tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

エレベーターと映画

2006年06月12日 00時20分47秒 | 映画
シンドラー社のエレベーターが社会問題となっている。聞くところによると、世界的に見てシェアが第二位だというが、日本の普及率はわずかに1パーセントにも満たないとか。奈良でも、奈良女子大で使われているらしい。

ということは、日本での普及率が少ない反面、外国ではすごく普及しているということになる。言い直せば、外国でエレベーターに乗るのは、すごく危険を伴うということになる。しかし、基本的に乗り降りの際に動き出し頭とかをぶつけるわけだから、もたもたせずにとっとと乗り降りすれば、この問題による事故は少なくなる。もっとも、閉じ込められたり、何回も往復しだすようになると、それだけで災難だが、そもそも本体を吊るワイヤーが切れて落下するという事故そのものはないようだ。これがあると困る。

私の会社のエレベータはMITUBISHI製。でも、金曜日のお昼くらいに定期整備とかの立て札が立てられて、一基とまっていた。

しかし、ここが盲点なのかも知れない。というのも、世界的に第二位のシェアを誇ると言うことは、もしかしたら、シンドラーに作らせたエレベータを、MITUBISHIが自分とこのブランドで販売している可能性だってあるかもしれない。そのくらい市場を押さえている会社だからだ。

外国映画などを見ていたら、非常に味のあるエレベータが出てくる。例えば自分でドアの開け閉めを行うようなエレベータなんかだ。しかしたいていは普通のエレベータを使うことが多い。アクション映画でもよく使われていて、ドアが開いたらショットガンでドカーンというパターンもある。リュック・ベッソン監督の「ニキータ」では、掃除人に扮したジャン・レノが大使館の職員をドアが開いたら即座にサプレッサーつきのワルサーGSPで暗殺する。この監督はエレベータを使うことが多くて、「レオン」の冒頭でも殺し屋のジャン・レノが乗ったはずのエレベータをマフィアのボディガードたちが乱射するシーンがある。勿論、この場合蜂の巣になる訳だし、逃げ場もないからプロの殺し屋は勿論使わない。その代わり階段を使っていた。

エレベータを効果的に使おうとしたら、高層ビルがもってこいである。この分野では「ダイハード」がもう既に古典的名作に入るであろう。またホラー映画でも「ポルターガイスト3」がこの分野に入ってくる。

団地や高層マンションなどではエレベーターも密閉型ではなく、ガラス越しに中が見えるものであるが、これを利用して恐怖シーンを演出したものがあった。日本映画の「呪怨」である。あれは伊東美咲が乗ったエレベータが何階か通りすごすうちに、そのうちの何階かにかの怨霊がチラッと見えるのである。サブリミナル効果的なものを狙うのだが、はっきりと見たという確信がある分、その効果は疑問がある。

こうして考えると、エレベータって、結構怖い乗り物だ。

サインの価値

2006年06月09日 23時28分14秒 | 映画
例によって、昼休みは会社を抜け出して、梅田界隈の本屋へ行く。
派遣の女性たちの会話を聞いていると、会社が梅田の繁華街に近いために、昼休みや帰りにショップによることが多く、その分買い物の誘惑が多いそうだ。確かに、私も自宅近くに職場があって、そことの往復しか出来なかったときは息がつまって仕方なかった。

今日行ったのは、ブックファースト梅田店。おととし以前のブックファーストは狭く、ただ店を出しているだけという印象だった。しかし、そのおととし以降、店を二階、三階と借りて改装工事を行った結果、非常に本の数も多く、おしゃれな店に変わった。

時々、この本屋では企画展みたいなものを行う。今やっているのは、「ハリウッドスターサイン展」。単なる展示会ではなく直売を行うものだ。ハリウッドスターの写真に直筆のサインが入っていて、アメリカのサイン業界団体所属のディーラーが鑑定を行い、その保証書つきでイタリア製のオリジナル額は装飾以外にも、紫外線を通しにくくし、サインの劣化を防ぐという至れりつくせりな「商品」だ。

よくこれだけ集めたなと思うくらい飾られているが、スターのサインよりも、鑑定書の鑑定人サインの方が目立っていて、きれいと思うのは私だけであろうかと考える。

これだけの有名人のサインだから、かなりの値段だと思うが、これがそこそこの価格になっている。例を挙げていこう。

アル・パチーノのサインは67200円。「レオン」のワンシーンでサプレッサーを組み立てるシーンの写真に書かれたナタリー・ポートマンは77000円。007の扮装でおなじみワルサーP99を構えたビアーズ・ブロズナンで67200円。「バッドボーイズ」のラストのアクションで、モスバーグのソウドオフショットガンを持つウィル・スミスは56700円。「デスペラート」のこれから撃ちまっせと言うシーンである、2丁拳銃(スタームルガーKP89)のアントニオ・バンデラスで51450円。ゲームやる連中に受けそうな「バイオハザード」のミラ・ジョボビッチはレミントンのソウドオフショットガンを見下げるように構えて56700円だ。

ただし、別格ともいえるくらい高かったのは214000円のポール・マッカートニーだった。サインとついでに役者の経歴も書いてあるが、なかなか面白い内容になっている。

私が小学生の頃、ビアーズ・ブロズナンは007になる前で、「レミントン・スティール」という連続ドラマに出ていた。この頃、彼は文句なくかっこよかった。だが、彼は作品に恵まれなかった。この部分は天才的だった。その証拠に、彼は一度007のオファーを受けたが、スケジュール的に折り合わず、辞退したことがある。しかし、彼が出るはずだったその007シリーズの作品は、どう見てもお粗末以外の何ものでもなかった。ちなみにこの作品に出たティモシー・ダルトンは今頃どうしているのやら。

しかし、昨日くらいか。ブロズナンが腕時計の新聞広告に出ていて、その変わりように驚いた。一瞬、「これは確か彼のはず・・・」と躊躇するくらい頬がこけ、老人の雰囲気だった。

ところが、今日解説を読んでいると、「40代半ばにして、老け込みが激しい」と書かれていた。みんながそう感じているのだろう。

押井守監督作品 『立喰師列伝』

2006年04月16日 23時48分52秒 | 映画
『立喰師列伝』公式ページはこちら

やばい。奴は立喰のプロだ・・・。

ほとんど欠かさず見にいく押井守監督の新作が先週くらいから始まっている。今回は不便な場所の映画館などではなく、大阪梅田のナビオ阪急の中の映画館で上映している。残念ながら奈良では公開されていない。映画そのものの制作はネットのニュースにも流れていたが、公開を知ったのは偶然だった。

上記のキャッチフレーズをホームページで見て早速見に行きたくなった。押井守監督作品は決してメジャーの王道を走るようなものではない。宮崎アニメとは少し異なってくる。しかし宮崎監督と押井監督は親交があり、たがいに批評しあうような仲だとか。

今回の内容は、戦後の日本を跋扈した立喰師たちの織り成すもう一つの「戦後史」ただし、立喰師とは弁舌巧みに店主を翻弄し、無銭飲食を働く連中のことを指す。内容がまさしく押井監督のライフワークとも言える「立ち食い」だから力が入っている。

しかし、店主を翻弄する立喰師たちの説明を行うナレーションはまさしくよどみなく流れ、その知識は衒学などという言葉では説明できないくらいの大量の情報が詰め込まれている。この制作方式が押井流の作り方ともいえる。そう、映像の壮大さに我々は一つの事実を忘れていた。すなわち、

やばい。奴は映画のプロだ・・・。

ということに。

また映像も斬新としか言いようのない方法を取っている。名づけて「スーパーライブメーション」。まるで実写版の紙芝居を見せるような雰囲気で作られる。だから、ほとんどが静止画で作られている。そこへ大量の情報を詰め込んだナレーションが続く。最初見始めたときに、いつもの映像のような動きがないことから、二時間も持つのかなのかなと思ったが、そこは彼の作品の力。ぐいぐい引き込まれる。
さすがにこの映像とナレーションの面白さがわからないか、つまんないのか、ついていけないのか、2.3人が出て行った。いいねえ、こういう映画があるといくのも。おまけに残った人間は、押井監督作品を見慣れているのか、本当に映画がわかるのか、厳かに受けまくっている。

逆に言うと、押井監督作品は観客にそれ相当の知識が要求される。前作「イノセンス」でもどこかの名文句の引用ばかりを並べた作品だという評価が出た。驚くなかれ、『動物化するポストモダン』を書いた東浩紀でさえあの作品の音楽のようの流れ出る背後のイデオロギーのすべてを言語に置き換えるようにして理解しようとした結果、その本質を見抜けなかった自らのおろかさを朝日新聞に掲載という形で暴露していたくらいだ。そしてまた、そうした行為をせせら笑うがごとくこうした映画を我々に提示した押井監督には拍手を送りたい。

映画『サイレン』

2006年04月01日 23時55分06秒 | 映画
去年だったか、このブログでも紹介したプレステーション2ゲームの『サイレン』。ゲームそのものに関心があるのではなく、その世界観やインパクトに興味があった。世界観は広がり続け、映画としても製作される事が決定されていた。公開が2月11日。なぜだか知らないし、偶然だと思うけど、この種のホラー映画が公開されるのは、2月の寒い時期である事が多い。ハリウッドリメイク版の『呪怨』もこの時期公開だった事を覚えているだろうか。蓋を開けてみれば、それほど興行に成功しているとは思えないが。

さて、2月の半ばと言えば、こちらも死にそうなくらい忙しい時期であった。おかげで映画を見に行く余裕など無い。見たい映画だったが。
スピルバーグの『ミュンヘン』はまだ上映されているみたいだ。こちらの社内における人気は高く、見に行ってきた人が多い。さしあたって見に行きたいとは思わないが、『サイレン』が思いのほか早くに上映終了となったのは少し悔やまれた。
さて今週の水曜日くらいか、新聞の奈良版の映画館の案内を見てみると、まだやっている事が分かった。上映時間を調べるために映画館のホームページを見てみると夕方の一回だけ上映しているとか。「よしっ!」という感じで行く事にした。しかもホームページをのぞいたおかげで、割引のクーポンを印刷して持っていくと安く見れる事がわかった。早速印刷するが・・・・これが無駄に終わった。

本日一日は「映画の日」でどの映画も1000円で見る事が出来るとか。窓口まで行ってようやくわかった。席指定でありながら、いい位置に確保する事が出来た。でも、客席は結構がら空き。おかげでゆっくり見る事ができたが。

映画の良いところは、家では再現できないような大音響が楽しめること、特にこの映画の重要な「音」であるサイレン音がものすごい音響で鳴り響く。しかし、映画が始まった当初のBGMの選択は必ずしもシーンにうまくマッチしたものではなかった。

出演者達の顔部分がアップする事が多い。これは微妙な表情を逃さないための方法であるが、それゆえ出演者の演技力が非常に大きな要素を含む。主演、市川由衣はこれが映画主役として初めてであるが、「恐怖におびえる少女」という役どころの演技は素晴らしい。だが、後は個人的で主観的な実感なのだが、アップになって映し出される彼女の顔を見るたびに、私の昔の彼女を思い出す。まるっきりピッタリなのではないが、どことなくそっくりなのである。

内容は確かにゾンビ映画の範疇に入るホラー映画なのだが、サスペンスとしての仕上がりも持っている。暗闇、雨、伝説、血。アメリカの映画や『バイオハザード』などは、ほとんど大運動会のノリであり、話の背景も極めて単純だが、日本のホラー映画は、その背景を煮詰め、技巧的にも暗闇を巧みに使い、この異形の人の全貌を明らかにする事なく、見る者を恐怖へと誘い込む、陥れるのではない。ゲームの再現として映画を見るとおそらく批判しか持てないのだろうが、そういった背景知識を持たない私にしてみれば、ラストが「悲しみ」で締めくくられる映画とも言えよう。こういった体系は欧米の映画ではなかなか作れない。そこをうまく作れたのが「ホーンディング」や「アザーズ」であったと思う。

世間の評価に惑わされることなく見れば、非常に良い作品だ。

サイレン

2005年10月29日 23時59分01秒 | 映画
こないだまで書いていたゾンビ映画の最終報告。

去年だったか、朝からプレステーション2のCMが流れていて、そのゲームがこれだった。そのCMを見てもかなり恐ろしい内容であったことがわかったが、その後、ホームページを見てみると、もっと恐ろしいことがわかった。

暗い闇、赤く染まる海と水、鳴り響くサイレン、変わり行く人々、マイノリティーに墜していく生き残った人々。その世界観はアメリカ映画のそれとなんら変わりないが、日本を舞台とし、武器の制限が付きまとっているだけ、非常に難しいゲームらしい。実はやったことが無いけど。

しばらく忘れていたら、来年、この世界観を踏襲する形で、映画化されるらしい。これも日本映画で今かつて無い恐怖を描くとか。

これまでの日本映画のホラー物は実態の無いような存在だった。それゆえ、最強ですらあったのだが。日本映画で死者が生き返る恐怖映画は「死国」くらいだったか?

実は「仄暗い水の底で」みに行きたかった作品だが、見にいけなかったし、テレビの放映も見逃した。

映画の公式ホームページを見るとキャストや世界観もしっかりしている。公開されたら見に行きたいなと思う映画。

ホラー映画とゾンビ映画

2005年10月20日 13時42分14秒 | 映画
さて、今日も続き。
いわば、ゾンビという概念は、中南米のハイチなどを中心とした「ブードゥー教」に出てくる、死者を操る能力のことをさしたらしい。その概念を利用した映画は、実に1913年くらいに作られているらしい。映像の歴史の始点が1900年くらいだから、早くからあったということである。しかし、この宗教から離れた存在として描かれたのは1968年にジョージ・A・ロメロが製作した作品らしい。

ところで、いわば恐怖を想起させる映画をホラー映画というのならば、ゾンビ映画はその中のひとつのジャンルなのだが、もうすでにここから独立していると考えられるくらい、ゾンビ映画の作品の数は多い。

私もそれほど多くは見たことがないので、あまり知らないくらいだが、中学のとき非常に詳しい友人がいた。彼は学級委員であったが、その後生徒会長に登りつめた。今は茨城県の中学の教員をしているが、そのことは今回の話とは関係がない。

しかし、考えてみれば、1980年代の後半、テレビの夜9時くらいからやる映画でも盛んにホラー映画が取り上げられていた。それもかなり血なまぐさいやつである。年間放送数のなん10パーセント台の数で取り上げられていたと思う。しかし、その後検挙される殺人事件の犯人が、よく参考としたという事実から、放送を控えるようになった。アメリカのホラー映画は本当に血なまぐさかった。ただし、こうした血なまぐささが多くなったのも、1980年代以降であったと思う。そして、人々はこのあり方にも飽きたようだ。

本当に怖い映画はあるのだろうか?
その問いかけに対して、答えたのはアメリカではなく、日本であったのが不思議だ。それが、「リンク」や「らせん」であったのだが、これらは確実に血のにおいがしないものであった。

さて他には・・・(以下次号)

ゾンビ映画のフレーム

2005年10月19日 14時24分37秒 | 映画
人間がサルから進化し、直立二足歩行を行った頃、何でもかんでもできたわけではなった。手先が器用だとか、道具を作り使用するとかでそうした「原人」たちを区別する。死んだ人間を畏怖し、埋葬するという風習をはじめたのは、南フランスのクロマニヨン人であり、それ以前の北京原人は火を使うことはできたけど、埋葬の習慣はなかったそうだ。

さて、埋葬するというのは、死んだ人間がわれわれ生きた人間と違う世界にいることを認識し、別な世界に送り出すための儀式と方法であった。もちろん、遺体をそのまま放置しておくと、生前の形とは異なった「異形の者」になるから、生前の形のままに見えないところへ隠すという現実的な作業でもあった。

古事記においては、死んだイザナミがいる冥界へ行ったイザナギがその変貌(腐敗したという意味での)に驚いた話が出てくる。

一度死んだ人間が生き返るというのは、この上ない恐怖を提示する。映画におけるこうした「帰還者」のウロウロする映画が出たのは1970年代後半であったと思われる。そしてまた、今日も作り続けられているのだが、その基本的な枠組み(フレーム)は、もはや陳腐というくらい使い古されているのである。

すなわち、①何らかの問題が起きて、死者がよみがえる。②死者と生存者の線引きが行われて、生存者が追いかけまわされる。③きわめて隔離された閉鎖空間で行われる。(町とか島とか)

言い直せば、ある映画は「バカンスで訪れた島で遭遇する一夜の恐怖」これだけで映画の説明が成り立つのである。さすがに追い掛け回されるのでつまらないので、一時期、その死者のメークにこだわった時期があった。これは相当怖かったが、今じゃほとんどない。さすがに生存者もバカじゃないから、反撃する。そこにこだわって、ゲームをつくり、アクション映画にしたのが「バイオハザード」だ。

実はこうしたゾンビ映画の古くからあるフレームは、ゾンビ映画だけに使われるのではないのである。たとえば「エイリアン」はその典型だし、「ブラックホークダウン」においては、どんどん迫ってくるソマリア民兵(生身の人間!)をアメリカ兵がどんどん撃っていく内容になっている。さすがにここまで来るとモラルが問われるのだが。

さて、このブログは、ある映画を紹介する伏線となっている。また次回。

ルパン (原題:アルセーヌ・ルパン)

2005年10月09日 23時59分10秒 | 映画
はい、先週見に行くと言って見事に失敗した「ルパン」
本日見に行ってきました。

やはり、休日だけあって、次の回まで待たなければならず、チケットと整理券をもらいました。始まるまで一時間半ほどありましたが、既に整理券は36番でした。
時間をつぶして、劇場入り。席の数が120席。私が入った回は既に満席。立ち見も出ていました。ずっと同じ姿勢だったから、体が痛くなってくる。
結構前の方で、スクリーンに向かって端の方の席だったから、やはり見にくかった。それでも映画は1年ぶりだから、感激。前回は仕事帰りに「世界の中心で愛を叫ぶ」を見たかったけど、満席で断念。代わりに「スチームボーイ」を見た。(←全然違うじゃん)

さて、19世紀末のフランスを舞台にしているが、時代考証はきわめてしっかりしている。アルセーヌ・ルパンというキャラクターだけを借りて、まったく違う話を作るのでもなく、モーリス・ルブランの原作をベースに話を組みたてているだけあって、随所に原作の内容が出てくる。ポプラ社の原作しか読んでいないが、その中で話のベースは『魔女とルパン』(原題:『カリオストロ伯爵夫人』)、と『ルパン最後の冒険』(原題:『カリオストロ伯爵夫人の復讐』)その他にも『奇岩城』『怪盗紳士』『黄金三角』『813の謎』などの要素が含まれていた。

その一つ一つが話の中で出てくるたびに、感激するのは、原作を読んだ小学生の頃の一生懸命さが思い出されるからかも知れない。話の素晴らしさは、大掛かりなセットや、効果によるものだけでなく、アルセーヌ・ルパンという人物の内面にも及び、人間としての彼の魅力を伝えてくれる。

是非お勧めしたい。

映画1000円の日

2005年10月01日 23時44分45秒 | 映画
はい、昨日予告した「ルパン」。

見ることが出来ませんでした。

現地(映画館)まで行ったが、何でも大阪府下の映画館は、1日(ついたち)が映画の日らしく、料金が1000円。その上、土曜日とあって、初回の1時間前から、立ち見になった。まして、第二回も第三回も立ち見、第四回が整理券配布中だとか。小さな映画館でしかやっていないから、すぐにいっぱいになって、あふれるのである。昔は大きな大劇場級の映画館がたくさんあったが、最近は一部屋あたりの面積が少なくなり、座席も少なくなっている。設計がゆとりを持たしたものだから、狭く感じることはない。昔、大阪の道頓堀で見たときは、昔の名残を残した大劇場級の場所だったが、これでもかと言わんばかりに、座席と座席の間隔を狭く取り、体を傾けて座ったことがある。

もう付き合っていられないから。見るのをやめた。

帰りに阪神百貨店を見てきた。阪神タイガースの優勝記念セールを行っている。
もうすごい人。いつも開いている入り口はシャッターを下ろし、入り口を制限。出口も制限。警備員を増やし、その上、タイガースショップへも簡単に近づけないようになっていた。すなわち、「このエレベータではタイガースショップへはいけませんよ」と通路を制限しているのである。

どこのショップもバーゲン。確かに対象外の品物もあったけど。ワゴンセールを行っていた。やっぱり、どこもすごい大入りである。

いまどき、あそこまで経済効果を生み出すスポーツもないな・・と一瞬考えた。

アルセーヌ=ルパン

2005年09月30日 23時25分44秒 | 映画
モーリス=ルブランが20世紀の初頭に描いたピカレスクロマンの巨頭、『アルセーヌ=ルパン全集』。日本でもポプラ社の子供向けの本から、文庫本まで幅広く出ている。

かくいう私も小学生のとき、ポプラ社から出ていたシリーズを読破した口だ。
南洋一郎訳のシリーズは、さすがに子供向けに書かれていたが、その時の印象が深く残っている。ルブランの死後、フランスのミステリー作家であり、大著「大暗室」を書いたボアローとナルスジャックが、ルパンのキャラクターを用いて、何作か書いたが、少し印象が異なったような気がする。それは子供向けの本でも深く感じることが出来た。

ポプラ社がルパン全集を企画した昭和40年代、フランス本国におけるルパン全集は、ガリマール社の本に定評があったが、既に絶版であり、入手は困難。方々を探し回った末に、個人のコレクションを譲ってもらったということだ。これだけでは、ルパン全集に対する評価はわからない。つまり、評価が低く本として出す意味がなかったので、絶版状態だったのか、そんな状況にかかわらず、コレクターが懐深くしまいこむほど、一部で根強い人気があったのか。

ルパンはよく知られているが、あまり映画化された記憶がない。日本では横溝正史や江戸川乱歩の作品が多く、映像化されてはいるが。

いま、劇場でルパンが公開されている。明日、大阪へ見に行く予定だ。