〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

拾い読み備忘録(142)

2016年07月17日 18時51分44秒 | 宗教
禅者にとって、人間以外の一切の存在者が生きているのである。動物も植物も、石も、地・水・火・風の四大も、存在の中心を離れず、また離れもならず、つつましく、存在の中心を拠り所としながら、生きているのだ。人間以外の存在者が、根底的に無心なるが故に、しかと体現している定有(Dasein)としての安心と無垢とを、迷い惑っている人間が自らも得ようと願うならば、もはや根本的に方向転換する以外に道はない。人間は、幾多の不安や不幸の中で今や邪路であることが明白となった道を引き返し、本来の自己に会わせてくれるかに見えた一切のものを振り捨て、生活の蠱惑的な魔力を自ら断ち切り、≪本分の家郷≫に帰家しなければならない。≪本分の家郷≫とは、人間が一人立ちできるや否や、幻影を追い求めて、気まぐれに飛び出した実家なのである。人間は、「幼児のようになる」のではなく、森や岩、花や実、風雨や嵐と一つにならなければならないのだ。
「禅の道」オイゲン・ヘリゲル 榎木真吉訳 講談社学術文庫 1991年
                              富翁
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