復活祭に寄せて

2017年04月17日 | 日記
昨日は復活祭でしたね。復活祭は移動祝日(春分の後の最初の満月の次の日曜日)で、今年は比較的遅めに巡ってきました。
復活祭が来ると思い出すのは、やはりイースターエッグです。子どもの頃日曜学校で、復活祭になると野外で卵探しをしたのは懐かしい思い出。20年近く前、ウィーンに一人旅をした時もちょうど復活祭に当たっていて、町のカフェやケーキ屋さんのディスプレイがイースターエッグとうさぎの形のチョコレートでうめつくされていました。シュテファン大聖堂の前を通りかかると、猫柳の枝を手にした人の群れがぞろぞろと出てきているところで、珍しい光景にくぎ付けになりました。
さて、先日のリサイタルの時、アンコールの3曲目に「うるわしの白百合」という讃美歌を用意していたのですが、2曲目が終わって袖に引っ込んだら、それをしおにお客様が席を立ってお帰りになり始めたので(笑)、結局歌わずじまいになりました。この歌は昔、母がよく口ずさんでいた曲で、ちょうど復活祭の頃に歌われる歌です。せっかく教会でのリサイタルだし、もうすぐ復活祭だから、という気持ちを込めて用意していたのです。リサイタルの翌日、「先生、なぜ「うるわしの白百合」を歌われなかったんですか、楽しみにしていたのに」と仰った方があってびっくりしましたが(笑)、直前リハの時歌っていたのを聴いていらしたようです。
実は、リハで歌っている時、突然こみあげてくるものがあって声が詰まってしまいました。昔の記憶というものは、時によって思いがけない反応を引き起こすのですね。M先生が「大丈夫、私が歌ってあげるから(笑)」とフォローして下さいましたが、我ながら驚いてしまいました。

うるわしの白百合 ささやきぬ 昔を イェスきみの墓より 出でましし昔を
うるわしの白百合 ささやきぬ 昔を 百合の花 百合の花 ささやきぬ 昔を

春に咲く白百合 夢路より目さめて 限りなき命に 咲きいづる姿よ
うるわしの白百合 ささやきぬ 昔を 百合の花 百合の花 ささやきぬ 昔を

歳を重ねると、心の中にさまざまな温かい思い出を持つことがどんなに幸せなことか、痛感します。
さっきテレビを見ていたら、指揮者の佐渡裕さんがフルートで「ダニー・ボーイ」を演奏していらっしゃるシーンがあり、その調べがすーっと心の中に沁み込んできて、一瞬心が浄められたような気がしました。
こういう気持ちを味わえるのも、幸せの一つの形でしょうか。