さて この度のカンボジア・アンコールワット再訪問の旅も残すところ3日。3月1日はシェリムアップ周辺から午前中は高速道経由で10世紀の後半クメール王朝時代建立と伝えられる「パンテアイ・スレイ(女の砦を意味する)寺院へ。
赤色砂岩と紅土を混ぜて作られているので寺院全体が赤い。壁面に精緻な彫刻が施されアンコール遺跡群の中でも随一と言われている。特に中央神殿の祠に刻まれた女神像「デバターの彫像」は仏詩人「アンドレ・マルロー」により「東洋のモナリザ」と紹介されて一躍有名になった。只余りにも蠱惑的な女神像に魅せられたマルローにより1923年に壁から盗掘し国外へ持ち出そうとして逮捕されましたが復活されました。
今熱帯の強い陽光に晒されて損傷摩耗が激しく、又実際の像は壁面に刻まれて意外に小さな物でその魅力の一端は期待以下でしたが。。。でもこの寺院はアンコールの北東30キロに位置し訪れる人が限られているので比較的静かで落ち着いて鑑賞できました。
デバターの彫像(東洋のモナリザ)
この中央神殿の壁面に埋められたように彫刻はある
精緻な壁面をごらんください。 A
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ここがホントの入り口
入り口の上部の精細な彫刻
横にそろばん珠みたいな陶器がはめ込まれている
遺跡のいわれを記した石碑
巨木が歴史を語る
入り口から進むと
ここの門にも彫刻が
更に奥に進むA
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物の怪のような彫刻が寺院を守るA
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寺院内を守る外側土塀A
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一旦市内へ昼食に戻り午後はそのまま20キロほど離れた密林の寺院遺跡「ペンメリア遺跡」へ。
ベンメリアは、12世紀中ごろに建てられ、完成はアンコールワットよりも早かったのではないかと言われています。アンコールワットより規模は小さいですが、回廊や堀がある点から「東のアンコールワット」と呼ばれることもあるが今は全く面影は無い。
本来であれば遺跡に残された碑文から歴史を読み取り、誰が何の目的で作ったか、明確な情報は解明されていず、発見時には、碑文がほとんど残っておらず遺跡の崩壊が進み、又十分に管理されずに密林に覆われていたのでポルポト政権下の内戦時に利用され多くの地雷が埋められそれが障害になり復活が遅れ密林に覆われて崩壊が進んだとも言われているとか。
TJは翌日のシンガポール観光に備えて入り口周辺だけ見て木陰で待機しました。夜は今回初めて「西洋料理」の夕食。立派なレストランでフランス風ディナーコースは矢張り口に馴染みやすく今回で一番の満足度でした。又同行女性の誕生日でもあり立派なケーキも振る舞われました。女性4名と男性1名はこの日もマッサージに出かけられましたが高齢男性二人はホテルへ直行バタン!
ペンメリア遺跡説明板 何故か姫路城らしきものの写真も
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売店です 買ってる人は皆無でした
ペンメリア遺跡A
蟻塚みたい? B
徐々に密林に覆われて崩壊する遺跡C ここで待機
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基本農業国 ナッツ類やコーヒーの栽培が進んでいるとか 途中見た巨大な工場は土管が山積みでした。
上下水道ともまだ限られた都会の一部でのみ完成とか
結構大きなお宅も散見
選挙の後の看板 学校前
みな様お楽しみマッサージのお店 あちこちにありました
どれを見ても素晴らしい彫刻ですね
一体どれだけの時間をかけて作ったものなんでしょう
すべてが手づくりこれだけのものが作れるものなんですね
自然に壊れてくるものを無理に修復してないようですね
こうやって自然に逆らわず土に返そうとしてるのかな
それとも資金難で修復されないのでしょうか
何百年後かにはすべてが土に戻ってるのかもしれませんね
見ごたえたっぷりの彫刻 寺院建築は保存されてた してほしいです
朽ち果ててる遺跡A~K …ジャングルの中で自然に埋もれていき~それも遺産になるのでしょう
これだけのものを築いた歴史探訪 興味深いです
辿り着くまでの道中も画像で拝見できて(現地の雰囲気)ありがとうございました