〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

拾い読み備忘録(185)

2020年03月16日 09時55分17秒 | 宗教
その後、銀のひもは切れ、金の皿は砕け、水がめは泉のかたわらで破れ、車は井戸のかたわらで砕ける。
ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。伝道者は言う、「空の空、いっさいは空である」と。(伝道の書、第12章)
(「旧約聖書」1955年改訳 日本聖書協会)富翁
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拾い読み備忘録(143)

2016年07月18日 16時12分53秒 | 宗教
意識が未だ目覚めなかった時には、世界はなんらの意味をも持たなかった。その中にはなんら、知的な、精神的な、美的な価値というものはなかった。要するに業がなかったのである。意識の目覚めと共に分別ができ、そして分別と共に無明が動き出す。分別には両刃があるので、一方はまるで鈍いが、他の一方は触れるものをことごとく切り倒す。それはまた鏡に似ている。その明らかな面は、その前に来るものを何でも映すが、その暗き一面はなんらの光を放たぬ。更に言えば、それはまた太陽に似ている。太陽が一番きらきら輝いている処では、その影が最も濃く落ちる。意識が世界に現れるということは、主観に対して立ち、主観の上に働きかけるところの客観的環境の創造を意味する。表面的に見れば、あらゆるものは、これではっきりと限定せられ、その存在が明瞭になるが、それと同時に他の一面では常に暗黒なる無明の雲が低迷していて、意識の世界を覆うのである。この雲が何とかして一掃されない限り、業は険悪な相を見せ、而してわれらの心の平和というものはないのである。
「一禅者の思索」鈴木大拙 講談社学術文庫 1987年
                      富翁
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拾い読み備忘録(142)

2016年07月17日 18時51分44秒 | 宗教
禅者にとって、人間以外の一切の存在者が生きているのである。動物も植物も、石も、地・水・火・風の四大も、存在の中心を離れず、また離れもならず、つつましく、存在の中心を拠り所としながら、生きているのだ。人間以外の存在者が、根底的に無心なるが故に、しかと体現している定有(Dasein)としての安心と無垢とを、迷い惑っている人間が自らも得ようと願うならば、もはや根本的に方向転換する以外に道はない。人間は、幾多の不安や不幸の中で今や邪路であることが明白となった道を引き返し、本来の自己に会わせてくれるかに見えた一切のものを振り捨て、生活の蠱惑的な魔力を自ら断ち切り、≪本分の家郷≫に帰家しなければならない。≪本分の家郷≫とは、人間が一人立ちできるや否や、幻影を追い求めて、気まぐれに飛び出した実家なのである。人間は、「幼児のようになる」のではなく、森や岩、花や実、風雨や嵐と一つにならなければならないのだ。
「禅の道」オイゲン・ヘリゲル 榎木真吉訳 講談社学術文庫 1991年
                              富翁
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拾い読み備忘録(141)

2016年07月16日 20時28分27秒 | 宗教
死と生とで考えてみれば、たしかに死と生とはまったく別の存在ではあるが、生があるからこそ死があるのだ。生と死はまさしく非連続の連続である。生と死とを別の存在とみれば非連続であるが、生がなければ死はないのであって、生と死は連続していることになる。薪(たきぎ)と灰(はい)のようなものだ。薪と灰とは別なものだとみれば二であるが、薪が焼けたから灰になったのであり、薪と灰とは不二ということにもなる。まさしく薪と灰との関係のように、生と死とは二にして不二でなければならない。
 この不二の法門に入ったならば、どのような境地になるのか。・・・・・・
「維摩経講話」鎌田茂雄 講談社学術文庫 1990年
                     富翁
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永日三句(3)

2016年05月15日 15時31分45秒 | 宗教
てくてくてくてく、1万歩。
サイダーが美味い。

梅雨の前 日中ぽかぽか 朝夕涼し
流れ者 朝顔双葉 ただひとつ
新品の エアコン効く効く ばっちりよ
安楽
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永日三句(その2)

2016年05月12日 18時34分02秒 | 宗教
春いっぱい 通り越してる 初夏の候
梅雨まだか シトシトピッチャン 書の湿り
猫あくび なんともさえない 午後の春
安楽
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ゴールデンウイークが過ぎて・・・

2016年05月09日 08時55分38秒 | 宗教
GWであったことすら気が付かないまま、時が過ぎました。
やんぬるかな。

割り算で 余りが出るとき 考えた
割り切れぬ 思いが残る 幾星霜
いつかやろう その「いつか」にいる わたしです
安楽
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拾い読み備忘録(100)

2016年05月07日 22時36分07秒 | 宗教
まことに人の苦痛は人の慰藉を以て慰めることは出来ない。人の千言万語もこの点においては何らの益ない。ただ主キリストを知りてすべての苦難に堪え得るのである。ヨブの苦闘が進んでパウロの救主発見に至て、苦痛は苦痛でなくなるのである。キリストが心に宿るに至って、人の慰藉を待たずして苦痛に堪え得るに至るのである。故に一度パウロの如き心を我に実得し得ば、すべての難問題が難問題でなくなるのである。最も不幸なる人さえ最も幸なる人となり得るのである。しかるに世には不幸に会せしため信仰的自殺を遂げし人が少なくない。これ肉体的自殺と相選ばざる忌むべきことである。我らはキリストに縋りて、すべての悲痛艱難に勝つべく努めねばならない。
…・・
「ヨブ記講演」内村鑑三著 岩波文庫 2014年
                   富翁
コメント (1)
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