tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

南円堂の曙光、不空羂索観音菩薩の慈悲 ー2ー

2008年12月30日 21時07分32秒 | Weblog


秋が過ぎて、冬になった。正社員にこだわった私の仕事は決まらない。そのまま2007年の末を迎えようとした。そして私は、手っ取り早く、お歳暮の配達のバイトを取ろうとした。目指すはクロネコである。昔、ここのお歳暮のアシストをやったことがあるからだ。電話をかけ、面接の予約を入れた。確かその日は東大阪にある娯楽遊具の会社のDTP制作部門の面接を受ける日だったと覚えている。見るからにガタイの大きな営業系の社長が出て来て、さんざん質問に答えたあげく、数日後、不採用の通知をもらった。が、すでにその時点でバイトの方は8割決まりかかっていた。

だが・・・・。

以前は必要としていなかった健康保険証が必要だと言い出す。前回にも書いたが、こんなしゃれたもの持っていない。今、ホームレスとなって、住所がなくなり、仕事が決まらない人々が多くなっている。そんな気持ちになった。もっとも屋根がある場所に居る分、私はまだ恵まれているのだが。不思議と私は、次の手を打った。郵便局である。

知る人ぞ知る、夜中の仕分けのバイトである。比較的若い人で充足されるコースであるが、それなりに年を取った人も見られた。中には退職者もいる。鉄鋼関係に勤め、最後は取締役にもなった人であった。おそらく長年勤めた前職で、体を酷使したのだろう。私の父とそう年齢が変わらないにもかかわらず、10年は多めに歳を取っているように見えた。

年賀状の区分け自体は機械で行うが、機械で判別できなかった物に関しては、手で区分けを行う。夜の区分けは18歳以上でないと出来ないから、朝になると高校生と入れ替わる事になる。やはり夜中の作業であるからか。入れられたシフトをきちんと守れない人もいた。比較的その範疇で仕事をこなし、なおかつ二時間程度の残業もしていたから、いつの間にやらバイトのリーダーになっていた。面白いのは、日中、高校生がのんびり行う区分けよりも、我々は約3倍近い数をさばいたということである。

2008年1月1日になった瞬間を、私は郵便局の区分け機械の前で迎えた。いままで、こんな迎え方をしたこともなかった。そして、来年もここで迎える事になるんだろうなと思った。年賀区分けのバイトが終了する直前、私は、郵便局から「スカウト」された。他のアルバイトからも残れと言われた。そう多くはない数の人間に声がかかったようだ。しかし、アルバイトのままでいることには不安があった。夜中バイトして、日中は就職活動。そんな選択肢もあったが、夜中に働くというのは、期間が決まっているから出来る事であって、よほどの意志がなければ、かなり難しい。

毎年家族と行く春日大社の初詣は、バイトでつぶれて行く機会を逃した。そこで、一人で行って来た。不思議な事に、同日、興福寺南円堂に足が向いた。以降、奈良へ行くと必ず興福寺南円堂に向かう。

アルバイトの終わった私は、就職活動を継続したが、やはり芳しくない。そんな中、3月は短期で大阪市の市税事務所の派遣の仕事が決まったこともあって。しばらく中止する事にした。4月に入ると別の、しかも大手の派遣会社を使って、探すことになる。

ところで、なぜ、ニュースで報じられる派遣は工場勤務が多いのか? 答えは至って簡単である。仕事が探しやすく、決まりやすいからである。誰でもそうだが、わざわざ決まりにくい事務職、しかも男性で事務職を狙って探すよりも遥かに決まりやすいし、多くの人間は今日や明日の日銭が必要なのだ。しかし、これには一つの問題もあって、技術の蓄積やホワイトカラーへの移動が極めて困難になる可能性も大きい。私はそこが凄く不安であった。だから工場系への手出しは避けた。

4月に入ると、その「大手」の派遣会社から、NTTコミュニケーションズなどのかなり大手の仕事が紹介された。しかし、細部をつめて行くと、どうしても最終的な審査で残る事が出来なかった。4月の終わり、私は自分の母校の事務職員、しかも学長室勤務の紹介を受け、面接が行われた。万事調子よく行くと思われたが、面接の次の日、大麻所持で学生が捕まり、危機管理の中枢たる学長室は大混乱。結局この話は流れたかに見えた。いよいよ食うに困った私は、以前の派遣会社に泣きつき、市税事務所の仕事を再度、紹介してもらう。その傍らで、別の話を進め、佐川急便の子会社が経営するコンピュータ会社で、大量の書類整理の仕事をもらった。

これも短期だった。というのも、かの母校事務職員の混乱は3ヶ月もあれば収まるという目論見があったからだ。夏の間は、延々整理書類のナンバリングという「判子押し」を行った。この頃から、周囲の人間関係に恵まれるような状況が現れる。

派遣の事務業を男性が行うのは、本当にしんどいものがある。そもそも、そこに居る人間のほぼすべてが「派遣は女性が行うもの」という公式を持っているからだ。ある時、私は、あたかもサンドバックを殴るように、人から暴言を投げかけられたことがある。20人の女性を連れて来て、男性は私一人という歪な人間構成の時もあった。このとき、私は派遣会社の「格」を考えるようになった。そう考えると、H社よりもA社の方が遥かに格が上だった。集めてくる人間の人間性は良かったし、H社の派遣社員でさえも、A社である我々をうらやましがったくらいだった。「A社さんところの社員さんは、楽しそうに働いている」と。

さて、契約の切れた9月・・・。


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