〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

拾い読み備忘録(150)

2016年07月31日 17時22分04秒 | 俳句
  酔うてこほろぎと寝てゐたよ
 昭和五年十月九日、上ノ町(現、串間市)で書いた句。二日前に目井津(現、南那珂郡南郷町)でつくったものの訂正句だが、どうしたことか削除の印がある。しかし私はこの句の方がいいと思う。二日前の句は、
  酔うてこほろぎといっしょに寝てゐたよ
 だが、前書に「酔中野宿」とある。昼間、上天気に浮かれて「焼酎の生一本をひっかけ」、夜も「お遍路さんといっしょに飲」み、そして野宿した。
 この句、「いっしょに」とくどく気持をこめすぎているように思う。さらっと書く方が逆に印象が強いのではないか。どうして後の句を削除したものか、と思う。
「放浪行乞 山頭火百二十句」金子兜太 集英社文庫 1992年
                         富翁
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拾い読み備忘録(149)

2016年07月30日 20時48分42秒 | 俳句
  さみだれのあまだればかり浮御堂(うきみだう)     青畝
 揚句も主観と客観の止揚による青畝俳句の典型の一つ、大津堅田の琵琶湖の水面に浮かぶように建てられている臨済宗満月寺千体仏堂、いわゆる浮御堂へのなつかしさを、それを囲んで降るさみだれの雨だれだけを描写することによっていっそう深めている。
「百人一句」高橋睦郎著 中公新書 1999年
                  富翁
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拾い読み備忘録(148)

2016年07月29日 09時55分17秒 | 俳句
 衣替へ洟(はな)たれ餓鬼のよく育つ      秀野
・・・。もうそろそろ軽いものを着せてやらなくてはならぬ時季となったが、病臥の間、手が廻らず、冬から着せっぱなしのみじめさ。母親なしにも似て、女の児ながら「はなたれ餓鬼」の態。尖った神経に、いたましく響いてくる。「よくまあ、あれで育ってゆくわね」。悲しい自嘲である。この「よく育つ」はすくすく育つのを母が満足げにながめる「よく」でないから、注意ありたし、正真正銘の美人であり酒豪であった人だけに、自嘲のはげしさが、いっそう憐れである。
「俳句の世界」小西甚一 講談社学術文庫 1995年
                     富翁
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2016年07月28日 21時20分37秒 | 俳句
浦和まで電車乗り継ぎうなぎかな
ながらえてうなぎを喰らうおじいさま
              富翁
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土用の丑

2016年07月28日 16時48分31秒 | 俳句
梅雨あけて暑さ対策鰻食べ

源内のその手に乗って今もなお

先達も酒飲みながら食談義

先輩
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「鰻」

2016年07月28日 15時54分59秒 | 俳句
生き返る 生きてて良かった 鰻の日
山崎屋 やや薄口ですが 美味でした
週一は 鰻を食べたい 夢の中
安楽
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ラジオ体操、第一

2016年07月27日 09時16分05秒 | 俳句
できるだけやるようにしてます。年々寝起きの身体が硬くなっていくように感じます。
起きたてのストレッチとラジオ体操とwalkingでなんとか。

起きたては 腰と背中が ばりばりよ
週一で 整形外科にて リハビリす
でも翌日 元通りなので いかんなー
安楽
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拾い読み備忘録(147)

2016年07月26日 16時21分19秒 | 短歌
松に倚(よ)る庵、倚松庵とはもともと、この家に移る何年も前、まだ松子夫人と熱烈な恋愛中であった谷崎が名乗った自分自身の号であるが、それは、
けふよりはまつのこかげをただたのむみはしたくさのよもぎなりけり  谷崎潤一郎
という一首の歌によっている。「まつ」とはいうまでもなく松子夫人のことである。谷崎はこの歌のとおり、やっと掌中に収めた理想の女性の権化と崇める松子夫人にかしずきながらこの家で七年という歳月を送った。
「俳句的生活」長谷川 櫂 著 中公新書 2004年
                    富翁
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拾い読み備忘録(146)

2016年07月25日 21時50分47秒 | 川柳
波風立(たて)ず今に貧乏
 立てず、立たず、どちらに読むかで意味も変わるようである。これという思い切った事もせず、ただ平穏無事を願って過ごして来たとも思えるし、家にもめごとも起こらずに暮らしたということに重点をおいた句とも思える。
いずれにせよ夫婦仲も円満だが貧乏つづきということだろう。自分の家のことを述べた句と考えられるが、満足しているのか歎いているのか、分かりかねる所もある。・・・・
「『武玉川』を楽しむ」神田忙人 朝日選書 1987年
                      富翁
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拾い読み備忘録(145)

2016年07月24日 21時26分08秒 | 教育
(小学校低学年期)
道徳判断についても、かなり利己的な傾向がみられる。たとえば、じぶんが、悪いことをしても、わざとじゃないよ、というように弁解して、平気でいるのに、他人が悪いことをすると、それがわざとじゃなくても、非常に非難する、といったたぐいである。すなわち、自己に対しては動機論をとり、他人に対しては、結果論をとることになっている。これは、一見はなはだ利己的なように思われるかも知れないが、これも、「あそび」と同様に、半分自己中心的傾向から脱却してきた中途の現象なのであって、じぶんのことは、動機がわかるから、動機論をとり得るが、他人のことについては、他人の身になって考えてみるという能力が発達していないため、このような態度に出るものと考えなければならぬ。だから、これを利己心の発露とのみ考えて、いたずらに、しかったり、せっかんしたりすることは、きんもつである。
「子供の心理」波多野完治 講談社学術文庫 1976年
                      富翁
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木耳と玉子の炒めあえ

2016年07月22日 13時10分00秒 | 俳句
前から入ってみたかった日高屋さんのメニュー。
町田の高原書店に行った帰りに、食べました。

美味かった 木耳玉子 美味かった
わたくしも たまに作ります 美味いです
安楽
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しとしとピッチャン、しとピッチャン

2016年07月21日 10時16分59秒 | 俳句
サウナのような日々の後に、涼しい一日。
まだ梅雨明けしてないんですね。八月になるのかな?

紫陽花を 見ることもなく 冷やし茄
氷みず カランコロンと 音はいつ?
安楽
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拾い読み備忘録(144)

2016年07月20日 20時07分03秒 | 短歌
慈円(一一五五~一二二五)の歌に、
 ひきよせてむすべば柴(しば)の庵にてとくればもとの野はら成けり
というのがある。柴の庵は因縁によって仮にすがたを現わしたものであって、柴をほどけばもとの野原にすぎないのだ。
「維摩経講話」鎌田茂雄 講談社学術文庫 1990年
                     富翁
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プール開き

2016年07月19日 06時49分45秒 | 紀行文
庭のビニールプールに10か月の孫娘が水遊び。可愛らしい水着で
喜んでいました。周りではスマホの動画撮影。おじいちゃんはゴルフ用の
大きい傘をさして、紫外線対策とお姫様待遇です。二週間おくれの対面に
じいじとばーばは大喜び。ばーばはスマホをこの日のために買い求め。
痛痒いヘルペスの後遺症も忘れて孫に見惚れていました。
先輩
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拾い読み備忘録(143)

2016年07月18日 16時12分53秒 | 宗教
意識が未だ目覚めなかった時には、世界はなんらの意味をも持たなかった。その中にはなんら、知的な、精神的な、美的な価値というものはなかった。要するに業がなかったのである。意識の目覚めと共に分別ができ、そして分別と共に無明が動き出す。分別には両刃があるので、一方はまるで鈍いが、他の一方は触れるものをことごとく切り倒す。それはまた鏡に似ている。その明らかな面は、その前に来るものを何でも映すが、その暗き一面はなんらの光を放たぬ。更に言えば、それはまた太陽に似ている。太陽が一番きらきら輝いている処では、その影が最も濃く落ちる。意識が世界に現れるということは、主観に対して立ち、主観の上に働きかけるところの客観的環境の創造を意味する。表面的に見れば、あらゆるものは、これではっきりと限定せられ、その存在が明瞭になるが、それと同時に他の一面では常に暗黒なる無明の雲が低迷していて、意識の世界を覆うのである。この雲が何とかして一掃されない限り、業は険悪な相を見せ、而してわれらの心の平和というものはないのである。
「一禅者の思索」鈴木大拙 講談社学術文庫 1987年
                      富翁
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