食べ物日記   元気 一番

健康へ気配りしながら主に食事を!

GoToトラベル キャンペーン

2020-09-24 13:43:28 | 予算の使い方

 衣毘須神社   津和野

 荒磯館

 コロナ禍の状態にあるが、経済にも気を配る必要がある。と言われて始まった旅行先地域も含めての、経済を活性化させるこの政策。10月からは東京都への発着もこの政策の範囲に入ることになっている。

 山口県に住んでいる私たちも一助になればと9月後半出発の計画をたてた。目的地は料理に細やかな気遣いがされていたという島根県益田市の館。行きや帰りの寄り道に、梨狩り、見物、見学を入れる。キャンペーンを利用すると出費は定価の65%となる。

 荒磯館は海縁りに位置しており、魚料理がお薦めで美味しい。刺身などは勿論だが、頭から尻尾までが揚げられたきれいに食べられるカレイはつい「もう少し」と言いたくなる。熱い物が美味しい場合は直前に調理されて熱く運ばれて来る。夕食料理だけでなく、朝食にも細やかさはしっかり入り、「美味しかった」の言葉が自ずと口から出る。梨狩りは館より少し北に位置する場所で。また小浜の宮ケ島はモンサンミッシェル風であり、萩市との境近くに位置する。波が少し高い日だったが、島の衣毘須神社に手を合わせた。宿泊後、帰途には津和野の乙女峠マリア聖堂を見学する。ここは明治元年から約5年間カトリック教徒キリシタン子孫約3000名中のおよそ150名が収容されていた所。この間30数名が亡くなっている。

 1泊旅行だが、コロナ禍での久しぶりな旅行であり、印象深いものであった。

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コロナ禍の毎日

2020-09-12 11:48:31 | 日本・世界・地球

2020/9/10

 今年は、2月頃から「新型コロナウィルス感染症」ということばが怖い病気として使われ始めた。怖いのは「感染」であり、「新型コロナウィルス病」である。感染するとは微生物が体内に侵入し定着・増殖・寄生すること、そして接触者に感染が拡がること。次に、新型コロナウィルス病とは、世界の「人」にとってまだこの病に罹ったことがなく、治療する方法が確立されておらず、そのため治り難い病であること。

 この病への日本人感染者数等を新聞よりコピーして冒頭に掲示している。中国で最初に見つかり、現在まだ、世界に拡がり続けている。感染は人が密に近づくことで拡がる。

 今日は9月12日だが、山口県岩国市のこの地域でも感染拡大が少ないようにと配慮が続けられている。その配慮とは、「3密を避ける」こと。感染者の唾液中に多くそのウィルスは潜んでいることがわかった。そのため唾液の飛沫、咳や会話や吐息中の唾液の微粒を自分から外に出さないこと。また他人(ひと)から受けないことが大切。具体的には、1、二人の会話も密を避けて2m以上離れる。近づくにはマスク(飛沫防止用に鼻と口を覆う、ろ紙などのカバー)を着用する。2、数人での会合や食事会などもできるだけしない。必要な場合は間隔を保ち、マスクを外す食事中の会話には細心の注意をする。3、会合の部屋は密閉を避けて、換気を計画する。

さらに、手に着いた唾液中ウィルスなどには消毒液をお店などの玄関に準備し、手にスプレーして除菌。また帰宅時には石鹸で丁寧に手や顔などを洗い除菌する。

最後に、行政よりのお知らせだが、不要不急のイベントなどは実施しないようにと、また補助金なども今年度は止められている。

 上記のようなコロナ禍での毎日は人でありながら、人と人との交わりが大きく制限をされたものとなっている。会話がお互いに遠慮したものになってしまう。一緒に輪になっての行動もできない。人は協力をすることによって、あの大きなマンモスも食用にできた。協力して大きな船も動かせた。―――。この状況を抜け出すにはワクチンができることが必要な条件だとのこと。

 日本では今月中に総理大臣が替わり、アメリカでは11月に大統領選挙があるとか。地球温暖化を皆で協力して抑えようと世界の意見が一致する環境となり、コロナ禍もワクチンができた環境が早く来ることを願いたい。

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君のすい臓を食べたい(生きるということ)

2020-09-05 23:08:12 | 社会・平和

  生きる とは

 「君のすい臓を食べたい」。食べた人はすい臓が元気になる、又は食べられた人は食べた人の中で一緒に生きられる。こんな会話がなされる「テレビドラマ」が9月4日にあった。

高校の男女生徒。女生徒はすい臓の病にかかり寿命が2年足らず。男生徒は本好きで、他生徒とは距離を置いている図書委員。明るい女生徒は元気な間は病の事は秘密にしている。ある日男生徒は、病院で落ちた日記帳の最初のページを見て、出会った同級の女生徒の病気を知る。

病気を知っても大きく変わらない彼を知り、「他の同級生とは、これまで通りに接したい」。と病気のことは、彼と彼女の家族だけ、の秘密にと依頼する。また彼に興味を持ち、図書委員に加わる。

彼の性格はほとんど変わらないが、二人の交際はゆっくり始まる。生きているということは、他人と一緒に楽しんだり悲しんだり、喧嘩したり憎んだり、競争したりと交わること。私は生きたい、と控えめに言う彼女。また、これまでの人生は、偶然や運命などではない。朝起きて顔を洗い食事をし、自分の意志で時間を選択して家を出た。その時出会った人、このような出会いも、自分が選択したこと。偶然や運命などではない。出会ったお互いが選択したこと。会話での、彼女の発言。

交際は少しずつ進む。彼女は2週間の検査入院となる。2週間の期間は延長される。…。一時退院に喜び、家から彼との待ち合わせ場所に急ぐ時、事故に遭い他界する。彼は幾時間も待つが、出会うことはできない。

彼女の「死後、日記帳を読んでも良い」との会話を思い出し、葬儀後に彼女の家を訪ねる。お母さんには伝わっており、初めて目を通す。思い出の場面場面における彼女の気持ちを知る。数年が経過する。死を覚悟していた彼女は、手紙を図書室の本の1冊に挟み残していた。その文章に、彼が退院後、彼女と会う直前に出したメールの内容と同じ、「君のすい臓を食べたい」とのことばが含まれていた。

「生きる」と言う事を考えることは、人生を大切にすることに繋がっているように思う。死までの時間が限られている人は若くても、「生きる」を深く見つめているのだろう。人生は「自分の選択であり、偶然や運命ではない」という。そのようにも言えそうである。

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