新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

Nゲージ HB-E300系リゾートしらかみブナ編成

2018-06-23 15:29:36 | 鉄道

青池編成だけではなく、後から登場したリゾートしらかみブナ編成も模型化されています。
ブナ編成は2016年にキハ40系改造の初代ブナ編成の代替として登場し、青池編成と同じく4両編成ですが、塗装はブナの森をイメージしたデザインになっています。このデザインを手がけたのがE6系新幹線を手がけた奧山清行氏です。3号車にはORAHOカウンターが設置され、飲食物やオリジナルグッズなどを販売しています。

模型はやはりKATO製。150分の1のスケールにするには非常に難しいブナの森の車体塗装ですが、ご自慢の印刷技術で綺麗に再現されています。

もちろん3号車のORAHOカウンターもきちんと再現されています。尤も外から見ると窓も潰されていないのでパッと見違いがわからないのですが、窓から覗く座席が見えない部分があるので、そこが識別ポイントでしょうか。

ブナの森が次第に緑濃くなる様子も綺麗に再現されています。小さな文字や行き先表示もしっかりと入っているのはさすがです。

リゾートしらかみ青池編成とブナ編成の並び。こうして並べてみるとキハ40系改造ですが、くまげら編成も欲しくなります。

*ブナ…木へんに無

Nゲージ HB-E300系リゾートしらかみ青池編成

2018-06-23 10:57:26 | 鉄道

青森ー弘前ー秋田間を五能線経由で走るリゾートしらかみ号に使用されているハイブリッド気動車です。エンジンで発電した電力と蓄電池に充電された電力でモーターを回転させて走る方式で、発車時には蓄電池の電力で起動し、25km/h程度でエンジンが起動して発電します。減速時には回生ブレーキで起きた電力を蓄電池に充電して次の起動に備えます。モーター駆動にする事で電車と共通の部品を使えることからJR東日本ではリゾートトレインに採用され、さらには今後の気動車のスタンダードになるようです。
模型はKATO製で、リゾートしらかみ号の青池編成を模型化しており、4両編成となっています。


ステンレス製の銀色の車体に青池編成のロゴマークや、車体裾にレタリングされているRESORT HYBRIDの文字も綺麗に再現されています。また屋根上の蓄電池や床下機器も、ハイブリッド気動車らしい機器が再現されています。この再現力はさすがはKATOと思わされます。
昨年の夏に実車に乗車した時のことが思い出されます。

6/17ディズニーシー

2018-06-17 20:38:40 | ディズニーシー

梅雨の晴れ間の日曜日にお昼ご飯を食べにインパーク。ニューヨークデリでツナとエッグのパニーニを食べてから、パークをお散歩。

今年も七夕の季節がやってきました。いつもは春イベントと夏イベントの端境の短い期間だけ七夕イベントになるのですが、今年は1か月にのびました。日本のディズニーパークならではのイベントですね。

ミッキーシェイプの短冊にお願い事を書くのがディズニーの七夕。短冊はもらいましたが書かずにいただいてきました。

今日もミッキーは忙しそうです。

ぶらりひたちなか・水戸〜後編

2018-06-17 15:37:41 | 旅行

勝田駅から水戸駅へ一駅戻り、駅前ペデストリアンデッキのご老公と助さん格さんの像を見て、水戸藩の藩校弘道館を目指します。

弘道館は水戸藩の藩校として、水戸藩9代藩主斉昭公の命により1857年に開館しました。水戸藩士やその子弟が学び、文武に渡り教育されていました。幕末の動乱やその後の戦火により当時の建物は失われましたが、正門、正庁及び至善堂は戦火を免れ残り、今に伝えています。東日本大震災でも被害を受けましたが、現在は修復されています。

戦火をくぐり抜けて残った弘道館正庁の入り口。見学客はここからは入れず脇の入り口から入る形になっています。

弘道館は2代藩主光圀公が編纂を始めた大日本史をベースとした水戸学の舞台ともなり、尊王攘夷の思想は幕末期に大いに影響を与えています。その象徴とも言える尊攘の書。正庁入り口正面に掲げられています。

こちらは至善堂から見た景色。大政奉還のあと江戸を経由して水戸に一時滞在して謹慎をしていた15代将軍慶喜公が過ごしたのが至善堂。慶喜公はこの景色を見て何を思っていたのでしょうか。

弘道館の裏から外へ出ると孔子廟があります。公開はしていないようで、外観だけの見学です。

もうひとつ弘道館関連の建物が八卦堂。弘道館記を記した弘道館記碑を収めた覆堂です。東日本大震災では弘道館記碑が被害を受けましたが、修復されています。その修復の過程が掲示されていました。

常陸国一の宮の鹿島神宮から1857年に分祀された鹿島神社。1945年に焼失しましたが1973年の伊勢神宮式年遷宮で建て替えられた風日祈宮の社殿を譲り受けて1974年に再建されたものです。

旧茨城県庁舎の茨城県三ノ丸庁舎。現在の茨城県庁はかなり離れた場所に建っており、県内で最も高い建物だそうです。水戸駅まで歩いて戻り、帰りの特急券を購入してから一旦勝田駅へ戻ります。

勝田駅まで一度戻ってから勝田始発の品川行き特急ときわ80号で帰ります。

帰りはグリーン車を奢りました。ガラガラのグリーン車に乗り、快適な座席に身を委ねればあっという間に東京。東京駅で下車して京葉線に乗り換えて帰りました。


ぶらりひたちなか・水戸〜前編

2018-06-16 20:59:16 | 旅行

ふと思い立って常磐線特急に乗ってひたちなか海浜鉄道に乗りに行って来ました。
東京1023発の特急ときわ57号の指定席に乗り勝田駅へ。1153に勝田に到着。ひたちなか海浜鉄道湊線は1204発だったので、乗り換え改札口でフリーきっぷを買って乗り込みます。

乗車したのはキハ3710形ディーゼルカー。新潟鐵工所製のNDCシリーズで、1995年に製造されました。ローカル線向けの軽快気動車で、同型車が全国に走っています。座席が埋まる程度の乗客だったので座らずに、後ろの運転台付近に立って後面展望を楽しみます。

終点の阿字ヶ浦駅までは40分ほど。那珂湊駅でほとんどが降りてしまい、阿字ヶ浦まで乗っていたのはほんのわずか。独特のイラスト入り漢字の駅名標を見てから、駅を出て阿字ヶ浦駅周辺を歩きます。

阿字ヶ浦駅から歩いていると、川子塚前方後円墳がありました。5世紀後半の古墳で那珂台地に残存する最大級の古墳だそうです。

古墳の前の方角標識は阿字ヶ浦駅と同じようなイラスト付きの字体。駅とは若干違うイラストが入っていました。途中でコンビニに寄ってお昼のおにぎりを買って、海を目指します。

阿字ヶ浦海岸は東洋のナポリとも称される海岸で、毎年夏には大洗海岸とともに茨城ケンミンが海水浴に訪れる場所でもあり、かつては上野から阿字ヶ浦まで臨時の急行「あじがうら」号が運転されていました。シーズン前で曇天ともあり、波の音と潮風の音しかしなかったです。

阿字ヶ浦駅まで戻り、勝田行きに乗ります。元東海交通事業城北線のキハ11形ディーゼルカーでした。車内でお昼を食べて勝田駅へと戻ります。