新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

6/17ディズニーシー

2018-06-17 20:38:40 | ディズニーシー

梅雨の晴れ間の日曜日にお昼ご飯を食べにインパーク。ニューヨークデリでツナとエッグのパニーニを食べてから、パークをお散歩。

今年も七夕の季節がやってきました。いつもは春イベントと夏イベントの端境の短い期間だけ七夕イベントになるのですが、今年は1か月にのびました。日本のディズニーパークならではのイベントですね。

ミッキーシェイプの短冊にお願い事を書くのがディズニーの七夕。短冊はもらいましたが書かずにいただいてきました。

今日もミッキーは忙しそうです。

ぶらりひたちなか・水戸〜後編

2018-06-17 15:37:41 | 旅行

勝田駅から水戸駅へ一駅戻り、駅前ペデストリアンデッキのご老公と助さん格さんの像を見て、水戸藩の藩校弘道館を目指します。

弘道館は水戸藩の藩校として、水戸藩9代藩主斉昭公の命により1857年に開館しました。水戸藩士やその子弟が学び、文武に渡り教育されていました。幕末の動乱やその後の戦火により当時の建物は失われましたが、正門、正庁及び至善堂は戦火を免れ残り、今に伝えています。東日本大震災でも被害を受けましたが、現在は修復されています。

戦火をくぐり抜けて残った弘道館正庁の入り口。見学客はここからは入れず脇の入り口から入る形になっています。

弘道館は2代藩主光圀公が編纂を始めた大日本史をベースとした水戸学の舞台ともなり、尊王攘夷の思想は幕末期に大いに影響を与えています。その象徴とも言える尊攘の書。正庁入り口正面に掲げられています。

こちらは至善堂から見た景色。大政奉還のあと江戸を経由して水戸に一時滞在して謹慎をしていた15代将軍慶喜公が過ごしたのが至善堂。慶喜公はこの景色を見て何を思っていたのでしょうか。

弘道館の裏から外へ出ると孔子廟があります。公開はしていないようで、外観だけの見学です。

もうひとつ弘道館関連の建物が八卦堂。弘道館記を記した弘道館記碑を収めた覆堂です。東日本大震災では弘道館記碑が被害を受けましたが、修復されています。その修復の過程が掲示されていました。

常陸国一の宮の鹿島神宮から1857年に分祀された鹿島神社。1945年に焼失しましたが1973年の伊勢神宮式年遷宮で建て替えられた風日祈宮の社殿を譲り受けて1974年に再建されたものです。

旧茨城県庁舎の茨城県三ノ丸庁舎。現在の茨城県庁はかなり離れた場所に建っており、県内で最も高い建物だそうです。水戸駅まで歩いて戻り、帰りの特急券を購入してから一旦勝田駅へ戻ります。

勝田駅まで一度戻ってから勝田始発の品川行き特急ときわ80号で帰ります。

帰りはグリーン車を奢りました。ガラガラのグリーン車に乗り、快適な座席に身を委ねればあっという間に東京。東京駅で下車して京葉線に乗り換えて帰りました。