世の中では、
ガチンコ派と八百長派に分けているが、
これがすごく間違っている!
たとえば、ガチンコ派の代表格の
貴乃花や大乃国だって、
100%ガチンコではないはずだ。
それは自信を持って言える。
そもそも大相撲は、閉鎖社会だ。
年がら年中、同じメンバーと相撲を取っていれば、
家族同様の付き合いとか、友人関係もできるだろう。
そうなれば、「今場所は、あいつに負けてやろう」
という気持ちになっても、ぜんぜんおかしくない。
たとえば、相手力士が右ひじをケガしていれば、
友人なら、その場所を攻めないだろう。
たとえば、この一番で、友人力士が幕下に落ちるとなれば、
「力を抜こうか」という気持ちは、
自然と起こるものだ。
これらは「自然なる八百長」だ。
逆に千代の富士の「自然でない八百長相撲」は、とても有名なので、
疑う余地はないが、
大鵬や北の湖まで、
「自然でない八百長力士」の仲間に入れるのは、
大きな間違いだ。
大鵬や北の湖だって、
少しは八百長はしているはずだが、
それは「自然なる八百長」だ。
許される範囲だ。
なのに、「あいつも一度やったから、八百長力士だ」
と言ってしまえば、
それこそ、大相撲は崩壊するだろう。
また力関係もある。
兄弟子が八百長をやっていれば、
弟弟子は、相撲社会で生き残るために、
「いやいやながら、やらざるをえない」だろう。
貴乃花は、いわうる「相撲エリート」の一員だ。
初代若乃花や父親の大関貴ノ花など、
バックに、親戚がいる。
そうなると、兄弟子や友人から、
八百長を薦められても、
断ることができるだろう。
そういう裏面も考えないとアカン。
その他、「営業面」も大きい。
横綱がもう一人ほしいとき、
「じゃあ、あいつに優勝させて、
相撲界の繁栄に寄与しようか」
という気持ちが起きても自然だ。
その他、ケガもある。
ケガをしないために、
「適当に取ろう」という力士も、
非常に多いだろう。
そう。
八百長の背景には、
いろいろな要因があるのだ。
そういうものをすべて勘案して、
八百長問題を、
議論すべきなのだ。
もし八百長を廃絶しようと思えば、
江戸時代のように、「一年で10日だけ相撲を取る」にすればいい。
しかし今は、営業のため、
年6場所、90日も相撲を取る。
とすれば、
ケガをしないために、
「自然なる八百長」が、
許される範囲であるのは、
仕様がないと思う。
(個人的には15日間で、2日以内、
一年では計7日以内程度の「自然なる八百長」は許したい)
政治家は二世、三世が非常に多い。
これだって、一種の八百長ではないか。
八百長を嫌う相撲ファンに言いたい。
あなたは、
一年で10日だけの相撲に、満足できますか?