもうすぐで20年近くになりますが
未だ埋まらない溝に悲しい気持ちになる事も多々あります。

若泉氏が命を削って覚悟を持って書かれた真実も
「過ぎた事」として流してしまう政治家達。
自分がしてきた事は何だったのだろうか・・・と嘆き悲しむ無念さは計り知れないものだったと思います。

若泉氏は何故あそこまで沖縄の為に尽くされたのか
その原動力は一体何だったのか知りたいです。

琉球を日本の領土にしておきながら
いつまでアメリカに売り続けるのでしょうか。
「沖縄返還」とか「本土復帰」って言葉も
私にはなんだかしっくり来ません。
沖縄が日本であるのならきちんと責任を政府は取るべきです。
「過ぎた事」をそのままにしておくのは政治家の資格が無いのと同じだと思います。

今までは語るにも語れなかった事、沢山あったと思いますが
あの時代の事、今でこそ間違いを正すべく公にして頂きたいと思います。
私達も本当の愛国心を持ちたいです。

ban-kukoさん、お身体大切に今後も私達に大切な事を教えて下さい。
魂に点火する若者、必ずいるはずなので。


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Unknown (ken)
2011-02-23 21:32:35
kukuruさん、こんばんは。私も見ました。
那覇にいるとき、沖国大に米軍のヘリコプターが落ち、警察は何もできませんでした。

朝早く、那覇の町の上空を戦闘機が金属音をたてながら飛んで行くのを何度もみました。

そして、2001年9月11日の同時多発テロのときには、”那覇空港から嘉手納まで100mごとに検問があるほど、警察がいっぱい”という風評がたち、観光客が激減しました。

わずか5年の那覇暮らしでも、たくさんの”矛盾”を見聞きしました。


モンパチは「矛盾の上に咲く花」で唄っています。

人は弱し うわべは装い 心は裸 うわべは崩れる
もろい裸心はたやすく傷付き 救い求めうろたえる
頼れる物捜ししがみつく それの繰り返しが人の歴史
小さすぎる世界観 大いなる自然にごめんなさい
誰のせいだとか関係ない 気にするヒマがあれば笑いなさい
美しい空の青 海の青 この島すでに日本色
この小さな島に溢れていた おばぁの笑顔も涙で歪む
心からみんなで歌える国の歌なら楽しいかもね
平和願い叫ぶ前に これ以上自然を壊さないで

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GOOは先進的だ。 (にらい)
2011-02-24 01:36:17
こんばんは、おはよう。

@nifty ではいまだスマフォからコメント投稿できません。
PC 表示にすればできますとかアホくさ。

2月25日(金)から3月1日(火)まで有給休暇取りましたのでコメントの続き書かせてね。


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沖縄はクーにとっては・・・ (ban-kuko )
2011-02-24 12:55:16
若泉先生の「沖縄返還」云々よりズッと以前から自分にとって沖縄は
中学の時の親友が「おいしゅうございます!」で有名になった岸朝子さんのご長女でした!
自分は朝子おばちゃまよりお姉さまの尚道子おばちゃまに可愛がって戴きました。
彼女は尚家に嫁いでいました。
子供達が「沖縄問題」に苦悶していた若泉先生に可愛がられていた、なんて私にとっても「沖縄問題」は生涯忘れる事が出来ません。
(無関係の話だと思いますが…故若泉ご夫妻は私達夫婦の仲人さんでした)
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kenさん (kukuru)
2011-02-24 16:04:08
こんにちは。
“矛盾の上に咲く花”
アルバム「MESSAGE」発売から10年経った今も
何も変わっていない現状がありますね。
彼等のメッセージ、国の代表には届いていないのが残念でなりません。
ヴォーカルのキヨサクは沖国大の出身ですよね。
母校に米軍のヘリが墜落。
その後の対応に益々矛盾を感じただろうと思うと胸が痛くてたまりません。

政治家はもっと沢山沖縄に行って身を持って色々な事を感じるべきですよね。
きちんと目で見て耳で聞いて肌で感じられれば
少しは気が付くと思うのですが・・・。
そんな人が現れるのかは謎です。

“琉球愛歌”
忘れるな琉球の心 武力使わず自然を愛する
自分を捨てて 誰かのため何かができる

私達にも何かができるはずだと信じて。。。
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にらいさん (kukuru)
2011-02-24 16:16:00
こんにちは(^-^)
ようやくゆっくりお休み出来るのですね。
お疲れ様です。
にらいさんの有休中に沖縄へ行きたかったです(><)

gooはスマフォからでもコメント投稿出来るのですか?
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ban-kukoさん (kukuru)
2011-02-24 16:45:14
再訪ありがとうございます。
頂いたコメントに驚きっぱなしです。
沖縄とは大変深いご縁がおありなのですね。
それだけ身近なお付き合いをされているなら
ban-kukoさんご自身もさぞかし心を痛めて来られたでしょうね。
一日も早く、様々な問題が解決する事を願うばかりです。
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再訪!再訪!でゴメンなさい! (ban-kuko)
2011-02-24 19:01:13
何度もゴメンなさい!

沖縄問題はチョッとやソットでは解決できないような気がします。
日本の問題ですし・・・
現代人にとっては哀しいかな忘却の彼方にって感じになっていくのではないでしょうかね

遥か昔留学時代に、自分の国を愛する事が出来ない日本人を哀しく思った事があります

自分の花の航空会社時代に若泉先生が「沖縄返還」で大変な思いをされてたなんて・・・

私が紹介された頃は先生がチョッと安堵・・・の瞬時だったのでしょうかねえ~
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