日々是好日 in Canada

写真と日記で綴る、日々のこと。

サンタはこんな近くに

2007-12-16 | バンクーバーの思いで
昨年の冬はとても暖かく、今の時期は「ホワイトクリスマスならぬ、グリーンクリスマスだね!」とニュースキャスターも連日のように話していたものでしたが、今年のモントリオールは早々と雪に包まれ、真っ白な街にクリスマスのイルミネーションが輝いて、とても綺麗です。
もちろん寒さは厳しく、昨日は体感温度がマイナス20度をきりました。ドアを開けて一歩外に出た途端に、頬に突き刺さるような空気。手袋を二重でしていても、しばらく外にいると指先の感覚がなくなってくることもあります。それでも、寒さに耐えつつ市場に並んだもみの木を選ぶ親子たちの笑顔は温かく、雪の積もった歩道を行き交う人々の笑顔がどこか華やいでみえるのは、やっぱりクリスマスの仕業ですね。


日本ではクリスマスというと、恋人たちのもの、あるいは、サンタさんが大好きな子供たちのもの・・・といった感じでしょうか。私も子供の頃はサンタさんを心待ちにしていたものだし、大きくなってからは「クリスマスケーキが食べれる日」だったような・・・。(わたしの食い意地は昔からですねー!笑)
カナダでのクリスマスは、バンクーバーに居た頃には2年半以上ホストファミリーと一緒に生活をしていたこともあり、バンクーバーでの思い出が強く残っています。そこの家族には私と同い年くらいの子供が3人いました。一番上のジョッシュは夏は釣り、冬はスノボに明け暮れて、家に居るときには友達を集めて大騒ぎ・・・というイマドキの青年。二番目のディナはミスコンでも優勝しちゃったほどの美女で、その頃彼女が話すことと言ったら新しい彼氏の話。そして一番仲が良かった次女のリアは、快活で明るくアウトドア好き。歌手デビューしたいと言っていた次の日には、ユースのサッカーコーチを目指す!と言い出したりと、夢の大きい女性でした。

クリスマスが近づいてきたある日、私が仕事から帰ると、3人ともメモ用紙を見ながら、キッチンのテーブルに山に積まれた色々なモノを振り分け中。一体何をやっているんだろう?と興味を持った私は、早速そのまま3人に参加。リアの持っている用紙を覗き込んでみました。
そこには、バンクーバーの何処かに住む家族の名前と、子供たちの年齢などの情報。そしてその下には、サンタさんから欲しいもののリストが書いてありました。
リアの説明によると、私たちの住むノースバンクーバーのコミュニティーセンターで、毎年ボランティアを募集しているそうで、子供達にクリスマスプレゼントを買いたくても買えない状況にある母子家庭や、親を交通事故で亡くした兄弟、難民としてカナダに到着したばかりの家族・・・そういった人たちにもサンタさんが来ますように、というこの時期ならではのプロジェクト。ボランティアとして登録すると、担当する家族の情報がファックスで届き、その人たちの欲しいものリストをもとに、クリスマスプレゼントを購入して贈る、という内容なのです。

なんて夢のある素敵なボランティア!と笑顔になったのも束の間、リストを見て愕然としました。歯ブラシ、靴下、ボールペン、ウールのブランケット、スープの缶詰・・・。子供たちがサンタさんにお願いしたいものは、ゲームでもぬいぐるみでもなく、生活必需品だったのです。
大きなクリスマスツリーがふたつも飾られた家で、クリスマスクッキーも余るほどキッチンのカウンターに置いてあるキッチンにいて、そんな私たちと同じ国、同じ街、同じ時代に生きている子供たちが、サンタさんに新しい歯ブラシが欲しいと願うという事実は、私にとって、お腹の底にずんとくるような衝撃でした。

それでも、ふと横をみると、いつものようにワイワイ騒ぎながらビールを飲みながら、プレゼントを箱に詰めるジョッシュ、ディナ、リアの3人。リストには載っていないけれども買ってきたというおもちゃも、靴下や歯ブラシと一緒に、「いや、それはこっちの子にだろ!」「女の子にゴジラあげてどうすんの!」などと兄妹ゲンカもしつつ準備をする3人の姿。それぞれバイトで貯めたお金を使って、洋服でも化粧品でもなく、新しいスノボでもなく、「これ、毎年やってるんだよね~。結構楽しいんだよ、これが!」と当たり前のことのように、気負うことなく自慢することもなく、ごく自然にこういうことをやってのける3人の若者に、クリスマスの温かさを教えられました。


12月になるとどこのショッピングモールも連日夜の9時まで営業し、セール!!の文字を目指す買い物客でダウンタウンは賑わいます。クリスマス商戦に踊らされる消費者、そして私もそのひとり・・・と思ったこともなきにしもあらずですけれども、でもやっぱり、クリスマス。家族に、友人に、お世話になった人に、大切なあの人に、そして会ったことのない子供たちにも、あれを贈りたいこれを贈りたい、あの人の笑顔が見たい、喜んでもらいたい・・・そんな思いで買い物をする人々はみんな、一人残らずサンタさんなんだなぁと、あの3人を思い出すたびに思います。


街を流れるクリスマスソングに、温かいクリスマスのイルミネーションは、寒い冬だからこそ際立ってあたたかい気持ちにさせてくれます。忙しなく行き交う人込みのダウンタウンで、雪の中を歩きながらつい楽しい気分になってしまう私ですけれど、まだまだクリスマスショッピングが終わっていないという現実をすぐに思い出して、焦りまくりでもあります。毎日誰かからクリスマスカードが届くたび、あぁカードも早く書き終えないと・・・!あっ!年賀状も書かなくちゃ!!と焦りは増してゆくばかり・・・。


皆さまも、忙しさが最高潮の12月かと思いますが、どうか風邪など引かぬように、楽しく温かいクリスマスをお過ごしください!



バーベキューの夏

2006-07-04 | バンクーバーの思いで
夏はやっぱり庭でバーベキュー、というカナダ。昔バンクーバーでホームスティをしていた時にも、夏は毎週のようにバーベキューをしていたものです。夏の間は夜9時頃まで明るいこともあり、平日も週末も関係なくバーベキューでした。
初めて「今晩の夕食はバーベキューよ」とホームスティのお母さんアイラに言われた時には、学校で勉強している間も「今日はじゅうじゅう焼いたお肉をたらふく食べれるんだな~」と期待を一日中膨らませていました。わくわくしながら家に帰ると、いつもは帰りがもっと遅い息子や娘たちは既に庭でビールを飲んでいて、お父さんのトムは庭で煙に囲まれながら何やら焼いています。サラダを作っているアイラを手伝おうとキッチンへ行くと、パンがどっさり。何となく、日本のバーベキューと趣きが違うぞ…?と思っていたら、やっぱり。カナダでバーベキューといったら、炭火で焼いたハンバーガーのことなんでした。
それはそれで美味しいんですけれども。一日中私が想像していたのは日本で言うところのバーベキュー。焼肉とか海鮮焼きとか、ちゃんちゃん焼きとか、やきそばや焼きおにぎりなんてのもやっちゃったりして。野菜だって色々焼いちゃったり、とうもろこしにはたれを塗って…。あ、想像しただけで涎が。(笑
意外な勘違いだった、カナダで初めてのバーベキュー体験。

ある週末のバーベキューでは、せっかくだから親戚や友達を呼ぼうということで大人数でバーベキューパーティー。まだまだ英語も必死な頃の私には、顔と名前を覚えるのがとっても大変でした。アイラに紹介をされていくうちに驚いたのは、そのメンバーです。「これは私の甥で、この女性は甥の元彼女のキムと今の彼氏よ。」「あそこに居るのが、トム(アイラの旦那さん)の前妻とそのお母さん。」えぇぇぇぇ!!と驚いていいのか悪いのかもわからず、私は笑顔を繕って挨拶をしながら、心の中ではひょぇぇぇ…と思っていたのを今でも覚えています。

後でこっそりと、アイラに聞いてみたことがありました。すると、「甥の元彼女」である以前に、彼女は「キム」というひとりの仲の良い女性。甥とは残念ながら縁がなかったようだけれど、せっかく友達になれたんだからその関係は続けたい、ということのようです。
カナダでは皆がそうというわけではないようですけれど、確かにキムは会話も楽しく素敵な女性。こうして友達関係を歪なく続けていけるというのは素敵なことだなぁと思います。
…が。やっぱり日本人の私には、不思議な感覚なのでした。

私のホームスティ体験

2006-03-31 | バンクーバーの思いで
今まで雪に埋もれていたケベックにも、やっと春がやってきたようです。今週は暖かい日が続き、青空はどこまでも高く、そこかしこで小鳥やリスたちをみかけます。
冬の始まりに封印した我が家の窓を久しぶりに開けたら、気持ちの良い空気が一気に入ってきました。向かいのアパートに住む黒猫も、開け放った窓から通りを覗き込んで観光客見物を楽しんでいます。(←実況中継。)

爽やかな春の始まりは、いつもバンクーバーを思い出します。
ということで、今日は久しぶりにバンクーバー話を。

私が初めてカナダの西の玄関口バンクーバーに来たのは97年4月。満開を少し過ぎた頃の、鮮やかに咲き誇る桜がとてもきれいなときでした。
温かいホームスティに迎えられたということは以前にも書きましたけれども(「ホームスティの思いで」参照)、本当に優しい人達でした。3人子供がいたけれど、みんな私と同い年くらい。自分の子供に手がかからなくなっていたからか、特にお母さんのアイラは「異国の留学生」である私の世話を本当に良くしてくれました。

私が到着したのが土曜日で、月曜からは学校に通うというスケジュール。すると日曜の朝、アイラが学校への行き方と帰り方を教えてくれるということでチラシの裏に地図を書いてくれました。地図のみでなく、バス運賃の払い方だのバスの時刻表だの、スタンレーパークを過ぎてこんな形の木が見えたら降りろということまで。(笑
なんとか大丈夫だろうと思っていたけれど、到着した2日目にしてこの親切は、とっても温かく嬉しかったです。

ところがどっこい。
まだ続きがありました。
説明が終わったと思ったら、テレビを見てぐ~たらしているお父さんのトムにアイラが何かペラペラと勢いよく捲したて、トムが家から出て行きました。満足げにそれを見送ってから、くるっと私の方を振り返り「さ、バス停を見せるから、一緒に出かけましょ。」というアイラ。
…え?今のは何だ?いきなりのカカァ天下的構図をみてしまった気分で、なんだかドキドキしながらただついて行く私。

こちらのバス停は日本のバス停のように存在感はなく、街灯か何かに申し訳なさそうにちょこんと小さい看板がついているのみ。もちろん時刻表だってついていません。家から5分とかからないところにそのバス停はありました。
「ここだからね。」「はい。わかりました。ありがとう。」と会話が終わっても、アイラが何故か家に帰ろうという素振りをみせません。

は・は~ん、もしかして実際にバスに乗ってまで教えてくれようとしているんじゃ…。
「あ、バスに乗らなくても大丈夫です。もうしっかりわかりましたから。」と言う私を「いいから、いいから。あ、ほらもう来たし!」と止めるアイラ。
来たって言うけどバスみえないじゃん。そうやって私を引き止めようと…。

と、そのとき。
ききぃっ目の前に止まり、ガラガラっと大きなドアが開いたのは!
にやっと斜めに笑みを浮かべるトムが運転する赤いワゴン車。

ここまでやってくれちゃぁ断れません。よね?(笑
ワゴン車に乗り込むと「運賃を払ってください」というトム。ほ、本格的だなぁ…
払ったふりして座ろうとすると、今度はふたり揃って「ぶぶー!ほら、ここで乗り換え券もらわなきゃー。乗り換えた時にも払うはめになっちゃうよ?」あ、そかそか
こうして学校までのルートを教えてもらったあとは、3人でダウンタウンでランチを食べて帰ってきたのでした。


ふたりもまだその頃はホームスティを始めたばかりだったということもあると思います。それでも、ふたりの優しさにはとても感謝しています。
今では各国の留学生を何度も受け入れているので、2人ももう慣れたようです。昨年久しぶりに夫と会いに行った時には、留学生3人が滞在中。ふたりの「バスのつもりでワゴン車ツアー」は、もうやっていないようです。


クリスマスがやって来る

2005-11-17 | バンクーバーの思いで
早いもので、クリスマスまで後1ヶ月ちょっと。ハロウィンが終わった途端にケベックシティではあちらこちらでクリスマスの飾り付けが始まりました。ご近所のイタリアンレストランも、電飾できらきらです。どんよりとした空が最近は多いのですが、変わりに下界が24時間輝いています。
つられてこのブログもクリスマス仕様にしました。

前回もバンクーバー話でしたが、クリスマスと言えばバンクーバーのホストファミリーを思い出します。ソファに座ってドーナツを頬張りながらホッケー観戦というのが大好きなお父さんのトムも、この時期はクリスマス電飾係で大忙し。家の周りはもちろんのこと、屋根の上には電飾のソリに乗ったサンタさんとトナカイ達。玄関の前には電飾の雪だるま。でも、実は高所恐怖症のお父さん。この時期が近づくとやけに息子やホームスティの学生に優しくなります。

一方お母さんのアイラはクラフト好き。仕事も留学生の世話もあって忙しいはずなのに、手作りのキャンドルや飾り付けは毎年かかさず。教えてもらってよく一緒に作ったものでした。
玄関を開けるとまず出迎えるのは、かわいい手作りの聖歌隊。写真を載せられなくて残念。毛糸の髪に服とおそろいの帽子を被ったかわいい子供達です。「かわいい!」と触れようとすると、アイラが「でしょう?費用は格安なのよ。なんたってこの子達の服と帽子はジョッシュ(息子)の穴が開いた靴下なんだから!」と満足げ。…思わず手をひっこめる私でした。
アイラの手作りものは、簡単で気取らず丁寧過ぎずお金をかけず、またそのいい加減さが魅力です。
毎年作っていたのは、小さなツリー型のキャンドル。とても簡単で私もお手伝いさせてもらいました。出来あがったツリー達をみて、アイラが「名案が!」と、他のクラフトであまった金銀の粉をふりかけました。きらきらしてとってもきれい。
早速その晩にそのキャンドルを灯してみました。小さなキャンドルがゆらゆらと光って綺麗!と、思っていたら。バチバチっと火花が。…危険です
良く見ると、金銀の粉のボトルには小さく「火気厳禁」の文字。名案だったのに。
そのキャンドル達は飾り専門となりました。私は結構卓上花火みたいで好きだったんだけどな。

カナダで優雅にお風呂

2005-11-16 | バンクーバーの思いで
海外にいると恋しくなるもの。
こたつにみかん、畳の上の昼寝、おでんや焼き鳥、こってりラーメン、などなど色々ありますが、そのひとつにお風呂があります。
温泉とまではいかなくても、特に身体の芯まで寒さが沁みる冬の季節はゆっくりと湯船につかってほかほかに暖まりたいもの。

8年前にバンクーバーでホームスティをしていた時のこと。日本にいたときに何度も熟読していた「初めてのホームスティ」という本によると『水が貴重な地域もあるのでシャワーはなるべく早く済ませること』と書いてあったので、最初は我慢していました。でもやっぱり、数ヶ月経ったあたりにはシャワーだけではなんとも我慢できなくなり、お母さんのアイラに「あのー…お風呂に入ってもいいかなぁ?」と聞いてみると、「あら!もちろんいいわよ!もしかして今まで我慢してたの?これからはいつでも好きな時にお風呂入っていいからね」という優しいお言葉。
家にはバスルームが3つあり、私が使っていたバスルームはシャワーカーテンではなくガラス戸が浴槽にくっついているものだったのでお風呂に入るには丁度良さそうでした。

こんな時は浴槽の掃除だって楽しいものです。お湯をためて湯加減をみて、日本から持ってきていたヒノキの香りのバブも入れて、うきうき気分で素っ裸になり、湯船に浸かったときにやっと気付きました。

海外の浴槽は浅い。そして長い。
よく映画やなんかで綺麗なお姉さんが湯船から膝小僧を出しているのをみて、外人さんはやっぱり足が長いなぁーと思っていましたが、なんのことはない、浅いんです。

遠慮気味にお湯をためたせいもあって、お湯に肩まで浸かろうとすると寝そべらないと無理。気をつけないと滑って肩どころか頭までじゃぼっと水没してしまいます。なんとかポジションをみつけ、「これじゃぁまるでボブスレーだよ…」などと自分の姿を笑いつつも、目を閉じてほっと一息。
落ち着いたと思ったら、今度は僅かに聞こえてくるちょろちょろという音。よーくみると水位が下がっているではないか!
滅多にお風呂なんて入る人がいないのでしょう。栓の形が微妙に完全ではありません。こんな時人間って、必死になるものです。「えーなんでなんでー。ちくしょー。せっかくのバブが。」と日本語でぶつぶつ言いながらフェイスタオルをぎゅうぎゅうに詰めて、流れて行く水をなんとかくい止めました。
ふぅ…、と気を取り直して、もう一度ゆったりと湯船にボブスレー型に寝そべる私。気持ち良いなぁと思ったのも束の間、浴槽が浅いのでお湯が冷めるのも早いらしい…ぬるい。
「でもバブが…。バブがもったいない。」とぬるま湯に暫く浸かっていましたが、とうとう諦めました。

これじゃぁ疲れをとるもなにも、あったもんじゃぁございません。かえって疲れるだけです。しかもこの全てが素っ裸で行われる為、へたすると風邪ひいちゃいます。
これが私の最初で最後の「海外でお風呂体験」となりました。

カナダでじょんから節

2005-11-04 | バンクーバーの思いで
皆さんも既にご存知の通り、私の故郷は岩手県です。でも、生まれたのは実は青森県八戸市。
うみねこの鳴き声や港の匂い、早朝の魚市場の賑わい、いなかっぺい、先の見えない地吹雪、とろけるようなウニや帆立、タコ売りのリヤカーおばあちゃん、たくさん並ぶいか釣り漁船。八戸を想うと脳裏に浮かんでくるものはたくさんあるけれど、思い出している間バックに流れる音楽は、やっぱり津軽三味線。

2000年10月頃のバンクーバー。カウンセラーの仕事も2年目に入り、慌しく毎日が過ぎて行く中で、ふと地元の新聞の広告に目が止まりました。
「日本の伝統音楽、津軽三味線ライブ!」
『風』というグループがバンクーバーを皮切りにエドモントン、トロント、モントリオールなどカナダ全国公演をするとのこと。
読んだだけで血躍り肉騒ぐ・・・、あ、あれ?躍るのは肉のほう?血湧き肉躍る?ま、いいや。要するに興奮状態でした。
当日は友人のナタリーとアンドリューを引き連れてコンサートへ。

あの、心の芯に響くような津軽三味線のせつなくも真っ直ぐな音色というのは、本当に感動的で懐かしく、故郷に思いを馳せつつ存分に楽しみました。
一方、ナタリーとアンドリューは、私に誘われた時点では「三味線=芸者」というイメージが出来あがっていたために、しゃなりしゃなりした日本女性がお上品に弾くのを想像していた様子で、「ふーん、三味線ネ。ま、一緒に行ってあげてもいいよー。」という興味なさげ満々の態度でしたが、始まってみると「ジャパニーズ・ロックじゃないか!」と大喜び。CDまで購入するほどのファンになって頂きました。

「ロックだ!」と騒いでいる私達の斜め前に座っていた日系らしきおじさんが、ふと、涙を流している事に気付きました。拭うこともなくただ涙を流すおじさんの横顔をみて、若い頃に移民してきて苦労を重ね、それでも立派に家庭を築いて人生を歩み、そして祖国を想って涙・・・と勝手に私の想像はどんどん膨らみ、ついにはちょっぴりもらい泣き。そんな私に気付いた2人は、ヨウコは日本が恋しいんだ…と勝手に勘違いしてもらい泣き。


そんな事を思い出して書いているうちに、窓の外ではとうとう雪が舞い始めました。ケベックシティ、初雪です。
どうしてか、津軽三味線は寒い冬が似合う気がします。なので、急遽写真を冬のものにしました。これはケベックではなく日本の写真です。
これから長い長い冬がはじまるなぁ。

ホームスティの思い出

2005-10-19 | バンクーバーの思いで
先月バンクーバーに立ち寄った際、留学生時代のホームスティ家族に久しぶりに会って来ました。懐かしいノースバンクーバーの家で、ドーナツを食べながらコーヒーを何杯も飲みながら、尽きることなくお喋りしてきました。

私は本当にホームスティ先に恵まれたなぁと思います。(そうよね、たまさん♪)
留学生の時はもちろんのこと、働き始めてからもずっとお世話になっていました。家族構成はお父さんお母さん、私と同じ年齢くらいの娘2人に息子1人。週に何回かは近くに住むおばあちゃんも一緒に夕食を共にします。最近は留学生を2,3人は一度に受け入れているようですが、私が初めて来た時はまだホームスティを始めたばかりで、留学生は1人だけでした。

97年4月、初めてこの家に来た時のことは今でもはっきりと覚えています。
頭にターバンを巻いたタクシーの運転手さんは、私が紙切れに書いて渡した住所と地図を何度も見比べながら細い道をぐるぐる。
やっとみつけた淡いピンクの壁の可愛らしい家からは、待ち兼ねていたかのように丁度ドアが開いて、大きなお腹で口髭を生やしたおじさんがのしのし歩いてきました。チップを急いで計算してタクシーから降りた私を、「Welcome!」とがっしり抱きしめるサンタ風のおじさん。大きなお腹でぼよん、と跳ね返りながら「な、ナイス トゥー ミーチュー」としどろもどろで挨拶していると、栗色の髪が美しいおばさんが笑顔でやってきました。

ざっと案内された家の中は、玄関正面には2階に続くらせん階段、ピンクで統一されたダイニングに、白と紺色のすっきりとしたリビング、猫が寝そべる広い庭。まるで絵に描いたような可愛らしい家!私の部屋は2階にあり、庭に面した日当たりのよい部屋でした。
優しそうな人達と素敵な家で、空港で落ち込んでいた私は一気に回復。

荷物をひとまず部屋に置いて、ふたりのいるキッチンへ。練習していた通り、一通り自己紹介をしました。お、なんとか通じた!と心の中で自分に拍手。

お母さんのアイラが、「疲れたでしょう。まずはサンドイッチか何か食べる?コーヒーがいい?あ、初めてだけどグリーンティも買ったのよ。そっちがいいかしら?普通の紅茶もあるわよ?」
・・・と、まぁこんな感じのことを言っていたと思うけれど、その頃の私はところどころ単語が聞き取れるのみ。サンドイッチとかティーとか聞えたよな・・・。とりあえずくれると言うものは貰っておこうと、全ての質問に「ィエース!ィエース!」と満面の笑顔でこたえました。

暫くしてお母さんが私に持ってきてくれたのは、美味しそうなサーモンのサンドイッチと、砂糖・ミルク入りの・・・緑茶

えー・・・っと、きっと「砂糖とミルクは入れる?」という質問にも勢い良く「イェース!」ってこたえてたんだろうなぁ・・・。
きっといつもは緑茶なんて飲まないのに、私が来る前に日本人が好きそうなものを探して買い揃えていてくれたその優しさがうれしくて、「こんなの飲めないッ」なんて言えるはずがありません。
もちろん笑顔で「サンキュー♪」と目の前にある白っぽく甘い緑茶を飲み干したのでした。

思いでの詰まった町

2005-10-17 | バンクーバーの思いで
もう1ヶ月以上前のことですが、West Coast Trailから帰って来た時に、夫とふたりで懐かしのバンクーバーに立ち寄りました。
久しぶりのバンクーバーは街並みが少し変わってはいたものの、この町独特の穏やかな雰囲気は今も変わらずそこにあり、9月の柔らかい日差しをあびて町を歩いているだけで頬がゆるみました。

私がはじめてカナダに来たのは、97年。・・・え、は、8年前書いている本人がびっくりです。数えてみると衝撃的なほど昔になってしまいました。
中学から大学まで英語を勉強していたとはいえ、英会話はほとんどできなかった当時の私。だからこそバイトで貯めたお金で語学留学をしようと決心したのですけれど。
でも、考えてみると旅行はいつも家族や友達と一緒で、1人で岩手をでることすら初めてだった私は、成田空港ですら緊張していました。その時に空港で撮った写真には、青ざめて唇もやや紫がかった固い表情の私が写っています。「夢と希望に満ち溢れて」という輝きはこれっぽっちもみあたりません。今だからこそ、その写真を見るたび笑ってしまいますけど。

バンクーバー国際空港に到着して、まずは落ち着こうとコーヒーを注文。なのに、笑顔の美しいお姉さんが私に手渡したのは、巨大サイズのコーラ。「Thank you」と何事もなかったようにチューチューとコーラを飲みながら、ずどーんと落ち込む私。ひんやりと喉を通り過ぎて行くコーラがますます暗い気持ちにさせます。カナダで初めて使った英語が通じないなんて、なんと縁起が悪い。
そしておそまきながら「違う」が言えなかった自分にも気付く。摩擦を避ける日本人って、本当だわ。

まずは、無事に着いたと日本の家族に電話。空港からまだ一歩も出てさえいないのに弱気になっている私を必死に隠して、「飛行機楽しかったよー」などと話した記憶があります。
実はその後数週間家族に連絡せず、やっと電話した時には母に「心配してたじゃないのッ」と怒られました。が、実は私は毎日のように日本に電話しようと思いつつ、いやいやまだ早い、日本が恋しいんじゃないかってかえって心配かけるかも、と我慢していたのでした。親の心子知らず、ですね。

心の中で自分を励ましつつ、今度は「これから向かいます」とホームスティ先にTEL。もちろん前もって練習済み。
でも練習した事しか話せないので、質問される前に早々と電話を切ります。愛想のないヤツと思われたかもなぁ。
学校に迎えを頼んでしまうとC$100かかるので、だいたい地図をみてタクシーだとチップも含めてC$50で収まると計算した私は、自分でホームスティ先に行くことにしていました。
大きなスーツケースをごろごろと押しながらタクシー乗り場へ向かったものの、声も身体も重量感のある制服を着たおばさんが「あんたはどこいくの!」「じゃ、あんたはこっちに乗って!」(と、たぶん言っていた)と仕切っているのを見たとたんに怖気づき、そのままスーツケースの方向を変えて素通りしてしまいました。後戻りも出来ずにそのままトイレに消える私。あぁ、いつまでたっても空港から出られないじゃないの。

結局その後は豪快なおばさんに早口で何か言われながらタクシーに乗りこみ、無事にホームスティ先に着いたのでした。
今回はそのホームスティの家族について書くつもりだったんですけど、必死だった頃の思い出って、こうも鮮明に記憶に残るんですね。ホームスティに辿り着くまでが長くなってしまいました。これからも少しずつ、バンクーバー時代のことも書き留めていこうかな。

それにしても、私ってこんなに小心者だったんだなぁ・・・。

ロングというより伸び放題

2005-07-22 | バンクーバーの思いで
バンクーバーで勉強し始めて1ヶ月程経った頃、思いきって美容院に行った事がありました。
もちろん英語はまだまだの頃なので行くべきか迷ったのですが、髪も伸びてきたなぁと思った時にロブソンストリートで「男性20ドル、女性25ドル!」という看板を見つけたので、格安だし、よしチャレンジだ!と中へ入ってしまいました。
ロブソンストリートといえばバンクーバーの中心を東西に横切る有名な通り。「ロブソンにあるお店はみんな素敵なお店」という誤った思い込みがいけませんでした。
アクセサリー店の2階へ上がって行き、ドアを開けると閑散とした店内に中国人らしきおじさんがひとり、ラジオを聞きながら昼寝をしていました。
「げ。」と思ったと同時にちりんちりんとおじさんを起こすドアのベル。ドアを開ける前に中を覗くんだった・・・。
「どうぞどうぞ!」とにこにこ笑いつづけるおじさんに導かれ、ショックから我に返った時にはすでに洗面台で髪を洗われていました。日本では顔にタオルを置いてくれるのに、何もないので顔はびしゃびしゃ、そして目の前に見えるおじさんの顔・・・。
鏡の前に座り、もうこの辺りでは覚悟を決めて切ってもらうことにしました。「ショートにしたいんですけど。」という私に、「今カタログ持ってくるね。日本人用の。」と立ち去るおじさん。
戻って来た時に手にしていたものは、スケッチブック。表紙には「ショートヘア」と書いてあります。ん?と思いつつ中を開くと、和田アキ子や広末、ピーターなどの写真の切りぬきが貼ってありました。見るからにすべて週刊誌からの切りぬきで、カラーではなく黄色地の紙に黒いインクのものまであります。
あまりの驚きに笑う事もできない私に、広末を指差して「これがいいんじゃない?」というおじさん。もちろん頷くしかありませんでした。
髪を切っている間、私と同じようにドアを開けてしまった人がふたり。被害者は増える一方なのでした。

8年ほど前の事とはいえ、その時の事が潜在的トラウマになっているのでしょうか。その時以来、カナダで髪を切ったのは、日本人経営の美容院で1回だけです。
日本人の美容院などないケベックシティでは私の髪は伸び放題。日本に帰ったら早速散髪しに行きます。