食べ物日記   元気 一番

健康へ気配りしながら主に食事を!

頼もしき孫たち

2016-08-31 20:55:06 | 社会・平和

  途中下車 フジテレビ

 出席したい打合せがあり、子供の家(東京)へ出かける。打ち合わせは約1時間、場所が築地市場の近くであったため、市場移転や4年後のオリンピックの影響か、騒々しく感じられた。

 打合せ後、子供の家へ。そこには3年間預かった「犬(リク)」と月に2回程度テレビ電話をする「孫2人を含む家族」が住んでいる。事前の急な泊り依頼電話にも快く承知してくれた。「ほっ」とする。

 今年初め頃に、リクを連れて訪ねた際に、孫の姉(4歳)が持っているものを妹(2歳)が欲しがり、二人がケンカし始めた。どう対処しようか迷っていると、母親が先ず姉に「どうしたの」と訊ねる。一生懸命に姉は説明する。理解して、今度は妹に「そうなの」とまた訊ねる。しぶしぶ頷く妹。「それじゃー、こうしようね」と提案と決断。姉妹はどちらも、気持ちはどうあれ、従った。時間はかかる方法だが、私が育てたと異なる仕方だった。

 現在、姉妹は親の希望とは異なり、違う保育園に通っている。保育園が違うせいもあろうが、姉のすることにくっつくのではなく、妹は自分の興味あることを持ち、ひとりで物いじりなどしている。2歳の子がすでに自分を持ち始めているようだ。意見や主張を小さな頃から聴く事によって、育む。これからも続くだろう。素晴らしい環境ではないか。

 遊んで、振り回していた「うちわ」の硬い部分が「リク(体重3.5㎏)」の頭(薄い頭蓋骨)に当たった。「キャン」と泣いてうずくまる。父親が「激しい遊び方をするから。ゴメンとリクに謝りなさい」と妹に。彼女は何か不満らしく、下を向いて涙目ではあるが、謝らない。それで通した。「謝る」ことが必要との説明の仕方が不十分なのだろうか。

 自分の意見を持つことから、自己主張は始まる。まだまだ荒削りの状態ではあるが、「頼もしき孫たち」を感じた旅となった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワイヤーロープのこんな使い方

2016-08-29 20:21:33 | 社会・平和

 器用さに感心

 ワイヤーロープはクレーン本体にも使われている。また、荷を玉かけなどする際にも使われる。

 農作業をする際、農具置き場が作業場の近くにあるととても便利だ。私の父も田を少し減して空地をつくり小屋を建てた。稲用の道具、ナル、ナル脚、耕運機や肥料などを置いていた。小屋の柱は大きめの石に乗せている。石の上は雨に打たれても乾燥が速い。良いことだ。が、台風などの強風に弱くなる。

 この対策にワイヤーロープが使われていた。長く放置されていたが、雨漏りを修理しようと小屋内の荷を出すと、錆びて切れたワイヤーロープが目についた。「何だろう」と調べ、強風対策用に使われたと判明した。2本の柱を上部の梁と一緒にターンバックルを使って締め付ける仕掛けとなっている。3カ所に取付けられている。切れても、長い期間、強風に耐えた理由は内部の荷が柱の下部に取り付けられた梁の抑えになっていたためと推測。

 修理方法は復旧。そのため、ワイヤーロープの加工が必要。引張強度は大きいが固く、先端の加工が難しい。初経験だが、部品調達のためにホームセンターに幾度も通い完成できた。約30年前にこの仕掛けを考えて、自分で作り上げたことに、改めてその器用さに感心している。記憶の中の父を思い出すきっかけにもなった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お年寄りのオリンピック

2016-08-26 08:48:58 | 社会・平和

 オリンピック お年寄り

 8月6日にリオオリンピックが始まった。4年毎の開催であり、各国から選りすぐりの選手が出場する。まさにスポーツの祭典だ。

 私はつい熱を入れて日本を応援している。ふと、お年寄りがオリンピックを楽しむ仕方もいろいろありそうだと気付く。我が家にも2種類。私は見て応援し、勝って喜ぶが、負けても落ち込まない。やってみようなど考えず、見て楽しむ。「へー、今ではあんな技のかけ方をするのか」(柔道)「高松ペアは前に松がいる時がポイントはより取れているな」(バトミントン)など。家内は膝が悪いため、やってみようなど考えないが、やたらと多くの種類を見ようとする。競泳柔道体操レスリング陸上など次々と熱心に。集まりなどでの話題にも利用するようだ。

 このオリンピックをきっかけに健康スポーツとして卓球を始めてみようと考える人もおられるとも聞く。とはいえ、リオオリンピックはお年寄りの気持ちをも外向きにさせ、明るく元気にしてくれた。そして、8月22日に閉会式を迎えた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピック中の美談

2016-08-23 08:56:55 | 迂闊謝り

 美談

 閉会式が今日行われたオリンピック、たくさんなドラマを楽しませてくれた。そんななか、美談でも心を洗うことができた。

 競争社会に住んでいるため、勝ち負けは存在していることが普通。結果を見て「そうか」と頷くだけ。ところが、レスリングの吉田選手が銀メダルと決まった際、応援席で大粒の涙を流している後輩の登坂選手の映像に、二人の関係や努力を想像して、もらい泣きをする。自分の心が優しくなった瞬間だ。

 さて、先ず、陸上女子5000㍍、交錯して二人が転んだ。先に立った選手が一緒に転んだ他国選手に「立って立って。完走しなきゃ」。一緒に走り出したが、今度は自分が足の激痛で倒れこむ。助けた相手に助けられて、最下位でゴールした。先に立った選手が助け、次に倒れこむ所はレース中にも映し出された。

 もう一つ、体操男子個人総合で内村選手に敗れたウクライナのベルニャエフ選手。「敗者」だが、会見では内村選手を助けた。「あなたが審判に好かれているからこんな得点が」。との記者の質問。「いったん得点が出ればそれは公平な結果。質問は無駄だと思う」。とベルニャエフ選手が進んで答えたと言う。

 これら二つは新聞に取り上げられていたことだが、その内容を知って自分の心も洗われてきれいになるように感じた。日本人でない二人の主人公であり、世界をも親近感を持つことができたことだった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争を回避する心の持ち方(考察)

2016-08-21 08:56:17 | 社会・平和

  反戦

 今年も8月15日に戦没者追悼式が開かれた。多くのご遺族が参列された。式において、天皇陛下のおことばには「反省」という言葉があったが、首相の式辞にはなかったと新聞に報じられていた。

 戦争を体験していない者が、どのように自分の事として「戦争はしてはいけない」と思えるか。次に、戦争を回避するにはどんな心の持ち方があるのか。この機会に考えてみた。

 先ず、長くフィリピンに潜伏していた小野田寛郎さんと面接した、女優の石原さとみさんは言う。「おなかがすいていて、目の前に食べ物があったら、さとみちゃんはどうする」「食べたいでしょ?殺されそうになったら生きるためにどうする?人を殺すと思わない?」と語りかけられたことが反戦のきっかけと言う。1つの例だ。

 次に、戦争を回避するための心の持ち方。それは、プライドを相互が思いやり、互いに「まあよし」な落とし所を探すことだ。この結論の根拠は、先ず、個人間のケンカの場合。チョッカイを出す時、痛さが伴うとし返そうとする。口で傷つける時、プライドに触るとし返そうとする。次に、国間の戦争の場合。チョッカイを出す時、傷つけるとし返そうとする。口で傷つける時、プライドに触るとし返そうとする。わがままな時、経済制裁などをする。これらが反応と考えるためだ。

個人間のケンカと比較して、国間のことも凡そは推し測れた。そしてこの結論は現在実施されている。また、わがまま国へは、北朝鮮へのように、周辺国は協力して圧力をかけ、反省を待つことになる。

 自分の問題として考えたが、結論は見慣れたものと同じ。しかしこの同じを知ったことそしてこのテーマで考えたことは有益だった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人づきあい

2016-08-17 15:16:04 | 体重と血圧

 

 毎日、多くの人と会話を

 定年退職後2年になる。目標を作り、自分の自由になる時間を有効に使おうと「ワクワク」した気持ちで定年を迎えた。

 その目標は試みて確認するもので、時間はかかるが自分で調べながら進めるもの。そのため、日々の人づきあいは少ない。

 「人生ってさ、年を重ねると知り合いができて友達ができて。だけど、もう知り合いもいらないね。付き合う時間もないし。---。」永六輔さんの言葉だと萩本欽一さんは言う。定年は迎えたが男の平均寿命までは15年ある。「まだまだ」と私は自分に言い聞かせる。

 しかし今のように出会いや話す人が少ないと、長い会社生活を過ごした私は、脳の、急ぎ考えそして表現する部分が急ピッチに退化していると感じる。先日ある会の司会を担当した。偶然だが司会位置がスピーカーの直ぐそば。予想外に急な、合図で声を発した。司会の声は生、スピーカーは大きく耳に響く、さらに小さなルビ付けの漢字の名前、会場が少し暗いことも影響してルビが読み辛い。最初の人の敬称を「様」ではなく「さん」と呼んでいた。

 急な対応が落ち着いて出来にくく、退化が進んでいる。「日に10人以上の人と会話を」しようと言われる。これは1日の健康生活リズムの一つだ。毎日の「人づきあい」が少ない影響を体験し、改めてその大切さを気付く。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「悲願」成就

2016-08-15 20:48:31 | 社会・平和

 言葉の深い意味

 オリンピックが始まり、悲願成就との言葉をよく耳にする。11日の男子卓球個人戦においても国の悲願のメダル獲得が決まったと報じられている。

 14日に地域の追悼法要が催された。読経の後、法話にてことばの「悲願」は仏教用語だとお寺の住職が話題にされた。皆を救うことが如来様の悲願と。

 家に帰って、ネットで調べると、慈悲を説明して、「慈(いつく)しみ」とは相手の幸福を望む心、与楽。「悲(あわ)れみ」とは苦しみを除いてあげたいと思う心、抜苦、とある。これによると、悲願とは苦しみを除いてあげたいとの願いと理解できる。

 オリンピックの例では、努力する苦から解放してあげたいと感じるほどの、メダル獲得の国の願い、となる。仏教用語は長い年月を経て、日常用語となって生活の中へ溶け込んでいる。調べることで、改めてそれを知り同時に、一文字が深い意味を持つ例でもあった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人見知りへ(改善へのメモ)

2016-08-13 06:57:32 | 予算の使い方

 出会いを楽しく 

 今年、自治会の班長を引き受けた。この機会に、人との応対に、自分側の「心地よい会話」「心地よいその後の付合い」への気配りについて考えたい。

 先ず「人見知り」の言葉を調べると、子供が見慣れない人を見て泣き、はにかみまたは嫌うこととある。また、「初対面で心得ておくこと」は、世間話ができればOK。会話が弾まない可能性だってある、その場合も、私が悪かったと思う必要は全くありませんと。---わかったような、安心もさせてくれる。

 新聞には、挨拶に続く日常ネタを持っておきましょうと言う、天気やスポーツ。「最近暑いですね」「オリンピック、始まりましたね」。名刺に、「かつてギターを弾いていました」の紹介も。また、自分の考え方のクセを知ることも役立つと、1:人前でどんな 急いで伝えようとする2:完璧に 70点で十分、ハードルを下げる3:地域の集まりなどで 参加者の前で質問などして成功体験を。

 気配りのまとめは、「次の出会い時に少し役立てばそれでOK」との心のゆとりと「急がずに伝える」こと。これが人見知り改善への最も大切なポイントのようだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お墓の記事を縁に

2016-08-10 14:48:49 | 予算の使い方

 お仏壇・お墓との付合い方

 お盆を前にお墓の記事を見付けた。お墓とは故人を供養し、先祖とのつながりを次世代へ伝えるのが、大きな意義と言う。お墓とどのように付き合うか、自分の考えをまとめておきたいと思う。

 お盆とお墓について調べると、お盆とは精霊会(しょうりょうえ)(盆会)のこと、先祖の霊(祖霊)を、8月13日夕より15日夕までの間、自宅に迎えて供養する行事を言う。この間はお墓に祖霊はいないとも。

 死ぬと、魂は葬式・仏壇・お墓への供養により、33回忌の後、祖霊と1つになると言う。お墓にはお正月(歳神)、お盆(盆会)そして2回のお彼岸に、お参りする。また33回忌までは法要や年回忌などにもお参りする。

 次に仏壇供養について、仏壇・仏具の五大の説明を参考にして、週初めに1回/週以上お供えし手を合わせる。頂き物などは随時にお供えし、そのお下がりをいただきます。きちんとお供えされている家には、謙虚な気持ちや感謝の気持ちが育ちますとあった。

 新聞でお墓の記事を見付けた縁で、お墓とお仏壇との付合い方を考えることができた。実行してみよう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニワトリのケージに

2016-08-05 13:38:34 | 社会・平和

 親の背中

 今日、ニワトリのケージを金属ゴミとして処分した。ケージは取り外し後、50年を超えて保管されていたことになる。

 卵好きの私は、卵のできる不思議をケージの後ろから眺めていたことを覚えている。そのケージは私が小学校を卒業する頃には取り外された。兼業農家の我が家は戦後20年頃まではニワトリも乳牛も飼っていた。ゆとりが少なかった生活に、両親は朝早くから夜遅くまで働いていた。

 もちろん私たち子供も稲の収穫作業や、生き物の餌用の草・燕麦・レンゲソウの刈り取りなどの手伝いをし、いろんな経験をすることもできた。そんななかだが、私には大学への進学をさせてくれた。ケージを処分しながらそんなことを思い出していた。

 私は大学卒業後には転勤族のサラリーマンとなった。収入は人並みで、子供たちへ生活苦を抱えた背中は見せずに済んだ。両親のお陰だが、親の苦労の背中を見て育つことの大切さをも知る事ができた気がしている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする