YS Journal アメリカからの雑感

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初解雇経験、さすがにショック

2011-07-06 07:39:33 | 雑記
妙な感じはあった。変な予感もあった。

独立記念日の翌日の7月5日、本社での社内会議のために向かったノースキャロライナの空港のラウンジの個室で、即日解雇を言い渡された。

昨年12月の買収された初日の解雇の嵐は生き残ったものの、その後、人の出入りも激しく、所属する営業組織も安定していなかった。在宅勤務という事もあり、3ヶ月前に入社して来た新しいボスとも2回しかあった事が無く、ビジネスの関する会話はほぼ皆無であった。

買収された側で生き残った人々も、ポツンポツンと辞めて行ったりしていた。2週間程前に、同じ営業で生き残った女性が、解雇とも自主退職とも言えないような妙な辞め方をしていた頃から本格的な変調を感じるようになった。

今週の木曜日で決まっていた社内会議の予定だったのだが、先週ボスから連絡があり、5日になったからフライトのスケジュールを変更しろ、空港には迎えに行くので、レンタカーは要らないと。アジェンダとか予定を聞いてもハッキリした事を言わないので、ひょっとすると思い始めた。(家内がいつものように出張予定を聞いて来たので、あやふやなまま伝えたら、ヤバいんじゃないのと、冗談っぽく反応していたが、その時点で、彼女にもそんな予感があったらしい)

全体的にはあやふやなままであったが、私のフライトの到着ゲートで待つという事だけはハッキリしており、言葉通りゲートの前でボスが待っていた。最近はセキュリティーの関係で搭乗券を持って無いと搭乗口までは来れないので、早速その質問をすると、エグゼクティグラウンジを使用するとパスが貰えるとの事だった。そして、ちょっとラウンジで打合せをしたいと個室に導かれた。

その部屋には、見覚えのある人事部の女性 VP が座っており、瞬時に事態が飲み込めた。変な予感は当たっていたのだ。

ボスが開口一番、営業組織の再編で、日系ビジネスユニット(といっても実質は私一人だが)を閉じる。よって、私のサービスも必要無いと、早口で宣言して沈黙した。理解はしていたが、私の方から、解雇という事ですよねと念を押すと、ほっとしたように、そうだとの反応があった。解雇する方もやりたくなし、居心地が悪いのだ。さすがに人事の VP は慣れたているのだろう、淡々としていた。

その後は、私のパフォーマンスとかの問題でなく、組織再編上の解雇であるとの説明があり、解雇条件や解雇契約書の話に移って行った。

主な契約内容は、ベネフィットとしては、ほんのちょっとのサベーランスペイとその期間の健康保険費、有給の買い取り、2ヶ月間の職探しサービスの提供、後は、法律違反ではない限り会社を訴えない事とか、入社時にサインした秘密保守義務契約等の順守とかだ。合意すれば21日以内にサインをして提出する必要がある。

会社の車については、来週引き取りに来るそうだ。コンピューター、その他の備品、書類等はトランクに入れておいてくれとの事であった。

その後は、会議の為に用意した資料をボスに渡し、懸案事項を説明し、謝辞を述べて終わった。時間にしたら、30分くらいであった。

ラウンジを出て、チケットの変更をして、コンコースから家や親しかった同僚や友人に電話をして事情を伝えた。そんな事をしていて2時間程経った所で、ブラックベリーが勝手に再起動し始めたと思ったら、メール及びコンタクト情報まで、全て消えてしまった。電話は辛うじて繋がっていたが、これも1日、2日で切る手続きをすると言っていた。(と思う)

ある程度覚悟をしていたので、自分ではそれなりに冷静に対応出来た思っている。しかし、興奮状態にあるのは間違いなく、夕食まで空腹を感じなかった。(夕方、珍しく立ち上がる拍子に立ちくらみがしたので、低血糖になっていたかも)寝れる事は出来たが、寝付きはさすがに悪かった。

アメリカで働くという事は、会社が日系、米系に拘わらず、こういう事があるとは思っていた。2008年、つい最近も、友人、知人で同じ境遇になった人が少なからずいる。自分としては初体験であったが、一度、再就職先を決めずに辞めた事もあるので、それなりに経験はあるが、思い出すのも辛い。

幸い家族共々健康なので、将来の事をじっくり考えながら、就職活動なりをしていこと思う。(これを機会に LinkedIn もキチンと使ってみようかとも思っている)今後の活動に影響でない範囲で、アップデートをしていくつもりだ。ブログに書こうかどうか少し迷ったが、ここまで書いて来て、ちょっとだけ開放感を感じる。書く事が生活の一部になって来ているので、そう言う事だとおもう。自分の中で変わるがあるのかも、興味のある所だ。もし、書けなくなったら、それも変化の1つであろう。

つくづく感じたのは、友人は有り難いという事だ。早速、いろんな情報を提供してもらっているし、なにより、励ましの言葉が嬉しい。


勤務していた先が、ヨーロッパの会社に買収された事で、このような結末になったのだが、元々、日本にオペレーションがないので、アメリカ(グローバルにも)での日系ビジネス(自動車関係、製造関係)をどう捉えているのかを考えさせられる機会でもあった。

自分の解雇が、日系ビジネスユニットの解体ということが影響している可能性もあるが、基本的に、北米に於ける日系企業ビジネスが伸びるという感覚は無くなっている。マクロ的には、ここ10年の伸びは大した事がない。現在、日系自体も南米に関心が移っている事もあり、その足場としてメキシコに関心が集まっているが、リーマンショック、そして津波の影響もあり、2-3年は足踏み状態になりそうだ。

欧米の企業からみると、アメリカでの日系製造業は現地化が進んでいるとも見える様だ。一部の会社や素材、製品によってはその通りなのだが、全体としてみると、未だ日本との結びつきが強く、それなりに日本的な対応をせざるを得ない。日本にオペレーションがあると、ある程度の理解は出来るのだが、私のようなケースでは、その価値を認める事は難しいのだと思う。

アジアをみた場合、今更日本という感じがあり、既に日系との取り引きがある上に、規模が無ければ、中国、インドという感じになる。ヨーロッパ系の場合、伝統的にアジアには強いので、日本を経由する必要も無い。

90年代初頭の自動車不況を経て,急速に伸びた日系自動車関係のアメリカ生産であるが、5、6年前には取り敢えずピークしてとの思いが強い。やっと、コンセンサスになって来た感じである。早めに進出したため、90年代前半の自動車不況の時に苦労した日系製造会社をみているだけに、90年代後半から2000年前半の強気をいつも疑ってみていた事もあるのかもしれない。


友人からの情報だと、就職前線はそれなりに活発になって来ているという事なので、早く何とかしたいものだ。個別の会社レベルでは、まだまだ日系ビジネスを重要と捉えている所もあるし、それは製品群によっては真実でもある。

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