YS Journal アメリカからの雑感

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大黒屋光太夫:吉村 昭

2010-11-29 11:04:34 | 書評
大黒屋光太夫』は、吉村昭作品という事と、司馬遼太郎の『菜の花の沖』との関連で興味があったのだが、同じロシアでも内容は全く別物であった。時代としては、大黒屋光太夫が先で、彼の活躍(ロシアへの情報提供、幕府への情報提供やロシア語理解への貢献)が、高田屋嘉兵衛の事件を誘発したとも考えられる。これだから歴史物を読むのは止められない。(『大黒屋光太夫』の最後の方に高田屋嘉兵衛の事件(ゴローニン事件)が出てくる)

『菜の花の沖』は江戸末期の日本の海運業や松前藩や幕府による北海道開発に詳しく、『大黒屋光太夫』は日本との外交への意欲が強いロシアの状況が理解出来る。

吉村昭が得意とする漂流物であり、全部で6編ある漂流記の最後の作品だ。文庫版のあとがきで、今後漂流記を書く事はないと宣言している。(その後数年で亡くなった)

以前読んだ『アメリカ彦蔵』に比べて、早いペースで読み終えた。読書としては快適であったが、ちょっと物足らない感じがあった。原因は、ロシア取材(光太夫の軌跡)を取材していない事にある様な気がする。年齢、健康上の問題で取材が難しかったのではないだろうか?(私の推測があたっているとすると)チョピリ残念。もうひとつの要因としては、遭難から帰国まで10年間なのだが、当時のロシアの移動は時間が掛かるだけで、本当に退屈なのではないかとも思う。

吉村昭は、光太夫の出身地三重県白子浦港で、遭難した17人中たった2人(3人いたがもう1人は北海道で死亡している)帰国がかなった光太夫のほかのもう1人の水主、神蔵の私的な見聞録に触れた事を大事に考えている。光太夫の幕府公式見聞記録との複眼がで来た事で、書ける確信が出来たそうだ。それだけにロシア取材がないのが本当に悔やまれる。

江戸時代から幕末の漂流記を読んでいつも感動するのは、ロシア、アメリカ等の漂流者を救った方の善意である。漂流者にかかわる人々の善意の相乗効果で、光太夫は女帝エカテリナ、アメリカ彦蔵はリンカーン大統領にまで謁見している。それぞれの国が日本との国交を探っていた時代背景はあるが、バラバラに発展してきた日本を含めたこれらの国々が、一気に絡み合う歴史のダイナミックスさがある。

それにしても、ロシアの役人や商人はタフだ。シベリアを横断しカムチャッカやアリューシャン列島の西の端に、何年も住むのである。それだけこの界隈穫れるラッコの毛皮等がヨーロッパで高価だったという事であろう。冬期には過酷なシベリアの陸路も整備されているのには驚く。

ロシアでの苦労話が大半なのだが、帰国してから幕府や洋楽者への情報提供者となったところが面白い。明治維新では賊軍となった幕府であるが、光太夫のような博学で貴重な体験をしたものをキチンと厚遇している。幕僚による諸外国の分析も正確であるが、鎖国しているので外交政策を立案する事は無かった。明治維新以来近代国家の基礎造りで、外交面で多くの幕臣の知識や実務能力が活かされているように思われる。

吉村昭の入門編としては取っ付き易いが、ファンとしてはちょっと物足りない感じ。それなりに有用だったがインパクトがなかった。