やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【中学歴史教科書8社を比べる】178 ⒄ 日朝関係(明治-戦前)の描き方 その25 <ⅵ 関東大震災6:まとめと考察 5>

2017年05月12日 | 中学歴史教科書8社を比べる(h28-令和2年度使用)

■まとめと考察 ~その5~

~まとめ表再掲~


 

2 「加害者と被害者」の描き方

 犯罪の中で最悪とされているのは殺人。しかも、この場合は(数百~数千の)外国人。

 国際関係に影響を及ぼす集団殺害事件なのだから、書くのならばできるかぎり正確に書かなくてはいけない。

 

ⅰ 加害者と被害者の組み合わせの大混乱 

・《朝鮮人と、朝鮮人とまちがわれた日本人や中国人》を殺害したのは、主に「自警団」。

 ※警察や軍は朝鮮人を保護した。

・《社会主義者や労働運動家》を殺害したのは陸軍 (警察は傍観、あるいは協力か?)。 

 ※亀戸事件:14人殺害、甘粕事件:3名殺害・・・計17名

 したがって、(ほぼ)正確な表現は、

 

 自警団→朝鮮人(+誤認した中国・日本人)、陸軍→社会主義者や労働運動家 

 という書き方だが、全社(※無記述の自由社を除く)とも不適切な書き方をしている。

 

B 自警団など → 朝鮮人や社会主義者  育鵬社

 「など」によってかろうじて誤記をまぬがれているが、中学生が「など」に着目して別資料で調べるなど、できるとは思えないので、△。

 

C 加害者無記 → 朝鮮人、中国人や社会主義者など  東京書籍

① 加害者を書いてないので、× 

 ※”重大殺人事件”を知らせるのに加害者を書かないなんてありえない。中学生は当然日本人と解釈するだろう。《日本人全体に「罪」をかぶせる意図がある》、と思われてもしかたない書き方。

② 中国人は誤認殺害。誤認殺害を書くなら日本人被害者も書かないと、明らかな偏向表現(嘘)になる。 ×

 

D 自警団をつくった住民 → 朝鮮や中国の人々、社会主義者  帝国書院

① 「自警団をつくった住民」とは、住民全体に責任があるという意味。主語は「住民」。 △

② 中国人は誤認殺害。誤認殺害を書くなら日本人被害者も書かないと、明らかな偏向表現(嘘)になる。 ×

③ 住民(自警団)は、社会主義者を殺していない。嘘。 ×

 ※「、」で区切ることであいまいにして(ごまかして?)いるが、中学生は(大人も)”社会主義者が日本人住民によって殺された”としか読みとれないだろう。

 

E 「住民の組織した自警団や警察・軍隊」、または「住民が組織する自警団や軍隊・警察」 → 朝鮮人、中国人、社会主義者(や労働運動家)  教育出版、日本文教

① 自警団は、社会主義者を殺していない。嘘。 ×

② 自警団による中国人殺害は誤認。誤認殺害を書くなら日本人被害者も書かないと、明らかな偏向表現(嘘)になる。 ×

③ 警察・軍隊は、朝鮮人・中国人の殺害を命じられてはいない(※殺していないと思われる)。反対に、結果的に保護(※拘束したが、自警団からは保護)したのが歴史的事実。嘘。 × 

④ 「住民の組織した自警団や警察・軍隊」という表現・・・「住民の組織した」という修飾節は、「自警団」だけでなく、「警察・軍隊」をも形容している形式になっている。 △

 大人は、《警察・軍隊は行政府が組織する》ことをよく知っているから誤解はしないだろうが、中学生が誤読する可能性の高い表現になっている。
 つまり、文章作法としてまちがっている。
 「住民の組織した自警団や警察・軍隊」という書き方もあるが、これでも誤読する者が出てくる。

 したがって、中学教科書レベルの表現としては、(内容はまちがっているが形式的には) 「警察・軍隊や、住民の組織した自警団」、「自警団(住民が組織した)や、警察・軍隊」などの書き方が適当だろう。

 

F 加害者無記 → 「朝鮮人虐殺」 / 軍人や警官 → 社会主義運動家  清水書院

① 加害者を書いてないので、× 

② 「虐殺」とは「むごたらしく殺す」ことで、なにがむごたらしいかは個々人によって判断が分かれる。
  したがって、客観的表現をすべき教科書の用語としては不適切。 △

 ※「虐殺」という言葉は、①「殺す」という客観的な意味だけでなく、②《残酷な殺し方で》という形容概念を含むとともに、③《非難さるべき、許しがたい、など》という価値判断要素や、④《こわい、おそろしい》などの感情喚起作用までも含む複雑な意味(概念)をもっている。
 このような《多義的かつ重層的意味(概念)》をもつ言葉は、文学的表現用言語や政治運動用語としては便利。
 しかし、学問的(科学的)表現にはまったく不適であるだけでなく、有害だ。

 

G 「軍隊・警察や、住民がつくった自警団」 → 「おびただしい数の朝鮮人が虐殺された」「数多くの中国人や日本人の社会主義者」  学び舎

・上記Eの①②③と同じ  ×

・「虐殺」・・・上記Fの②に同じ △

 「数多くの中国人や日本人の社会主義者」・・・「の(助詞)」の修飾的使い方は、子どもにはとても難しい。

 この文の場合、「数多くの」という修飾句が、①「中国人」と「日本人の社会主義者」の両方を修飾するのか、②「中国人」だけを修飾するのか、③「中国人や日本人の社会主義者」を修飾するのか、ということについては決して分からない(あいまいな)形式になっている。(=どんなでも解釈できる) △

 こんな場合、通常は前後の「文脈(=その語句以外の文章の内容:状況との関係)」から推測できるのだが、この記事ではできない。
 「数多くの」とまで言及するのなら、きちんと「中国人 約○人」「日本人の社会主義者 約○人」と書くべき。ほんの数文字で済むこと。それを書かないのは、意図的に「数多くの」と書きたい理由があるという解釈ができる。

 ※ 《誤認殺害された中国人や、殺された「社会主義者」17人》の数が、「数多く」と形容できるかどうかについては、さまざまな見解があるだろう。

 いずれにしろ、一般的に、(ある程度は)判明している「数」について、公開の場で、「多い」とか「少ない」とかあいまいに書くのは、
 ① 《数は知っている》が、意図的にあいまいにして書く場合、
 ② 《数はよく知らないが、そのような印象がある》ぐらいの知識しかないのに、強引に、あるいは軽薄に書く場合、
ぐらいだろう。※教科書の場合、②は考えにくい。

 (※そもそも《まったく判明していない数》や《ほとんど不明な数》について、「多い」とか「少ない」とか書くのは完全な嘘。その場合は「数不明」と書くべきだろうが、《数不明なできごと》というのは、できごとの存否から問われるような、いわば「うわさ」に近い場合なのだから、学問的対象にはならないだろう。

 

 「数」の問題については次回も調べる。

~次回、まとめと考察6につづく~ 

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