新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

Nゲージ287系パンダくろしお Smileアドベンチャートレイン

2018-07-29 16:47:37 | 鉄道

京都・新大阪から白浜・新宮へと走る特急くろしお号の287系電車にラッピングされた、白浜アドベンチャーワールドのパンダと動物たち。パンダくろしおとして親しまれています。この話題の電車もカトーから模型化されました。


カトー製品ですが、その意気込みたるや。ブック型ケースやケーススリーブも特製品で、スリーブは動物たちのイラスト入り、ケースも水色の特製品になっています。通常品と比べると全然違います。

そして説明書と同梱されているのがアドベンチャーワールドで飼育されている動物たちを紹介するリーフレット。アドベンチャーワールドさんが作ったわけではなく、カトーオリジナルです。ただ写真はアドベンチャーワールドHPからの借用になっています。


もちろん車体に描かれている動物のラッピングも美しく再現されています。150分の1サイズなのでよく見ないとわかりませんが。

相棒の関空特急はるか号と並べて。阪和線特急の二大エースの競演です。

新潟佐渡の旅〜11

2018-07-27 21:07:04 | 旅行

12時過ぎに車の乗船が始まり船内へと入ります。車両甲板に車を止めて指定された客室へ。帰りも1等ジュータン席を予約しておきました。2等は徒歩乗船を含めてかなりの混雑でイベントスペースの椅子にまで乗客が続々と乗って来ていたので、ゆっくりしたいなら1等を予約するのが賢明なようです。
出港前にお昼ご飯を船内のスナックコーナーで早めに食べてしまいます。出航までの時間で佐渡の余韻を楽しむかのように甲板で港の光景を眺めます。

後続のジェットフォイル。航空機メーカーのボーイング社が開発した水中翼船で、ボーイング929の形式が与えられています。のちに川崎重工がライセンスを取得して生産をしています。佐渡航路では3隻保有しており、新潟ー両津間で運行しています。日本ではこのほか東海汽船の伊豆七島航路、鹿児島の種子島・屋久島航路、JR九州高速船の博多ー釜山航路などで運行されています。JR九州高速船のデザインは水戸岡鋭治氏が担当し、停泊中の形からビートル(ウミトブカブトムシ)という愛称がつけられています。

船から見る両津港の景色。また来れればいいなと思いながら眺めます。
1240に両津港を出航。客室へ戻って自分の席で横になり少し昼寝をします。1時間ほど横になりウトウトしてからトイレに行くついでに甲板へ出ます。

時刻表ではわかっていましたが、先ほど両津港で見たジェットフォイルが後方から追い上げて来てあっという間に抜き去ってゆきました。

反対側へ回ってみると僚船のときわ丸とすれ違い。新潟を同時刻に出て両津港へ向けて航海しているところです。ジェットフォイルとときわ丸を見てから客室へ戻り再び横になります。

14時40分ごろに荷物をまとめて客室を出て、最上階の甲板へ出ます。暑いですが海を吹き抜ける風が心地よいです。しばらくの間は船について回るウミネコさんたちと戯れます。

新潟港が近づき、信濃川河口へ船が入るとそれは始まりました。

空に描かれる一条のスモーク。

そのスモークを描いていたのは航空自衛隊松島基地所属のブルーインパルスです。
海の日と新潟港開港150周年を記念した海フェスタがこの連休の新潟港周辺で開催されており、そのイベントの目玉としてブルーインパルスが新潟の空に飛来しました。新潟滞在中にその情報を知り、さらにブルーインパルスがフライトする時間はフェリーに乗船中だったので、船の上からの観覧と相成りました。

ブルーインパルスは新潟の街を縦横無尽に飛び回り、試技を披露しています。対象物が非常に小さいので目で追う方も大変です。

おや、あんなところに電車。あ、武蔵野線の205系だ…
などと、余計なものに気を取られていたら、

ブルーインパルスが輪を描いていました。その輪のなかにフェリーの煙突とファンネルマークがうまく入りました。

ブルーインパルスは6機編隊。綺麗に列を作って飛行している様はさすがです。しかし船の上からだとどう頑張ってもウミネコさんとの共演となってしまいます。しばしブルーインパルスの演技に酔いしれていると、新潟港入港のお知らせ。後ろ髪を引かれつつも車両甲板に降りて車へと戻ります。新潟港に接岸して車両甲板のドアが開いて新潟港へと降り立ちます。
しかし新潟港のある万代島周辺で海フェスタのイベントが行われており、渋滞が予想されます。新潟駅方面へ車を走らせると万代シティーへつながる道路が渋滞していました。そこで地図と勘を頼りに脇道へそれてなんとか渋滞を回避。なんとか返却時間までに車をレンタカー屋さんへ返して、新潟駅へ。
新潟駅構内で珍しく実家にお土産を買ったり、ちょっと涼みがてらコーヒーブレイクをしたりして時間を過ごし、東京行きの新幹線に乗ることにします。

ホームへ上がると反対側のホームには現美新幹線が止まっていました。蜷川実花デザインの花火の外観を撮っていると、乗車する新幹線が入って来ました。

帰りは新潟1649発Maxとき336号。E4系16両編成で、乗車する編成は北陸新幹線の最大勾配30‰に対応でき、軽井沢駅まで入線可能なP51編成です。

Maxの車体に描かれたトキをみて2階建新幹線の2階席に座るとほぼ満席。Maxとき336号は浦佐駅を通過するだけのほぼ各駅停車新幹線ですが、2時間の乗車時間は本を読んだりウトウトしているとあっという間。暮れ泥む東京へ19時ちょうどに到着。東京駅のおべんと屋さんで夕ご飯のお弁当を買って京葉線で帰宅しました。


新潟佐渡の旅〜10

2018-07-27 20:21:25 | 旅行


7/16早朝、朝ごはんの前にホテル周辺を散歩。海を見ながらぶらぶらと歩きます。周辺を歩いただけですが、軽く汗をかいたので温泉でさっぱりしてから朝ごはんをいただきます。朝ごはんを食べてから、朝のルーティンになっているめざましテレビからとくダネを見つつ支度をして9時半ごろにチェックアウト。のんびりと過ごした佐渡のお宿を出発します。


帰りのフェリーに乗る両津港へ向けて車を走らせるのですが、あらためて北沢浮遊選鉱場を見に行きます。昼間の表情もまた違って見えます。

時間がなかったので外観だけを撮った相川郷土資料館。佐渡金山が官営だった頃の事務所の建物だそうです。
相川からは海沿いに走る県道41号線を走ってみます。来るときは内陸の県道31号線をショートカットしました。海沿いの県道をノンビリと走っていると…。

夫婦岩がありました。車を止められそうな場所があったので止めて写真を。佐渡の海岸にはこのほかにも様々な形をして岩が点在しているようなので次回訪問するチャンスがあれば、佐渡の海岸線をぐるっと一周してみたいです。
県道41号線を走り佐和田からは国道350号線で国仲平野を横断します。国道350号線は一部区間でバイパスが供用されていますが、旧道を走りました。11時前には両津港に到着。乗船するフェリーの出航予定は1240で、早すぎたかなと思いましたが、すでに待っている車が並んでいました。係員に誘導されて待機場に車を止めて、両津港周辺をぶらぶらします。

両津港のすぐそばには加茂湖と呼ばれる新潟県一大きな湖が広がっています。両津港のある両津の街はこの加茂湖を形成した砂州の上に広がっており、加茂湖は海潟湖となっています。砂州の一部が人工的に開削されて両津湾と繋がっているので汽水湖になっています。湖では牡蠣の養殖が行われています。

こちらは両津港ターミナル内にあるサドッキー。新潟とを結ぶフェリーターミナルだからでしょうか、新潟港開港150周年のタスキをかけています。

そうこうしているうちに帰りの船がやってきてしまいました。着岸を見てから車へ戻り乗船を待ちます。


新潟佐渡の旅〜9

2018-07-24 19:48:41 | 旅行


お宿で休憩をして夕方ごろに出て車を走らせます。まずは姫津大橋。姫津漁港に架かる人道橋で橋からの景色が素晴らしいとあったのですが、残念ながら時間外だったようで渡れませんでした。

続いてやってきたのは尖閣湾揚島遊園。尖閣湾の景色と海中展望船に乗船できるスポットですが、こちらも営業時間外。遊歩道があったのでそちらを歩いて夕日と尖閣湾の景色を眺めておきます。

尖閣湾から相川市街地方向へ戻る途中にある吹上海岸。球顆流紋岩が産出しているこの地では江戸時代に石切り場があり、鉱山用の石臼に利用されていました。ブラタモリでもタモリさんが訪れていました。

そしてここにあるのが、弁慶の挟み石といわれる岩。今にも落っこちそうな石ですが、絶妙なバランスで両側の岩に挟まれています。風化によるものなのか、本当に弁慶が岩を放り投げて挟まったのかはわかりませんが、自然の不思議を感じる岩です。

相川の街までやってくるとすっかり日の入りの時刻。まずは明治時代に鉱石の積み出し港だった大間港へ。「たたき工法」による護岸やクレーン台座が残っており、かつての繁栄を感じさせます。その後を見ながら眺める夕日もまた格別です。

鉱石を積み込むためにトロッコの線路がここまで伸びてきており、水路にかかるトラス橋が残っていました。トラス橋というには小さいですが、それもまた独特の形をしていて興味を惹かれます。大間港を見学した後、すぐ近くにある場所へと向かいます。

やって来たのは北沢浮遊選鉱場。鉱山の近代化に貢献した工場で、銅の製造過程で行われていた浮遊選鉱法を金銀に応用したもので、世界初の技術だそうです。この北沢浮遊選鉱場の完成により昭和15年には佐渡金山史上最高の金を生産することができました。段丘を工場の設備にうまく利用しています。操業を停止してから時間が経っており、工場建屋などもなく基礎部分が廃墟のように残るだけですが、その廃墟感が人気を呼び、意外な観光スポットになっています。夕日に照らされている姿もまた廃墟感が漂っています。

そして19時になり唐突にライトアップが始まりました。ただ光をあてるだけでなく時間ごとに様々な色で照らしています。残念ながらまだ日没直後で周囲も明るいのであまりよくわかりませんでしたが暗くなると工場跡を照らす灯りが幻想的になるのでしょう。夕食も食べていないので流石にそこまで待つことができず、薄暗くなったところで切り上げて、宿へと帰ります。

お宿へ帰ると部屋からは雲間から赤く染まる空がわずかに見ることができました。海に沈む夕日も綺麗なのでしょうか。
夕食はバイキング形式。佐渡の食材を使ったお料理が並び、美味しくいただきました。夕食を食べてからは温泉を使った大浴場で疲れを癒し、のんびりと時間を過ごしました。 


新潟佐渡の旅〜8

2018-07-23 19:39:53 | 旅行


続いてやってきたのは佐渡奉行所跡。佐渡金山の存在により佐渡は江戸幕府直轄地となり、1603年に佐渡奉行所が設置されました。奉行所といえばTVドラマでもおなじみの江戸北町奉行・南町奉行所などが知られていますが、佐渡奉行所では奉行が在住したり、佐渡金山で採掘した鉱石を精錬して金銀を取り出したり、小判を製造したりしていました。その辺りがおなじみの町奉行とは違うところでしょうか。

1994年に史跡指定されたあと、2001年に役所部分が再建されて公開されています。

役所の奥に奉行の住居スペースがあったようで、まさに究極の職住近接です。

TVドラマなどでもおなじみのお白州。江戸では屋外にありましたが、こちらでは屋内にあったようです。役所部分だけではなくそのほかの部分も復原してもらいたいですが、なかなか難しいのでしょう。

奉行所をでて相川の街をしばらくぶらぶらしてみます。煉瓦塀に沿った道はガイドブックでもよく見る光景です。

高台にあるので、ふと振り返ると家並みの間から海が見えます。この景色。なんとなく癒されます。
しかしながら、本土よりかは気温が低かったとはいえ、夏の日差しが容赦なく照りつけるのでかなり体力が奪われます。ほぼ一日歩き回っていたので疲労が溜まってきました。相川の街を少し歩いただけで車に戻ります、時間も頃合いなので本日のお宿へと向かうことにします。

佐渡でのお宿はホテルファミリーオ佐渡相川。JR東日本グループのホテルです。全室オーシャンビューのお宿で、日本海に沈む夕日を楽しむことができます。この後の行程の都合上見ることはできませんが、部屋から見る日本海もいいものです。
汗を流し、喉を潤してちょっと休憩をしてから再び出かけます。