5月2日(水)の朝の散歩について
6時半に犬の散歩に出掛ける。今日は水曜日。
丘陵の頂越えのコースを歩く。曇り。天気予報によれば雨とのことで覚悟はしていたが、降らなくて良かった。
田に面している土手にノビルが7,80cm位に伸びてその先に暗紫色のビー玉大のムカゴを付けていた。スイバやギシギシの花穂が伸びている。蛸の吸盤に似ている。
犬は水溜まりの水があれば寄って行き飲んだ。
命豊かな川沿いの畑に大豆の苗が風に揺れていた。そばに黄色の花が咲いているのは春菊の薹の立ったものだろう。川の中は風でさざ波が立って中は見えにくかったのだが、魚影はなかったようだ。
市の施設の敷地に裏門から入って上下左右に変化のある遊歩道を歩く。最初、左側の田畑の方からカエルの鳴き声が聞こえてきた。それから敷地内の右側からも聞こえた。そちらに池のようなものがあっただろうかと思った。
市の施設の表門は開けられていた。緩やかな坂道を下る。そこの並木の葉が茂りだしたが、何と幹まで緑色に染まってきた。
参道に戻って来て反対側の歩道を時々、見掛ける高校生が歩いていた。大体、7時40分位に出会うはずだ、もうそんな時刻かと意外な気がした。
8時15分前に帰着。
昨夕の散歩について
3時半に犬の散歩に出掛ける。
南の玄関を出てポーチから昨月曜日に完成したスロープを通らそうとしたら犬はそれを避けて下の所を歩いた。この犬は新しい物が苦手である。臆病といえば臆病、用心深いといえば用心深いといえるだろう。
動物は感覚で生きていると養老孟司氏がTVで言っていたが、犬の感覚がそこは拙いと判断したのだろう。人だけが言葉で生きているそうだ。
最近、クロアゲハを色々な所で見るようになった。一頭のクロアゲハがあちこちに行っている訳ではなさそうだ。同時的に羽化したのだろう。
我が庭にも来るが、余り近くに寄ってくると迷惑な感じがする。虫は逃げて行くから良いのであって寄って来てくれては困るのだ。まして家の中に無断で入るなど言語道断である。
犬は公園の芝で糞をしたが、そのそばに小さな白色のニワゼキショウの花があった。
外で動くとTシャツでも暑くなり汗ばむ。犬も流し赤い舌を出してハアハア言っている。この気候に次第に慣れていくしかないのだろう。犬も私も。日本中の人も。北半球の人々も。
庭などの草引きをしばらくぶりにしたが、疲れるというものではない。くたくただ。そして時を経ずしてまた元通りになるのだ。元通り以上に悪くなるのだ。
4時5分前に帰着。