wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ
(哺乳類進化研究アップデートはしばらくお休み中)

マインドフルネス瞑想の効用

2019-01-26 23:18:49 | 瞑想・仏教
自分の瞑想の歴史と効用として感じられることをまとめてみました。

9~10年くらい前でしょうか、仕事の内容や組織内での立場が変わったり、結婚して生活がガラッと変わったり、といった環境の変化がありました。そんな中で、精神面では不安感を強くかかえるようになったり、何かのきっかけでイライラ感がいつまでも続くようになり、身体面では頭痛がひどくなり、逆流性食道炎にもなり、いろいろ問題をかかえるようになっていました。
一方では、死んだら人はどうなるのだろうという興味で仏教系の本をいくつも読んでいたら、あるとき、坐禅をすることで生きるのが楽になれるという玄侑宗久の本に出会って、それなら自分もやってみようと思ったのが最初のきっかけです。

坐禅を始めたのは、2012年7月のころ。1回10~15分くらいの長さの坐禅を週に3~4回やっていました。また、2ヵ月に1回くらいは、鎌倉の円覚寺の坐禅会に参加していました。まだまだこのころは効果を実感するまでには至ってなかったと思います。

それから、自分の精神面の問題を分析してみたいと思い、心理学や脳科学系の本を読んでいました。その中で、脳の可塑性を活かして意識の持ち方や考え方を根本から変えていく方法として、認知行動療法が精神療法の中で主流となってきていることや、その中でもとくに、初期仏教の修行法を取り入れたマインドフルネス・ストレス低減法やマインドフルネス認知療法というものが注目されているということを知りました。それで、これまでの坐禅からマインドフルネス瞑想法をやることに変えました。とはいっても、マインドフルネス瞑想法の中には坐禅の要素がかなり含まれています。


2016年の7月から、ジョン・カバットジンによる著書「マインドフルネス・ストレス低減法」をガイドにマインドフルネス瞑想を始めました。約20分の瞑想と5分のヨガを組み合わせた形で、ほぼ毎日朝にやっています。週に1回は、これに5分のボディースキャンという方法を追加しています。

さて、その効用ですが、まずは身体面に現れてきているように思われます。
2017年の夏ごろ、仕事でたまたま、自分の自律神経を測定器で測る機会がありました。2~3回測りましたが、結果は何度やっても自律神経の働きが約37歳に相当するということでした。その当時、実年齢は52歳でしたので、15歳若い自律神経の能力を示しているということになります。また、交感神経と副交感神経のバランスも良好でした。もともと自律神経系が強いほうだとは思ってなかったのですが、瞑想をやってきたおかげで自律神経が鍛えられたのかもしれません。

それから、10~11月になると必ずひどい風邪をひいて、1日は仕事を休みますし、鼻水や咳がずっと続いて治るのに1カ月くらいかかるというのが、毎年のパターンでした。ところが、2017年秋は風邪はひいたものの2週間くらいで治りました。さらに2018年秋はそもそも風邪をひきませんでした。免疫力が強くなってきたのかもしれません。
風邪などのウイルスに対して防御作用を示す重要な免疫細胞にナチュラルキラー細胞(NK細胞)というのがあります。数年前これも仕事上でですが、NK細胞の活性を測ることがありました。自分を含めて3名測りましたが、私だけかなり低いNK細胞活性を示しました。そうしたら次の日に風邪をひいてしまいました。まさに、NK細胞が風邪などの感染症から身体を守っているんだなと実感した時です。1カ月くらいたってから、もう一度NK細胞活性を測ったら比較的正常な値を示したので安心しました。じつは、最初にNK細胞活性を測って低かった日の前日、夫婦喧嘩をしていたのです。それで私は精神的にかなり凹んでいたのです。それがここまで免疫力に直接影響するというのもおどろきでした。
そう考えると、マインドフルネス瞑想を続けてきたことで、目には見えない精神面での安定化作用があり、免疫力が強くなって風邪をひきにくくなったと考えることができそうです。

では、精神面での瞑想の効用はどうかというと、10割あった不安や怒りは7割くらいまで減ってきたような感じはあります。やればすぐよくなるというようなものではありません。でもやらなければ全くよくならないでしょう。
私は主に身体面での変化を感じていますが、人によっては精神面での変化を大きく感じるかもしれません。いずれにしても、がんばってやっていれば、なんらかの体感効果が得られるようになり、それがさらに継続するためのモチベーションにもなると思います。

しばらくしたら、マインドフルネス瞑想法の科学的エビデンスについて書いてみたいと思います。

書評「利己的な遺伝子〈増補新装版〉(リチャード・ドーキンス)」

2019-01-19 22:41:47 | 書評(進化学とその展開)


本書の第一版は1976年にイギリスで出版され、日本語版は1980年に「生物=生存機械論」という書名で出版された。日本語第三版(30周年記念版)は2006年、日本語第四版(40周年記念版)は2018年に出版された。いまや、科学史に燦然と輝く不朽の名著と言われているが、私が生物学科の学生だった1980年代は、「生物=生存機械論」という書名にあざとさやいかがわしさすら感じていたので、読むことはなかった。あれから30年以上たってようやく本書を読むことにしたのである(私が買ったのは第三版)。もともと当時の動物行動学や進化学の理論的な研究の考察をもとに書かれた本であるので、この本の内容が出版から40年たってどこまで実証されたのかはこの分野の専門家でないとわからない。しかし、目の覚めるような論理展開とたくさんの考えるヒントが提供されていることは確かだ。この本の主張を一言でいえば、遺伝子の利己性がすべての進化の原動力だと考えることで、生物の増殖や社会活動など様々な生物現象がうまく説明できるようになるということだろう。なお、遺伝子の利己性そのものはどこからやってくるのか、何を原動力としてそのような働きをするのかという疑問も湧いてくるが、それについてはまったく無視されているように感じた。それから、訳のせいもあるのかもしれないが、文章が平易でないので、読みにくさのある本である。

以下は私なりのポイントの記録である。
[30周年記念版への序文]
・自然淘汰が作用する必然的に「利己的な」生命の階層構造のレベルは、種でもなく、集団(群)でもなく、個体でもなく、生態系でもなく、遺伝子である。

[1989年版へのまえがき]
・利己的遺伝子説は、ネオ・ダーウィニズムの論理的な発展である。

2.自己複製子
・今でこそ遺伝子と呼ばれるようになった自己複製子は、以前は海中を気ままに漂っていた。この40億年の間に、彼らはその自由を放棄し、外界から遮断された巨大なロボットに中に巨大な集団となって群がり、曲がりくねった間接的な道を通じて外界と連絡をとっている。われわれは彼らの存在機械である。

3.不滅のコイル
・遺伝子レベルでは、利他主義は悪であり、利己主義が善である。遺伝子は生存中その対立遺伝子と直接競いあっている。対立遺伝子の犠牲のうえに、遺伝子プール内で自己の生存のチャンスをふやすようにふるまう遺伝子は、その定義からして、生きのびる傾向がある。
・無性生殖に対立するものとしての有性生殖が、有性生殖の遺伝子を有利にするのであれば、これによって有性生殖の存在は十分に説明できる。その遺伝子が個体の残りの遺伝子すべてに役立つか否かということはあまり関係がない。

5.攻撃―安定性と利己的機械
・個体間の攻撃や戦いについて、おおくの議論がされている。コンラート・ローレンツは自著の「攻撃」の中で、動物の戦いは抑制のきいた形式的なものであるとしているが、その考えには反対している。ドーキンスは、数学のゲーム理論を利用した、J・メイナード=スミスが提唱している概念である、進化的に安定な戦略(ESS;evolutionarily stable strategy)の考え方に依拠している。この考え方によると、攻撃的なタカ派と逃げるだけで攻撃はしないハト派を設定すると、それら単独の戦略自体はどちらも進化的に安定ではない。それより、タカ派が12分の7、ハト派が12分の5の数になるとその個体群は安定な平衡状態になるという。

6.遺伝子道
・生存機械が利他的にふるまうかどうかは、ある個体の自分に対する近縁度をかけて危険(マイナス)と利益(プラス)について計算することでシミュレーションできる。何もしないことが正味の利益の得点を最高にする「行動」であるならば、モデル動物は何もしないだろう。
・溺れかかっている人間が野生のイルカに助けられたという話がよくある。これは、群れの溺れかけているメンバーを救うための規則の誤用だと考える。つまり、イルカは困っている近縁の個体を助けるようにプログラムされているのだが、そのプログラムが誤用されて、つまり対象を正確に認識できずに間違って人間を救ってしまうという解釈をしている。

8.世代間の争い
・人間の女性が中年期に唐突にその生殖能力を失ってしまう現象、つなわち月経停止の進化に関して考えうる一つの説明として、遺伝的に意図されたもの、すなわち何らかの適応である可能性を指摘している。高齢の母から産まれた子どもの平均寿命は、若い母親の子どもの寿命にくらべて短いことが予想される。そうなると子どもよりむしろ孫に投資したほうが有利になる。そのため、中年期に繁殖能力を喪失させるように仕向ける遺伝子が次第に増加したと考えられる。
・カッコウと里親の間にみられる争いなどを観察すると、子どもに詐欺行為をおこなわせる傾向をもつ遺伝子が、遺伝子プール内で有利さを示すことが考えられる。これは「子どもはごまかし行為をすべきだ」と表現されることになるが、人間的なモラルを引き出すとすれば、「私たちは子どもに利他主義を教えこまねばならない」ということになる。つまり、子どもたちの生物学的本性の一部に利他主義が組み込まれていると期待することはできないとしている。

9.雄と雌の争い
・雄と雌では遺伝子を残すために異なる戦略を取ることが多い。人間の女性は、たくましい雄を選ぶ戦略ではなく、家庭第一の雄を選ぶ戦略を採用していることが示唆される。一方、人間の男性には一般的に乱婚的傾向がある。ほとんどの人間社会は、一夫一妻制をとっているが、乱婚的な社会もあるし、ハーレム制にもとづいたような社会もある。この二つの傾向のいずれが他を圧倒するかは、遺伝子ではなくむしろ文化によって決定されていると考えられる。

10.ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう
・R・L・トリヴァースは、人間において他者をだます能力や、詐欺を見破る能力、だまし屋だと思われるのを回避する能力などを強化する方向にはたらいた自然淘汰が、人間に備わる各種の心理的特性-ねたみ、罪悪感、感謝の念、同情そのほか-を形成したのだと主張している。人間の肥大した大脳や、数学的にものを考えることのできる素質は、より込み入った詐欺行為をおこない、同時に他人の詐欺行為をより徹底的に見破るためのメカニズムとして進化した可能性も考えられる。

11.ミーム―新登場の自己複製子
・これまで、自己複製子として遺伝子について述べてきたが、新たな自己複製子として人間の文化をミームと命名している。それはまだ未発達な状態にあるが、すでにかなりの速度で進化的変化を達成しており、遺伝子という古参の自己複製子ははるかに後方に遅れているとしている。
・ミームと遺伝子は、しばしば互いに強化しあうが、ときには相対立することもある。たとえば、独身主義の習慣などは、遺伝子によって伝わるものではないだろう。宗教、とくに聖職者の中のミームとして説明されている。
・ドーキンスは、人間が自己の存在を利己的遺伝子に全面的に委ねるべきだと言っているわけではない。むしろ、純粋で、私欲のない利他主義は、自然界、そして世界の全史を通じて存在したためしがないが、私たちはそれを計画的に育成し、教育する方法を論じることができる、と述べている。
・本書の主要なアイデアは、W・D・ハミルトンの血縁淘汰理論からきている。彼の1964年の論文の被引用数を調べると年々増加していて、その科学的なアイデアはミームとして拡大しているといえる。

12.気のいい奴が一番になる
・政治学者のロバート・アクセルロッドは、気がいいか意地悪か、寛容か非寛容か、妬み深いかそうでないかといった戦略をコンピューター上で戦わせると、気のいい、寛容な、妬み深くない戦略が勝利することを示した。これは自然界にも適用できるという。
・人間の行う献血は、純粋な、利害にかかわりのない利他行動かもしれない。動物でも、チスイコウモリは似たような行動、つまり血にありつけなかった仲間に自分が吸った血を吐いて与えるという行動があるという。利己的な遺伝子に支配されていても、気のいい奴が一番になることができる例として挙げている。

13.遺伝子の長い腕
・ある遺伝子が、その生物自身の表現型効果を示すのと同様に、寄生した寄主の行動に影響を及ぼすことを「延長された表現型」効果とよんでいる。「延長された表現型」を示す激烈な例は、昆虫で見られる。例えば、コヌカアリ属の仲間は、ほかの種類のアリに寄生する。この寄生者のアリは、女王がたった一匹で別の種類のアリの巣に忍び込む。そして、寄主の女王を捜し出すと、その背中に馬乗りになって、頭を切り落とす。そのあと、孤児になったワーカーたちはなんの疑いも感じずに、彼女の卵や幼虫の世話をする。このワーカーの行動は寄生者にとって延長された表現型である。

書評「婦人画報 2016年1月号」

2019-01-12 11:52:20 | 書評(その他)


富裕層マダム向けと思われ、私には縁がない雑誌だったが、松任谷由実による金沢紹介が載っている号があるということを知り、中古品を購入した。

高校時代に、「よこしまな考えでしたが、ストーンズやピンク・フロイドなど、イギリスのロック・ミュージシャンにはアート・スクールに行ってた人が多かったので」金沢美術工芸大学を第一志望にしていたことが、金沢に惹かれるようになったきっかけだという。結局、金沢美大には入らなかったが、北陸放送のラジオ番組出演をきっかけに何度も金沢に来るようになったらしい。彼女の口から、イギリスのロックの話が出てくるのも予想外でおもしろかった。



さて、本特集には、松任谷由実が個人的に好きな金沢の街や店が、きれいな写真とともに16ページにわたって紹介されていて興味深い。全体に加賀友禅の着物の紹介が多かったが、下記のような場所や店が紹介されていた。

・浅野川 梅ノ橋
・主計町 暗がり坂
・松田和傘店
・料亭旅館 浅田屋
・加賀友禅 柿本市郎工房
・金沢中央味食街 とくに うまいぞいや哲(プログレ居酒屋)
・金沢工業大 PMC(ポピュラーミュージック・コレクション)
・松風閣庭園
・白山比咩神社
・しいのき迎賓館
・いしかわ赤レンガミュージアム
・オヨヨ書林
・金港堂(オーダーシャツ店)
・竹千代(割烹店)
・東出珈琲店
・松風園茶舗

学生時代に6年間金沢に住んでいた私でも、よくこれだけのところを知っているもんだと感心してしまった。
松任谷由実がプログレ好きというのも不思議な感じがするが、個人的には「うまいぞいや哲」に行ってみたいと思った。

妙蓮寺で除夜の鐘を撞く

2019-01-04 22:02:25 | 遺跡・寺社

昨年の大みそか、地元の妙蓮寺で除夜の鐘を撞いてきました(2018年12月31日~2019年1月1日)。


日蓮宗妙蓮寺は、妙蓮寺駅前の地元のお寺。
地の利を活かして斎場としてよく利用されています。
有名人の葬儀が行われることも多く、去年は桂歌丸さんの葬儀がありました。


鐘撞堂。
事前に整理券を取得した人たち(住職を抜いた107家族?)が並んでいます。
うちも整理券をゲットできたので並びます。


最初に住職が鐘を撞きます。


そして、一般の人たちが順番に撞いていきます。


うちの家族の順番になりました。
意外と軽い撞き棒をひいて、1、2、3(ハイ)のタイミングで撞きました。


寺の境内では、本殿への参拝や、お焚き上げも行われています。


お焚き上げの炎。
これで邪気を祓うということでしょう。


箱根・彫刻の森美術館

2019-01-01 15:53:04 | 美術館・展覧会
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、先日紹介した箱根の小涌谷観光の続きです。
千条(ちすじ)の滝に寄った後、彫刻の森美術館に行きました(2018年12月23日)。


彫刻の森美術館は、箱根登山鉄道の彫刻の森駅を下りてすぐのところにあります。


お昼時なので、まずは「彫刻の森ダイニング」でランチです。


ここは、窓からの眺めがいいのです。


シェフおすすめのスペアリブ。


子どもにはキッズプレート。


クリスマス・ランチを兼ねて、箱根七湯ビールで乾杯。


そして、小雨や霧という天候の中、彫刻の森巡りを始めました。
「マイ スカイ ホール(天への道)」井上武吉


「幸せをよぶシンフォニー彫刻」ガブリエル・ロワール


中に入ると、タワーがステンドグラスでうめつくされています。


階段で上に行くと、こわいくらい。


足湯。


「網目の球体」フランソワ・モルレ


ピカソ館。右のほうにあるオブジェは「歩く花」フェルナン・レジェ


ピカソ館に入ります。中は撮影禁止。
けっこうな作品数がそろっていて満喫できました。


ネットの森。


「おくりもの:未知のポケット2」堀内紀子
子どもはこのネットの中に入って走ったり、下にぶら下がったりして遊べます。


「偉大なる物語」ジュリアーノ・ヴァンジ


「交差する空間構造」後藤良二


「16本の回転する曲がった棒」伊藤隆道


「人とペガサス」カール・ミレス


「風韻」土田隆生


「眩驚-Ⅴ」土田隆生


「嘆きの天使」フランソワ=ザビエ、クロード・ラランヌ


館内の「彫刻の森研究所」に入ると、コンピューター仕掛けで遊びができるようになっていました。
これは、plaplax(近森基+久納鏡子+筧康明+小原藍)による「スタディ1:彫刻になってみる」という展示で、
台座に上がってポーズをとると、目の前のスクリーンに彫刻になった自分が映し出されるというものです。





彫刻の森美術館は、きれいな自然の中の広くて気持ちのいい美術館でした。
晴れていたらもっと爽快だったでしょうね。