気がつけばふるさと離れて34年

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森の散歩

2018-04-23 18:00:02 | 日記
爽やかな初夏の陽気に誘われて、久しぶりに森の散歩をしました。



ジョッギング、サイクリング、乗馬をする人々に遭遇しました。





落馬骨折して乗馬を諦めてしまったのを悔やむのはこんな時です。

犬のトレーニング場では犬君たちがお利口に出番を待っていました。


でもトレーニングが必要なのは贅肉がついた飼い主の方かもしれません(笑)。


この時期は野原一面にイチリンソウが咲き乱れるのですが、このところの陽気でもう開花時期は過ぎてしまったようで、あまり陽の当たらない木の根元にまだ少しだけ咲いていました。

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エンゲルベルト・ケンペル展

2018-04-19 16:54:21 | 日記

ドイツはようやく春が訪れたと思ったらこのところ初夏を思わせるような暑い日々が続いています。

でもレンギョウや桜が咲く美しい季節の到来は嬉しい限りです(桜はもう散ってしまいましたが)。




今週末までデュッセルドルフにある「恵光ハウス」の地下にあるショールームでは「エンゲルベルト・ケンペル展」が開かれています。

ケンペルは1690年から長崎の出島にオランダ商館付の医師として約2年間滞在しました。

1691年と1692年には江戸に参府し将軍・徳川綱吉にも謁見しました。

滞日中はオランダ語の通訳・今村源右衛門の協力を得て江戸時代の日本の資料を精力的に収集しました。

ケンペルはヨーロッパにおいて日本を初めて体系的に記述した「日本誌」の原著者として知られています。

ケンペルの遺稿をもとにイギリス国王の侍医だったハンス・スローンは「日本誌」をロンドンで出版し、その後、フランス語、オランダ語、ドイツ語にも訳され出版されました。

各国語に訳された「日本誌」は当時、ヨーロッパの知識人の間で一世を風靡し、ゲーテ、カント、ヴォルテール、モンテスキューらも愛読したということです。

シーボルトもこの本の影響を受けた一人ですが、シーボルトが日本に渡ったのはケンペルのかなり後、約140年後でした。

「恵光ハウス」の展示で特に私の興味をひいたのは江戸参府に向かうケンペルの馬上姿と将軍に踊りを披露するシーンです。




ケンペルは将軍の前で踊ったり、飛んだり、酔っ払いのまねをしたり、ドイツ語やオランダ語で本を朗読し、唄ったりと見世物小屋のようなことをしぶしぶやらされたと後に述べています。

江戸参府は別にして出島を離れることは許可されていなかったケンペルが2年間でかなり詳しく日本の情報を得られたのは通訳の今村源右衛門の協力があったからだということです。展示会のパンフレットによると始めはなかなか話してくれなかった源右衛門ですが、当時ヨーロッパで人気があったリキュールを飲ませたりしているうちに、色々の話してくれるようになったということです。

余談ですが、来月の日本行を楽しみにしている夫(ドイツ人)はこのケンペル展のパンフレットを始め、旅の準備として日本関連の書物を読んでいます。そのためかこの間は「ショーグンが観光地を案内してくれて、最後にサムライの称号をもらった」という何ともおかしな夢を見たということです
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若竹千佐子著「おらおらでひとりいぐも」

2018-04-16 15:31:12 | 読書
ようやく我が家のチューリップが咲きました。


2週間以上ブログはご無沙汰でした。
ちょっと気がかりな仕事の準備がなかなかはかどらなかったこともありますが、
以前の拙ブログに対してあまり愉快でないコメントを頂いたことで(このコメントは公表しませんでした)自由にブログを記す感興が削がれたたこともあります。

それでコメントを頂くのは嬉しいのですが、当分の間コメントは受け付けないような設定にしました。
といってもブログの作成や機能をまだまだ理解していないので、自分の希望通りに設定されているかどうか疑問ですが

同郷の知人に紹介された芥川賞受賞作品、若竹千佐子著「おらおらでひとりいぐも」を電子書籍で読みました。


タイトルは宮沢賢治の詩「永訣の朝」からとったということですが、賢治の詩ではここの部分だけ以下のようにアルファベットで記されています。
Ora Ora de shitori egumo

こういう「歳をとるのも悪くないと思える小説」のことを玄冬小説と言うのですってね→初めて知りました。「玄冬」という言葉自体、知らなくて調べたら古代中国の陰陽五行思想で若い時代から晩年までを四季で表現するということなど学びました。
青春(16歳から30歳代前半)、朱夏( 〜50歳代後半)、白秋(〜60歳代後半)、玄冬

小説では夫を亡くして一人暮らしの女性の独白が綴られています。
私にも訪れるであろう晩年の一人暮らしを思い身につまされる箇所が多くありました。
でも小説全体が決して暗く寂しい感じになっていないのは至るところに記載されている東北弁のためなのかと思います。

冒頭から東北弁満載で何か嬉しくて音読していました。

でも若竹さんは岩手県遠野市のご出身ですが、同じ岩手県でも私が生まれ育った気仙地方の方言とは若干違うような気がします。
何しろ実家のご近所に住むお医者さんは気仙地方の方言の大家で、彼の労作「ケセン語方言入門」という本を私は持っているのです。


純粋な気仙語ということであれば、新井高子著「東北おんば訳 石川啄木のうた」かもしれません。

それによると啄木のうたは以下のようになります。

東海(ひんがす)の小島(こずま)の磯(えそ)の砂(すか)っぱで
おらァ泣ぎざぐって蟹(かに)ど戯(ざ)れっこしたぁ

新井さんは震災後訪れた大船渡で知り合った「おんば」と呼ばれる年配の女性たちに聞きながら
この本を作成されたのだそうで、「土と海のにおいの響き」があるということですがどうでしょう?

今年の一時帰国でこの本を購入するかどうか現在思案中です

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