うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

岡野マツ

2020年10月15日 05時53分19秒 | 樹木医の日々片々
ここではかつて行った香川県志度町(現在はさぬき市)の岡野マツを紹介する。近所にはあの江戸時代の 平賀源内 の生まれた居宅がありこの寺の境内も小さいころから遊び場であったらしい。わたしのその当時の用務としては香川県鬼無へオリーブの材料検査で発注者やゼネコン担当者を連れてのもので、参加者7、8名、これはその当時業界では慣習となっていたお客様接待を兼ねてのものである。飛行機で高松空港から入り、まず潮入りの浜にある 栗林公園 ⇒鬼無 のオリーブ林の次に寄った。その後屋島の温泉旅館へ泊り、翌日は 岡野マツ ⇒鳴門の渦潮 ⇒阿波の人形浄瑠璃 を見て徳島空港から帰京する
 実は、この旅行のスケジュールはわたし自ら起案し旅行会社に手配をお願いし、妙な話だがここは初めての地でわたしが知ったかぶりの旅行添乗員をつとめた。当時も、また今から思っても大名旅行気分のものだろう、ほぼ、100%観光だ。たしか、旅行内容はそんな風であったと思う。わたしは都内の造園会社にいてある民間PTの担当者であり、造園設計から施工まで担う役割である。
 岡野マツを見に行ったのは記録を見ると、平成3年(1991年)11月22日である。足かけ30年前、わたしが 40歳の頃である、振り返ると人生において仕事の絶頂期に至った頃である。
 その後このマツは急速に衰えて、庭園関係者・樹木医によって1993年5月20日に松枯れ病で枯死と判定された、と新聞で知った。後継樹としては農水省林木育種センターが接ぎ木増殖で成功して1994年5月に苗木5本が真覚寺境内に植えられた。
 詳しい所在地は浄土真宗本願寺派の真覚寺・岡野山の前庭にある。維持管理主体は地元の保存会、老人会。1979年、香川県天然記念物に指定される。当時、マツの巨木では東京都江戸川区内の東の横綱「影向の松」に対して、西の横綱と言われた。
 樹種はクロマツ、最盛期の形状寸法は樹高:7.0m 、幹回り:9.0m、 枝張り:東西34.0m 南北40.0m 、地上から2.0m の高さで 3 本の太い幹にわかれて先端まで約90本に枝分かれしている。臥竜状の樹形である。また、樹齢は公称約500年とされたが、伐採時の年輪計測では347年である。衰弱の第一の原因は全周位置の枝先の切り詰め、人の踏圧によるとされている。そしてマツノマダラカミキリムシが飛来、マツノザイセンチュウを媒介し、またたくまに枯死した。
 なお、ここではWeb上のWikipediaの資料を閲覧している。こまかい調査、分析データに基づかないことを記しておく。また古い映像でぼやけていて恐れ入るが、フィルムカメラのパノラマ写真をデジカメで複製撮影してアップする。

           

           

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