旅と宝塚と写真好きジジ

現在、過去、未来の旅日記、花や風景写真、宝塚、相撲、ポケモン、ハリポタゲーム等について投稿しています。

宝塚月組 愛希れいかさん主演「愛聖女」のライブ中継チケ

2018-06-30 15:13:38 | 宝塚・その他の劇場観劇記 & TV

Rouzanさん 稀勢の里のコメントアリガト。

今日はこの前ネットでフリーズして買い損なった宝塚月組愛希れいかさんのワンウーマンショーのライブ中継チケット売り出し日。昨日からネットでピアのページにアクセスする方法を練習して近くのセブンイレブンへ11時前に出かけました。 

大勢が並んでいるのかと思いきや一人もいないので拍子抜け。考えれば幾ら人気があっても娘役だし、バウ公演だし、舞台が好きな人は映画館でライブ中継なんか見たくないのかも。おまけに¥4300もするしね。 

コンビニ端末でチケ買うのは初体験。思ったより簡単で、事前に調べたPコードを入れたら直ぐ画面にアクセス出来た。多少戸惑う場面もあったが無事ゲット。お店の店員さんに予め頼んだヘルプも必要なしでした。帰ってPCで見たらまだ十分残っているので焦ることなかった。という事でした。映画館でライブ中継を見るのも初体験。7月7日を楽しみに待ちます。

 

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アメリカ経由ヨーロッパへの旅④ 1994年

2018-06-28 15:42:27 | 海外旅行

にしやんさん コメントThanks 稀勢の里関、始動はいけど、軽めなんてもう10日しかないのにそれ位の稽古でいいのかな。何しろ7場所も休んだんだから身体は確実に鈍っているはず。それと本場所に長い間出ていないと激しいぶつかりや間の取り方等身体で覚えた相撲の取り方もパッと反応出来ないんじゃない?なんて始まる前からいらん事言わんとひたすら回復善戦を祈ります。

6, Firenze - Napoli - Rome(09/11 - 09/15) Hotel Canada.

ユーロパスをより有効に使おうと、ルートから少し離れるけど未だ行った事のないナポリへローマから日帰りで寄ることにしました。その日が日曜日だったので、映画などで見ていて喧騒の街という印象が強かったナポリの第一印象は静かで人が少ない。地下鉄とケーブルカー( Funicolare フニクラ)を乗り継いでヴェスビオ火山がよく見えるという丘へ登りました(Vomero Hill)。

日帰りなので慌ただしくよく知られた観光場所のみを回りくたくた。最後は有名なサンタルチア海岸のカフェでしばしブレークタイム。海外への旅ではこうして路傍のカフェや駅、空港、市場、学校などでボーっとしながら現地の人々を見るのがジジには何よりの独り旅の醍醐味です。

ヴェスビオ火山遠望

これぞナポリ!

丘の上から

海岸が広がる

さっき上った丘を振り返る

ナポリの海岸

違った場所からヴェスビオ火山をどうぞ

これが歌、フニクラフニクラで有名な登山電車。あちこちにある。

ナポリの街並み

ナポリ海岸

マリーナからヴェスビオ火山

このお城で村山さんが病気になったサミットが開かれた

さてローマへ帰るべく中央駅に来て、ジャーン、駅が閑散としています。???と思いお互い判りにくい英語で聞くと、ナント「午後からスト」。当時も今もイタリアの国営交通機関はいとも簡単にストに入ります。約3時間くらい待って漸く動き始めたのですし詰めの列車に立ちっぱなしでローマへ深夜に帰ったのも思い出です。

ローマは1978年に一度行ったので、その時に行けなかったバチカンとその南のEURという地区、トレヴィの泉、 真実の口等今度はのんびり時間をかけて訪問。古代都市ローマは基本的に変わりがないけれど1978年に比べてややきれいになったという印象でした。バチカンのドームへ登った時偶然にスペインのマラガから来られたJavier, Gonzalezさん酸という方に会いました。

不思議なことにこの方には Trastevere District 、Piazza Veneziaで又偶然にあいました。ローマの様な大都市で偶然3回も同じ方にあうなんてフシギ。で最後のヴェネティア広場で夕食と共にしてお別れしました。とても陽気で楽しい方で自称 economist.でした。

ローマ ティベレ川畔

旧街道筋

遺跡

やっと見つけた トレヴィの泉

どこか判りませんが…

真実の口

どこか判りません

ヴァチカン市

ヴァチカンドーム天井

バチカンの上から見下ろすA

ヴァチカン広場

サンタンジェロ城

何かの会議場?

ローマ コロッセオ

7, Rome - Nice(09/15 - 09/17) Acropole-Nice-Hotel.

ローマからフランスのニースへの移動はコンパートメントカーでした。最初は一人でしたが大きな荷物を2個持参だったので長い時間トイレにも行けずさて困ったなと思ううちに途中のジェノバから賑やかなアメリカ人のカップルと同室になり、やっと荷物を頼んでトイレや食堂車にも行けて感謝。でもアメリカ人は早口なのでもう一つ会話が弾まず冗談も言えないからか先方も白けていました。

地中海沿いに進むので風光明媚な海岸を見つつ陽が落ちる頃、カンヌへ到着する前にいかにも著名な観光地らしく素敵な照明があちこちに見えて来てさすがフランス・カンヌだと思いました。カップルはここで下車。午後11時前に目的地ニースに到着。慌てて駅からホテルに予約確認の電話をしたらOKでホッ。でもタクシーがいない。

仕方なく万国共通お助けマン「マクド」で夕食。戻った駅でタクシーもゲットしてやれやれ到着。感じのいいキレイなホテルでした。ジジはカンヌやニースなどいわゆるコート・ダ・ジュールのカジノ中心の保養地には興味がなかったが、まあ一度は訪れてみたいと思って寄りました。

お天気が今一で紺碧の地中海海岸を見ることが出来ませんでしたが、街は本当にキレイで当然ですが映画や絵ハガキで見た通りでした。驚いたのは突如として轟く飛行機の爆音。裏が小高い丘で海寄りの空港の発着音がこだまして街に爆音が降り注ぐの図。これが後日神戸空港建設の反対運動に参加する経験になりました。ホテルで紹介されたレストランで食べた「いさぎ」のグリルが何とも言えない絶妙な味で今でもこの一点でもう一度行きたいと思う位です。

ニース・何かのモニュメント

入り江に港が見えた

ニースの街俯瞰

小さいけどキレイな港です。さすがニースだ!

ニース海岸

レストランも多い でも9月なので人がいない

ニース海岸

丘から見た海岸

夕日にかすむニースの海

 

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アメリカ経由ヨーロッパへの旅③ 1994年

2018-06-24 14:22:10 | 海外旅行

Rukuzanさん 月と金星のランデブーにコメントアリガト。あの後木星との接近もあったんですよ。

5, Verona - Pisa - Firenze (09/08 - 09/11) Hotel Rivoli.

べローナからフィレンツェへの移動は「マルコポーロ」号で。特に豪華列車と言う印象はなかった。フィレンツェはメディチ家が造り上げたと言っても過言ではなさそうな歴史のある古い建造物が一杯で見どころ沢山。日本では花の都なんて言ってますが余り花は見なかった。単なる形容詞だね。でも事実歳月の経過を感じさせない魅力にあふれた街でした。

2日目は列車で少し移動してピサの斜塔を見に行きました。丁度傾きが酷いとかで登れなかったのが残念でした。フィレンツェ戻り夕食場所を探していたら小さなトスカーナ料理を出す食堂のウインドウに日本のイイダコそっくりのタコが見つかり即入店。所が幾ら待っても料理が出てこない。やっと出てきたらオリーブ油でコテコテに炒めたみたいで、硬くてまるでゴム。アア。

ピサの斜塔は街のどこからでも見える

同上

これぞ斜塔

倒れてる角度がおよそ判ります

ピサの斜塔と大聖堂

大聖堂正面

 

第2日目は晴天で一番最初にまず市内を俯瞰したいと小高い丘の上にある「ミケランジェロ広場」へ。ここから見るフィレンツェの風景は素晴らしいかった。4日目は生憎の雨、でまずピッティ宮殿へ。その後ウフィツィ美術館へ行くつもりが大勢並んで3時間待ちだったので諦めたのが今でも心残りです。

ミケランジェロ広場から見たフィレンツェの中心

同上 左より遠くにサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が見える

同上

同上

ヴェッキオ橋(ポンテ・ヴェッキオ)遠望

近くで見ると

アルノ川沿いに建つ歴史地区の建築

至る所に噴水等がある

サンタ・クローチェ聖堂

近くで見る サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

 

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NHK鳴門秘帖第10回(最終回)BSプレミアム放映

2018-06-23 11:49:28 | 宝塚・その他の劇場観劇記 & TV

最終回「秘帖(ひちょう)の行方」BSプレミアム:2018年6月22日(金)午後8時 公式HP参照 

弦之丞(山本耕史)は、旅川周馬(武田真治)が徳島城から鳴門秘帖を盗み出したことを知る。周馬も又弦之丞同様公儀の隠密として密命を帯びていた。周馬は、鳴門の渦潮を望む土佐泊の港から、大坂に渡ろうとする。弦之丞は周馬のあとを追い、土佐泊の港で周馬に追いつく。弦之丞は周馬を倒して秘帖を手に入れ、徳島城に忍び込み、城主・蜂須賀重喜(相島一之)と竹屋三位卿(篠井英介)に対する。龍耳軒(田村亮)から秘帖を取り戻した後のことを託された弦之丞にはある考えがあった。お十夜孫兵衛は、弦之丞に最後の勝負を挑む。そして弦之丞と千絵(早見あかり)は…。

いよいよ大団円。改めて渦潮をバックにする金文字を埋めたタイトルの「鳴門秘帖」が秀逸。しかし肝心の物語は長大なモノを10日に纏めるのでどうしても走りがちでなんだかあっけなく終わった感。秀逸だと思ったのは最終場面の少し前、舞台風に引幕が切り落とされてハラハラ雪が降る中、中央の灯篭の側に佇む見返りお綱(野々すみ花)と両端に対峙する弦之亟と孫兵衛。

これで本編の主役はこの3人と言うことがハッキリしました。キリっと可愛く艶やか見返りお綱、首筋に色気がありイイネ。強い剣士と相まみえる夢を捨てきれなかった孫兵衛と弦之丞の対峙は一瞬の後孫兵衛が愛するお綱の膝にくずれおちる。これで終わった方がいいのだがそこはもう一つの主役「鳴門秘帖」がどうなったかも見せなくてはならず、孫兵衛が大金と引き換えに蜂須賀家へ渡した鳴門秘帖を周馬が忍びの術で盗み取り、それを弦之丞一行が追い、お綱の短銃が火を噴いて周馬は7代祟ると言いつつ死去。再び弦之亟の手に。

竜耳軒の配下に手引きされて城内へ入った一行は蜂須賀候の現前で鳴門秘帖は無きものと思へと源之亟がかがり火に放り込む、それではならじと三位郷が半焼けの秘帖を抱いて場外へ。そこへお米を忘れられない蜂須賀家の家臣が現れ三位郷を刺す。蜂須賀候は家督不行き届きで隠居に、その前に家老竜耳軒は諫言のため蔭腹を切り蜂須賀候の秘帖の存在を無にするように述べ息絶える。

これを40分位の中に入れるので幾ら脚本家や演出家が優秀でもしょせん無理。途中から見た方はアレヨアレヨでしょね。最後は弦之亟が焼け焦げた秘帖を京都所司代へ届けその存在の無意味な中身を説く。弦之丞は「人でなしの道を歩み多くを殺傷した」自分にはこの道しかないと家督を継がず千絵と共に遍路旅に出る。お綱は江戸へ戻り幼い姉弟と共に商いの道に進む。

とまあ死んだりハッピーエンドになったりと波乱万丈と言いたいが、ストーリーのみがどんどん進み、情緒や感銘には至らない。でも退屈せずに10回楽しめました。最後にお綱(野々すみか花)さん良かったよ。浜木綿子さんに次いで舞台にTVに今後気っぷのいい女やコミカルな弾ける役なんかで大活躍してほしいね。アハハ 最後は宝塚出身者にヨイショデシタ。

見返りお綱 野々すみ花

 

 

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阪神淡路大震災の思い出。

2018-06-22 14:44:03 | 雑感+時折「旅の思い出ミニ写真展」添付

ジジはあの時震度7の烈震地帯ど真ん中に住んでいました。就寝中の早朝5.46分で一体何が起きたのか咄嗟には判りませんでした。ドカーンと突き上げられてその後強烈な横揺れ。まるで天と地がひっくり返ったかのような超強烈な揺れ。

始め一瞬どこかがガス爆発を起こしたのでは?と頭によぎりましたが、スゴイ横揺れが始まり地震だっ!すぐどさっと目の前に黒いものが倒れてきたので咄嗟に足を縮めて難を逃れましたが、後で見ると書棚でした。幸い建物の被害は殆どありませんでしたが明るくなり見ると殆どの家具や器具が部屋中に散乱し呆然としました。

直ぐに外廊下には非常灯が点いたので一安心。その時はライフラインが全てダメージを受けたなんて知る由もなく、唯一の情報ラジオがのんびりと和歌山で少し被害が出たなんて言うのでてっきり震源地は大阪だと思いまさか神戸だとは思いもしませんでした。それまでこんな強烈な地震の経験はないのでただただ恐ろしく余震に身構えて電気が来るまで真冬なのにいつでも逃げ出せるように玄関ドアーを少し開けて靴を履いたままの着た切り生活でした。

夜が明けてベランダから市内を俯瞰して燃え上がる炎と煙を見てこりゃ神戸が震源地だと確信(事実は淡路島の野島断層)。電気は1週間後、水道が20日後、ガスは37日後にやっと開通しました。ジジ宅は電気温水器だったので丁度朝沸き上がった湯水を少しづつ大切に使いました。が思い立って前の小公園の水道へ駆けつけるとまだ少し水が出て当座の飲み水は何とかなりました。

それ以後は破裂した水道管から掬い取ったり、裏山の湧き水を探したり、最後は管理会社がタンクに水を満載して届けてくれるようになり本当に助かりました。ただ集合住宅なのでその水を部屋に運ぶのに助け合って運び大変でした。問題はトイレなどの雑用水。ジジは普段から火事が起きた時にと風呂の水は翌朝まで捨てていなかったのでこれが役立ちました。

食べ物は寒い時期だったので冷蔵庫からベランダに出して調理の必要のないものから食べましたが、何をどう食べたかよく覚えていません。連休後で手持ちのお金がなく怖いもの見たさも兼ねて、唯一開いていた中央郵便局まで10㎞位歩いて出かけましたが、あちこちで火の手が上がっているしガスの匂いもするしで空襲の時を思わず想起しました。

街の中心が壊滅状態で大きなビルがゴロリと横たわっていたりで衝撃的でした。そんな時すごいと思ったのは一軒の小さなお店でオバーさんがシャッターを開けて「一人¥500、好きなだけ持って行って」と。「自分が動かないでもモノが片付く」とのたまう根性に脱帽しました。

9日間風呂に入れなかったので寒空に1時間余並んで地下水と薪で営業してくれた銭湯に入れた時、汚れた超満員のすし詰めの風呂でしたが至福の時を過ごせ一挙に疲れが取れました。新幹線や阪神高速が倒壊したりで、電気がついてからは情報が入り始めて大阪や姫路などに被害はなさそうなので食糧の心配はもうしませんでした。地震と戦争はコリゴリが常套句になったジジでした。

今回の大阪北部地震で被害に遭われた皆様、時間と共に徐々に復興できますがそれまではひたすらの我慢です。どうかご自愛の上お過ごしください。あの時遠くから徒歩で食糧を届けて下さった方、電話で安否を聞くために深夜何時間も並んでくださった方、色んな形で助けて下さった方々に改めてお礼を申し上げます。

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