食べ物日記   元気 一番

健康へ気配りしながら主に食事を!

石焼ビビンバ

2018-09-30 17:03:05 | 今日の出来事

    関門大橋

 佐賀アウトレットが鳥栖梅坂公園西、県道17号線沿いにある。「そこには私たちの欲しいものがだいたいあり、よく利用する」と子供から。その子供との旅行の帰りに立ち寄った。

 そこは確かに広く、南北に長く3、東西に短く1の割合。店数は130程度あるだろう。丁度中央付近には休憩や食事ができるフードコートもある。

 さて、私はゴルフ道具店を回り、時間は掛ったが、ゴルフシューズを購入できた。間もなくお昼の時間となり、子供たちに連絡をすると「先に食べてて」と言う。それでは、とフードコートに行き、ゆっくりお店を見まわす。その後、孫と二人連れだったので、「Uちゃん、何が食べたい」と聞くと「石焼ビビンバ」という。

 ビビンバとはどんな料理だったかと、店前で掲示された写真を見に近寄る。韓国料理だ。美味しかったことを思い出した。よしと決め、どの味にしようかと選び、1つはコチジャンを少なめにしてもらった。そんなことをしていると、Uちゃんは席をおよそ決めて、そこにお水を2つ持って来てくれた。小学校2年生だが、しっかりしている。

 料理が出来て席に運び、辛くないのはどっちだったか。「こっちじゃん」だったが、美味しかった。後で聞くと、Uちゃんはここに来た時には、多くこの料理を食べると言う。

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杖つく人

2018-09-24 15:22:33 | 今日の出来事

  杖をつくと

 家内は左膝関節の置換手術をした。「痛い」と言いながらの生活で、右膝関節や左股関節までに痛さが広がり、手術の決心をする。

 今年の長い暑い夏に、手術とリハビリを受けて、9月初旬に退院した。術後しっかりリハビリして、普通に生活ができる程度になって退院を、と約1.5か月の入院生活。なかなか腫れがひかず焦り気味だったが、周りの同じ病名の患者と会話し、比較しながら、明るい声で私と話し始めたのが、退院前10日くらいの頃。腫れがなくなってはいないが、杖なしでもこんなに歩けると動いて見せた。

 退院後2週間の今。手術の膝周りの筋肉が固く思い通りにならない様子。杖が欠かせないようだ。先日、「お墓参りに行ってくるよ」という。「わかった」と送り出したのだが、後で想像してみると、お花、線香、掃除道具、共同墓地にあるとはいえ、重い水。杖つきながらの運搬には、よほどの工夫がなければ幾度も往復しての作業となる。さぞ困難だったろう、「一緒に行くよ」と返事しなかったことを後悔した。

 両手は自由に動くが、杖つく時は片手となる。手は器用ではあるが、一つではなんと不器用。ほとんど何もできない。できないことを実感しているが、杖つく人に対しての私の思いやりの無さ、を実感したことでもあった。

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ハウステンボス

2018-09-21 11:25:40 | 予算の使い方

  VR技術

 「VR」とは仮想現実と訳される。このVR技術を使った館が多い。同行者6人全員で最初に入った所では「釣り」をする。正方形の釣り堀(仮想)の周りに2人ペアで計16人程度が釣りゲームを楽しめる。

 偽リールにて糸をお堀内の遠くに投げる。魚が餌に食いつくと、手に振動が伝わって来る。そのサインで逃げないようにボタンを押し、右手で糸をキリキリ巻き上げる。すると巻き上げ途中で逃げたい動作が時々入り振動する。巻き上げ終了時には、足元の網に入る。逃げないボタンを緩めて釣り上げ完了。次に狙いを変えて、糸をお堀内へ投げる。こんな手順だ。

 小学2年生の女孫が16人中2位の大物を釣り、大はしゃぎ。力まずに糸を投げて、対処できているのだろう。私の場合仮想ではない、現実の釣りの経験が、動作を力ませているのだろうか。

 競い合うことが「やる気」を起こさせてくれ、おもしろさを感じさせてくれる。あちこちのVR館、VRが各館を盛り上げる。ロボットやドローン(ヘリに比し自立性が高い)も主役だ。

 「百聞は一見に如かず」という。VR技術を使い、可視化できると、なんと理解し易いことか。この技術が子供のゲーム用の技術だとの見なし方は、「早合点」だと気づかせてくれた。

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小林幸子ショー

2018-09-15 11:02:41 | 今日の出来事

 小林幸子 65才と

 「義母と一緒に」と貰ったチケット。米寿祝いの一つ。18時開演の小林幸子ショー。

 義母の縁者5人で、少し遠い会場だが、出かける。大人5人では少し窮屈な車だが、「久しぶりのドライブだね」などと話しながら、宮島の紅い鳥居を右手に走る。

 開場時間にも十分な、17時前には駐車場に入った。ショーは2時間と案内板にでている。「少しお腹に入れておかないと心配だね」と会場にあるコンビニで、小さなパンとジュースとを買い事前に食べた。良く知っている小林幸子だが、ショーが面白くなければ眠気がきそうな量の食事だ。

 開演直前、主役の声で「開演に先立ち、お願いします。写真はご遠慮下さい。私が客席に入ることが有りますが、触るのはちょっとだけにして下さい。---」などと雰囲気を和らげた。幕が開くと、ジャンボな衣装。頂点にいる本人が歌を歌って始まった。生い立ちを紹介しながら、夜のキャバレーのステージ出演で、新潟から東京移住の家族、の生活を支えていた苦労話もあった。「うそつき鴎」1964年以来のヒット曲「思いで酒」1979年で生活も安定。

 約1時間の2部構成であったが、その後に沢山なヒット曲を披露。客席に話しかけて手拍子、また客席に舞台から降りる際には「エスコートを」と近くの人に声をかけ、上手に接触もできていた。最終の曲の前には、字幕があり内容はアンコールに応えての曲と。

 楽器奏者とダンサーそして本人合計11人だと数えたのだが、まるで匠小林幸子中心の匠集団。在りし日のサーカス集団に似ている。着替えの時間はダンサーが客を繋いだ。トークも、そして真顔間に挟むニコも、これがあればこその小林幸子ショーと、私も明るくも楽しくもなれた。

 お腹の加減は眠りに丁度良かったが、その気にさせないショーだった。

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二つの課題

2018-09-08 09:31:24 | 社会・平和

 社会のみんなの課題

 日本の社会で生活をしていて、この社会には課題があると感じる。意見が大きく2分されるだろう課題。それなりにでも「仕方ないか」と前向きな意見が増えれば、と願いたい。

 一つ、過疎化が加速され進んでいる。その理由を分析し、改善する側に舵をきること。限界集落などが出来にくいように。集落には、子供ができ、子供が残り、継承されることになる。戦後に変更された相続制度をもう一度見直すことが必要だと思う。一家族の子供数が2未満の現在だ。家を継ぐ子が親の老後は世話する。都会に人口が集中している日本、お世話が必要と、お年寄り施設ばかりが増える日本、変わらなければ---。

 二つ、権利は男女同じだ。だが男女は違う。女性は、子を産み、男性に比較して非力だ。この違いは、何だろうか。ライオン社会には、子を産み育てる役割と、子たちが育つ環境をつくる役割とがある。雌雄の役割だ。言葉を変えると種の保存のため。人類も同じだろう。このことを男女が共に納得する。この納得を支えにして、国は男女の働き場を考える。子供の数が増える環境を整える。女性に、安価な賃金のアルバイトのため、マイカー通勤させることは疑問に思えてならない。

 皆様はどんなご意見でしょうか。

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形の良い島「柱島」-2

2018-09-01 17:46:54 | 今日の出来事

   赤レンガ造り建物

  第1回イベント

 「柱島」に着いた日は、天気は良く最高気温も32℃程度だった。初めの目的地は武人(奇兵隊第3代総督)生誕場所、首にタオルをかけて細い道を歩く。近くで、草取りのおばあさんに尋ねる。旧郵便局の側にここだと案内板があった。

 次は約10年前より休校となっている小中学校。遠目で分かるので近そうな道で行く。小高い場所で、避難場所となっているようだ。さあ富士山のような、形の良い山への挑戦だ。約280⒨、山頂の脇に赤レンガ造りの旧海軍見張り所跡がある。登り始めると100mごとに標識があり有難い。600m過ぎからは後幾100mと残りの道程に替わる。これも有難い。赤レンガの建物を見つけて下山。見渡せる状態にはなかった。

 その後港まで戻るに、武人の墓、柱島の領主(毛利家家臣)桑原杰之助の墓、加茂神社(秋祭りでは毎年神輿を担ぐ)、そして戦艦陸奥(昭和18年この島と大島との間で謎の爆発事故沈没)英霊之墓に立ち寄る。9時30分頃歩き始めて13時頃に港に戻る。

 クッキーとジュースとで昼食にし、14時頃から松田港方向に歩き、石風呂跡、不老様を訪ねて、もう一度小中学校に立ち寄って15時30分頃に出発地である柱島港に。島を歩いて気付いたことは、空き家が多いこと、出会う人はお年寄りばかり、雨が少ない日が続いているが、畑は多くが、石灰を蒔いた状態に耕されている。出会った人は皆親切であった。

 不老様付近で88才と言う耳の遠い男性と話しする。子供は中に女性、上下に男性の3人いるが、島外で皆家を持ち暮らしている。この家に戻って来る子はいないと。指さしながら、あの家もこの家も空き家。戻っては来ないだろうと。

 港で、釣りに来た人とキップ売りの島の人、そして8月からこの島で働いているという岩国支所の人と世間話。「港の南の方で、子供を1人見かけた。今島には子供は幾人くらいの数ですか」。「島には子供はいない。夏休みに来ている」と。掲示されている写真を見て、「昨年、1昨年には夏に祭りが開かれている。今年は?」「8月13日に第3回が開かれた」写真には若者も写り、元気な島の様子が判る。小中学校の運動場が利用されているようだ。「島の若い漁師さんは幾人程度おられますか」「いない。若い人はいない」と。

 釣りの話も交えながらの待合所での立ち話だが、家や地域を繋ぐ若者が減少している状況は、私の暮らす地域以上に切実な様子だ。今年第3回目という、島を挙げての夏のイベントが、参加の子供たちに良い印象を残すことを期待したいものだ。

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