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ギリシャ旅行記 - ③ (ミロス島 - 2)

2023-10-05 14:15:00 | 旅行



今日はミロス島滞在の最終日です。
明日フェリーでパロス島に向かい3日間滞在します。
その後アテネ経由でドイツに戻ります。
パロス島のレポートは帰宅後にアップします。
今日はミロス島のレポート2回目として、80年前にこの島に滞在し、
今でも「ドイツの良いお医者さん」として島民に語り継がれているドイツ人医師Dr.Hans Löberについて記します。



島の鉱山博物館のショップで購入した博士の手紙をおさめた本です。
ミロス島は種々の鉱石が豊富で今でも採掘され世界中に輸出されています。
滞在しているホテル前のビーチでも硫黄や鉄分を含んだカラフルな鉱石の層が見られます。





Löber博士は第二次大戦中、1943年から1944年まで約一年半、ドイツ軍野戦病院の外科医師として島に滞在しました。
その時負傷したドイツ軍兵士だけではなく、島民200人の手術をして治療を施しました。
ベルリンの同僚から眼科手術の解説書や器具も送ってもらい、専門外の白内障の手術も行いました。
失明してもう孫の顔は見られないと諦めていた85歳のおばあちゃんは手術後また見えるようになり、
神のご加護とばかり喜んだそうです。
島民は治療費の代わりに大量の果物や卵を博士のところに届けました。
卵の何個かは孵化して博士の庭は多くのニワトリが毎日新鮮な卵を産んでくれたそうです。
またその頃島で猛威をふるっていたマラリアの防疫対策もベルリンの専門教授に相談しながら行いました。

島民から愛されていたLöber博士でしたが1944年12月5日にミロス島の隣キモロス島で活動していたパルチザンにより射殺されてしまいます。
射殺される一年前博士がキモロス島を訪れた時の写真と一週間前に訪れた時に撮った現在の写真です。




博士の死後1週間後お父さんの顔を見ることなく生まれた息子さんも後に医師となり(外科医ではなく精神科)お母さんと共にケルンで暮らしています。
二人は博士の死後、50年後の1994年博士が滞在していたミロス島を訪れることにしました。
初めドイツ占領軍の一員として滞在していた博士の家族を島民ははたして受け入れてくれるだろうかと二人は少し不安だったようです。
でもあの「ドイツの良いお医者さん」の家族が島にいることを伝え聞いた島民が次々と二人のところに駆けつけて、
当時の思い出話を語ってくれ大変な歓待を受けたということです。

島に滞在中、博士は毎週日曜日にドイツの家族や親類に向けて「回覧手紙」を送っていて、その数は57通にも及びます。
私が購入したのは博士の死後70年経ってこの57通の手紙をおさめ出版された本です。
出版費用のほとんどは3歳の時博士の手術のおかげで足を切断せずにすんだという島民が出資しました。

ホテルの快適なプールサイドでこの長いブログ記事をアップします。
最後までお読みくださりありがとうございます。










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2 コメント

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Unknown (wakoslowstep)
2023-10-08 12:19:55
yokoさん
美しい海を見ながら、素敵なプールサイドでアップされた貴重なお話の記事、感動しました。
思わずアフガニスタンで活躍された中村哲先生を思い出しましたよ。。
Loeber博士(ウムライトがなくて、ごめんなさい!)や中村先生の思いは、引き継がれているのですよね。
エーゲ海には、知らない島がたくさんあるのですね。
行ったことあるのは、アテネからのクルーズ船で小さな島々を巡ったり、ミコノス島とデロス島(遺跡のみの無人島)に行きました🏖️
今となっては、まるで宝石のような思い出です✨
次の記事も楽しみにしてます♪
Unknown (yokodoitsu )
2023-10-08 23:34:12
wakoさんへ
コメントをありがとうございます。
博士の手紙を読んでいて、私もアフガニスタンの中村先生のことを思いました。
ギリシャにはミコノス島やクレタ島などがある東のエーゲ海だけではなく、西のイオニア海にもコルフ島や小泉八雲の生まれたレフカダ島などがあります。

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