tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

ケータイのテレビ

2006年01月30日 23時58分38秒 | Weblog
携帯電話と呼ばれる通信カテゴリに、その機能の選択をめぐって階層化というか、二極分化が起きている。具体的には、安く使おうとする人々と、機能を十二分に使いこなそうと言う人々である。

安く使いたい人々の間では、中核となる電話の機能と、若干のメール機能だけついていればいいから、基本使用料などはかなり安く設定する。最近では、一時期非常に日陰に追いやられたPHSの復活がなされているようだ。使っている人々の話を聞くと、非常に安く、電波の到達度などもかつてよりかなり安くなっているみたいだ。私にとってPHSは、手持ちのMac、PowerBook(ノート)につけるインターネットの通信用というイメージがある。さすがに持っていないが、いずれ欲しい道具だ。

さらに、機能を十二分に使おうとする人々の間では、インターネットのホームページをそのまま見たり、音楽を楽しんだ入りすることが行われているようだ。最近ではお財布ケータイもある。さすがに私はこれには抵抗があるが。

そのように付加機能の一つに、テレビつきケイタイがある。さすがにこれを使っている人は見たことがなかった・・・しかし、昨日、電車の中で見かけることになる。あれは、音声をイヤホンで聞くのが普通だが、その人は本当に音を出してみていた。

ケイタイの電車の中での使用もかなり問題だが、それ以上に、あのテレビつきの使用もかなり問題だ。だが、少し考えてみれば、不思議な話だ。あのケイタイが出て、テレビのCMで流れていたシチュエーションは、ケイタイの中の野球中継に、周囲のみんなが寄ってくるものであった。と言うことは、音声を出してみていると言うことになる。だとすると、電車の中で見ていたあの人も、本当は「正しい」使い方をしているのかもしれない。

しかし、実際にそういったシチュエーションに出くわしてみれば、かなりヘンなもので、あのテレビつきケイタイがあまり普及していない理由も良くわかる。

デパートの物産展って利用しています?

2006年01月29日 01時45分47秒 | Weblog
さて、昨日は休日出勤。いつもの始業時刻は9時半だが、今日は11時スタートと前日に打ち合わせをした。それが決まったのが、おとつい(金曜日)のお昼くらい。

金曜日も退社したのが21時半を回っていたが、その前に、先輩のウエヤマさんがデパートで全国駅弁即売会をやっていることを教えてくれた。あれは確か、阪急百貨店・・・と言われて、ホームページを見るが、載っていない。私が探して、阪急ではなく、阪神百貨店のほうだとわかった。

さて、昨日土曜日。デパートの開店時間は10時だが、10時半に入ると、催し物会場はすごい人。正直、食べ物の販売を目的とした物産展に、自分から進んでいくのは初めてで(親の付き添いや頼まれごとはよくあるが)阪神百貨店のそれは定評があって、すごい人。最初、各都道府県のブースそれぞれで取り扱っていると思ったけど、そうでもなくて、壁側に、すべての駅弁を並べて販売していた。これなら買いやすい。

左から北海道が始まって、右は九州へ続くようになっていた。

結局私が買ったのは、長野県塩尻のとり釜飯。本質的にはまぜご飯の具のないところへ、野沢菜、鳥そぼろ、鶉のゆで卵、栗、煮鳥が載っている、容器は素焼きのかまど型。値段は820円だった。釜飯は過去にも食べたことがあるが、だいぶん前で、珍しさもあって、おいしい。

最初、北海道千歳のかに弁当も食べたかった。あれは小さい頃、母と飛行機の待ち合わせ時間に、閑散とした待合所で食べたことがある。思い出の弁当である。

素焼きの容器は家に持ち帰った。これから底に穴を開けて、植木鉢にする。隣の席のサカイさんはこれで、茶碗蒸しを作るそうだ。

ウエヤマさんもなんかの弁当を買ってきたみたいだ。聞くのを忘れていた。

休日に出勤して、やはり帰ってきたのが23時過ぎだが、それなりに充実した日。

気分の入れ替え方

2006年01月26日 23時56分29秒 | Weblog
このブログはここ数回、お昼休みに書き込む。

昼食をとった後の残りの時間を使うわけだから、外へ出ることがなくなる。加えて、まだまだ咳が出る軽い風邪の段階だから、ちょうどいいかもしれないと思っていた。

だから、朝、出勤すると、次に外に出るのは退出時の夜ということになる。しかも帰りは11時くらいだから、ほとんど外を眺めているなんてもんじゃない。
しかし、外を出歩いていて、ブログのネタを見つかることにもなるから、一日15分程度でも出たほうがいいだろうという結果になった。これでブログの更新が難しくなるが、良く見ていただいている方には、この一、二月は二日に一度のぞいていただければいいかもしれない。家へ帰ってからの更新はより難しくなる。と言うのも、普通に過ごしていて、寝るのが1時半くらいになる。そこから5時間半程度寝て、7時には起きなければならない。すごい生活になっている。

さて、今日は旭屋書店大阪店に行って来た。ジュンク堂は遠すぎる。ここへ来たとしても、それほどゆっくり回れると言うものでもないが、それなりに楽しめる。「ホビージャパン」を立ち読みしてきた。次から次へと新しいガンダムのプラモデルが出るね。押入れに買ってきて手の付けられないプラモがたまっている身だ。まあ、それでも何とかなるくらいの量でもあるが。

会社の同僚は、連れ立ってお昼を食べに出て、阪急東通商店街のゲームセンターに毎日入り浸っている。うちの会社は全員が私服だから、おそらく周囲からは毎日ゲームをしにきているフリーターの兄ちゃんと言う風に見られているかもしれない。

私に上司(年齢が同じで、学年が一つ上なのだが)は、定食屋で置かれているまんが雑誌を片手に、食事を取る。最近の漫画にはすごく詳しい。こないだ知り合いがデビューしたといって雑誌を見せてくれた。すごくうれしそうだった。

派遣の社員さんは、お弁当を食べると、どこへ行くともなく、コートを着てマスクをして出かける。

会社にへばりついていると、結局、気分の入れ替えが出来ないのだ。だから、それぞれがツボを心得ている

デザインの教科書

2006年01月25日 16時19分38秒 | DTP/Web
こないだまで、『ノンデザイナーズ・Webブック』(毎日コミュニケーション 2001)を読んでいた。もう五年前に出された本だから、かなり古い。半額で売るか、100円で売るかと言う本が多いブックオフで、4分の1の値段で手に入れた。確かに賞味期限が過ぎているとは思うが、中核的なところは、今でも使える。しかし、どんな人がデザインの教科書ともいえる本を使って勉強するのか?

よく、芸術大学に通う人を見かけるが、彼ら彼女らは、どんな教科書を使っているのかと思うことがある。もちろん絵画を制作する専攻だったら、「手軽なイラストの描き方」みたいな本は要らないが、上級編の本も少し思いつかない。かといって、絵画史の本ばかりを使っているようにも思えない。教科書がなければ、先生の話を聞くだけのようにも想像するが、何を教えるのか?という疑問にもなってくる。とはいっても製作実習ばかりではないだろう。

この本姉妹編として、『ノンデザイナーズ・デザインブック』があるが、こちらはよりDTPの製作を行ううえでの、デザイン的なところを教える内容となっている。対象は、完全な初心者用と見ていいかもしれない。

絵の具や油彩を用いて、絵を書くことが主流だった時代は、その技法は完全に個人の才能の部分が大きかった。しかし、比較的簡単にデザインソフトを用いて描ける今の時代は、その技法の部分で求められるものが格段に高くなった。上が高くなっただけで、こうしたソフトの普及によって、デザインの敷居が低くなったとは、思えない。

デザインの初心者にとっては、基礎の部分を押さえるだけで一生がかかるくらいである。

tyokutaka 日本史B 18点

2006年01月23日 14時00分51秒 | Weblog
こないだ行われたセンター試験日本史Bの結果は18点だった。いや、別にセンター試験を受験したわけではなく、新聞に載っていた問題を純粋に解いた上での結果。結構日本史は自信があったが、こんな結果になるとは。まあ、本腰入れて解いたわけでもないが。おまけに私は大学受験の際は世界史選択だった。

毎年、出題傾向に偏りが出てくるセンター試験。東大や京大なんかは意味ないとして、参加したがらない内容になってきているとか。確かにそうだ。そのわりに私大がドンドン参加している。

今年の問題は、文化史への偏重が大きかった。もともと日本史で受験に通ろうとすると、限界点に至るまで、歴史的な事柄をを暗記しなければならないと言われる。それだけ覚える量が多い。でも日本史の点数が18点のはショックだったな。

問題を見ていると、本当に知らない知識の問題のほうが多い。しかし見方をかえれば、教科書に載っているような文章で歴史物語を読むような内容よりも年表を丸暗記すれば解けるような、年代を順番に並べる問いや、文化史の偏重が大きく、昔もらった、日本史資料集のほうがはるかに使える印象だ。それだけ、教科書をはずすような出題傾向になってきているのかも知れない。これが意味するところを良く知らないが。

しかし考えてみればおかしな話である。若い人の読書離れが多い中、あれほど読み応えがあって、内容の濃い「本」もめったに見かけないからだ。そこいらの三文時代小説よりもはるかにドラマチックだ。だとすると、入学試験問題はドラマチックというところから離れてきていると言うことになる。

ところで、こうした試験問題を作るのは大学の先生だ。確かに、歴史研究は歴史小説や時代劇とは違う。でも細部をうがつような問題ばかりを出していると、普段の大学の授業で、「伝わらない」ものがあると思うけど、どの程度わかってんのかなー

見上げる塔 見下す塔

2006年01月22日 23時58分40秒 | Weblog
大分前の話だが、出身大学の社会学部棟に行ってきた事がある。対して高くもない建築物ばかりがあった大学だが、それはそれで充分に用をなしていたと思う。なぜか、大学当局は、入れ物たる建築物の建設に腐心するようになった。もうここ10年くらいの話である。大阪の郊外で、それなり閑静な住宅地のなかに、高層建築が作られるようになった。その中でも社会学部棟は部分的に10階などというところがある。だが、この部分をつなぐ渡り廊下のような場所が、風の通り抜ける状態であったりして、風のきつい日は恐怖心を感じる事があった。

旧約聖書にはバベルの塔のくだりが書かれている。もう既に多くの人が知っている話だが、その話を書き出すと、人々は神への敬意を失い、それどころか、神の世界に近づき、のぞこうというよこしまな心に満ちあふれた、その手段として、高い塔を建て、神の国への入り口を作り出そうとした。しかし、これが神の怒りに触れ、ある夜、神は人々の言葉を変えた。翌朝、起きた人々は互いの言葉が違い、意思疎通がまともに出来ない事に気づく。その結果、塔の建設はストップし、結局のところ、完成しなかったというものだ。

それからもう、何千年とたち、人々は神の国を目指すべく、高層ビルを建てるなどという発想を持つ事はなくなった。その時点で、人々の関心はより高いところへという「上」よりも高いところから見渡した視点である「下」へとシフトしていく。つまり神の存在そのものへ取って代わる事よりも、神の視点をつかみ、下を見下す「眺望」の方へ傾いていったのだ。

ただし、いかに高い塔を建てたところで、それは足場というポジションを確保しただけであって、思ったよりも眺めが良くないことを知る。かすんで見えなかったり、日差しや雨のせいだったり。それはもう人間の力ではどうにも出来ないことであったと思う。

私は行ったことがないのだが、六本木ヒルズには多くの「勝ち組」企業が入るビルがあるそうだ。そしてまた、よくメディアのやり玉に挙げられる場所でもある。そしてまた、新興の会社組織もまた、自らの実力でこのビルに近づこうとする。ヒルズという丘をのぼり、このビルに近づき、そこのどこかに落ちつくという行為。それはあたかも大学までの受験競争のルートに似ていなくもない。

堀江氏もまた、九州から上京し、安田講堂(東大)というかつての高層ビルに類似した建築物のある場所へと足を進めた。しかし、彼が安田講堂に見切りを付けるのは早かった。何年かの年月が経ち、彼が落ち着いたのは、結局ヒルズの高層建築という、安田講堂の縮図のような場所であった。

見晴らしが良いと思える超高層のビルに入り、そこからの眺めが本当の意味で良いと思える企業経営者がどれほどいるのだろうか。

堀江氏はWebの制作を辞めたのか

2006年01月21日 23時48分53秒 | DTP/Web
残業やら風邪やらで、結局思うように動く事が出来なかった今週一週間。その間にあのライブドアに強制捜査が入った。合法ぎりぎりの線での株の取得と、企業の買収。しかし私自身はその事に対してそれほど興味が無かった。もともと金の亡者とも言えるくらいの堀江氏だ。しかし、彼の「どれだけ持っていても損にはならないでしょう」という発言は私個人、反発よりも同意を示す。というのも、これだけあれば充分というのは、往々にして足りない状況が生み出される。だから私は財布には少し多めに金を入れている。使わなければただの見せ金だ。そう、使わなければいいのだ。しかし、多めに持たないのと持つのとでは大違いである。これは親から教えられた。うちの実家だけの特殊な事情でもないみたいだ。遥洋子も親から教えられた事を著書の中で書いている(『東大で上野千鶴子にケンカを習う』筑摩書房)

ところで、堀江氏はあれだけ金に固執する理由がある事は、何となく気づいていたし、その理由もわかってはいた。企業買収と言う手法でお遊びとしてとしてのマネーゲームを行っている事ではない事は確かである。私はおそらくWebに関連する事だろうと思った。あれだけ稼いだ金を使うとしたら彼の事だ、後にも先にもWebだろうとは思っていた。

インターネットの草創期に、その魅力に取り付かれた人間の、情熱はつい最近この世界に入ってきた私たちの比ではない。おそらくこの情熱はそっくりそのままモチベーションという言葉にも置き換えることができるであろう。

となると、ライブドアの本業たるインターネット関連の収益はどうなのだろうか?

実は今回の騒動が始まった当初から、そこへ話が落とし込まれるだろうと感じていた。そしてまた予想こそついていたが、正直なところその言葉はあまり聞きたくないというのが、本音でもあった。インターネットの業界にほんの少し脚を浸している人間にとっては、あまり良い言葉が帰ってくるようには思えなかったからだ。

望むと望まないに関わらず、ライブドアの内部事情が明らかになる。あれだけの大企業にありながら、インターネット部門の収益は相当な赤字を計上しているのだ。
これは他社の事情だと言えるほど、垣根の違いを認識できる世界ではないのである。ライブドアがあのくらいの状況だから、他のインターネット産業も同様と考えるのが普通だろう。

そのように見ると、次のような結論が見えてくる。すなわち未曾有の社会経済への影響を及ぼした今回の騒動の背景には、インターネットの凋落が大きく関係していることだ。

しかし、本当の作り手とは非常に小さな存在である。安定したその小さなつくり手を目指し、彼はタブロイドの餌食(今では一流誌もそうだが)になるような道を選択したのではないかと。

最後に堀江氏に聞きたい。
「最近自分で作ったホームページはどんなホームページですか?。それはかつてのように、インターネットに将来性と魅力を感じた時のように、楽しんで作れましたか?」と。

残業への人間の対応

2006年01月21日 23時41分00秒 | Weblog
人間関係がすさみ、社員同士の人間関係も決して良くはない状況を作り出す残業。相手も疲れているという思いやりの心が生み出す二つの選択肢。それは、相手とのコミュニケーションとその対局に位置するディスコミュニケーション。前者は理解できると思うが、後者は出来ない人の方が多いかも知れない。しかし簡単だ。人間、疲れが高じてくると口数が少なくなってくる。こうなるとコミュニケーションも決して気分のいい存在でなくなる。むしろ鬱陶しい存在になる。だから、気楽にしゃべるのはそこそこに、早く仕事を仕上げて帰るのが、結局のところ人間関係を円滑にする一番の方法である事を、ある時期私は悟った。

カゼです。

2006年01月19日 21時34分42秒 | Weblog
12月の仕事納めの翌々日、大阪まで出て、古書市を見て回り、普通の本屋で、
「牛を置いてください」の質問状を見た日のこと(12月30日ブログ参照)
大阪駅前第3ビルの金券ショップ街に寄って、またその近くの古本屋に顔を出したら、ある店の前では、シャッターが下りていて、こう書いてあった。

「カゼで一家全滅です。皆様もお気をつけください。」

あれから半月たち、今度はこっちがカゼだ。
最近、カゼ引いたかなと思うのは、のどの状態だ。のどが痛くなったらと言う状態である。もっとも、昨日はお昼にカレーうどんを食べたから、それが原因という考え方もある。しかし、昨日家に帰ってきたときは、虫の息であった。
比較的早く帰れたので、早く休むが、鼻が詰まって口をあけた状態になる。しばらくすると、よだれが出てくる。ほとんど廃人状態だ。いつもと対して変わらないという見方もあるが・・・。

結局、今日は起きられず、会社に休暇の報告をし、休むことにした。
家にいててもなおらない可能性が大きいので、近くのかかりつけの医者に行って来た。祖父の代からのかかりつけである。とはいっても、tyokutakaの家族がここに来たここ30年くらいの話だが。妹は中学のとき、一度肺炎になりかけた。それで何度も、注射を打ちに足しげく通った時期がある。

インフルエンザがはやっている、でもあれは39度の高熱が出て、下痢や嘔吐の可能性があるらしい。さてのどの状態だが、「えらい赤くはれているな」と言われた。
たしかに、赤くなっているはずだ。

休養と薬の力で、今はかなり回復してきた。
いつもは、自転車で駅まで出ているが、明日はバスで出ようかなと思っている。
寒い風に当たって、帰ってくるとそれだけで虫の息だ。

皆様もお気をつけください。