wakabyの物見遊山

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(哺乳類進化研究アップデートはしばらくお休み中)

僕の読書ノート「進化生物学者、身近な生きものの起源をたどる(長谷川政美)」

2024-03-30 08:53:24 | 書評(進化学とその展開)

 

イヌやネコはどんな動物から進化してペットになったのか、他にも身近に見られる生物たちが何から進化してきたのか、そうした生きものたちの起源を現代の進化生物学の知見からわかりやすく解説している本である。そのような本はこれまで意外と少なかった。近年は、古代種のDNA解析がヒトにとどまらず様々な動物で行われているので、そうした知見がどんどんたまってきているのだ。しかし、研究の難しい深いところには入っていかないので、とても読みやすく、スラスラと一気に最後まで読める。また、著者の長谷川政美氏は、「系統樹マンダラ」という新しい系統樹の書き方を考案した方でもある。これまでの系統樹では、生物の進化の流れが左から右へや、上から下へと一方向に向かって書かれていたが、系統樹マンダラでは、進化の流れが円の中心から周囲に放射状に広がっていく書き方をしている。そのため、生物の写真が円周に沿ってたくさん並べられるというメリットがある。私は、哺乳類の中の真獣類の系統樹マンダラのポスターを部屋に貼っている。その系統樹マンダラが本書ではふんだんに使われている。

では、私がとくに注目したところを下記に記しておきたい。

[イヌ]

・イヌはハイイロオオカミと同じ種である。だから学名は、どちらもCanis lupusであるが、イヌはハイイロオオカミの亜種なので、Canis lupus familitarisとよぶ。柴犬やゴールデンレトリバーなど「犬種」は違っても、学名は同じCanis lupus familitarisとなる。

・ハイイロオオカミはユーラシア大陸全域から北アメリカまで広く分布する。その分布域のなかのどこで犬は進化したのだろうか。現在日本にはハイイロオオカミは分布しないが、かつてはハイイロオオカミの2つの亜種がいた。本州、九州、四国に分布していたニホンオオカミ(Canis lupus hodophilax)と北海道のエゾオオカミ(Canis lupus hatari)である。ニホンオオカミは1905年、エゾオオカミは1899年に絶滅したとされている。総合研究大学院大学の五條堀淳と寺井洋平らのグループは、ニホンオオカミの古代DNA解析から思いがけないことを発見した。彼らは19世紀から20世紀初頭に生きていたニホンオオカミ9個体の全ゲノム解析を行ない、世界中のハイイロオオカミのなかで、ニホンオオカミがイヌにもっとも遺伝的に近いことを明らかにしたのである。この結果は、イヌの起源が日本だったということを示すわけではない。たぶん東アジアにいたハイイロオオカミの集団からイヌ系統が生まれ、この集団あるいは近縁な集団が日本に渡ってニホンオオカミになったのだろう。東アジアの大陸にいた祖先集団はその後に絶滅したと考えられる。

・イヌと判定できる初期の化石は、東ユーラシアのロシア・アルタイ地方で見つかったおよそ3万3000年前のもので、イヌの起源が東アジアであるという説と符合する。ヒトが農耕を始めたのは、最終氷期が終わった1万2000年前以降とされているが、イヌの家畜化が起こったのは、農耕が始まる以前の狩猟採集の時代だったのだ。現在のイヌの品種の多くは、デンプンを分解するアミラーゼという酵素の遺伝子数がハイイロオオカミに比べて多くなっているが、これは農耕が始まって、ヒトの出す残飯を処理するようになってからの適応進化の結果だと思われる。

[ネコ]

・ネコ(Felis silvestris catus)は野生のヨーロッパヤマネコ(Felis silvestris)の一亜種であるリビアヤマネコ(Felis silvestris lybica)が家畜化されたものである。

・ヨーロッパ、アジア、アフリカなどの各地で発見された、およそ1万年前以降のさまざまな年代にわたる352個のネコのサンプル(骨、歯、皮、体毛など。エジプトのミイラも含む)についての古代DNA解析が行われた。8500年前以前は、リビヤヤマネコ由来の遺伝子をもつネコは、メソポタミアやエジプトを含む「肥沃な三日月地帯」でしか見つからないが、この時代以降になると、アジアの広い地域やヨーロッパでも見られるようになる。また、2800年前以降にはアフリカの広い地域でも見られる。肥沃な三日月地帯は、野生のリビアヤマネコの分布域であり、最初に農耕が始まったところでもある。このようなところで、ネコの家畜化が始まり、その後、世界中に広まったのである。

[ウマ]

・ウマはヒトの移動や物資の輸送に大きな役割を果たし、さらに軍事的にも重要なものであった。ウマは人類の歴史がグローバル化するきっかけを与えたともいえる。家畜のウマ(Equus ferus caballus)は、タルバン(Equus ferus ferus)が家畜化された亜種である。

・フランス・ボールサバチエ大学のルードヴィック・オルランドらのグループは、ユーラシア各地の古代遺跡で見つかった273個体のウマの骨について、ゲノム規模の古代DNA解析を行なった。中央アジアのステップで栄えたボタイで生まれた家畜ウマは、その後、西ユーラシアステップのヴォルガ川とドン川に挟まれた地域(現在ロシア)で紀元前2700~2000に生まれた新しいタイプの家畜ウマに置き換えられてしまったことが明らかになった。オルランドらはこの新しいタイプのウマを「DOM2(Modern domesticates 2)」と呼んでいる。他の地域でもDOM2への置き換わりが進み、現在のウマはすべてDOM2になっている。

・オルランドらのグループは、DOM2のウマのGSDMCとZFPM1という2つの遺伝子が、強い人為選択を受けていることを明らかにした。GSDMCに対する選択圧は、強靭な体力のウマをつくり上げるこちに貢献したと考えられる。ZFPM1のほうは、感情の制御に関与する遺伝子と考えられており、乗馬などを可能にする形質として重要だったと思われる。ボタイ文化のウマなど古いタイプの家畜ウマに比べてDOM2は、これら2つの点で家畜として優れていたために、置き換わったのであろう。

[スズメ目]

・鳥類はおよそ1万種を擁する大きなグループであるが、スズメ目はその半分以上の6200種を擁する。スズメ目だけで哺乳類全体の種数を超えるのである。鳥類の目のあいだの分岐は、非鳥恐竜が絶滅した6600万年よりも少し後だった。スズメ目は、オウム目とおよそ6200万年前に分岐したと推定される。このことは、非鳥恐竜や翼竜の絶滅に伴って空席になったニッチを埋め合わせるように、鳥類の急速な種分化が起こったことを示している。同様のことは、哺乳類の進化でも見られる。

・スズメ目やオウム目も含む新顎類の多くのグループの共通祖先は、およそ7000万年前に南アメリカにいたと考えられている。この頃の南アメリカは、ゴンドワナ超大陸の分裂が進んでいたが、まだ南極を通じてオーストラリアとも陸続きになっていた。その頃の南極は温暖な気候で緑の植物に覆われていた大陸であり、鳥類が分布を広げる回廊の役割を果たしていた。スズメ目とオウム目の共通祖先は、この回廊を通って、オーストラリア区に到達したと考えられる。有袋類もその頃同じルートを通って、共通祖先が南アメリカからオーストラリアに到達したのである。

[ハラタケと酸素]

・石炭紀には枯れた木はそのまま地中に埋もれて石炭になったが、次のペルム紀(2億9900万~2億5200万年前)になると、リグニンの分解により枯れた巨木の分解が次第に進むようになり、分解された物質を次の世代の生き物が利用できるようになった。物質循環が起きるようになったのである。リグニン分解能を進化させたのが食用キノコや毒キノコを含むハラタケである。

・ところが酸素の欠乏という大きな問題が起こった。木の分解は酸素を消費して二酸化炭素を生み出す。そのために、ペルム紀の後半から、地球大気の酸素濃度は減少し始めた。古生代はペルム紀で終わるが、酸素分圧の割合は、ペルム紀の前半の30パーセントから、次の中生代三畳紀には15パーセント、さらに続くジュラ紀には12パーセントにまで極端に減少してしまった。われわれ哺乳類の祖先である単弓類は、まだ酸素が豊富だったペルム紀の前半に繫栄した。その後、酸素濃度が減少すると、高酸素濃度に適応した単弓類にとって行きにくい時代になり、単弓類は次第に絶滅していった。代わって登場したのが恐竜であった。恐竜やその子孫である鳥類は、独自の呼吸法を進化させたのである。彼らは気嚢による呼吸法を進化させて酸素と二酸化炭素の交換を効率的に行えるようになった。恐竜の繁栄の期間、単弓類は夜行性の小さな動物として過ごすことになる。

[性選択説]

・ダーウィンの「自然選択説」は次第に受け入れられるようになったが、最後までなかなか受け入れられなかったのが「性選択説」であった。メスの選り好みが進化の原動力になったという考えには、多くの抵抗があったのだ。ところが1915年になって、集団遺伝学者で統計学者でもあったロナルド・エイマー・フィッシャーが、ダーウィンの考えが理論的に成り立つことを示した。

・フィッシャーによると、クジャクの長い飾り羽根は二段階で進化したという。第一段階では、オスの健康度の証として、少しでも立派な長い飾り羽根がメスに好まれるようになる。そのようなメスの選り好みは、健康な子供を残す傾向を生むので、自然選択の結果として進化する。このようなメスの好みがいったん進化すると、自然選択では制御できない第二段階に入るのだ。長い飾り羽根のオスとそれを好むメスのあいだに生まれた子供の中には、オスに長い飾り羽根を与える遺伝子と、メスに長い飾り羽根の配偶者を選択する遺伝子の両方が存在する傾向がある。オスとメスのこれら2つの形質は独立ではなく、相関をもつようになるのである。いったんそのような相関が生じると、正のフィードバックが生まれる。長いオスの飾り羽根を好むメスが増えると、長い飾り羽根のオスが増えるとともに、それを好むメスもさらに増えるのだ。こうなると、そのような選り好みをしないメスの産むオスの子供は、次第に繁殖相手として選ばれないようになる。最初は健康度を測る指標だったオスの長い飾り羽根は、自然選択の対象である適応度とは関係なく、どんどん進化するのだ。

[浮島に乗った漂着]

・海流は、生き物が分布を広げるうえで重要な役割を果たす。しかし、植物と違って泳げない動物の場合は、浮島に乗った漂着という方法がある。浮島の中には幅数十メートル、長さ数百メートルもあって、それに乗った動物の食料となる果実を実らせるような気が生えているものもある。日本ではそんな大きな浮島が海に流出できるような川はないが、大陸ならば実際にあるのだ。例えば10年に一度の大雨で、動物を乗せた大きな浮島が海に流出したとする。このようなことが100万年にわたって繰り返されたとすると、10万回の漂流があったことになる。このようなたくさんの試行の中の1回でも新天地への漂着に成功したならば、その後の進化の歴史は大きく変わることになる。例えば、およそ3500万年前に起こったと考えられる、アフリカから南アメリカへの新世界ザルの祖先の移住は、そのような方法が想像される。

[進化論と進化学]

・生き物たちの進化を捉えるには多面的な見方が必要である。進化の研究は「進化論」ではなく「進化学」でなくてはならない、という考えがある。確かに証拠こそ科学の基礎であり、これにもとづかない思弁的な議論は無益だが、証拠の羅列だけでは進化を理解したことにはならない。証拠を統合する「議論」や「解釈」が重要である。


僕の読書ノート「哺乳類学(小池伸介,佐藤淳,佐々木基樹,江成広斗)」

2024-03-16 08:17:51 | 書評(進化学とその展開)

 

哺乳類学の日本語の教科書としては約20年ぶりの著書になるらしい。内容は、いい意味でもそうでない意味でも、「日本の」哺乳類(学)の教科書である。日本の哺乳類についてどういうことが知られているのか、どういう研究が行われているのかということが中心に書かれているので、世界的な研究動向といった視点での記載ももちろんあるが、比較的少ない印象である。構成は、進化、形態、生態、保全の4部に分かれていて、それぞれがその分野の専門家によって執筆されている。進化と生態はそれなりに興味深く読めたが、形態と保全は読むのに苦労した。こうした分野はどうしても、事実や概念の記載や整理にとどまり、実例などの紹介が少ないため、どうしても無味乾燥に感じられてしまうが、教科書なのだから仕方ないといえばそれまでである。

それぞれの分野ごとに、私なりのポイントを以下に記録しておく。

[序章]

・「哺乳類とはなにか」という問いに対しては、「大きな脳を持つことで賢く生き、移動可能で、多くの食物を摂取する、親などからの愛のなかで成長する生物」とまとめている。

[Ⅰ 進化]

・哺乳類の分子進化、あるいは分子退化を理解するうえで重要なメカニズムは、自然選択、中立進化、偽遺伝子化(もともと機能していた遺伝子が機能を失い、そのような突然変異が多く見られるようになった遺伝子のことを偽遺伝子と呼ぶ)である。

・ニッチとは、時間・空間・栄養などの資源に関する生物の要求のことである。資源の有限性のなかにおいて同所性を達成するためには、ニッチ分割が必要になる。そのようなニッチの違いは、基本的には2種の歩んだ進化の道のりが長くなればなるほど大きくなる。逆にいうと、近縁な種間ではニッチが類似することで競争が起こり、どちらか1種が排除されるか(競争排除)、生物学的特徴を変化させること(形質置換)により共存に至るかのどちらかであろう。

・生態的に分化した種間でニッチが分割されることにより、日本列島において共存している事例も存在する。これは、ニッチの重複しない種が選別されて新天地で受け入れられる種選別というメカニズムが働いたとみることができる。たとえばリス科で見ると、同所的に生息する種は別種に分類され(系統的に遠縁)、移動様式(ニッチ)も異なる。つまり、北海道では、滑空性のタイリクモモンガ、樹上性のキタリス、地上性のシマリスが生息し、本州以南では、滑空性の二ホンモモンガとムササビ、そして樹上性の二ホンリスが生息する。これらの属には漸新世から中期中新世という約1500万年から3000万年の進化史が反映されている。

・地史(例えば日本列島の大陸からの分離や列島内の分断)は上記の競争排除の2つのメカニズムで説明できない不在(そのニッチに生息する種がいない)はどのように説明すべきであろうか。気候帯に代表される物理・化学環境への不適合の可能性、「非生物的環境が適合しないから生息していないのだろう」という解釈は、どの不在にも適用可能ないわばワイルドカードである。

・ゲノムの海のなかから、自然選択に関わる表現型の原因となる遺伝子変異をあぶりだすことができる時代になった。具体的には、中立説での予想から説明することができないことを指標として自然選択を検出する。

・集団サイズが小さいと中立突然変異が集団に固定されるまでの時間が短くなるため、次々と新しい変異が集団内に固定される。その結果、合祖(2つのアリルが過去にさかのぼり1つの祖先にたどり着くこと)間の時間間隔は短くなる。反対に、集団サイズが大きいと合祖間の時間間隔は長くなる。このような理論のもとで、1個体のゲノムから多くの合祖時間をサンプリングすることができるため、時間の経過にともなう過去の集団サイズの変動を推定することができる。この手法のことを、PSMC(pairwise sequentially markovian coalesent)法と呼ぶ。

・あらゆる環境中には、生物の傷ついた組織、皮膚、毛、唾液、粘膜、糞など、生物の痕跡が存在するため、環境サンプル中に含まれる生物のDNAを分析することで、生物を実際に手にすることなしに在不在を知ることができる。このような手法のことを環境DNA分析という。とくに、次世代シークエンサ―の登場により、環境サンプル中の複数の生物由来のDNAを同時に分析することのできるDNAメタバーコーディング法が開発されたことで、調査地の生物相や生態系における食物網をはじめとした生物間相互作用に関する研究がさかんに行われている。

[Ⅱ 形態]

・鯨類の頸椎の数はほかの一般的な哺乳類と同様に7個であるが、多くは頸椎が癒合しており、頸部の運動性は抑制されている。魚類には頸椎は認められず、両生類になって初めて1つの頸椎(環椎)が出現する。陸上生活では頸部の可動性は獲物の捕食や天敵からの回避などに重要な働きを持つが、水中では可動性を持った長い頸椎(頸部)は、水の抵抗を増大させ、その結果、体幹前部の安定性を失わせる結果となる。魚類に頸椎がないことを考えれば頸部を短くし、癒合によって体幹前部の可動性を制限することは、二次的水生適応として効率的な遊泳を追求するためには理にかなったことかもしれない。

[Ⅲ 生態]

・ほかの生物種に対してではなく、環境を物理的に改変することによって、非生物的環境にも影響する生物種のことを生態系エンジニアと呼ぶ。ニホンジカの採食によって、林床食性の衰退が進み、植生や落葉落枝による土壌表面の被覆が失われると、土壌養分の変化や雨滴衝撃・土壌移動などを通じて表層土壌が流出するとともに、植生衰退がさらに加速するという悪循環が生じる。このようなニホンジカの採食行動により環境が変化していく過程は、シカが生態系エンジニアであることを示している。

・景観とはさまざまな種類の生態系など、異質な要素によって構成される土地の広がりである。景観における空間の単位には、比較的均質な環境が、異質な環境に囲まれた点または島状の広がりであるパッチ、線あるいは帯状の広がりであるコリドー、これらを取り囲む広がりであるマトリクスがある。パッチを好んで生息する種において、パッチどうしが、その種が生息はできなくても移動に利用することができる植生などの要素でつながっている場合、その要素はコリドーとして機能する。コリドーは都市のように動物の生息地パッチが孤立しているような景観に生息する種や、長距離移動を行う種にとっては重要な景観要素となる。

[Ⅳ 保全]

・以前は、種や生息地の保存が叫ばれてきたが、近年は保存から保全へと変化していった。保存と保全には思想的背景に大きな違いがある。保存は対象そのものに内在的価値を認め、その価値のために対象を保護することである一方で、保全は「人のため」に対象を保護することと定義される。また、対象を保護する手段として、人為介入や利用を許容しないものを保存、許容するものを保全と区別することもできる。こうした理解にもとづくと、哺乳類学における保全とは、「人のために哺乳類をよりよい状態に調整すること」と定義できる。

・ある保全に対する「最適解」を一般的に設定することはできない。たとえば、農家から害獣として認知され、地域からの排除が保全の目的とされる現場でも、個体数の維持・回復を保全の目的と考える市民もいる。「正しい」目的を1つに絞ることは容易ではない。そのため、多様な目的が提示された現場では、保全をめぐり対立の構図が顕在化する。

・日本で問題化しているニホンジカは、海外でも外来種として被害を生んでいるようだ。すでに定着した外来種が、後に導入される外来種の定着や拡散を手助けする相互作用を持ち、在来種からなる群集が外来種からなる群集へと加速度的に変化する現象を、侵入メルトダウンとよぶ。その例として、アイルランドにおけるニホンジカとセイヨウシャクナゲの外来種間相互作用があげられている。アイルランドでは、地中海沿岸から観賞植物としてセイヨウシャクナゲを1763年に導入した結果、在来の低木植物が大幅に減少していった。一方で、1860年に日本から導入されたニホンジカは、在来のアカシカを追いやっていくだけでなく、その高い採食圧により在来植生を次々と消失させていく。ニホンジカに改変された環境はセイヨウシャクナゲの発芽場所として適しているだけでなく、繫茂したセイヨウシャクナゲはニホンジカの排除を困難にする隠れ場として機能するという相利共生が確認されている。

・外来種もパートナーとして許容する新奇生態系という新たな選択肢もある。外来種の導入などにより、生態系レジリエンスを超える攪乱が生じた場合、人為的な管理努力によっても、攪乱以前の生態系の平衡状態を復元することは容易ではない。新奇生態系は、新たな平衡状態を持ち、人による干渉なしで自律できる系である。こうした新たな系を社会が許容することで、生物多様性保全のための実装可能なオプションを増やすことができるとされている。


僕の読書ノート「看取り犬・文福 人の命に寄り添う奇跡のペット物語(若山三千彦)」

2024-02-17 08:05:38 | 書評(進化学とその展開)

 

老人ホームで亡くなる方を看取る犬がいるというネット記事を読んで、調べてみたらその犬「文福」について書かれているこの本に行きつき、中古ですぐ購入した。新品は品切れのようだ。文福という犬の行動、とくに共感力についての貴重な記録として読ませてもらった。「文福」だけでなく、ホームにいる他の犬や猫たちの愛情深い、死に行く人に対する共感的な行動についても書かれている。横須賀市にある特別養護老人ホーム「さくらの里山科」は高齢者が犬や猫と共生できるホームである。そこの理事長である若山三千彦さんが、登場人物を偽名にして、自ら第三者の立場をとって書いた本である。犬や猫が飼い主や自らの死を理解できているのかどうか科学的に証明するのは難しいが、死を理解できている可能性を示唆するような行動は観察できる。特筆すべき、犬と猫が自らあるいは人が死に向かうときに示した行動を下記に記しておきたい。まるでフィクションのような話が出てくるが、れっきとしたノンフィクションである。

[犬の文福のケース]

・文福は保護犬、つまり保健所で殺処分予定だった犬である。死の寸前で、動物愛護団体の「ちばわん」に救われたのだ。...明日はもう生きられない。それを察知した文福の顔は暗くひきつっていた。その瞳には絶望の色が浮かんでいた。...そんな悲惨な体験を持つ文福が、今は献身的に高齢者を看取っているのだ。...おそらく文福は、人に見捨てられ、ひとりぼっちで死の淵に立ったからこそ、死に向かい合う不安を理解しているのだろう。

・いつも元気いっぱいの文福は、その陽気さと、最高の笑顔が入居者に愛されている。普段は寂しそうな様子を見せることはないが、看取り介護の対象者に寄り添うときは切なそうな表情を浮かべる。...逝去される3日前に、部屋の扉の前で項垂れていた。半日間扉の前にいたあと、部屋に入り、ベッドの脇に座って入居者を見守っていた。逝去される2日前にベッドに上がり、入居者の顔を慈しむようになめ、そこからはずっと寄り添っていた。その次の方も、さらに次の方も、文福がベッドに上がり、顔をなめて、寄り添い始めてから2日以内に逝去された。

・文福は看取りをすると、そうとうエネルギーを奪われるらしい。逝去された入居者に2日間寄り添っていた文福は、疲労困憊、とまではいかなくても、かなり疲れた様子だった。ここで職員として仕事を始めたばかりの田口は、大きなミスをして深く落ち込んでいた。膝に顔を伏せてすすり泣いていた田口は、隣からやさしい感触が伝わってきて、顔を上げた。文福が寄り添うように座っていた。ついさっきまで疲れてケージのなかで寝ていた文福が、いつの間にか隣に来ていたのだ。コトリともたれかかるようにして、田口の肩に頭を載せてきた。...文福は人の気持ちを察する天才だった。多くの職員が文福に励まされていた。多くの入居者が文福に慰められていた。文福の人に寄り添う力も、ささやかな奇跡と言えるかもしれない。

・もともと上品な人だった入居者の江川さんは、認知症に進展によって攻撃的な性格に変化していた。江川さんは文福を罵り続けた。寝たきりであっても、いつも険しい顔をして、目が血走っていた。江川さん自身が苦しそうだった。不幸そうだった。しかし、それでも文福は江川さんに寄り添い続けた。どんなに邪険にされても寄り添うのをやめなかった。職員たちはその後長いあいだ、このときの文福の様子を不思議がっていた。一体あのとき、文福はなにを考えていたのだろう。なぜ怒鳴られても江川さんに寄り添っていたのだろう。そして文福の一途さは、小さな奇跡を起こしたのである。「ごめんねー、文福。殴ってごめんねー」江川さんが、弱々しく腕を持ち上げると、懸命に文福を撫でようとしたのである。その瞳からは涙があふれていた。「ワンッ」文福は大喜びで吠え、江川さんの枕元ににじり寄ると、ペロペロと顔をなめた。

[末期がん患者の伊藤さんと飼い犬チロのケース]

・伊藤さんの最期のとき、伊藤さんは時おり目を開き、そこにチロがいると安心して微笑んだ。血圧が危険なほど下がっても、食事がとれなくなっても、伊藤さんはチロに微笑みかけていた。そうして、静かに静かに、生命の炎は燃え尽きようとしていた。...「・・・チロ・・・」声にならない小さな声で、しかし、確かに呼びかけた。枕元に座っていたチロは、そっと伊藤さんの顔をなめた。伊藤さんはかすかに微笑んだ。微笑みながら天に旅立っていった。望みどおりチロに看取られながら。「くぅーん」チロはわずかに声を上げて、伊藤さんの顔をやさしくなめていた。いつまでも、いつまでもなめ続けていた。

[テンカンを持つ保護犬アラシともっとも気にかけてくれた認知症の山田さんのケース]

・多臓器不全症でアラシが亡くなる前日の夕方、ケージのなかで寝ているアラシの名前を呼んで、山田さんが手を伸ばすと、アラシは精いっぱいの力を振り絞ってケージから這い出てきた。そして山田さんの手に頭をこすりつけた。何度も、何度も頭をこすりつけた。それはまるで、山田さんにお礼を言っているように見えた。翌朝、アラシは山田さんの腕のなかで静かに息を引き取った。最期まで幸せそうな顔だった。「アラシや」山田さんはアラシを抱きしめて嗚咽していた。

[看取り活動をする猫トラのケース]

・保健所から保護された猫トラは持病の肺炎のためいつも鼻水を垂らしていて、目やにもひどかった。人間が大好きなトラは、見学者が来ると喜んで足元にすり寄っていく。そして、ひとりひとりの脚に身体をこすりつけて歓迎の挨拶をする。皆これだけで心を鷲掴みにされてしまう。ペットセラピーの専門家が見学に訪れた際、トラと入居者の様子を見て感嘆して言ったものである。この子はどんな訓練を受けたセラピードッグもかなわないアニマルセラピーを行っていると。

・トラに看取られることを希望していた認知症の斉藤幸助さんは、猫に囲まれる老春の日々を数年間謳歌したのち、逝去された。亡くなる3日前、もう起き上がることができない斉藤さんのベッドでは、トラが寄り添っていた。斉藤さんはとっても満足そうな顔をしていた。かねて切望していたとおり、トラに看取られて天国に旅立ったのである。斉藤さんだけではない。2の3ユニット(猫が共生するエリア)で入居者が逝去されたときには、必ずトラが寄り添っていた。トラは文福と同じような、看取り活動をする猫だったのである。

・ただし、トラの不思議な力は、文福とは少し異なっていた。入居者が逝去される場合だけでなく、一時的に弱って寝込んでいる場合も必ず寄り添うのである。結果として、逝去されるときにも寄り添うことになるのだ。文福は入居者が亡くなることを察知する力を持っており、その最期を看取る活動をしている。それに対してトラは、入居者が弱っていることを察知する力を持っており、弱っている人には寄り添って癒やす活動をしているのだ。文福は看取り犬で、トラは癒やしネコなのだ。

・何人もの入居者を癒やし、看取ってきたトラも、ついに自分が看取られる時が来た。トラが最期を迎えようとしていたとき、猫たちの世話をしていたユニットのリーダーの安田は休暇を取っていて不在だった。安田は電話でホームに呼ばれた。「トラ、もうすぐママが来るからね。ママが来るまで頑張るんだよ」トラはわずかに目を開けて、小さな声でニャアと鳴いた。遠方に出かけていた安田が駆けつけてきたのは深夜だった。安田がベッドに駆け寄ると、もう動く力もなかったはずのトラが立ち上がって安田にすがりついた。「トラ、トラ―!」安田は泣きながらトラを抱きしめた。その腕に入居者の中村さんが手を添えて一緒に抱きしめた。そのままトラは、ふたりの腕のなかで静かに息を引き取った。


僕の読書ノート「共感革命:社交する人類の進化と未来(山際壽一)」

2023-12-09 08:04:32 | 書評(進化学とその展開)

 

これはレビューするのが難しい。読む前の期待が大きすぎた。京大霊長類学派は、近年の不祥事で評価がガタ落ちしてしまったが、知名度も高く良識ある山際氏がそれをどれだけ挽回してくれるのか?「共感」はまさに諸刃の剣で現代において重要なキーワードだと私も感じていたので、どれだけ素晴らしい科学的論理展開を示してくれるのか?そのような過剰な期待があったので読んでみたのだが、申し訳ないが期待ほどではなかった。書かれていることはまっとうなことも多いのだが、私のような偏屈な人間には物足りなかった。

何が物足りなかったかというと、著者のあたまの中にある記憶や思いをそのまま、口述筆記のように書いているだけなのである。そういう文章でも通用するのは養老孟司氏のような限られた思索家だけだ。科学者の文章ではない。山際氏は科学者なのだから、論文や本からトピックスを引用、説明して緻密な論理構成を組み立ててほしかった。それが科学者が書いた本の説得力でもあるし、醍醐味でもある。本書は、そういう労力をかけずに楽して書いている感じがするのだ。また、主題である共感についての心理学的な考察がないし、そもそも定義が正しくないように思える。例えば、「共感は相手に共鳴し、相手の気持ちがわかることを指す。英語で共感は「エンパシー」で、同情は「シンパシー」になる。シンパシーは共感の上に成り立つものだ。進んで自分から助けることが相手のためになる、とわかっていないと成立しない」と書いているが、逆じゃないだろうか。先にシンパシーがあって、その上にエンパシーが発達してきたというのが動物進化の流れではないだろうか。

気を取り直して、有用に感じた内容もあるので書きとめておきたい。

・ユヴァル・ノア・ハラリは「サピエンス全史」で、ホモ・サピエンスが言葉を獲得し、意思伝達能力が向上したことを「認知革命」と呼び、種の飛躍的拡大の最初の一歩と考えた。しかし、著者は「認知革命」の前に「共感革命」があったという仮説を持っている。

・人類は180万年ほど前にアフリカ大陸を出た。そのためには、サバンナにいる多くの猛獣に対して防衛力を備えた社会性を持っていたはずだ。その社会性とは、共感力、つまり他者と協力する能力を基にしたものだっただろう。また人類の親は、頭だけが大きく身体の成長の遅い子どもを、たくさん抱えることになる。そのため親だけでは子どもを育てられず、他の仲間の手を借りる必要が出てくる。そこに共感力が育つきっかけが生まれた。

・農耕牧畜で領土が生まれ、ずっとその中だけで暮らしていると、領土内に住む人々の間でしか共感を感じなくなる。領土の外の共通の敵づくりに役立ったのが言葉だ。言葉はアナロジーで、同じ人間でも「こいつはキツネのようにずるいやつだ」「コウモリのように卑怯なやつだ」「鬼畜米英」という言い方をして、人間ではない生き物や、危険な外敵に仕立て上げることができる。戦争の起源は「共感力の暴発」でもある。

・人類最初の神殿とされているのが、トルコ南東部で発掘されたギョベクリ・テペで1万2000年前に建立されたと考えられている。人類の文化が生まれた「ゼロ・ポイント」と呼ばれている。最初の小麦の生産地もすぐ近くにあるが、およそ1万年ほど前とされており、神殿建立のほうが先という説がある。

・戦争は人類の歴史の中でも、きわめて新しいものだ。人類が狩猟採集生活をしていた時代に戦争をしていたという証拠は、現在見つかっていない。人類最古の戦争は、約1万2000年以上前とされている。スーダンのヌビア砂漠にあるジェベル・サハバで大量の人骨が見つかり、槍などで傷ついている形跡があることから、この頃から戦争があったのではないかといわれている。

・ホセ・マリア・ゴメスたちの哺乳類の系統樹分析では、種内暴力による死亡率は全哺乳類では0.3パーセント、霊長類の共通祖先では2.3パーセント、類人猿の共通祖先で1.8パーセントぐらいしかなく、人類になっても旧石器時代くらいまで2パーセントで安定している。それが、新石器時代、とくに3000年前以降の鉄器時代に入ると15から30パーセントと急に跳ね上がる。つまり、暴力によって殺し合う人間の精神性はつい最近の傾向で、しかも大規模な都市国家や武器の登場とともに現れてきたことになる。

・これからの人類の生活スタイルとして著者が予想?あるいは推奨?するのは、科学技術をうまく使い、狩猟採集時代の精神に戻る、「シェアとコモンズを再考する時代」の到来である。未来の社会は労働ではなく、自身の承認欲求を満足させるようなボランティア活動が人々の生きる意味になるだろう。そして、人々はそれぞれ複数のコミュニティに属し、それらを渡り歩いて過ごすようになる。これまでのような成長ー教育ー仕事―趣味といった単線的な人生ではなく、それらを同時に実践するような複線的な人生が主流になる。


僕の読書ノート「進化で読み解く バイオインフォマティクス入門(長田直樹)」

2023-10-21 07:46:36 | 書評(進化学とその展開)

 

企業で生物医学系の研究の第一線から離れて5年、今は研究開発の管理業務を担当するようになり、さらにあと1年で定年である。しかしこれからも、研究のフィールドで何か新しいことを見つけてみたいという気持ちはある。そんな状況で一人でもできることは、自然観察のような生態学的研究か、バイオインフォマティクスを使った進化学的研究だろうと考えた。バイオインフォマティクスの分野ならプロでなくても、家のパソコンとネット上の公的データベースを使ってなにか面白いことができそうな気がする。そんな思いつきで、まずは学習を始めるためのとっかかりとして選んだ教科書が本書である。

とりあえず一通り読んでみたが、理解できたのは3分の1程度か。それは言いかえれば、これから何度も読み返す価値が残っていると言うこともできる。様々なバイオインフォマティクスの研究方法の原理説明として、数式がたくさん出てくるが、なかなか理解がおぼつかない。しかし、数式は理解できなくても、コンピューター・プログラムを使うことで、実用的には困らないのかもしれない。だから、あまり数式の理解にこだわらなくてもいいのかもしれない。もちろん理解できるに越したことはないだろうが。

けっこう基本的な用語でもよくわかっていないことが多い。そんな専門用語の説明をあげつらってみた。

・集団遺伝学:種レベルでの遺伝情報の進化を扱う学問分野をよぶ。集団とは、交配を行うことのできる生物の集まりのことであり、生物種に対応する。個体で起こった突然変異は生殖を経て次世代に伝わり、集団の中で数を増やしたり減らしたりする。

・分子進化学:種より上のレベルでの遺伝情報の進化を扱う学問分野をよぶ。種より上のレベルでは、種間の比較を行うことが基本であるので、種内の多様性については目をつぶり、問題を単純化する。

・アレル頻度:アレルとは対立遺伝子のことである。たとえば、ある単数体の集団で、半数の個体においてゲノムのある塩基サイトでの塩基がAであり、もう半数の個体のゲノムでGであった場合、Aの頻度は0.5であると表現し、これをアレル頻度とよぶ。

・ハーディーワインベルグ平衡:「ほかの集団と隔離された十分に大きな集団では、任意交配が行われており、変異が中立であれば、次世代の遺伝子頻度が前の世代の遺伝子頻度と同じになる」というのがハーディ―ワインベルグ法則である。遺伝子型(対立遺伝子の型)の頻度は1世代で平衡に達する。この状態をハーディーワインベルグ平衡とよぶ。集団遺伝学の多くの解析では、個々の遺伝子型(たとえば、AA、AT、TT)の頻度よりも、アレル頻度(たとえば、A、T)を中心に考えることが多く、集団の中にあるアレルの集まりのことを遺伝子プールとよぶ。

・ハプロタイプ:染色体レベルでのアレルの組み合わせをいう。例えば、染色体の二つのサイト、サイト1の遺伝子がa、サイト2の遺伝子がbで、サイト1と2との間に組み換えが起こらなかったとすると、アレルbは常にアレルaと同じ染色体上に存在することになり、ハプロタイプabを持つことになる。

・cic制御変異、trans制御変異:プロモーター配列やエンハンサー配列に起こり、直接遺伝子の発現量を変えるようなゲノム上の変異をcic制御変異よぶ。このcis制御変異によって起こされた発現の違いは、さらに別の遺伝子の発現を変える可能性がある。このように別の遺伝子の発現に対しては間接的にはたらく。間接的に遺伝子の発現量を変えるような変異を、trans制御変異とよぶ。

・NM、XM:ゲノム配列が決定された生物について、転写産物を単位として配列をまとめたのがNCBIのRefSeqデータベースである。RefSeqのデータで、cDNA配列がもとになっている転写産物のアクセッション番号は「NM..」で始まり、ゲノム配列よりコンピュータによる予測によってのみ同定されている遺伝子には「XM..」で始まるアクセッション番号がついている。後者はより不正確な遺伝子配列を含んでいる可能性が高いので、注意が必要である。

・統合TV(現在は、TogoTV):日本語で書かれたデータベースやツールの使い方を紹介するサイトとして、ライフサイエンス統合データベースセンターが提供する統合TVがある。データベースの紹介から簡単なチュートリアルまでそろっているので、興味がある方は触れてみることが薦められている。