日々是好日 in Canada

写真と日記で綴る、日々のこと。

「言葉」の美しさ再発見

2006-04-28 | 言語のこと
このブログでも何度か登場しているクレア。お互いのアパートが歩いて10分かからないということもあり、月に何回かはどちらかのアパートで夕食を一緒に楽しんでいます。日本の、それも岩手で1年間英語を教えた経験があるクレアは、漢字まで勉強したという日本を愛するイギリス人。

先週末に我が家で夕食後にビールを飲みながらお喋りしていたとき、旦那たちが今年の夏のキャンプの計画話に花を咲かせている間、クレアがふと漢字の話をし始めました。
私たちの会話はいつも英語ですが、日本語、スペイン語、そして今ではフランス語と様々な言語に触れてきたクレア。その彼女からみると、「日本語が一番美しい言語」だそうです。

「たとえば…わたしが一番好きなのは『言葉』という単語。うっとりするくらい美しいでしょう?『words(言)』が『leaves(葉)』のように大小様々、色とりどりにたくさん折り重なって、木になり森になるように物語ができる。たった一つの単語がこんなにロマンチックな言語は他にはないよ。」

ほろ酔い気分で聞いていた私は、思わずはっと息を呑みました。
あぁ、ほんとだ…。とても綺麗だ。
そういえば小学生の頃は、漢字を勉強するたびに今のような楽しい驚きがあった気がする。あまりに身近にありすぎてすっかり忘れていた母国語の美しさを再発見してちょっと嬉しくなっていると、そういう私に気付いたのか、あるいはクレア自身も話していて楽しくなってきたのか、クレアの口からどんどん漢字が出てきました。

「『風』という漢字はとてもかわいい。風にとばされないように、虫が葉や木の根の下に隠れているように見えるでしょ?」
「似たような形で『凪』という漢字はとっても賢い。風が止んで波が穏やかになる風景が漢字ひとつで描かれていて。」
「『東』という漢字も、昇ってきたお日さまが木の向こうで輝いているみたい。」

日本人の私がイギリス人のクレアに、日本語の感動を教えられました。

「漢字」というからには中国からの輸入ものでしょ?と中国人に反論されちゃうかもしれませんけれども、「凪」や「峠」「働」のように、国字と呼ばれる日本人がつくった漢字もあります。(国字一覧はこちら
友人には「漢字だらけの中国語を見ただけで、目が見えなくなっちゃったみたいに何も受け付けられなくなるけれど、日本語は平仮名があるおかげでどの単語がどこで区切られているのかがわかって機能的。それに平仮名ってダンスしているみたいで見ていてかわいい!」と言われます。

漢字で思い出しましたが、先週くらいの“The Economist”に載っていた記事で、中国では電子IDカードの導入に向けて、コンピューターで表示できない古い漢字や難しい漢字を使った名前は、今後一切登録できないようにする法律をつくるというような記事がありました。今までも、運転免許証や証明書など、表示できない漢字があった場合は全て「*」で表示されていたようです。日本でもし表示できない漢字だったら…平仮名を使うのかな?
でも、名前の制限をするよりも「表示できるソフト」を作ったほうがいいと思うんだけどなぁ。なんだか漢字が消えてゆくようで寂しいなぁ。


クレアのおかげで、日本語の美しさを再発見した週末でした。

カナダの車窓から

2006-04-26 | 海外生活のいろいろ
この写真は先週トロントから電車で帰ってくる途中の、窓の外の風景。壮大なカナディアンロッキーもカナダらしい風景だけれど、このどこまでも平らな大地と広い空もまたカナダらしい。


こんな風に途中でちょこちょこと家をみかけます。大地を一人占めした生活って、どんななんだろう。


電車に乗るたびに、夫は「日本の新幹線が恋しい」と言います。
夫は日本で生活したことはなく、5,6回ほど旅行で来たのみ。外国人用のJR乗り放題パスを使って、新幹線はたくさん利用しました。初めて日本に来たときの新幹線に対する驚きと感動は凄まじく、東京駅では写真を撮りまくり。地元の北上駅では通過する新幹線が巻き起こす突風を体験し、その瞳は輝いていました。どちらかというと落ち着いた雰囲気の夫がはしゃいでいる姿が何とも可笑しく、私は内心「ぷぷっ。子供みたい…。」と笑いながら、新幹線に乗る時はいつも夫に窓側の席を譲っていました。東京から岩手に行くまで、ずーっと窓の外を見つづけた為にちょっと具合が悪くなってしまったこともあったな…

男の子が乗り物系のおもちゃを楽しむような感覚なのだろうな…と夫を見て勝手に思っていましたが。
昨年日本を訪れた義父母と従姉夫婦。岩手の新幹線ホームで迎えたとき、みーんな揃って「新幹線サイコー」と大興奮しているのを見て初めて「あぁ日本の新幹線は世界に誇れるって本当なんだ…」と改めて実感したものです。

新幹線の快適さはさることながら、そのサービスや礼儀正しさ、そして清潔さにも感動したようです。面白かったのはお義母さんのこの一言。
「日本人は本当に、心から礼儀正しい人たちね。車掌さんもセールスカートのお姉さんも、誰に対するというわけではなく、車両に入る時と出る時には必ずお辞儀しているのをみて感動しちゃったわ!」
な、なるほど。そこに着目しましたか。


その他に全員が口を揃えて「これはいい!」と感動した日本のものに、「引戸」があります。日本の実家の玄関は引戸だし、押入れの戸や和室の入り口もそう。京都で宿泊した旅館でも、布団を出し入れする押入れの構造をみて「スペースの有効利用にこれほどいいものはない」と感動したそうです。
確かに、欧米でも今でこそ引戸の窓があるものの、ちょっと古い建物だと窓も両側が開く扉式がほとんど。現に私たちが今住んでいるケベックシティのアパートも、窓もクローゼットも玄関も何もかもが開き扉です。そうすると、扉を開けるときのスペースも確保しないといけない。それに、毎日布団を押入れにしまうというのは清潔だし、いい運動にもなる!とのこと。
そんな彼らの話を聞いて、私も生まれて初めて「押入れ」に感動しました。

夫や夫の家族を通して、違った角度で日本をみることができるというのは楽しいものです。

能ある猫は鼻を隠す

2006-04-24 | 日記-ケベックシティ
「なに写真撮ってんのよ。許可してないわよ。」
と、言わんばかりの目つきをしたこちらの猫。まばらに埃っぽい色をしていることから、名をダスティと言います。トロントにいる義父母の家で生活しているんですけれど、人間は①食事を用意する人 ②寛ぎたい時に撫でてくれる人 (寛ぎたくないときに撫でると睨まれる)以外の何者でもなく、自由で優雅な人生(猫生?)を謳歌している猫です。

そんなダスティ様ですが。
時折垣間見せる猫らしい仕草はやっぱり可愛らしい。
私が5本指靴下を履いていた日。テーブルに座ってみんなでコーヒーを飲みながら歓談していたら、テーブルの下でいきなりダスティが私の足を襲撃。肉球でぽこぽこと足の指を叩かれました。何やら小さいのがぴょこぴょこ動いている!と思ったんでしょうねぇ。

日向ぼっこが大好きで、天気のいい日は腹を上にしてごろごろ。あらかわいい♪と油断して頭やお腹を撫でようものなら、即座に「邪魔すんな」と睨まれますけど。窓から差し込む陽光の中で昼寝をしていると、少しずつ時間とともにずれていく日向に、ずりずりと背中を上手に動かして日向と共に移動。そのぐーたらぶりが好き。

日陰やテーブルの下では、ダスティはその小さな手のひら(?)で鼻の頭を覆って寝ます。妙に人間っぽい姿が不思議で笑っていたら、寒いところだと毛に覆われていない鼻を隠すことで体温を保持しているんだと義父母が教えてくれました。写真がなくて残念ですけれど、そうですねぇ…日本人が口を手のひらで隠して笑っている時のような感じです。
その姿は本当に無防備で可愛らしい。もう高齢のおばあちゃん猫だけど、長生きしてほしいな

余談ですが。
昨年カナダ北部のバフィン島探検に行った友達(過去の日記はこちら)から聞いた話。可愛い顔して実は熊の中でも強暴で有名なシロクマ。そのシロクマは獲物に忍び寄るとき、鼻を手で隠して近づくらしいです。真っ白の体で見渡す限り白銀の世界にいて、黒い鼻が目立つということを知っているなんて。お、恐ろしや…。
猫だけじゃなく「能ある熊も鼻を隠す」んだな。

小さい『っ』の発音

2006-04-21 | 言語のこと
私たちが結婚すると決まった頃から、地元の大学の日本語クラスで勉強しはじめた義父母。私とは英語で会話ができるけれど、私の日本の家族ともできるだけコミュニケーションを取れるようになりたいという、なんとも心優しい人たち。
お義父さんは忙しい仕事の合間を縫っての勉強にもかかわらず、今では平仮名や片仮名に加えて小学校低学年レベルの漢字まで習っているというから頭が下がります。一方お義母さんは、平仮名や簡単な文法を勉強した頃に「日本語はムズカシイ!」と挫折しそうになったため、会話重視の学校へ方向転換。以前ほど頻繁に学校へ通ってはいないようですが、楽しんで勉強しているようです。

私たちがトロントの義父母を訪ねるたび、義父母にとっては生の日本語に触れる絶好のチャンスの為ちょこちょこと日本語が飛び交います。
たまにこんな可愛らしい間違いも。
夕食時にみんなテーブルを囲んで「カンパーイ!」のあと、さぁ食べようというときになって義父母ふたり揃って「ハイ。イッテキマース。」
え?どこへ?と一瞬びっくりしましたが。「イタダキマス」でしょ~とすかさず旦那。なるほど、言われてみればこの2つの言葉、似ているかも。


今回トロントへ行ったとき、お義母さんから「小さい『っ』の発音がむずかしい」との相談がありました。
「きっぷ」や「おっと」や「どっち」などの発音です。
確かに、欧米人の発音する『っ』は不自然だとは以前から思っていました。
英語に近く発音してしまうと「キプゥ」となってしまうし、かといって『っ』の部分をもう少し止めて発音してもらうと「キッッップ」と息を止める部分があからさまに長くなってしまう傾向があります。

どう説明しようかなーと考えていたら、お義母さんからこんなお話が。
「でもね、学校の先生の説明だと『キィーップ』って言わなきゃいけないのよ。クラスメイト皆でおかしいよねって話してたんだけれど、でも先生に言われた通りに発音するとこうなるの。」

ん?何かがおかしい…。腑に落ちなくて先生がどう説明していたのかを聞いてみたら。
「『スーパーマン』って発音するときと同じように言えっていうんだけど…。最初の音を伸ばして言えということかな?ってクラスメイト達と悩んじゃって。しかもその先生の発音、『スーパーマン』じゃなくって『スッパーマン』って聞こえるのよねぇ…。」

はっっ。そ、それはもしや
梅干食べてスッパマン…?



「も、もしかして先生、『スッパマン』って言ってた?」と恐る恐る聞いてみたら「そうそう!それ!…どうしてスーパーって発音しないの?」とお義母さん。

………絶句。

笑いをかみころしながら「いや実はね…」とアラレちゃんの歴史から語り、「梅干」や「すっぱい」という言葉の説明をし、魚が溺れていると勘違いして救出したことがあるスッパマンの人物像を説明し…。
みんな涙が出るほど大笑いでございました。

それにしても先生カナダ人相手にスッパマンはないでしょ~。他に例がなかったのかしら。混乱を招くだけな気が…。

イースターの罠

2006-04-19 | すてきな人々
クリスマス以来のトロントはすっかり春を迎えていて、ケベックを出発した時に着ていたジャケットを脱いでも汗ばむほどの暖かさ。青い空に凛々しいCNタワーがすっくと立っていました。

イースター当日は、朝からイースターにちなんだものを。こちらはホットクロスバンというレーズン入りのパン。てっぺんの十字が、いかにもキリスト教らしいですね。



私たちがトロントに到着してから、春の陽気も手伝ってか、毎晩のようにほいほいとビールやらワインやら飲んでいた義父母と夫と私。以前にも書きましたけれども夫の家族は宴会好きなアイルランド人。予想以上に盛り上がっていたのか、はたまたどれくらい飲んだかすら覚えていないほど酔っ払っていたのか、イースター当日の分まで飲み干してしまったということに、当日の朝になって気がつきました。

イースターはキリスト教の人々にとってはクリスマスに並ぶほどのビッグイベント。その為、イースター休暇中、特にイースター当日の日曜日にはほとんどのお店は閉まってしまうのです。つまり、ビールもワインも手に入れることは不可能。
わかっていたはずなのに、ついうっかりはまってしまったイースターの罠…。

ケベックではほぼ日本と同じようにスーパーやデパナーと呼ばれるコンビニのような所でビールやワインを購入できますが、他の州ではそう簡単にはいきません。トロントのあるオンタリオ州では、LCBOという政府が運営しているリカーストアとビールストアでしかアルコール類は購入できません。
ちなみにバンクーバーのあるBC州では、リカーストアが閉まっている夜間や週末には、バーやパブで瓶ごと購入して自宅に持って帰ることができるというオフライセンスと呼ばれるシステムがあります。が、ここでもやっぱり酒類の購入は日本のようにはいきません。

さてさて、イースターの夕食でワインもビールも飲めないという事態になってしまった私たち。運悪くアイルランドのウィスキー、ジェイムソンまでも金曜日に飲み干してしまっていたお義父さんは、朝からビール・ワイン探しの旅に出ていましたけれど、努力の甲斐なく肩を落として帰宅。
いつも夕食の準備をしながらワインを飲むお義母さんと私は、今回はデザートに使ったブラックカレント(スグリの実)の甘~い果実酒をちびちびと飲んでいました。
すると、どこかに消えていた夫とお義父さんが箱を抱えて、瞳を輝かせながらやってきました。私の両親や親戚から今まで貰った日本酒や焼酎を、大切に大切にしまっていたようです。岩手の銘酒・南部美人や桜顔、白水、それから「天使の誘惑」という名前だけで酔っ払っちゃうような焼酎も。

実はお義父さん、今まで日本酒はあまり好きではないと言っていました。きっと美味しくないものを最初に飲んだのではないかな?と勝手に思っていましたが、どうやら当たっていたようです。
最初は「ちょっとだけ」とちびちび飲んでいたお義父さん。「日本酒って…美味しいね!」と嬉しそうにぐびぐびと飲んでいました。

春を祝う

2006-04-13 | 海外生活のいろいろ
今日はケベックシティの街並みの写真ではなく、散歩の途中にみつけた小さな春の訪れ。名前はわからないけれど、トゲトゲに守られて新芽がちょこんと顔を出していました。

雪に埋もれていたケベックも、外での深呼吸がとても気持ちのいい春です。カナダでは今月に入ってサマータイムが始まり日も長くなってきて、散歩好きの私たちには嬉しい季節。

今週末はイースターで、明日から義父母のいるトロントへ行く予定。
「イースター」という名前は知っているけれど、実はその正体は知らず…。
昨年のイースターは3月末だったような気がするんだけど、どうして今年は4月中旬なんだろう?イエスの復活を祝う日ということは小耳に挟んだことがあるけれど、何でウサギに卵?と、不思議なことだらけのイースター。

今まではとりあえず、「ま、めでたい日なのだナ」というくらいの認識でカナダ人に混ざって美味しいものを食べたりしていましたけれど、カナダに住む以上はこの地の風習もちゃんと知っておかないと失礼だよな…と反省。今回きっちり調べました。

奥深いトコロまで突き詰めると、いろいろと複雑な歴史や行事が出てきてびっくり。それだけキリスト教の世界では馴染みのある祭日なのでしょうね。イースターを挟んで90日間も(だったかな?)イースター関連期間があります。特にこの週は聖週間と呼ばれ、毎日違った意味を持つようです。いろいろありすぎて、細かい部分は読んだそばから忘れていきましたけれども

さてさて、まず最初の謎。なぜ毎年こんなに日付が違うのか。
イースターは毎年日付けが変わる移動祝祭日で「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と決められているからなんですって。3月の下旬から4月の下旬まで可能性があるというからおもしろいですね。

本来はキリスト教とは関係のない異教徒の春の祭りだったものが、生命の始まりを象徴する春とキリストの復活のイメージが重なって、イースターが普及したと言われているそうです。だから卵(イースターエッグ)や、春にたくさん子供を産むうさぎ(イースターバニー)がシンボルなんだそうな。
子供をたくさん産むということであれば、サケやカエルなんかはどっさり産むよ?と一瞬思ったんですけれど、可愛らしさが欠けているからダメと夫に却下されました。
加えて「他の動物に危害をくわえない」ウサギの平和的で優しいイメージが、春にぴったりということのようです。

私はクリスチャンではないので「キリストの復活」と聞くとなんだかとっつきにくいイメージを持ってしまっていましたけれども、春の祭りが起源ということを知って、イースターが以前よりもちょっと身近に感じられるようになりました。
日本では2月に立春、3月には春分の日があって、お彼岸にはご先祖様にごあいさつ。桜前線が北上するにつれ日本各地でお花見に宴会。宗教や文化の違いはあっても、春を祝う気持ちはきっと世界中どこでも一緒ですね。

元気になる映画

2006-04-11 | 本・映画 etc
家からそんなに遠くない所に市立図書館があります。
DVDを借りるときにも、レンタル屋さんだと高いうえに翌日返却しなければいけないということもあり、図書館を利用。公共の施設のくせにDVDやCD、新刊本は1ドル50セント。日本の図書館では全部無料だったけれどなーと思いつつも、それでもレンタル屋さんの半額以下なのでDVDはよく借りています。

古い映画が多くてそんなに種類もないけれど、普段とは違う選択肢で映画を観るというのも意外と楽しいということに気が付きました。
最近観たのはゴッドファーザーやカサブランカ、ロッキーなど。ロッキーなんて久しぶりすぎて、かえって新鮮で面白かったりします。
ところが先日、なんと「千と千尋の神隠し」を発見!
ケベックの図書館の、しかもそんなに種類もないDVDコーナーに日本の映画が置いてあるという事実からして嬉しくもあり、早速借りてきて夫とふたりで観ました。
貸出カウンターのお兄さんも「あ、これ。すっごくいい映画だよ。」と熱く語っておりました。
おほほ。日本人だからというだけで、勝手に鼻たかだか。

私はこの映画を観るのは3回目くらいだったけれど、夫は初めて。アニメを観るような人ではないし、しかも主人公は10歳の女の子だし、どうかな~途中で飽きちゃうかな~…とちょっと心配でしたけれども。意外や意外、「面白かった!」と気に入ってくれたようです。内容の濃さと、それから絵の美しさに感動したとか。
お~!さすがジブリ!
次はナウシカでも観せてみようかしら。
私ももちろん、3回目とはいえとっても楽しみました。この映画は何度観ても、きっと毎回大満足できる映画です。映画をみて満たされた気分になったところに、静かに流れる歌もまたいいですね。

千尋がわんわん泣きながら頬張るおにぎりがとても美味しそうだったので、さっそく今日のお昼にはおにぎりを。
もちろん夫にもランチに持たせました。いやぁ~美味しかった!
握るだけなのに、どうしてこんなにおいしいんだろう。
ハクのまじないがなくても、炊きたてご飯の美味しいおにぎりを食べると元気になるって、ほんとうな気がします。

人口と血液型

2006-04-09 | 海外生活のいろいろ
今読んでいる本は、ジョン・グリシャムの「ブローカー」という本。
この人の本はやっぱり面白いです。弁護士ものは映画でも本でも大好きで、テレビではいつも「Law and Order」をかかさずに観ています。
ジョン・グリシャムの本は、いつも最初の数ページは英語での専門用語がちんぷんかんぷんで四苦八苦しますけれど、そこを過ぎてしまえばどんど読み進められるのもストーリー展開の巧さなのでしょう。

まだ読み終わっていないんですけれども、ちょっと面白い発見が。
主人公のアメリカ人が友人のイタリア人と会話中。イタリア人のこんな台詞がありました。

アメリカ人:What's the population of Padua?
   (Paudaの人口はどれくらい?)
イタリア人:Two hundred thousand. Why do Americans always want to know the population of every village and city?
  (20万。なんでアメリカ人はいっつも人口を知りたがるんだ?)


本を読みながら「そうそう!だよねぇ~!」とイタリア人に共感。…といっても架空の人物ですけれど。
アメリカ人のみならず、カナダでもそうでした。初対面だって夕食会だってなんだって関係なし。「日本のどちらから?」の質問の後は必ずといってよいほど「ふ~ん。で、人口はどのくらい?」
出身地や東京ならまだしも、「京都の人口は?」「広島の人口は?」というのもよく聞かれます。

人口人口って…あなたは日本を攻撃でもするつもりですかっ!?と、逆ギレしそうになるのは、単純に私が人口なんて「答えられないから」なんですけれども
特に万単位以上の数字を英語でパッと言うのは未だに苦手です。

近くに夫がいたので「ねぇねぇ、なんでこっちの人はみんな人口を聞くのさ。人口を知ってどうすんの?なんでなんで?」と聞いてみたところ。
最初は「確かに人口についての質問はよくするねー」なんて言っていた夫も、私があまりにしつこく理由を聞くので「じゃぁどうして日本人はいつも血液型を知りたがるんだ?」と逆に言われてしまいました。

そうか。血液型…不思議なんだ。
日本では普通ですよね。特に女性の間では「血液型なぁ~に?」なんて質問は普通に日常会話に溶け込んでいます。ブログの登録の時にも、名前や誕生日のほかに「血液型」を入力する項目があったりするし。
それに比べてこちらでは、血液型を聞くと「…は?」と相手は固まってしまい、微妙な緊張感をその場につくりだしちゃいます。
え、この人…献血の勧誘でもしているのかしら?などと思うのでしょうか。私も昔夫に血液型を聞いたときは「…え?えーっと、出生証明書みないとちょっと…」と不思議な顔して言われました。
なんたって血液ですから、身長や体重を聞くのよりももっとすごいことなのかもしれません。「あなたの血圧はどのくらい?」「コレステロール値いくつ?」「あなたの胃ってどのくらいの大きさ?」っていきなり聞かれるのと同じ感覚だとすると…確かにコワイかも。

血液型で性格がわかるなんて思っているのは日本人だけなのかしら。
でも、血液型と性格ってやっぱりどこか関係があると思うんだけれどなぁ。
「血が騒ぐ」とか「血も涙もない」とか、比喩的に人間らしい感情を言うときにも「血」が登場するし、「あ、やっぱりこの人AB型!」などと納得することが多いし。

ちなみに私は「東京の人口は?」と聞かれたら「いっぱい。」と答えるような、大雑把なO型です。

電話でコミュニケーション

2006-04-06 | 言語のこと
今日のケベックは、なごり雪。昨日の雨が夜のうちに雪にかわったようです。
岩手以外の方に通じるかちょっと不安ですけれども、「もさもさ」と雪が降っています。

さてさて。先日、英語をもっと勉強しなくちゃ、と思った瞬間がありました。(フランス語もだな…。泣。)
いつものようにキッチンのラジオをつけっぱなしにして料理をしていたとき。
ちょうどキッチンを通りかかった夫に「え!このニュース、場所どこだって?」と聞かれたんですけれども。「え?あ…。わかんない。聞いてなかった。」としか答えられない自分。
ふと気が付きました。
ぼや~っと別のことを考えたりしている時や「玉ねぎ丸ごと使おうかな?いや、半分でいいかな?」などと考えている時、特に集中してラジオを聴いていないときは、英語は私の耳にとってただの雑音でしかないということに。
これが日本語だったら、内容によるかもしれないけれど「耳に飛び込んでくる」ということがあるはず。英語もまだまだ修業が必要です。

「耳だけ」という英語でのコミュニケーションは、やっぱりまだ苦手です。ラジオよりもっと大変なのは電話。直接会って話すときには普通に話せるくせに、電話となるとがくっと英語力が下がるのは何故だろう?
ちょっとセールスのお兄さんと電話で会話をしただけで汗だく。必死すぎる自分に疲れ果てます。バンクーバーで仕事をしていた時もそうでしたけれど、カウンセラーという立場上、お世話している学生さん達の前でおどおどしながら電話応対するわけにもいかず、平気な顔を装って普通に英語で電話をしていました。ば、ばれていたかしら

今でこそ実家の母とは何時間でも電話で話すけれど、そういえばもともと日本語でだって電話があまり得意ではありませんでした。高校の時友達はよく「長電話をして叱られた」と言っていたけれど、私には長電話時代はなく、友達と電話で話すときはいつも短めだった気がします。


電話といえば!
日本で働いていたとき、慣れるまで大変だったなぁ…電話応対。書類の山と格闘中に電話に出てしまうと、頭の切り替えがうまくいかなくてどもりまくりでした。

たとえば。

会社名がアメリカン○ァミリー生命なのに、アフ○ックの「フ」とごっちゃになって「アフリカン生命」と名乗ってしまったり。

「はい、○○支社、△△でござる……マス。」と言ってしまったことも。
忍者か?)
つい「ござる」と言ってしまって、なんとかごまかそうと「ます」を最後につけたものの、失笑をかいました。(涙

「少々お待ちくださりませ。」なんてのも。
いつの時代…?)

それから「はい」と「えぇ」が混ざってしまって
へぇ、かしこまりました。」と何度言ったことか。
うっかりはちべえ?)

かすこまりますた。」って言ったこともあったな。
え?ただの訛り?)


あ、そっか。日本語でもこうなんだから、英語ましてやフランス語で電話が苦手というのも当たり前か。(開き直りが得意なO型。


しとしと降る雨

2006-04-05 | カナダでアウトドア
今日のケベックシティは朝から雨がしとしと降っています。
空はどんよりと重たくていっこうに止む気配はなく、部屋の中もちょっと暗めで読書するには灯りが必要なほど。ただ、しとしとと静かな雨だからか、なんとなく心地好く落ち着いた気分。なぜかコーヒーも美味しく感じたりするから不思議です。

本日の写真は雨のケベックとは程遠いものですけれども
春も近いということで、久しぶりに山の写真を。
昨年の8月、バンクーバー近くのガリバルディ州立公園にて夫が撮影したものです。こういう大自然の真ん中に「週末にちょっと行って来る」ことができるのが、バンクーバーの魅力のひとつ。

西海岸の春先はしっとりと降り続く雨が多く、雨の中キャンプをした思い出の山があります。
“Unnecessary Mountain”という変わった名前の山で、そのまま訳すと「いらない山」とか「余計な山」といった感じでしょうか。海岸沿いにバンクーバーからウィスラーへ向かう途中にLions Bayという小さな町があり、そこからトレイルが始まります。
私達がその山に行ったのは2000年の、まだ雨の多い春先でした。
名前からして「止めとけ」と言っているようなものなのに、私達は何の疑いも持たずにルートを決め、そこから有名な「ライオンズ」まで行ってキャンプをすることにしました。

ところが。トレイルは初っ端からきつい登り。キャンプをする為にフル装備だった私達は、重いバックパックを背負いながら、両足どころか両手もつかってのよじ登り。この「よじ登り」はどこまでもどこまでも果てしなく続きます。ひたすらよじ登っては休憩し、またよじ登って…。あまりに果てしない登りとどんどん溜まる疲労に会話は減り、「『いらない山』…ね。なるほどね。ハハハハ…」と乾いた笑いしかでてこないふたり。
有難いことに、どんな山にも「頂上」というものがあります。やっと辿り着いたのはもう夕方。そこからライオンズへ行くのは諦め、「いらない山」でキャンプをしたのでした。

翌日の下山は、しとしとと降る雨の中。

山での雨は、実はあまり嫌いではありません。街中だと無機質なビルに囲まれた空はますます灰色になるし、車に泥水をかけられたり、傘や水溜まりで歩きづらかったり、雨は嫌われモノになりがち。でも、山では柔らかい土が雨を吸いとり、緑の葉はますます濃い緑になり、そして生い茂った木々が雨を遮ってくれます。

雨の静けさの中の、膝が笑うほどの下山。靴下までぐちょぐちょに濡れたブーツに、雨の中遊んだ子供の頃を思い出してなんだか楽しくもありました。
くたびれながら辿り着いた麓の町の小さなカフェでは、他にお客さんもいなくて貸切状態。温かいスープで体の芯から暖まりながら、窓辺の暖房の上に濡れた帽子からジャケット、ブーツに靴下までからぁ~っと並べて雨宿りしたことは、今でもいい思い出です。
暖房の温風が汗まみれの匂いに変わって(うっ…)臭かっただろうに、文句も言わずにコーヒーをおまけしてくれたおばちゃん、ありがとう。

春の夜の夢の中

2006-04-02 | 日記-ケベックシティ
日本にいる友人や知り合いから、「夢も英語でみることあるの?」と聞かれることがあります。
私はあんまり覚えていないんですけれども、たぶん夢の中でも日常と同じく話す相手によって英語を使ったりしているのではないかな?でも、夫によると寝言はどうやら日本語で言っていることが多いようです。
バンクーバーで英語を勉強中のときには、「英語で夢」を見るにしても英語が通じなくて困り果てるような夢だったり、英語でこれを何て言うんだっけ?と苦しんだりするような夢をよく見ました。これじゃぁまるで悪夢です。


悪夢といえば。
つい最近こんな事が。
夫も私も、ちょうど眠りに落ちた辺りの気持ち良い頃。
「うぅわぁぁぁあっ!」と叫ぶ自分の声で目覚めました。まだ息が荒い私。「な、なんだっ!?大丈夫か?怖い夢でもみたのか??」とびっくりして起きあがった夫に対して、やっと私の口から出てきた言葉は。

「水をこぼした。」

夢の中で水の入ったコップを肘で倒した瞬間だったというだけでございました
なんだよ…ったくもー。人騒がせな…と夫に愚痴られるかと思いきや、ちょぴっとウケてくれたので良かったんですけれども。すまんね、起こして。しかもコップの水ごときで。…反省。

私はまるで起きているかのように寝言をはっきり言うようだし、寝ながらよく動くし、きっと夫にとってはいい迷惑。私の腕が(え?あ、足?)夫の顔に激突しても、私はすやすやと眠っているようです。どんな騒音でも何があっても滅多な事では起きないので、「さすが地震の国から来た女」とよく言われます。

「うわはははははっ」と豪快に笑う自分の声で目が覚めることは数知れず。何で笑っていたのかさえ思い出せないのに、自分の笑い声で起きた自分が可笑しくて、ひとり笑い続けたことも。私の夢の中では一体何が起きているんだろう。たまに朝起きたときに何故か腹筋が痛いのは、そ、そのせいかしら?


話が思いきりそれてしまいましたが。
ということで、海外在住の皆さん、外国語で夢をみますか?
そういえば、数週間前には夫に「寝言で『ボンジュール』って連呼してたよ」と言われました。
なんと!寝言でフランス語だなんてっ!私もとうとうそんなレベルに!?
と、一瞬喜んだんですけれども。日常生活の苦しみが夢に溢れ出ただけなんだろうな、きっと。