wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ
(哺乳類進化研究アップデートはしばらくお休み中)

4月の港の見える丘公園~山下公園

2024-04-27 08:07:57 | 遊園地・公園・遊び場

家族のイベントがあったので、港の見える丘公園にあるカフェに行って、山下公園まで歩いてきました(2024年4月14日)。

 

みなとみらい線の元町・中華街駅で下りて、エスカレーターで上るとそのままアメリカ山公園に出ます。

 

今回は、公園や庭園の紹介が多いので、イギリスのエレクトリック・ポップ・バンド、デペッシュモードのマイ・シークレット・ガーデンをかけてみます。1982年の作品で、My secret garden is not so secret anymore.(僕の秘密の庭はもうそんなに秘密じゃないよ)と歌う曲です。

My Secret Garden (Remastered 2022)

 

アメリカ山公園から南に歩いて、スペイン風のアパートのある交差点を左折すると、

 

港の見える丘公園にあるKKRポートヒル横浜に着きました。国家公務員優待のホテルですが、

ここのカフェ&レストラン「山手ローズテラス」が目的地です。

 

ローズテラスに入る前に、港の見える丘公園の展望台を見てみます。

 

展望台広場から見たKKR。

 

花壇がきれいです。

 

展望台からの横浜港の眺め。

 

山下ふ頭から南極観測船しらせが離岸しようとしています。手前には解体中のガンダムファクトリーが見えます。

 

大さん橋にはクルーズ客船「セレナーデ・オブ・ザ・シーズ(293m、9万トン)」が停泊していました。10年ほど前まではよくクルーズ船ウォッチングをしていましたが、最近は行っていないですね。

 

ローズテラスに入りました。目的は、このイングリッシュ・アフタヌーンティーです。量が多いイメージがありましたが、昼食代わりに摂れば、サラッと食べられました。

 

よくできているローズジュレ。

 

ドリンクは飲み放題なので、ダージリン、写真のローズティー(香り良し)、アイスティー、セーデルティーといろいろ味わいました。

 

ローズテラスを出て、港の見える丘公園を散策します。神奈川近代文学館では橋本治展をやっています。学生時代にはまった作家なので、今度見に来ようかな。

 

フランス山地区を通って、山下公園に向かって下りていきます。

旧フランス領事館公邸遺構。

 

山下公園に来ました。水の階段。スペイン(ガウディ)風かな。

 

石のステージ(いちいちそんな名前を知っているわけではなく、あとで調べて書いています)。

 

山下公園ではなにかイベントをやっています。

セレナーデ・オブ・ザ・シーズ。今でもクルーズ客船を見るのはきらいじゃないですが、他のことに時間を使いたいというかんじです。


看取り犬「文福」はもう看取らなくなったのか?

2024-04-20 07:14:24 | 猫・犬

以前このブログで、ある老人ホームで飼われている「文福」というイヌが看取りをするというネット記事と、それについて詳しく書かれた本を紹介しました。イヌという動物の持つ強い共感力、死を理解している可能性、看取り行動という特殊な能力、そして単純にその存在の愛らしさから、文福の行動に注目してきました。その文福の最近の様子がネットで紹介されていたので、紹介します。それによると最近の文福は看取りをしなくなったようだというのです。

引用元:「殺処分寸前から幸せをつかんだ奇跡の看取り犬「文福」・・・もう看取り活動をすることはないのか?(ヨミドクター/2024年4月1日)

 

 


【引用初め~】

 ペットと暮らせる特別養護老人ホーム「さくらの里山科」で暮らす 看取みとり犬の「 文福ぶんぷく 」は、2012年4月、ホームの開設と同時にやってきました。まだ人間の入居者は誰もおらず、文福が“入居者第1号”でした。

 それから12年が過ぎました。文福は、自分と同じユニット(区画)で暮らす入居者の逝去が近づくと、その方に寄り添って最期を“看取る”という行動を取るので、看取り犬と呼ぶようになりました。“看取った”入居者は20人以上になります。「さくらの里山科」で、文福は、とってもすばらしい、そして、とっても尊い活動をしてきたのです。それはその生い立ちを考えると、奇跡のように思えます。

 2011年秋、文福は、捨てられるなどの様々な理由で引き取られた保護犬として、保健所(動物愛護センター)にいました。その時は、朝になると、犬たちは、収容されている部屋の壁が自動的に動き、隣の部屋へと追い込まれます。そうやって、1日ごとに、隣の部屋へ、隣の部屋へと移動させられ、最後の部屋が殺処分する部屋なのです。文福はその「処分部屋」の手前の部屋にいました。壁1枚隔てた隣から、死にゆく犬たちの悲鳴を聞いていたのです。

 幸運なことに、文福は殺処分される寸前で、動物愛護団体「ちばわん」に引き取られました。しかし、そんな幸運に出会うことのない犬は現在でも多数います。環境省のデータによると、2022年度の1年間で、犬の殺処分数は2434匹でした。なお、猫の殺処分数は9472匹です。1990年代には数十万匹が殺処分されていたことを考えると大きく減りましたが、人間から不要と見なされ、まだまだ多くの命が失われています。

 文福も13年前、まさに人間から必要のない犬と見なされ、命を奪われる寸前にいたのです。それを考えると、文福のこの12年間の日々はとても感慨深く感じます。そして、文福に心から感謝したいという気持ちが湧き出ます。

 文福は保護犬ですので正確な年齢はわかりませんが、ホームに来た当時の推定年齢は2~3歳でした。それから12年がたちましたから、現在は、推定14~15歳となります。中型犬の平均寿命を超えており、高齢犬になります。犬の年齢を人間の年齢に換算する方法はいろいろあるのですが、文福は人間だとおおよそ83歳になります。オスですので、日本人男性の平均寿命81.05歳と比べると、上になりますから、83歳はおおむね妥当かもしれません。

 そんな高齢犬になった文福ですが、まだまだ元気です。散歩の準備を始めると、大喜びで1メートルぐらいの大ジャンプを繰り返します。散歩に行けば、たったか軽快に歩きます。ホームのドッグランで放せば、すばらしいスピードで疾走します。盛大に土をまき散らしながら大穴を掘ったりもします。ご飯は、ものすごい勢いで一瞬で平らげてしまいます。

 それでも、やはり寄る年波には勝てません。つややかだった茶色の毛は、だいぶ白っぽくなり、色あせてきました。寝ている時間も大幅に増えました。つい1年ほど前までは、私にタックルするようにじゃれついてきて、プロレスごっこのようになったものですが、最近はすっかり鳴りを潜めてしまいました。胸をなでると身を委ねてきて、目を細めて気持ちよさそうにしています。その穏やかさがうれしくもあり、寂しくもあります。

 文福の看取り活動も、もしかしたら、だんだんとできなくなってきているのかもしれません。実は、3か月前、文福と同じ部屋で暮らしているパートナーさんである入居者の方が逝去された時、いつもの看取り活動をしなかったのです。

 文福の看取り活動は、通常、三つの段階を踏みます。まず入居者が逝去される1~3日前に、その方の居室の扉の前に座ってうなだれます。次の段階では、部屋に入り、ベッドの脇に座って控え、入居者のことを見つめます。最後に、ベッドに上がって寄り添って看取るのです。

 ところが、今回していたのは、ベッドに上がって寄り添うことだけでした。看取り活動以外の普通の時、文福はいろいろな入居者のベッドに上がりこんで、一緒に寝たりしていますが、それと別段区別がつかないような状態だったのです。

 同じ部屋で寝起きしているパートナーさんなので、他の入居者の看取りの時とは行動が違っていたのかもしれません。しかし、もしかすると、パートナーさんが逝去するのを文福が予測できなかったのかもしれません。

 私たちは、文福が入居者の逝去を予測するのは、においによるものだと推測しています。この推測が正しければ、文福は高齢のため、あまり鼻が利かなくなり、予測できなかったのかもしれません。あるいは、これからはもう、文福が看取り活動をすることはないかもしれません。

 もちろん、それは全然構いません。私たちは看取り活動に感動させられてきましたが、文福の価値は看取り活動にあるわけではありません。文福はこの12年間に20人以上の入居者を“看取って”きましたが、その何倍もの入居者を癒やしてきました。入居者も職員も文福の存在によって、どれほど慰められ、力づけられてきたか。

 いいえ、この言い方も正しくはありませんね。私たちは、文福が何かの役に立つことを期待しているのではありません。文福はそこにいてくれるだけでいいのです。犬や猫を飼っている人は皆同じでしょう。願わくは、文福の最期の時がまだ先でありますように。その時まで、穏やかに幸せに暮らせるよう、しっかりと守っていきたいと思います。と言いながらも、守られているのは私たちかもしれませんが……。

(若山三千彦 特別養護老人ホーム「さくらの里山科」施設長)

【~引用終わり】


 

高齢になった文福は、看取り行動をしなくなったかもしれないという報告でした。その理由として、高齢で嗅覚が衰えたため、入居者が亡くなる前の匂いが分からなくなったのでは、と推測されていました。もしそうだとすると、文福の看取り行動は、やはり人間の死というものを先取りして、わかって自覚的に慰めるということを行っていた可能性が高くなりますね。

人間には知的障害を持ちながら非常に人懐っこい性格になるウィリアムズ症候群という遺伝病があります。イヌはオオカミからの進化の過程で、そのウィリアムズ症候群と同じ遺伝子変異を獲得したと言われています。イヌは知的障害にはまったく見えませんが。文福の遺伝子はどうなっているのでしょうか。ウィリアムズ症候群に関わる遺伝子の変異はさらに大きくなっているのか。


僕の読書ノート「横浜・川崎・鎌倉凸凹地図」

2024-04-13 07:51:28 | 書評(その他)

 

もともと、その土地を散歩して気晴らしするのが好きだったが、近年は土地の高低や、川の流れを意識して歩いている。土地の高低が気になるようになったのは、中沢新一氏による「アースダイバー」の影響であり、川の流れが気になるようになったのは、岸由二氏や柳瀬博一氏による「流域思考」の影響である。土地がどのような形をしているか、そのまとまり方によって、生物の生態系や、人の社会・文化や精神性が形づくられるということである。そして、人の手によって開発された後でも、その痕跡や影響は残り続けるのである。

本書は、土地の高低が緑色から黄色へと色分けされており、傾斜のきついところは黒い影のように塗られている。また、川については支流や暗渠も含めて詳細に書かれている。城跡・古墳などの旧蹟や寺社もしっかり書かれている。一方、現在の建築物などはその名称の記載がかなり省かれていて、地形や歴史的遺物を見せることに特化している。したがって、本書をガイドとすることで、今までよくわからなかった川筋(暗渠)をたどることができたし、これからの散歩がとても楽しくなりそうである。

一点、難点をあげるとしたら、文字のフォントが小さいことである。おそらく本書を利用するような読者層は、シニアの方が多いと思われ、そうした人たちは老眼が進んでいる場合が(私も含めて)多いだろう。もう少し文字が大きかったら見やすかったのに、というのが一つ残念な点である。


足洗川を下流から上流までたどってみた

2024-04-06 07:37:56 | 横浜

横浜市神奈川区を流れる足洗川(すべて暗渠)を下流から上流までたどってみました(2024年3月24日)。

先日の散歩途中、大口1番街でたまたま見つけた足洗川。神奈川区には浦島太郎伝説が残っていて、浦島という地名もありますが、この足洗川は浦島太郎が足を洗ったという言い伝えから付けられた名前らしいです。菊名プールあたりから出ている謎の暗渠の存在には前から気がついていたのですが、最近「横浜・川崎・鎌倉凸凹地図」という強力な資料を入手して、この暗渠が足洗川であることが判明しました。それで「横浜・川崎・鎌倉凸凹地図」をガイドにして、足洗川を下流から上流までたどってみました。書籍「横浜・川崎・鎌倉凸凹地図」については、そのうちレビューします。

 

入江川の下流部です。足洗川は入江川の支流になります。

 

入江川近くにある一之宮神社。奥にあるけっこう長い階段を上っていくと社にたどり着く、俗から聖へと世界が変わる感覚を味わえる、おもむきのある神社です。

 

一之宮神社のあるあたりに足洗川の入江川への合流口があります。それは、こんな下水管の出口だったので、ちょっとがっかりでした。浦島太郎の由緒ある川なのに。

 

足洗川の出口の上は子供の遊び場になっています。

 

そこから上流にたどっていきます。完全に暗渠化していますが、昔の川筋のままなんでしょうね、このように蛇行しています。

 

JR横浜線の線路下を通るところが、ゴミ収集場所となっています。近づくとガサゴソ音がするので、おそらくラット(ドブネズミ)がいるのでしょう。ドブネズミとはよく付けた名前です。下水道などに生息しているのですね。

ゴミ収集場所の裏側には、このように水路のトンネルが確認できます。

 

横浜線の反対側はこうなっていて、大口1番街のところに石碑が立っているわけです(2024年1月7日撮影)。

 

大口1番街を横切って上流側に進みます。

 

ガイドを見ると、奉斎殿という相議場の下か左あたりを通っていることになっていますが、目印になるものはありません。

 

国道1号線を横切って、この路地を入っていきます。

このあたりは大口商店街の裏になります。

ここで、右に曲がります。

 

まっすぐ進むと、聖徳保育園の下を通ることになります。

 

大口商店街から少し路地を入ったところからの撮影です。写真では左の保育園のほうから曲がって、写真の前方に進むようです。この写真を撮っていたら、「てんだあ」という喫茶店の前にいた男性に「なんですか?ここは私有地なんだけど」と怒られてしまいました。俺の縄張りで何やってんだ?的な威圧を感じたので、謝って早々に退散しました。

 

ここが堀の跡のようになっていますが、ものすごく荒れています。

下流側。土が入って、木も生えています。この地中に川があるのではと想像します。

 

上流側。堀の上に民家が建ち、ゴミ捨て場のようになっています。このあたりはやばい感じです。

 

先ほどの荒れ地から出て、おそらくこの小道を通って、

 

この通りの、歩道の下を通り、

左折すると、小さな橋の欄干のようなものが残っています。ここを川が流れていたことの明確な証拠ですね。

なぜか、工事中の柵に囲まれていて、立ち入り禁止になっています。この民家の並びをぐるりと周って、

非常に古い家屋が残っていて、そこのひさしの下を暗渠が通っています。

 

ここから住宅街の道路がずっと続きます。ここは、以前から暗渠だろうと目を付けていたところです。右側が車道で、左側が暗渠で、上に植物が植えられています。おそらく、暗渠の上は構造的に弱いので、車を通さないようにするため、このような形になっているのではないかと想像しました。

綱島街道を越えます。

東京電力の子安変電所。

 

道路を越えて、暗渠は道の左側から、右側に変わります。

ここの家は少し暗渠の上にはみ出していますね。

 

通りにぶつかって、暗渠は右方向に、

そして、左の小道に入っていきます。

 

左は白幡小学校。右側が暗渠で、左側が元からある歩道のようです。間をコンクリートの壁がさえぎっているところを見ると、もともと川べりの壁であったようすが目に浮かびます。

 

また、道路を越えて、

 

東横線のところまで来ました。

暗渠は線路下を通って、反対側に出てきます。

 

旧綱島街道を越えて、左斜めに入っていきます。

 

仲手原二丁目公園の中をつっきっていきます。

左に港北保育園があります。

 

ここは小さな側溝みないなのが外から見えます。

足洗川と確認できる跡はここで最後です。この北側は少しずつ高くなっていて、その先に行くと、

 

菊名池弁財天があります。小さな神社ですが、1000年以上の歴史があるそうなので、平安時代頃の創建でしょうか。そして1964年(私の生まれ年)に再建されたといいます。

その北側は、菊名池公園プールとなっていますが、昔は今より大きかった菊名池の南半分がありました。そういうことで、足洗川は旧菊名池から流れ出ていたのではないかと想像されます。プールにかかる赤い橋は、竜宮城を連想させました。

51枚の写真で、足洗川の下流から上流までを追ってみました。