このシリーズ1番の目的は、今使われている検定済み8種類の中学歴史教科書の実像を知ってもらうこと・・・それは、実物コピーをできるかぎりたくさん載せることで果たせていると思います。
2番目は、ちがいを知ってもらうこと・・・それは、《記述がかなりちがう歴史事象(項)》を見つけて紹介することでかなり役立っているのではないかと思います。
■評価のむずかしさ
こつこつと作業することで上記の2つの目的が果たせたら充分なのに、欲張って、評価してみようとしているのですが、これがとても難しい。
まず、①正確さ、②学説の公平性(←どちらもウィキペデアを基準として判断)を最重要の観点としています。
次に、国際関係の記述においては、《どちら側の立場や視点で描いているか》というちがいがあるので、
③日本人のための義務教育教科書として日本の立場・視点で書かれているか、ということを評価基準(観点)としています。
その場合、”日本文明と日本国・日本人を尊重する”という立場で書かれていることが基本です。
以上3つの評価基準でやってきたわけですが、次の問題が浮上してきました。
■中学歴史教科書は、外国の歴史についてどの程度描くべきか?
これについては、評価しないというのが無難のようで、実際そうするのが楽なのですが、性格上疑問をほうっておくのが気になるたちなので、しつこく考えてみることにします。
~以下、常体で記述~
・「どの程度」・・・内容(質)と量の両面あるが、内容については上記①②③を適用して評価する。
したがって、ここでは量(行数・頁数)について考える。
諸外国にどの程度の量を割りふるか・・・どうしても優先順を決めなくてはいけない。
では、どんな観点で優先順を決めればいいのだろうか? ~まず、歴史書全般について考える~
Ⅰ 過去~現在までの自国と深いかかわりがあったと判断する順
Ⅱ 現在と未来の自国にとって重要と判断する順
・Ⅰは、《かかわりの程度を測る方法・評価基準》を決め、それを歴史書の巻頭か巻末に明記しておけば、どの時代でも通用する客観性をもつことができる。
言わば、学問的・客観的歴史認識による内容となる。(※ただし、膨大な知識と作業が必要なことは素人でもわかる。)
もっとも、そこまで厳密に考えなくても、《ある程度歴史を学べば、誰でも大概はわかること》だと思うが…
・Ⅱは、主観的な価値観が大きくかかわってくる。
内容的に嘘がなければ、「現在人」にとっては《これからの行動の指針》として有用だろう。
ただし、自国の状況が変わり、《重要なものごと》が変わるたびに、書き換えが必要となる。
※「誰」にとって重要か?
「国民」「民族」「権力者」「支配層」「被支配層」・・・誰が書くかによって、描かれる歴史の重点の置き方は大きくちがってくるだろう。
《中国亜大陸の歴代王朝が書いた「歴史」》や、《現在の独裁的国家や独善的国家が独自に書いている「歴史」》などがこの種類に入る。
時空を超えて生き残るのがⅠなのは自明なので、当然それが好ましい。
ただし、弱肉強食・諸行無常の世界においては、(Ⅰを基本にしつつ)Ⅱの要素もそれなりに必要なようだが…
~つづく~
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