tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

権利侵害は純国産化を招くのか

2009年06月29日 21時44分47秒 | エアーガン/実銃
「tyokutakaさん、コンビニのおにぎりはかなり危険でっせ」と言われて中国食材の危険性が指摘さされた頃を思い出す。

言うまでもなく、コンビニのおにぎりが中国で生産されているのではない。国内で生産されているし、食品添加物を多く配合しているのも日本人だ。

月刊Gunに先月号は、東京マルイが、今月はウェスタンアームズが、中国で生産されたエアーガンにおいて、権利侵害されたことと法的賠償を求めた意見広告が載った。その影響か、東京マルイが近く出すL96はパーツ一切において、純国産を謳っている。非常に珍しいフレーズである。国内の景気の低迷から、新製品の発表が少なくなり、目新しさが少なくなってきた。バブルのころのように競合する製品が少なくなって、個性こそ出て来たが、出るものは再販かペンキ塗り直しといった所だ。

私は、あまり中国/韓国/香港/台湾が原産地と言える製品に興味は無い。確かに珍しく手にしたいモノが無いわけでもない。例えばFAL L1A1はまさしく唯一ともいえるものである。しかし、故障時のアフターサービスやパーツ補給の問題を考えると、金をドブに捨てるという懸念も払えない。何よりも、景気が後退した今の日本で、少しでも日本人の生産したものを手にしたいと考えるのは、それほど不思議な考え方ではなかろう。

わたしが、こうした中国/韓国/香港/台湾の製品の存在を目にするのは、雑誌のレポーターが取材した記事の中とか、問屋が出す広告の中である。こうした海外のメーカーが、一体どれほど日本の雑誌に広告を打ち出して、自らの製品の良さをアピールする「覚悟」があるのかを考えた時点で、海外メーカの製品はクーリングオフも返品も効かないような露店的商売を行っているという結論を導きだす事に、それほどの反論はないと思う。

あの頃一緒にがんばっていた友人たちに思う

2009年06月21日 19時07分32秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
今現在の仕事は、日曜と月曜が休みなので、月曜の夕方、かつて聴講生として通っていた大学の大学院演習に入れてもらっている。これも懐の深い指導教官のおかげだ。昔通った時期に共に勉強した友人達は旧帝国大学の大学院の卒業生だから、人によって時間的な差はあれども、どこかの大学の教員となって全国に散らばった。結構な話である。

また、当時も共に勉強した仲間で何人かは、そのままオーバードクターとして大学に残っている。やはり人によって差が生じる事であるから、これもまた考えられる事だ。彼らはもともと論文を書いたり、発表したりすることに淡白であったから、自分を語るツールは極端に少なく、それが生み出した当然の待遇、と言えばそれまでだ。ただ、彼らは最近論文を積極的に書こうとしており、その研究成果が徐々に実を結びつつあることだ。長い時間はかかっても、必ず研究成果を提示する。そういった底力を持っている友人を得たことに誇りを思う。

私は私立大学の修士過程を出た。大学教員の就職は極めて厳しいポジションにある大学である。そもそも社会学は極端に大学教員としての就職が難しい分野でもある。とはいっても、仏文学や独文学ほどではないが。その頃出会った友人も就職は決まらないし、まして、論文を書くという研究成果の公表にも、これまた淡白であるから、いったいどういう状況にあるのか皆目検討が付かない。

さて、話は変わるが、一ヶ月前に関西社会学会があった。ちょうど新型インフルエンザの影響で、どこの大学も休校状態だったが、その中の強行である。結果、懇親会は取りやめになった。

学会ではポスターセッションという部会(?)がある。壁に自分の研究内容を印刷したものをはり、その前に集まって来た人々に説明するものである。この詳しい説明は、http://www.otaru-uc.ac.jp/~egashira/post/poster.htmlで見てもらったら良いかも知れない。

私立大学大学院時代の知り合いが、ブースを出していたが、人はガラガラであった。遠目に見ていたが、やはり声がかけにくいのである。あの前に人を呼ぶには、学会の動員数が比較的多く、発表者にもそれ相当の「営業力」が必要になるのだろうが、たいていの院生はそれを持っていない。最後まで声がかけにくかった。

関西社会学会は、それほど多くの人間でにぎわうような学会でもない。残念だが、これは現実である。あるとき、私は友人の発表を聞きにある部会の部屋に入った事があったが、その部屋は、発表者以外の聴衆は、実に私一人だったこともある。

せっかく発表するのである。こんな学会だから、吹きさらしのロビーで掲示物前にいつ来るか分からない聴衆よりも、一定量聞き手が集まった各部会で発表する方がずっと有益だと思った。なぜか、私の出た私立大学の友人達は、難しい発表の形式を選ぶのである。

ここ1年ほど、私は自分の研究成果を大学生協が出す同人誌に発表している。

「あれは、研究成果とは言えないね。雑誌の位置づけは研究誌ではないし。」と人から陰口を言われているかも知れない。ソシオロジに入会した当初、ある友人は研究職についているわけでもなく、大学院生でもなく、一介の勤め人だった私のポジションをみて言った。「書くのは良いが、モノがきになるんだな」結構な屈辱であったと思う。

ソシオロジという、書いたものを発表する場を確保しながら、なかなか書き出せなかった私がテーマを見つけて、ようやく書き、「おそらく査読に落ちるだろう」と思ったが、掲載が決定し、すでに二回載ったのが先の同人誌である。私は少なくとも「書かないよりまし」という気分でいる。確かに大層な社会学の理論家の概念を援用して書いている訳でもない。それでも一定の自負はある。

こうして書いたものを、やはりまた別の友人のところへ送った。かれ(かのじょ)は長く病気療養で論文は書ける状態にないはずだ。一回目は丁寧な礼状が届いたが、二回目はプレゼントと称したハンカチを頂いた。少なからず私は動揺し、別のハンカチを用意して、返礼を送った。少し重荷になったのかも知れない。もしかしたら、かれ(かのじょ)の中で、大学院という場に籍を置きながらも、研究というのは「終わった」ことなのかもしれない。

色々書いたが、これは、京都大学の太郎丸先生が書かれたブログ(2009年3月31日)の内容(http://sociology.jugem.jp/?month=200903)以前の問題なのである。

最後の砦が堕ちる時(5)ー絵を描ける人達の不幸ー

2009年06月15日 13時58分49秒 | DTP/Web
高校へ進学した際、芸術選択で美術、音楽、書道の3項目から選べという用紙がまわってきた。正直、美術というより、絵を描く事が苦手である。一番手間がかからないのが、書道か。勿論、これも立派な芸術である。書道家、あるいは書家という名称にもあるように、活躍する人は多い。だが、たいがいは、ヘッタピが墨で字を書いているようなものだ。反面、美術はその能力が非常に顕在化しやすい。

かの漫画家、西原理恵子が美術学校に入って、はじめて校内の学生展をみたとき、あまりにも自分と実力が違うので驚いたそうだ。彼女の言葉を使えば「ヤベエ、家帰りたいよ オレ」

そんな感じで学内調査を行った結果、6クラス中、3クラスは書道、2クラスは音楽、1クラスは美術となった。かなり偏っているが、上の理由を考えれば、結局そんなところか。私は音楽を選択していた。しかし、よくあるように、楽譜を見てドレミへ即座に変換できる訳でもなく、楽譜の下にせっせと書いていた。後年、大学に入ると、ゼミの友人が軽音に入って、ドラムを叩いていた。読めるんだろうと思ったが、彼も書いていたらしい。その後彼がギターに転向した時は、驚くよりあきれたが。

かくて、絵をうまく描ける人を尊敬する。

今の仕事柄、芸術系の大学生と会うというか、作品を拝見することが多いのだが、うまいというより、前衛すぎてわからないのである。しかし、あの芸術系の大学を出た人達は、就職でその後どうするのだろうと思う。

実は、結構決まらない人が多かった。確かに、技術がすごくても、なかなか職業に結びつかない。

DTPやWebの世界は、結局、この種の人間を非常に重宝するところがある。たしかに芸術系の大学を出ていない新参者をとる事もあるが、それは基本的に絵が描ける人が多い。芸術的なセンスを持っている人々と言ったところか。

となると、美術を避けて来た私は、論外であったというのもある。下手でも休みの日に絵を描いている訳ではない。

ただ、絵を描ける彼らが、こういったDTPやWebの世界でその実力を充分にのばせるかというと、そうでもない。残念だが、会社の言う通りに動くだけだ。非常にセンスのいいCGデザイナーの作品を見たが、仕事が減っているみたいだ。食うために専門学校の講師を行う彼は、半端じゃない量のグラフィック系の資格を持っている。DTPエキスパートもその一つだ。

人材が飽和した世界においては、採用という場面において、その世界の若手のエリートをとる事を考える。より優秀な人間をとることは容易だからだ。はいれば、必ずしもその人間でなければならない仕事内容でもないのだが。

イラストレーターの使い方は確かに習った。でも、今の私でも、芸術選択は音楽になると思う。

最後の砦が堕ちる時(4)ー拒否された世界ー

2009年06月07日 23時09分52秒 | DTP/Web
「再受験を希望される場合は5月末日までに届けを協会へ提出してください」

と不合格通知には書いてあった。
結局、提出しなかった。6月3日に協会から封書が届いた。

「届いていませんので、意志があるなら、提出してください」

と言った内容である。
悲しいかな、大学院まで行った人間である。眼の前にテストがおかれれば受けてしまうものだ。あらためて受験料を払って、不合格になる事を承知で・・・である。しかし、提出する気になれない。
私は、この世界から拒否された人間である。権利は持てば行使したくなる。転職活動で、何の考えも無いまま、私は自らの資格欄にこの資格の名称を書き続けた。そして不採用の通知をもらい続けた。印刷会社にも何度も足を運んだものである。しかし、向こうは勿論、こちらもこの世界に居る人間ではないように思えた。
私の履歴には、資格とか以前に、10年近く、20代の大半が大学や大学院や聴講生などと、学校に深く沈みこんだ経歴をもつ。そしてまた現在は大学の事務を行っている。生活の糧のために入りたくて近づいた世界(DTP)からは遠ざかる一方で、もう相当前に足を洗った大学関係の仕事をしている。そしてまた、月曜日が休日なのを良い事に、古巣の大学のゼミにもぐっている。

結局私は、印刷やデザインの関係から、その経歴を根拠に拒否されたのだ。この事が生活や収入に結びつかず、精神的に追い込まれ、相当苦しい時期が続いたこともある。ようやく抜け出た先は、就職以前に居た場所に近いところだった。

DTPである必要はない。今の私は、今の大学事務の職場で、イラストレーターやフォトショップを使っている。勉強した事は無駄になっていない。完全に金になっている訳ではない。完全な専門職としてDTPの世界に入っていたとしても、長時間勤務、安い賃金に根をあげていたと思う。

いまの仕事は万全ではないが、それなりに合っている。そしてもう、DTPの専門家などという資格もいらないのだ。