新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

JAPAN AIR SYSTEM

2021-04-22 20:15:10 | 航空
かつて日本には大手航空会社が3社ありました。
日本のフラッグシップのJAL日本航空。国内線中心から国際線へと羽ばたいたANA全日本空輸。
そして国内線を中心にローカル路線、さらには近距離国際線も飛んでいたJAS日本エアシステム。
JALやANAにはない挑戦的なスピリッツを持っていて、個性的な航空会社でした。しかしローカル線主体の経営が災いして、2003年にJALと経営統合し、2004年にはJAS便名の消滅と日本航空ジャパンへ商号変更、さらに2006年に日本航空に統一されて消滅してしまいました。
保有する飛行機もボーイング機中心の2社とは違い、マクドネル・ダグラス社のMD-81やMD-87,MD-90、エアバス社のA300シリーズ、ニッポンの翼のYS-11などを保有していました。そしてその塗装も独特のものでした。

エアバスA300型旅客機を導入する際には、エアバス社のハウスカラーをそのまま自社の飛行機の塗装にしてしまいました。このカラーはエアバスA300B2/B4型、A300-600R型のみならずMD-81/87やDC-10、さらにはYS-11にも塗装され、JASのイメージカラーにもなっていました。一時B747-400を発注していたこともあり、その時のイメージパースにはエアバスカラーをまとったジャンボ機が描かれていました。

マクドネル・ダグラス社のMD-90を導入する際には、映画監督の黒澤明氏にデザインを依頼し、7種類の塗装を施しました。7人の侍ならぬ、7種のレインボーカラーとしてスポッターを楽しませてくれました。ちなみに2号機には黒澤監督のサインが入っていました。

そして、B747-400の代わりに国内幹線(羽田ー大阪伊丹・新千歳・福岡線)用にボーイングB777を導入する際にはデザインを公募し、当時中学生だった方のデザインが採用されました。

飛行機ではありえない左右非対称で、機体にレインボーラインが巻き付いているという大胆なデザインに当時は驚いたものです。
このB777は、レインボーセブンと名付けられ、国内線初の3クラス(スーパーシート、レインボーシート、レギュラーシート)となり、レインボーシートは1000円追加でゆったりシートと、今のJALのクラスJにつながるクラスとなっています。また全席に国内線初の個人モニターが付いていて、様々なコンテンツを提供していました。
 
このJASは私をヒコーキの世界へと引きずり込んだ張本人。
応援しているプロ野球球団、福岡ソフトバンクホークスの本拠地福岡へ行く際に、かつてはブルートレインや新幹線を使っていましたが、ブルートレインが縮小されていった2000年から飛行機で東京ー福岡間を往復するようになり、その時に始めに乗ったのがJASのB777で、それ以来福岡往復の際にはJASを使い、福岡滞在の折には当時福岡ー鹿児島間で飛んでいたYS-11に搭乗するなどしていました。そしてその時の経験からずるずると旅客機の沼へとはまってゆくことになります。

もちろんJASのマイレージサービス「JASマイレッジサービス」にも登録しています。JJ統合の際にはJMBへ移行し60で始まる会員番号で登録していますが、この頃はANAばかりでほとんど使用していません。

と、こんな記事をアップしたのは、JALの国内線用B777-200とB777-300のうち、プラットアンドホイットニー社製のエンジンPW4000シリーズのエンジンを積んでいる機体が全機退役したとのニュースに接し、この中には旧JASのB777-200も含まれ、この退役をもってJASの機材が全て日本の空から引退するという事になりました。
ちなみに当ブログのアカウントのうちb777-289の部分はJASのB777のボーイング社の型式番号からとっており、89がJASのカスタマーコードです。このカスタマーコードはボーイング社に直接発注し新規納入された機体に必ずつけられるもので、日本では46=JAL、81=ANA、KZ=NCA日本貨物航空、4K=ANKエアーニッポン、7C=日本国政府(B-747政府専用機及びE-767)、Q3=JTA日本トランスオーシャン航空、FK=防衛省(航空自衛隊KC-767)、SB=日本国政府(B777政府専用機)が割り当てられています。
 

岳南電車

2021-04-18 11:16:47 | 鉄道

今は昔、今年の1/3のことでございます。小田急ロマンスカーふじさん号に乗って御殿場に着いたあと、御殿場線と東海道線を乗り継いでやってきたのは吉原駅。


ここ吉原から岳南江尾まで岳南電車という鉄道が走っています。「全駅から富士山が見える鉄道」を標榜し、近年は工場夜景を楽しむツアーなども組んでいる鉄道ですが、御多分に洩れず赤字経営です。もともと近隣の工場から出荷される紙製品を輸送する目的で開業しましたが、2011年に貨物輸送が廃止されてからは経営が悪化しています。

2018年から走り始めた最新車両の9000形。最新型といえども中古車両で、富士山の反対側の親会社の富士急行線からやって来た電車です。さらに辿ると東京の京王帝都電鉄(京王電鉄)で走っていた5000系電車です。岳南電車初の転換クロスシート車となっています。この電車に乗りのんびりと終点の岳南江尾駅へ。

終点の岳南江尾駅は東海道新幹線の高架下にひっそりとあります。頻繁に通過してゆく新幹線の風切り音以外はのんびりとした時間が流れます。東海道新幹線の高架橋の向こうには富士山が見えますが、あいにく雲が出て来てしまいました。

隣の線路には年末年始恒例のだるま電車が止まっていました。こちらは7000形電車で、同じく京王からの譲渡車ですが、京王井の頭線で走っていた電車で運転台を取り付け改造をしています。吉原駅近辺にある妙法寺(毘沙門天)が日本三大ダルマ市の行われることから、毎年お正月前後にだるまの装飾をつけた電車が走っています。

お昼ご飯を近くのマックスバリュで買って食べていると、新春ヘッドマークをつけた電車が到着しました。

ホームの先端に取り付けられているワンマン運転用の、ドア確認ミラーに映る電車を。

もちろん並びの光景は少し離れれば撮影できます。7001号車の反対側にはヘッドマークはついておらず、京王井の頭線時代をモチーフにした前面になっています。7001号車にのって吉原方面へと戻ります。

吉原駅の一つ手前のジヤトコ前駅で下車。ジヤトコ前駅はその名の通りジヤトコ株式会社の1地区に近接していることからその名がつけられています。2005年までは日産自動車吉原工場だったので「日産前」となっていました。この駅のすぐそばには、

デザインマンホールがあり、マンホールカードの座標一位置ともなっています。このマンホール蓋は岳南排水路管理組合が管理しており、その創設50周年を記念して設置されたもので、富士山と工場の夜景、製品のロール紙の他、田子の浦漁港も近いことから駿河湾の桜エビとシラスも描かれています。数字は富士山剣ヶ峰と宝永山の標高を表しているそうです。
隣の吉原本町駅までぶらぶら歩き、吉原駅で折り返してきた電車に乗って今度は岳南富士岡駅で下車。

岳南富士岡駅には岳南電車の車庫があり、運用に入っていない電車が見られるほか、廃車になった旧型電機や7000系電車、そしてかつて紙製品の輸送で岳南電車線を走っていたワム80000型有蓋貨車も留置されています。ホームからはその旧型電気機関車の向こうに富士山が見えます。

構内に入って車両を見ることができ、留置されている旧型電気機関車を見ることができます。見るだけで乗ったり触ったりするのはいけません。錆が浮いていますが、一応車庫のある場所。一部の車両は塗装が行われある程度メンテナンスがされているようです。

岳南富士岡駅から北へ少し歩いて行くと、泉の郷湧水公園にでます。この岳南富士岡駅付近では富士山の恵みとして湧水があちこちから湧き出しており、泉の郷として観光地化しています。この湧水を使い富士市に製紙業が発展してゆきました。公園の池の水も湧水で、綺麗な水の中に鯉が泳いでいました。

湧水公園から今度は西へ向かいます。富士山へ向けて標高が上がったゆく場所なので坂を上り下りして歩いて行くとついたのは竹採公園。

その名の通り竹林が斜面に広がっていますが、この竹採公園。「今は昔竹採の翁といふものありけり…」で始まるかぐや姫伝説の元となった竹取物語。その竹取物語の伝説残る地の一つがここ静岡県富士市ということで、その物語をイメージした公園となっています。かぐや姫伝説残るこの富士市では、消防用マンホール蓋にもかぐや姫があしらわれています。

富士山を背に南へと歩いてゆくと、一駅分歩いた比奈駅に到着。この駅舎には鉄道模型店が同居しており、窓越しにNゲージ鉄道模型の線路などが見られました。残念ながらお休みでしたが。比奈駅から電車に乗り吉原駅へ。吉原駅で東海道線に乗り換えます。

東海道線で三島…ではなく、静岡までゆき静岡から新幹線で東京へ戻ります。静岡駅ではひかり号も停車しますが、年末年始の帰省ラッシュを考慮してこだま号を選択。こだま号の自由席に乗って東京駅へ帰りました。
 

東京都八柱霊園

2021-04-03 20:49:00 | 日記


今日は松戸市にある東京都八柱霊園に行ってきました。我が家のお墓のあるところで、生まれる前に亡くなった祖父、幼児の頃に亡くなった祖母、父の兄である伯父の眠る場所です。
本日は名義変更にゆき、ついでに墓まいりもしてきました。
公式にはJR新八柱駅か新京成線八柱駅から徒歩かバスになっていますが、東松戸駅からもバスで行けるので武蔵野線をひとつ手前の東松戸駅で降りてバスで行きました。
お墓はほぼ端っこの方の東松戸よりなので正門からは遠く、ちょっとしたお散歩になりました。近いとはいえ20年ぶりぐらいなのでちょっと迷いましたが、なんとかたどり着いてお参りしてきました。
帰りは東松戸駅から本八幡駅ゆき京成バスに乗り、さらに本八幡で浦安ゆきの京成トランジットバスに乗り継いで帰りました。