ようやく我が家のチューリップが咲きました。
2週間以上ブログはご無沙汰でした。
ちょっと気がかりな仕事の準備がなかなかはかどらなかったこともありますが、
以前の拙ブログに対してあまり愉快でないコメントを頂いたことで(このコメントは公表しませんでした)自由にブログを記す感興が削がれたたこともあります。
それでコメントを頂くのは嬉しいのですが、当分の間コメントは受け付けないような設定にしました。
といってもブログの作成や機能をまだまだ理解していないので、自分の希望通りに設定されているかどうか疑問ですが
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同郷の知人に紹介された芥川賞受賞作品、若竹千佐子著「おらおらでひとりいぐも」を電子書籍で読みました。
タイトルは宮沢賢治の詩「永訣の朝」からとったということですが、賢治の詩ではここの部分だけ以下のようにアルファベットで記されています。
Ora Ora de shitori egumo
こういう「歳をとるのも悪くないと思える小説」のことを玄冬小説と言うのですってね→初めて知りました。「玄冬」という言葉自体、知らなくて調べたら古代中国の陰陽五行思想で若い時代から晩年までを四季で表現するということなど学びました。
青春(16歳から30歳代前半)、朱夏( 〜50歳代後半)、白秋(〜60歳代後半)、玄冬
小説では夫を亡くして一人暮らしの女性の独白が綴られています。
私にも訪れるであろう晩年の一人暮らしを思い身につまされる箇所が多くありました。
でも小説全体が決して暗く寂しい感じになっていないのは至るところに記載されている東北弁のためなのかと思います。
冒頭から東北弁満載で何か嬉しくて音読していました。
でも若竹さんは岩手県遠野市のご出身ですが、同じ岩手県でも私が生まれ育った気仙地方の方言とは若干違うような気がします。
何しろ実家のご近所に住むお医者さんは気仙地方の方言の大家で、彼の労作「ケセン語方言入門」という本を私は持っているのです。
純粋な気仙語ということであれば、新井高子著「東北おんば訳 石川啄木のうた」かもしれません。
それによると啄木のうたは以下のようになります。
東海(ひんがす)の小島(こずま)の磯(えそ)の砂(すか)っぱで
おらァ泣ぎざぐって蟹(かに)ど戯(ざ)れっこしたぁ
新井さんは震災後訪れた大船渡で知り合った「おんば」と呼ばれる年配の女性たちに聞きながら
この本を作成されたのだそうで、「土と海のにおいの響き」があるということですがどうでしょう?
今年の一時帰国でこの本を購入するかどうか現在思案中です
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