今日14年前の加山雄三のコンサートのDVDを見ました。
私が慶応大学を選んだ理由。加山雄三が格好良かったから。
思い出すのは高校3年の夏、受験勉強のために信州の学生村へ行った。ちょうど40年前の夏である。あの頃の信州はまだ本当の農村だった。民宿みたいなものだが、宿のご夫婦の格好は農作業の格好だった。おやつにはジャガイモの丸ごと茹でたもの。そして良くお茶を飲まされた。あの頃は私も純朴だったな。
宿泊している人はほとんどが大学受験生。その中に一人慶応大学の法学部の学生がいた。司法試験を受けるために勉強しに来ていたのだ。
みんな同じ目標に向かっていたので連帯感が強く、良く食事のあとで歌を歌った。
それが加山雄三の曲だ。ちょうど若大将シリーズのピーク。「君といつまでも」
「夜空を仰いで」「お嫁においで」「蒼い星くず」「旅人よ」などだ。
加山雄三がいなかったら早稲田に進学していた。もしそうだったらどんな人生になっていただろう?実は私は高校の時バレーボールをやっていた。そして慶応から誘われた時には早稲田進学の意思表示をしていたのだ。
ところが、その夏に加山雄三で盛り上がった時点で私の心は慶応へ動いてしまった。受験では慶応、早稲田、東京教育大学(現筑波大学)を受験するつもりだったが、慶応に受かった時点で、他を受けることは止めてしまった。
私の頃にスポーツ推薦があったかどうかは定かではないが、慶応から誘われたのは事実だ。だから発表の日にバレー部から合格の連絡をもらった。そのかわり、入学式前の春休みだというのに、名古屋の合宿へつれていかれた。
もっとも私が大学に入学した時は、まさに学園紛争真っ只中。オリエンテーリングが終わると、大学がロックアウトになり、11月まで、ただバレーボールをしに日吉の記念館に通った。
私は慶応に進学して良かったと思う。後悔はない。もし東京教育大に進んでいたらと思うと恐ろしい。大学紛争で学校は荒れるし、筑波に移転してしまうし。
そして何より慶応ラグビーを応援できることがうれしい。もし早稲田に進学していたら、まずラグビーを応援することはなかっただろう。
私が慶応大学を選んだ理由。加山雄三が格好良かったから。
思い出すのは高校3年の夏、受験勉強のために信州の学生村へ行った。ちょうど40年前の夏である。あの頃の信州はまだ本当の農村だった。民宿みたいなものだが、宿のご夫婦の格好は農作業の格好だった。おやつにはジャガイモの丸ごと茹でたもの。そして良くお茶を飲まされた。あの頃は私も純朴だったな。
宿泊している人はほとんどが大学受験生。その中に一人慶応大学の法学部の学生がいた。司法試験を受けるために勉強しに来ていたのだ。
みんな同じ目標に向かっていたので連帯感が強く、良く食事のあとで歌を歌った。
それが加山雄三の曲だ。ちょうど若大将シリーズのピーク。「君といつまでも」
「夜空を仰いで」「お嫁においで」「蒼い星くず」「旅人よ」などだ。
加山雄三がいなかったら早稲田に進学していた。もしそうだったらどんな人生になっていただろう?実は私は高校の時バレーボールをやっていた。そして慶応から誘われた時には早稲田進学の意思表示をしていたのだ。
ところが、その夏に加山雄三で盛り上がった時点で私の心は慶応へ動いてしまった。受験では慶応、早稲田、東京教育大学(現筑波大学)を受験するつもりだったが、慶応に受かった時点で、他を受けることは止めてしまった。
私の頃にスポーツ推薦があったかどうかは定かではないが、慶応から誘われたのは事実だ。だから発表の日にバレー部から合格の連絡をもらった。そのかわり、入学式前の春休みだというのに、名古屋の合宿へつれていかれた。
もっとも私が大学に入学した時は、まさに学園紛争真っ只中。オリエンテーリングが終わると、大学がロックアウトになり、11月まで、ただバレーボールをしに日吉の記念館に通った。
私は慶応に進学して良かったと思う。後悔はない。もし東京教育大に進んでいたらと思うと恐ろしい。大学紛争で学校は荒れるし、筑波に移転してしまうし。
そして何より慶応ラグビーを応援できることがうれしい。もし早稲田に進学していたら、まずラグビーを応援することはなかっただろう。