裕嗣君のブログ

ラグビー応援そして闘病生活
愛ネコ、ハッピー命

昭和42年の世相

2006年11月21日 | ラグビー
いよいよ昭和42年です。私も高校3年生になりました。本当はクラブを引退して、受験勉強のさなかといいたのですが、我々の代は高校3年のインター杯予選までクラブを続けました。インター杯の東京都予選は惜しくも3位(2位までが全国大会出場)。それも最後のセットが15-13と本当にあと一歩でした。しかも私ともう一人のエーススパイカー二人は10月の国体予選までバレーボールを続けました。
受験勉強にも集中できず、この時点で浪人を覚悟してました。
夜は勉強の時間ですが、この頃ラジオが我々の年代を呼び込みます。「オールナイトニッポン」「パックインミュージック」という深夜放送がスタートしたのがこの年なのです。
オールナイトニッポンの主題歌はこの時から変わっていません。パーソナリティーはカメアンドアンコー。カメこと亀淵昭信は例のホリエモン騒動でライブドアがニッポン放送株を買い占めた時の社長です。実は高校の先輩でもあります。
この年の10月ファッションモデル、ツィッギーが来日。日本の女性はミニスカートに。ひざ上30cmが一世を風靡しました。
外国映画では「俺達に明日はない」バークバカラッダのボサノバの主題歌は今でも心に残っています。そして「卒業」ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロス最後のクライマックスシーンは忘れられません。007は2度死ぬでは日本の浜美枝が出演しました。
この年に誕生したもの「リカちゃん人形」、男性用整髪料「MG5」森永「チョコフレーク」シャープの「電卓」JCBが初の国際カードを発行しています。
この年の流行語は「アングラ」「核家族」「ハプニング」「フーテン族」そして大橋巨泉の「ボイン」。
漫画では「天才バカボン」「モーレツあ太郎」「ルパン3世」、学生援護会から「日刊アルバイトニュースが出たのもこの年です。
テレビでは、「トッポ・ジージョ」「ちゃこねえちゃん」九重佑三子の「コメットさん」青島幸男の「意地悪ばあさん」、それに「ウルトラセブン」海外物ではなんといっても「スパイ大作戦」そして「逃亡者」これは見ていてイライラしたな。
芳村真理司会の「夜のヒットスタジオ」もこの年スタート。
CMでは「大きいことはいいことだ」の山本直純、王貞治の「ナボナはお菓子のホームラン王です」ブリジストンの「どこまでも行こう」は良く口ずさんだ。
「アングラ」という言葉が流行になり、寺山修司の「天井桟敷」、唐十郎の「状況劇場」などが出現。
歌の世界はあまりに多くて書ききれないが、インパクトがあったのはフォーク・クルーセダーズの「帰ってきた酔っ払い」これがラジオに流れた翌日の教室が騒然としたことを覚えている。君こそ我が命(水原弘)夜霧よ今夜もありがとう(石原裕次郎)小指の思い出(伊東ゆかり)レコード大賞のブルー・シャトー(ブルー・コメッツ)世界は二人のために(佐良直美)など今でも口ずさめる曲がいっぱいある。