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つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

バンコク郊外ピマイの遺跡はクメール文化の影響を受け彫刻は躍動的、空間が優しく包み込む

2017年03月02日 | 旅行

1996 バンコク郊外・ピマイの遺跡 /1996 写真はホームページ参照。
 1996年、バンコクを拠点にタイの伝統建築をみようと出かけた。
 バンコクの街は、交通事情が末期的症状を呈していた。道という道に車があふれ、交差点を一つ越えるのに数10分かかることが再三あった。交通渋滞といえばどんな重要な会議でも30分や1時間の遅刻は許されてしまうそうだ。
 もっとも30分の遅れが企業にとって命取りになることは少なくなく、そのため携帯電話が東京や大阪よりも普及していた。サラリーマンはもちろん、屋台のおじさんや夜の街のお姉さんまで携帯電話をもっていて、「その件については・・」「・・いい加減にせーよ」「たまには寄ってね・・」だそうだ。

 しかし、携帯電話会社には嬉しい悲鳴の交通渋滞も、社会生活にとっては百害あって一利はまったくない。通勤や流通の遅れは経済の大きな損失につながっていく。市民も、歩いて買い物や散歩に出かけようとすれば騒音や排ガス、交通事故の危険と戦わねばならない。
 駐在の日本人は二重窓に空調機を完備して、室内に閉じこもってしまうそうで、出かければイライラ、家に居てストレスの毎日を送っているらしい。

 直接の原因は極度の人口集中に対する都市計画の遅れだが、背景にはバンコクの経済発展に対する地方の貧困がある。
 地方農村では依然として貧しい。経済が対等になれば、少なくとも人身売買や異常な都市集中の原因を取り除くことができるはずだ。
 ならば、物質的な経済のものさしと、食糧生産や森林資源、水資源などの環境維持、風景や景観の保全が経済的に対等になれる仕組みを早急に構築する必要がある、と強く感じた。たとえば、環境負荷を出す都市民は環境を保全してくれる農民へ保全費として環境負荷税を支払う方法はどうか。

 そんなことを考えながらバンコクからおよそ300km離れたピマイの遺跡を訪ねて、経済だけの発想では無理があると直感した。
 なにせ国民の9割以上が信仰の篤い仏教徒であり、あるがままを認め、なるがままに生きることを是としている社会である。
 経済的なバランスを追い求めたり西洋的な合理主義で計画を進めても人々には馴染みにくく、かえって拝金主義を助長しかねない。やはり、この国にあった発想、まだ考えがおぼろでそれがどんなものか説明しにくいが、人々が経済のみならず精神的にも満たされる発想を社会政策や都市計画の基本に据える必要があると思った。
 そのため、たとえ先進国がリードする国際社会から一旦遅れることになるとしても、精神が満たされる国づくりの方が、長い目でみたとき人々は真の豊かさを我がものにできる、と思う。

 ピマイの遺跡は、そのようなこの国の精神風土の歴史を優美な遺構で伝えてくれた(写真)。
 遺構の全体は南北軸のおよそ565m×1030mの矩形平面で、四周に石積みの回廊が巡らされている。石は白い砂岩と赤いラテライトが使い分けられ、その上に細かい装飾が施されている。
 遠くからは優美な立体感が強調されて見えるが、近くによると彫刻の豊かさな表情に目を奪われる。
 彫刻は躍動的で、ヒンズー文化の影響を受けているように見える。・・2006年にアンコール遺跡を訪ねて確認したが、ピマイはクメールの文化遺跡であり、全体の構成はアンコールのミニ版といえなくない。なお、クメールはヒンズーと仏教の混在した文化様式とされる・・。

 ピマイの一つ一つの遺構は礎石の上の人工地盤か石積みの基壇上に建ち、窓や入り口の枠に使われる石は少し内側に傾斜していて垂直感が増幅されているのだが、彫刻に表された巧みな表現が、威圧感を感じさせなくしているようだ。
 遺構の中心部に建つ仏塔も、巨大でありながらゆるやかなカーブで縁どられているため、訪れる人の気持ちを和らげてくれる。

 人を引きつけ、優しく包み込む空間、それをつくり出そうとする人々の意志が応用できれば、経済や都市に人間的な感性をも融和させられるのではないだろうか。

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