よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第28回加古川ツーデーマーチ2日目20km(兵庫県加古川市)

2017-11-19 16:04:15 | オールジャパンウオーキングカップ

11/12(日)今日は私の〇〇歳の誕生日。FBには、たくさんの方からお祝いメールをいただきました。有難うございます。

………………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

11/12 第28回加古川ツーデーマーチ2日目。姫路のホテルで朝食をしっかり食べ、いざ会場へ。

今日は、大会終了後、明日からの東海道歩きのため静岡県に移動します。

   

加茂神社、泊神社を通り加古川へ。

加古川は、昔、鹿児川(かこがわ)と呼ばれており、昔、景行天皇が西国征伐のおり、印南野氷の丘(現在の日岡山)より望まれた河の三角州が、鹿の背に似ているところから、名付けられたという説と。

同じ頃、その周辺(現在の加古川駅前)に、多くの鹿が住みつき 鹿の村と名付けられたという説があります。(㈱カノコHPより)

   

加古川は、延長96kmの一級河川。河原の途中が1回目のチェックポイントでした。

  

水管橋を通り、「升田堤」へ。

升田堤は、万治元年(1658年)に姫路藩主・榊原忠次が築堤したもので、現在の堤防の基礎ともなっています。古くから加古川の流れはこの辺りから東西二つに分かれており、

参勤交代の大名や旅人は二つの瀬渡しで難儀し、地域の人々は毎年のようにおこる水害に苦労していました。忠次はこの二つの流れの間に堤防を築いて流れを一つにし、

かつての河床に新田や畑を開くことを決め即座に工事を実施に移しました。なぜなら当時、度重なる水害による被災者救済や石高の低下が藩の財政を圧迫し、

築堤による治水と新田開発に大きな期待をかけていたからです。こうして藩の命運をかけた「升田堤」には人員延べ60万人を動員、工期は約1ケ月余りという驚異的な規模と速さで完成し、

開墾した新田は藩に大きな利益をもたらしました。

  

平荘湖(へいそうこ)は、昭和41年に東播磨工業地帯の工業用水の安定供給を目的として建設されたダムによってできた人造湖です。

湛水面積約1平方km、貯水量900万トンで、1日20万トンの配水能力をもっています。湖面にはひょうたん型の島が浮かび、周辺は自然景観の美しいところです。

ここでN夫妻、とほ娘さんと合流。ここから一緒に歩きます。

 

  

  

 

2回目のチェックポイントがウェルネスパークです。ここでは、まちこん鍋が提供されました。

  

  

まちこん鍋を食べながら少し休憩します。食べ終わると再びスタート。

升田の町に入ります。このツーデーマーチの間、升田では、たくさんの案山子が出迎えてくれます。

升田では、地元の方が作られたぜんざいがあります。子供たちの呼びかけにつられ中に入りました。

今日は、私の誕生日。Nさんがぜんざいをおごってくれました。

帰りも案山子さんが見送ってくれました。

 

再び加古川河川敷を歩きます。川の土手には、わんわん応援隊の幟が・・・・・「愛犬ちゅんこと一緒に」のブログを書いておられる方でした。

  

河川敷では、加古川凧上げまつりも開催されていました。

  

加古川橋を通り、「じげまち商店街」へ。ここは5年前西国街道を歩いた時に通りました。

  

3回目のチェックポイントは、「ニッケパークタウン」です。日本毛織こと「ニッケ」の加古川工場跡地で現在ショッピングセンターになっています。

 

  

13:25 20kmコース(実際は22km)ゴール

  

2日間の参加者は前年度を上回ったそうです。歩いていていろんなお祭りにも遭遇し本当に楽しかったです。やまちゃんはじめスタッフの方有難うございました。

このあと、加古川駅に戻り明日からの東海道歩きのため静岡県藤枝市に向かいました。