食べ物日記   元気 一番

健康へ気配りしながら主に食事を!

結婚記念日

2021-11-30 14:15:55 | 社会・平和

 どのような応援者

 金婚式が近くなっている年代の私。子ども達はそれぞれ独立して孫達と共に元気に暮らしている。ひと安心できている。孫達も大きくなり初孫は小学校5年生です。

 私はというと、サラリーマン生活中は時間に追われていましたが、定年を迎えてすでに7年、今では時間は自分で自由に使えるものです。大まかな計画を作りそれをなぞりながら過ごしています。この生活は快適ですが、孫達の自立への道を遠くで見ていると、つい比べてしまい元気さ不足を感じてしまいます。年々その差は大きくなるようです。原因の一番は体調、トイレに行く頻度が多くなり意志通りに出来ない事です。初動開始のタイミングを逃さないことに注力することが大切になっています。

 今年の、孫の運動会にはコロナ感染対策のため行けず。足を真っ直ぐにして速く走る姿は見られず、残念。また別の所に住む孫は学校から遠隔ビデオ配信があり、映像で演奏する発表会を見られました。一つの仕草が「孫のものだ」と結びついて、少し元気を取り戻せました。

 結婚記念の日には「農家レストランで食事でもしようか」と発案はありますが、南アフリカ株コロナの発見ニュースがあり「またにしよう」と、また元気さが不足--。子や孫の将来に高齢の私達がどのように関わりたいと思っているのか。応援者ではあるが、「どのような応援者を目指すのか」。時間が少なくなっている事を改めて意識し「早く」と考えるものとなった。

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年金委員研修を受けて

2021-11-22 10:16:43 | 社会・平和

 年金業務に

 11月は年金月間。今年年金委員になった私には、初めての委員研修が19日に開催された。年金事務所に集まりテレビ会議システムを使い、マスクや手消毒などもありコロナ感染が無いよう配慮されている。全国では2300人余りの委員が参加していると報告された。

 研修は3.5時間、間に10分休憩がある。講義は詳細で項目ごとの講師は7人、あいさつは開講前に2人、後に1人がされた。内容は重要な事柄が多いのだろう「緻密だなー」と感じるもの。時間との関係があるのか、早口。大きく息を吸い込んで「フー」と吐き出す。これが印象だ。

 最後に各事務所単位で意見交換会があった。あいさつに、委員の皆様には「関係地域の皆様との間の『つなぎ』」をお願いしたい、よろしくお願い致しますと。気持ちを軽くすることができた。

 年金関係業務は人口減少局面に入り、長寿化も加わり、年金積立は国民の義務なのに「しない」という人が現れ、それらのために年金会計が悪化し、とても難しくなっている。仕方なく制度を変えると、子ども以外のすべての各人に関わるため、周知徹底不十分やミスが起こる機会も多い。私には、年金業務状況を「表す数値」などを半年に数回程度に公表することが多人数の意見を近づけ、関係業務の遂行を容易にするためには必要だと思える。この研修はこんな意見を持つ機会となった。

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和を以て貴しとなせ

2021-11-10 23:00:38 | 予算の使い方

 聖徳太子

 聖徳太子の没後1400年番組を見る機会に恵まれた。71才の私には聖徳太子が描かれている壱万円札は記憶に深い。なんとか縁を持ちたいと長く願っていたお札だからである。

 さて、蘇我馬子が力を持っていた時、辞退していた天皇即位を推古天皇が受け入れる条件だよと聖徳太子の摂政を馬子は受け入れた。朝鮮半島の新羅と戦うため百済応援に行こうと馬子は決定していたが、戦うことによる出費や人の消耗を知って、戦うことを回避しようと聖徳太子は考えた。兵は都から出発はしたが海は渡らず長期に待機する。

 換わりに隋に遣いを出し、新羅を挟んで抑えることを要請する。遣いの小野妹子は1度目には「官位も律令もない国だ」と会うこともできない。そこで2度目には冠位十二階と十七条の憲法とを持って、再度渡航する。時間は経過して、この時期には新羅はすでに強力な国になっている。

「和を以て貴としとなせ」

 第一条である。豪族の寄り集まりだった当時の日本(倭)、自分の利益を望みぶつかることが日常。「和」こそが大切だという。冠位は広く一般より人財を見つけて、豪族の後ろ盾なくても登用する。自信が持てる憲法であっただろう。また、聖徳太子が摂政であった期間には、他国との戦争はなかったという。

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正しさの判断-は窮屈

2021-11-06 08:09:01 | 社会・平和

 老獪な対応は難しそうだ

 テレビ番組に「雲霧仁左衛門」という番組がある。江戸時代の盗賊の頭領だ。この盗賊は、盗みはするが、被害者宅の住人を傷つけない。鮮やかな技術に政府側も盗賊検め方という役所を作って対応している。

 ある日の盗みに、まんまと盗みは成功したが、盗み仲間の古い知人を検め方が知り、知人の彼女を捉える。彼女は一人の盗賊の幼なじみ。検め方は「助けに来い。助けなければ、張り付けに処す」と立札を立てる。

 幼なじみの盗賊は、心が騒ぎ「身代わる」と自首。盗賊団には仲間を見捨てない暗黙のルールがある。一方検め方の事情を知る若い同心は「彼女の張り付けは正しい処刑ではない」と心を迷わせる。先輩に疑問をぶつけるも、「他のことは考えるな。考えるとすき間ができる」と。若い同心は勤め帰りに一杯飲み、その際一人の盗賊と出会う。

 盗賊団は身代わった仲間を救った際にけが人を出すが、出会った若い同心は見ぬふりをし、逃げることができた。若い同心は「正しい」処刑ではないと迷う。この迷いが彼に働いて結果、彼は自分の判断の罪で切腹する。私は、気の毒だと感ずるのだが、どうも「正しさ」の判断は彼の役割ではないとの結末だ。窮屈を背負ったものである。この正しさの判断は、先年に政治の世界であった公文書を書換えた大阪の国家公務員の事件、と似ている。

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