今日でこそ、エアーガンのM16系列の主流はM4なのだが、20年前の主流はM16A1だった。そこへ90年代の初頭はA2が入ってくるのか。一時期、エアーガンメーカーはM16A1ばかり作っていた。それを見て嫌気がさしたものだ。誰でも持っているM16A1という感じであった。当時私は、MGCというメーカの信奉者だったから、M16A1と考えていた。しかし、ギミックの多さや、器の魅力はJACが遥かに上だった。
そうこうしているうちに、友人のマナブ君がJACのM16A1を買った。少し触らせてもらったが、特にコッキングハンドルをひくとダストカバーが開くギミックは、それだけで最高だった。価格的には同じだったけれど、私がJACを忌避したのは、セミオートの切れが悪かったことと、ガスの消費量が多かった事だった。当時は、みんな大きなタンクを背負っていた。だが、サバゲに批判的だった私は、せいぜいダイレクトチャージでマガジンを一本程度撃てたら良いのかなと考えていた。たしか、各社足並みを揃えたようにM16A1を出したのは、1988年の歳末商戦の時だったと思う。次の年はもう、M16系の年だったけど、少し考えるメーカは、ほかにも手をのばしていた。例えば、AUGとかL85A1だとか。
JACもそのうちM16A2を出したが、これがどの程度市場に受け入れられたのか解らない。ただ、今を持ってオークションで結構見かけるという事は、みんな買っていたのかなと思う。かくいう私もパンプレットを取り寄せた口だ。1991年に入ると少し下火になって、JACはMP5に重心を移し始めた。それでも、バブルの残光で、結構高価な仕様のM16を出していた。このころになると、確か一流でないようなメーカ(失礼!)がM16A1を作り出していた。本当にギミックの無いような、フルオートだけを撃つようなモデルだ。そこへ、出てきたのがマルイの電動M16A1だ。1992年の事だ。既に市場の趨勢は電動に傾いていて、ガスフルオートは確実に下火になっていった。一時期羽振りがよかったJACも出てくるモデルがマンネリ化してきた。とはいっても、1994年の初頭にJACは倒産したから、いまのウェスタンアームズのような、十年一日の超慢性的なマンネリとは少し違うような記憶が私の中にある。
あれだけの技術力を誇ったJAC。たしか設計部門だけでも3部門はあったはず。なのに、1993年に入ると社外デザイナーとして、タニオコバを招聘した。そういえば、ある時期から毎月のように、JACは販売部門と設計開発部門の中途採用広告をGun誌にだしていた。で、タニオコバを呼んできて何を作らせたのかというと、AR15A2のブローバックだ。実は、今日私たちが目にするM4のガスブローバックモデルの源流は1993年までさかのぼれるって訳。
いいや、ここまできたらもう少し付け加えておくと、タニオコバはJACで作って、その後、コクサイでもAR15系列のガスブローバックを作った。そして現在自社ブランドとして作っているけど、あれだけ作ってどーしてまともに一丁ものこっていないのという不満が出てくるわけ。確か1999年くらいに中古でコクサイのブローバックを見たけど、さびだらけだったし、いじってみるとボルトは半分くらいしか下がらない。これじゃあ高いだけで買えないという印象だった。ものがよければよかったけど。彼は曰く、図面の上のコンセプトと実際仕上がってきたものは相当な差があったと。でも、時期的にそんなに技術が熟していたとも思えないのだ。いろいろガスブローバックで長モノを作る時の問題は聞いたけど、結局今日ウェスタンアームズとか、マルシンの長モノのブローバックを見ていたら、どーなんだろうと思う。
で、JACの話に戻るけど、今まで長モノ中心で作ってきたメーカが、いきなりブローバックのハンドガンを作り出した。器は悪く無かったけど、やっぱり実用的に・・・と思わせた。そしてついに、新技術の電動AUGを出すが、瞬きしている間にメーカが倒産した。私がようやく大学に進学した年だ。書いてて変だと思った。たしか、ブローニングもAUGもみーんなタニオコバの設計のはずだ。じゃあ、当時のJACの技術陣には誰がいたのっていう疑問だ。
1994,5年って、自分自身の話だけど素朴にJACの技術が信じれたと思う。その分電動を受け入れるのがすごく遅れた。JACのMP5SD6をもう模型もエアーガンも辞めますというショップから買ってきた事があるけど、まあまあ楽しかった。とは言っても、あれは本当にブースターが無ければ撃てないものだ。ダイレクトチャージが意味をなさない。真夏に使ってもだ。ああ、思い出した、本当にブースターが無いと撃てないんだよな、JACの製品って・・・。まあ、MP5ってガスタンクが小さいというのもあるけど。それもやっぱり使いにくいから手放した。不思議と、M16A1とA2は手に入れなかったな。欲しいとは思ったけど、ショップの中古品でさえも、結局買わなかった。
多分、95,6年くらいがM16A1の最終点ではなかったのかなと思う。人々のあこがれとしてのM16A1としての。そして、それを満たすのが、ディティールの甘いマルイの電動だったから、すごく憂鬱だった。M4の登場は1998年だった。これはまだ器が正確で、取り回しもよかったので人気商品になった。
だけど・・・人はみなここ15年ほどまともな、リアルなディティールのM16A1を触った事が無いと思う。それで人は忘れていったと思う。そう考えると、私が最近リアルなディティールのM16A1をほしがる理由を説明する事ができると思う。
しかし、リアルなディティールを求めるために、20年近く前の製品をネットオークションで探す毎日が続いているけど、メーカも倒産、パーツは手に入らない。パワーも真夏になったら1Jを超えるかもしれない、うまく撃てるのは真夏に限る。ブースターもエアータンクも無い。そんな不便をなんで今更選択するのかとも思う。そしてまた、台湾や香港のメーカがガスブローバックのM16A1を製品化したときに、果たして私自身の購買意欲はどっちに傾くのか?
そうこうしているうちに、友人のマナブ君がJACのM16A1を買った。少し触らせてもらったが、特にコッキングハンドルをひくとダストカバーが開くギミックは、それだけで最高だった。価格的には同じだったけれど、私がJACを忌避したのは、セミオートの切れが悪かったことと、ガスの消費量が多かった事だった。当時は、みんな大きなタンクを背負っていた。だが、サバゲに批判的だった私は、せいぜいダイレクトチャージでマガジンを一本程度撃てたら良いのかなと考えていた。たしか、各社足並みを揃えたようにM16A1を出したのは、1988年の歳末商戦の時だったと思う。次の年はもう、M16系の年だったけど、少し考えるメーカは、ほかにも手をのばしていた。例えば、AUGとかL85A1だとか。
JACもそのうちM16A2を出したが、これがどの程度市場に受け入れられたのか解らない。ただ、今を持ってオークションで結構見かけるという事は、みんな買っていたのかなと思う。かくいう私もパンプレットを取り寄せた口だ。1991年に入ると少し下火になって、JACはMP5に重心を移し始めた。それでも、バブルの残光で、結構高価な仕様のM16を出していた。このころになると、確か一流でないようなメーカ(失礼!)がM16A1を作り出していた。本当にギミックの無いような、フルオートだけを撃つようなモデルだ。そこへ、出てきたのがマルイの電動M16A1だ。1992年の事だ。既に市場の趨勢は電動に傾いていて、ガスフルオートは確実に下火になっていった。一時期羽振りがよかったJACも出てくるモデルがマンネリ化してきた。とはいっても、1994年の初頭にJACは倒産したから、いまのウェスタンアームズのような、十年一日の超慢性的なマンネリとは少し違うような記憶が私の中にある。
あれだけの技術力を誇ったJAC。たしか設計部門だけでも3部門はあったはず。なのに、1993年に入ると社外デザイナーとして、タニオコバを招聘した。そういえば、ある時期から毎月のように、JACは販売部門と設計開発部門の中途採用広告をGun誌にだしていた。で、タニオコバを呼んできて何を作らせたのかというと、AR15A2のブローバックだ。実は、今日私たちが目にするM4のガスブローバックモデルの源流は1993年までさかのぼれるって訳。
いいや、ここまできたらもう少し付け加えておくと、タニオコバはJACで作って、その後、コクサイでもAR15系列のガスブローバックを作った。そして現在自社ブランドとして作っているけど、あれだけ作ってどーしてまともに一丁ものこっていないのという不満が出てくるわけ。確か1999年くらいに中古でコクサイのブローバックを見たけど、さびだらけだったし、いじってみるとボルトは半分くらいしか下がらない。これじゃあ高いだけで買えないという印象だった。ものがよければよかったけど。彼は曰く、図面の上のコンセプトと実際仕上がってきたものは相当な差があったと。でも、時期的にそんなに技術が熟していたとも思えないのだ。いろいろガスブローバックで長モノを作る時の問題は聞いたけど、結局今日ウェスタンアームズとか、マルシンの長モノのブローバックを見ていたら、どーなんだろうと思う。
で、JACの話に戻るけど、今まで長モノ中心で作ってきたメーカが、いきなりブローバックのハンドガンを作り出した。器は悪く無かったけど、やっぱり実用的に・・・と思わせた。そしてついに、新技術の電動AUGを出すが、瞬きしている間にメーカが倒産した。私がようやく大学に進学した年だ。書いてて変だと思った。たしか、ブローニングもAUGもみーんなタニオコバの設計のはずだ。じゃあ、当時のJACの技術陣には誰がいたのっていう疑問だ。
1994,5年って、自分自身の話だけど素朴にJACの技術が信じれたと思う。その分電動を受け入れるのがすごく遅れた。JACのMP5SD6をもう模型もエアーガンも辞めますというショップから買ってきた事があるけど、まあまあ楽しかった。とは言っても、あれは本当にブースターが無ければ撃てないものだ。ダイレクトチャージが意味をなさない。真夏に使ってもだ。ああ、思い出した、本当にブースターが無いと撃てないんだよな、JACの製品って・・・。まあ、MP5ってガスタンクが小さいというのもあるけど。それもやっぱり使いにくいから手放した。不思議と、M16A1とA2は手に入れなかったな。欲しいとは思ったけど、ショップの中古品でさえも、結局買わなかった。
多分、95,6年くらいがM16A1の最終点ではなかったのかなと思う。人々のあこがれとしてのM16A1としての。そして、それを満たすのが、ディティールの甘いマルイの電動だったから、すごく憂鬱だった。M4の登場は1998年だった。これはまだ器が正確で、取り回しもよかったので人気商品になった。
だけど・・・人はみなここ15年ほどまともな、リアルなディティールのM16A1を触った事が無いと思う。それで人は忘れていったと思う。そう考えると、私が最近リアルなディティールのM16A1をほしがる理由を説明する事ができると思う。
しかし、リアルなディティールを求めるために、20年近く前の製品をネットオークションで探す毎日が続いているけど、メーカも倒産、パーツは手に入らない。パワーも真夏になったら1Jを超えるかもしれない、うまく撃てるのは真夏に限る。ブースターもエアータンクも無い。そんな不便をなんで今更選択するのかとも思う。そしてまた、台湾や香港のメーカがガスブローバックのM16A1を製品化したときに、果たして私自身の購買意欲はどっちに傾くのか?