うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

晩秋のぎぼうしの庭

2021年11月29日 17時53分05秒 | 自作のホスタガーデン
今日、もしかして、まさかという思いでギボウシの庭を見に行ってきた。今年は春先や7月頃、お盆の天候が例年と違っていて地上部はまだ枯れずにいる。昨年に植えこんだわが実生木の蠟梅や取り木繁殖の百日紅は葉を落とした。
 除草などの管理面はともかく、タマノカンザシ系は黄葉し小型種は青みが残る。ラフな緑地には赤い寒椿が咲き石蕗花が終盤の黄花を付けている。また、苔の乗った景石などと、ここでは寂しいながらも遅い秋の趣きが出ている。時間は午前10時半頃。

※なお、これまでの内容の経緯をたどるにはこのサイトの左側のカテゴリー 〈自作のホスタガーデン〉 をクリックしてみてください。

          

            

          

          

          
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慌ただしい日々が続く。デンパークの画像をアップ。

2021年11月23日 03時34分43秒 | わたしの日常です。
この頃は慌ただしい日々が続く。二十四節季では立冬も過ぎて小雪、いよいよ来月は師走だ。11月14日に車で福岡のアパートを11時40分に立って、15日の午後5時に千葉の実家へ着いた。4回給油する。走行距離は1,252km。
 直前の7日には鹿児島へ南下した。自宅では引っ越しのかたずけや、秋田県のお客様からの大量のギボウシ注文への発送準備中である(公開しているギボウシのリストをわざわざエクセルにて作成して下さった)。そしてまた20日からは一泊で、タイミング的には逃がしようがないので急いで岩手県内に身内への墓参りで家内を連れて行く。もちろん、車でですが。往復だが、給油は3回、走行距離は1,088kmになる。

 今回は帰途に愛知県安城市内の デンパーク に寄った。オープンしてから20数年は経過している。植物園としては完成度が高いと思う。わたしにとっては初めて、ここにはそれほど期待はしていなかったが、おもいのほか時間を費やした。やはり、わたしの生来の花好きのせいかその花壇デザインの苦心さがうかがわれる。一年生草花などの花卉や花木に専念した栽培法に見せ方である演出技術は国内ではほかにないものと思う。次いで、古典的な品種群が過半数を占めるが落葉樹と組み合わせた「木陰のギボウシ園」、それに「ナンジャモンジャの森(ヒトツバタゴ)」と、結構見どころが多くて良かった。今回は大雑把で詳細は省く、再度いつの日かに紹介していきたい。
 ということで以下に、もろもろの画像をアップする。

        

        

        

        
        
        

 
        

        

        


         

         

        
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士川SAから富士山を撮る。

2021年11月22日 13時30分16秒 | わたしの日常です。
この頃は慌ただしい日々が続く。二十四節季では立冬も過ぎて小雪、いよいよ来月は師走だ。11月14日に車で福岡を立って15日の午後5時に千葉の実家へ着いた。
 この画像は15日、珍しいことに観覧車が設置されている東名高速道路の富士川SAから富士山を撮った。位置的にはほぼ北側の方位で、静岡県の駿河湾、田子の浦側から見た風景になるか。時間は昼一番くらいか。
 以下に、画像をアップする。
          

          
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜島、知覧特攻平和会館、蒲生の大クス に行く。

2021年11月09日 05時31分14秒 | 地方・故郷・方言
前の日に送別会じみて、職場の同僚と飲んだ際に知覧の特攻隊の話が出て、その明け方にこれは一度行くべきかと考えて、翌日曜日に、一路、鹿児島の南端に九州自動車道を車で向かった。旅程はその後に、宮崎県の都城市に古い古い東北の郷里の中学校時代の二人の同級生をいきなり訪ねる予定、電話が通じずにいて住所をナビにぶち込むつもりだ。その後あらためて思い直して今は姶良市内になる 蒲生の大クス を加えた。しかし、めっきり日の短くなった時節柄、夕方に同級生宅へ向かうのをあきらめる、せっかく博多土産も準備していたのだが・・・・・。全走行距離は668km。片道4時間弱か。

遺書   枝幹二大尉 第一六五振武隊   昭和20年6月6日出撃戦死 22歳
  あんまり緑が美しい
  今日これから
  死にに行く事すら
  忘れてしまいそうだ。
  真青な空
  ぽかんと浮かぶ白い雲
  六月の知覧は
  もうセミの声がして
  夏を思わせる。
     作戦命令を待っている間に

  小鳥の声がたのしそう
  「俺もこんどは
  小鳥になるよ」
  日の当たる草の上に
  ねころんで
  杉本がこんなことを云っている
    笑わせるな
  本日十三時三十五分
  いよゝゝ知ランを離陸する
  なつかしの
  祖国よ
   さらば
  使いなれた
  万年筆を“かたみ”に
     送ります。
            〈新編 知覧特別攻撃隊 高岡修編 有限会社ジャプラン〉抜粋

 ここでは画像を道順通りに 蒲生の大クス の詳細部をのぞきアップしていく。
              

          

          


          

          

          

          

          

          
          

          

          

          

          

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良行。浄瑠璃寺、慈光院、聖林寺、室生寺、カエデの郷ひらら

2021年11月03日 15時45分20秒 | 地方・故郷・方言
10月23日から、奈良に行ってきた。福岡ICを早暁の4時過ぎに通過、新名神の高槻ICを降りて大阪の待合せのスーパーには丁度正午に着く。所要時間は片道8時間、給油は2回をいれてSAには4か所休憩しただろうか。往復の走行距離は1,400kmだからわが実家のある千葉までの距離に相当する。
 今回の旅は、昨年の6月の日本樹木医会奈良大会時に個人的に計画をしていたが、お定まりのコロナ禍で開催が流れた。
 以下は、文章のあいだに画像をはめ込んでズラズラと並べていく。
 大阪の枚方で半世紀以上付き合いのある旧友と落ち合い、早速ナビ入力にてまずは京都府木津市内 浄瑠璃寺 へ向かう。
 ついで、茶道は石心流だが 慈光院 の日本庭園を見る。なるほど、奈良には 「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし」(古事記)、か。夕暮れて天理の安宿に向かっていく。この日、昼食も忘れて車内では雑談や近況話に盛り上がっていく。
          

          

          


          

           

          

          

              

 翌日、どこへ行っても朝の早いわたしは宿を出て、広大な近鉄/JR天理駅周辺を放浪する。ここは清潔な街並みか、社会的なエチケットが守られていて犯罪が少ない町だろう。さすがに天理教の宗都、宿泊施設、祈祷所とかの集会目的の建築物が多い。次に近鉄桜井駅で中学時代の女子同級生を拾う。本人は一日同行される由、会うのは一昨年の神奈川県の箱根での古希祝いの同窓会以来である。御年70の三人組である。彼女は京言葉の中に東北訛りのイントネーションを感じる。ちなみに、大阪の友人はバリバリの関西弁だ。そしてわたしは擬似標準語になる。
 まず、 聖林寺 では本堂が修繕中で 十一面観音は 非公開であった。小さな寺だが、中に入らず外観を眺めただけで終わる、わたしはもどかしい思いであり残念至極である。ポスターを見るとこの6月から東京国立博物館にて展示されていたのだ。そこで、同行者の意見で近くの 談山神社 に寄る。
          

          

          

 それではと、早い旅の展開だが、小都市と田園地帯、田舎ふうの大和路を 室生寺 に車は向かって走る。
 室生寺は25年ぶりか、砂利敷きの駐車場についてかつての光景を思い出してくる。わたしは、五重塔と仏像に会いに来たのだ。あの時は京都の天龍寺などを廻り翌日近鉄電車を乗り継いできた。取引先の藤沢の造園業者二人と来たのだ、なんだかあの頃は生きて仕事をしていても意気揚々としていたなあ。ということは、わたしが45歳になるか・・・・・。
 しかし、肝腎の仏像は宝物館という新築した新館に収められていてわたしとして少々気落ちする状況であった。
           
          
          
          
          

          

          

          

          

          

 なんだか妙にそそくさとした気分で、前回同様に入口にある室生川沿いの橋本屋旅館できつねうどんなどを食べて打ち上げとなった。
 次にカエデやモミジファンにとってマニアックな植物園に寄った。 奈良カエデの郷ひらら 、ここは宇陀市内で廃校になった小学校でそこを会場にしている。
 コレクターの矢野正善氏は80代半ばと思われるが、園内で話を伺うことが出来た。
          
            赤葉実生
          
            台湾産イタヤカエデ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こちらも・・・

blogram投票ボタン