tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

「仏の魂」の基準

2010年09月05日 12時19分02秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
「専門書が欲しければ、ジュンク堂書店へ行こうね」という認識が生まれて既に久しい。それだけ専門書の数が豊富なのだが、十分に納得できる店を作るには、相当の経験と商品知識がないと難しい。最近、私が住む奈良でよく目にするのが、大型店舗の開店である。たとえば、近鉄奈良駅にはK書店があるが、本来の敷地以外に、近くのビブレの地下に大型店舗をオープンした。そのふれこみは「売り場面積が500坪、専門書から児童書まで40万冊の品揃え!!」というものだが、私の認識では、「よくわからない店」になっている。

よくわからない店になったのは、同じように経営する本屋が、目と鼻の先に店を構えておきながら、その二つに棲み分けを作るのではなく、よく似た品揃えにしてしまっていることである。言い直せば、従来のA店舗の品揃えに、B店舗は店舗面積が広くなった分、商品をさらに多く追加したという程度である。

ジュンク堂は神戸が最初の本部であったが、やはりこれと似たような状況であった。ただ、今日、専門書でそれなりの名声を得るに至ったのは、一つの店舗を専門書中心という「棲み分け」の設定を行ってノウハウをためた事にある。

K書店の場合、表通りの店に一般的な書籍や雑誌を置き、ビブレの地下店に専門書かあるいは品揃えで特色ある店を展開するのが戦略である。若者中心の店の地下に雑誌をわざわざ買いに入ってくる客は少ない。それは、ビルの9階に店を持ち、そこへ雑誌を買いにくる客がどれだけいるのかという命題と同様であり、そこへ買いにこさせる仕掛けが必要という事でもある。

最悪なのは、売り場面積の広さが本の多さにつながってくるという誤った認識を経営の側も客の側も持っていることだ。私の専門が社会学というのもあるが、ここ最近オープンした大型店舗の社会学の棚の内容の薄さにはあきれる事も多い。これは奈良だけの問題ではない、京都でも同様なのだ。

特に京都のO書店は、イオンに大型店を作ったが、社会学のみならず総じて内容が薄いので数回行って足が遠のいた。奈良のK書店もしかり。

「仏作って魂入れず」ということわざ?があるが、最近、私の周りでオープンした本屋がこういった状況だ。

草食男子で結構!!!

2010年08月10日 21時47分44秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
私の今の職場は男性の若手に元気がない。というのも、20代の若手が・・・である。

そのことを指摘したのは、職場の30代半ばの女性である。正直ムカついた。

結構まじめにやっていた20代の男子が辞めたことをしった。退職日は8月31日。本当に退職したのは8月6日で、それ以降夏期休暇と有給消化になるのだとか。あまりにいきなりだった。実は私自身挨拶もしていない。

非常に残業が多く、下っ端に責任の重い職場だ。それでいて雇用は3年打ち止め。ひどい話である。その事に対する不安は女性よりも男性の方がシビアだ。雇用の不安定さは男女とも同じ・・・などという輩はいる。しかし、本質的に異性の置かれた状況を、互いに同質として見なすことを私は許容できない。第一、生物学的に違うものを、互いに理解し合ったなどと軽々しく言う事が、気に食わないのだ。それでも厚顔無恥にいう異性は非常に多い。その中には、男女平等を強く望みながら「男はかくあるべき」という概念を押し付ける人間は多いからだ。

本質的に、私は、同性の悩みさえもすくえないことを知っている。そうして大局的にわかったような視点で断じる異性に怒りを覚えるようになったのは今の職場に入ってからだ。

草食男子ということばが、女性のほうから提起されて、世間はそれに頷いた。だが本質はもっと違う。うわべで男女平等を主張しながら、「男性はかくあるべし」というイメージを押し付ける女性の多さに、拒否権を男性は拒否権を発動したのである。本質的に解決にならないのかもしれないけど、それはそれでいいのかもしれない。

少なくとも男性が男性であるために。

美人論

2010年03月15日 21時22分26秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
私は以前、印刷出版関係もどきの仕事をしていて、その後空白の期間があって、今の仕事についた。サービス業や事務職は数ある職業の中で、最も生産性の悪い業務と言われる。極端な話が、ただ単に維持しているだけという考え方もある。総務や経理、庶務といった一連の業務のことを指し、これらの業務はそれなりに重要だが、致命的なのは、生産しているとはとても言い切れないということ。すなわち、営利を追求する会社という組織にあって、何らかの利益をもらたらすのではなく、人件費という費目で、食い散らかしていると見られるのだ。しかしまあ、総務や庶務は、定型的とは言えない突発的な仕事が発生するし、経理も今の時期はスゴク忙しいのだが。

特に最近は、9時に出社して夜の9時が定時と思いこむような毎日をおくっている。付け加えれば、夜の9時が定時で、それから「残業」を行っているのだが。で、帰りが11時。

私は、大学のとあるプロジェクトに参加していて、マニュアルとシラバスを作っている。とはいっても、シラバスが大学から集めて、マニュアルは専門業者に作ってもらったものをチェックして、印刷会社に入稿するだけだが、結構これに問題が生じて、しょっちゅう電話だのメールだの投げている。

前職とは少し変わった部分がある。すなわち印刷の「受注側」から「発注側」に移動したのだ。しかし、昔取ったDTPエキスパートの知識の名残か、印刷会社とのやり取りがスゴクスムーズに進む。これには驚いた。勿論、印刷会社さんも仕事だから、こちらよりも遥かに知識を持っているけど、それでも伍して出来るくらいだ。

これも、今週には納品が終わって、一連の印刷発注業務は終わることになる。

かくて、発注の特性上、印刷会社の営業さんとよく話するけど、営業さんは結構な美人である。これが楽しみであるという側面もあって、かなり話をした。ただし、「魚心あれば水心」が出来るような権限は私にはないので。念のため。

あくまで、男性の側の一方的な見方だけど、「話しやすい人」というのは、それだけでアドバンテージがあるものだ。職場でもよく話す人とそうでない人に分かれる。だが、その基準は「美人/不美人」の差異ではない。とくに、私の場合、確実に「話しやすい人=不美人」という公式が成り立ちつつある。ある小説の一節にこんな文章があった「(美人か不美人かの評価は書いていないが)よく見れば、悪くないではないか・・・」見方一つである。

世間一般的な考えで、よく、「美人はトクだ」という見方がなされる。しかし、必ずしも美人が得しているように思えない。手前味噌、私の妹はそれなりに美人であるが、結婚の話はまだだ。そうこうする間に、学校時代の友人の方が早々と決めてしまって、結婚、出産、もう二人目というのも珍しくない。彼女は言う、「私よりも遥かに(美的観点で)劣るあの子が、なんで結婚しているのか」と。この言葉は非常に重い。

しかし、男性、特に私個人の目から見れば、目の前のカップルを見て「無難な所で手を打ったな」という判断をする時もある。もっと以前は、ベビーカーに乗っている子どもの顔と母親(あるいは父親)の顔を見比べて、その場にいない親の顔を想像した時期もあった。「まあ妥当」と「これは母親(父親)似だな」と思うことがあった。特に後者の場合、「・・・気の毒に」という言葉が付くことも多々あったが。

実は、今の組織にも「美人」がいるのだが、それは同僚の受け売りだ。そしてまた、その評価を出しているのは、女性の方か、少し年配(とは言ってもせいぜい40代)の男性だ。彼女の不思議な魅力は、どうやら外でも通用するみたいで、わざわざ、その友人の書いたブログに「高学歴で美人・・・」という評価が書かれている。

どうやら同性の間では、美人で通っているようだ。

ただし、男性ではどうか。どうやら明確に二分していて、「普通ですね」という人間が結構多いように思える。勿論、少し年配(とは言ってもせいぜい40代)の男性はここから省く。面白いのは、男性間の「美人」と女性間の「美人」は相当異なるという事実だ。そしてまた、私が判断した「無難な所で手を打ったな」という答えは、この意識上の差異に起因しているのかもしれない。

ちなみに私の答えは「美人だと思うけど、私がかつて好きになった人からは結構外れる」だ。

もっとも、今回の記事内容の大半も、主観にすぎない。

あの頃一緒にがんばっていた友人たちに思う

2009年06月21日 19時07分32秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
今現在の仕事は、日曜と月曜が休みなので、月曜の夕方、かつて聴講生として通っていた大学の大学院演習に入れてもらっている。これも懐の深い指導教官のおかげだ。昔通った時期に共に勉強した友人達は旧帝国大学の大学院の卒業生だから、人によって時間的な差はあれども、どこかの大学の教員となって全国に散らばった。結構な話である。

また、当時も共に勉強した仲間で何人かは、そのままオーバードクターとして大学に残っている。やはり人によって差が生じる事であるから、これもまた考えられる事だ。彼らはもともと論文を書いたり、発表したりすることに淡白であったから、自分を語るツールは極端に少なく、それが生み出した当然の待遇、と言えばそれまでだ。ただ、彼らは最近論文を積極的に書こうとしており、その研究成果が徐々に実を結びつつあることだ。長い時間はかかっても、必ず研究成果を提示する。そういった底力を持っている友人を得たことに誇りを思う。

私は私立大学の修士過程を出た。大学教員の就職は極めて厳しいポジションにある大学である。そもそも社会学は極端に大学教員としての就職が難しい分野でもある。とはいっても、仏文学や独文学ほどではないが。その頃出会った友人も就職は決まらないし、まして、論文を書くという研究成果の公表にも、これまた淡白であるから、いったいどういう状況にあるのか皆目検討が付かない。

さて、話は変わるが、一ヶ月前に関西社会学会があった。ちょうど新型インフルエンザの影響で、どこの大学も休校状態だったが、その中の強行である。結果、懇親会は取りやめになった。

学会ではポスターセッションという部会(?)がある。壁に自分の研究内容を印刷したものをはり、その前に集まって来た人々に説明するものである。この詳しい説明は、http://www.otaru-uc.ac.jp/~egashira/post/poster.htmlで見てもらったら良いかも知れない。

私立大学大学院時代の知り合いが、ブースを出していたが、人はガラガラであった。遠目に見ていたが、やはり声がかけにくいのである。あの前に人を呼ぶには、学会の動員数が比較的多く、発表者にもそれ相当の「営業力」が必要になるのだろうが、たいていの院生はそれを持っていない。最後まで声がかけにくかった。

関西社会学会は、それほど多くの人間でにぎわうような学会でもない。残念だが、これは現実である。あるとき、私は友人の発表を聞きにある部会の部屋に入った事があったが、その部屋は、発表者以外の聴衆は、実に私一人だったこともある。

せっかく発表するのである。こんな学会だから、吹きさらしのロビーで掲示物前にいつ来るか分からない聴衆よりも、一定量聞き手が集まった各部会で発表する方がずっと有益だと思った。なぜか、私の出た私立大学の友人達は、難しい発表の形式を選ぶのである。

ここ1年ほど、私は自分の研究成果を大学生協が出す同人誌に発表している。

「あれは、研究成果とは言えないね。雑誌の位置づけは研究誌ではないし。」と人から陰口を言われているかも知れない。ソシオロジに入会した当初、ある友人は研究職についているわけでもなく、大学院生でもなく、一介の勤め人だった私のポジションをみて言った。「書くのは良いが、モノがきになるんだな」結構な屈辱であったと思う。

ソシオロジという、書いたものを発表する場を確保しながら、なかなか書き出せなかった私がテーマを見つけて、ようやく書き、「おそらく査読に落ちるだろう」と思ったが、掲載が決定し、すでに二回載ったのが先の同人誌である。私は少なくとも「書かないよりまし」という気分でいる。確かに大層な社会学の理論家の概念を援用して書いている訳でもない。それでも一定の自負はある。

こうして書いたものを、やはりまた別の友人のところへ送った。かれ(かのじょ)は長く病気療養で論文は書ける状態にないはずだ。一回目は丁寧な礼状が届いたが、二回目はプレゼントと称したハンカチを頂いた。少なからず私は動揺し、別のハンカチを用意して、返礼を送った。少し重荷になったのかも知れない。もしかしたら、かれ(かのじょ)の中で、大学院という場に籍を置きながらも、研究というのは「終わった」ことなのかもしれない。

色々書いたが、これは、京都大学の太郎丸先生が書かれたブログ(2009年3月31日)の内容(http://sociology.jugem.jp/?month=200903)以前の問題なのである。

書評:クロード・S・フィッシャー著 『友人達のあいだで暮らす』

2006年07月03日 00時35分35秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
(書誌データ:松本康・前田尚子 訳  未来社 2002 (原著は1982年))

こないだ奈良県立図書情報館で借りてきたのが本書である。それ以前に早川書房の『アップル』という本を読んでいた。しかしこちらはマッキントッシュを作っている会社の草創期から現在の最高経営責任者たるジョブスが追放され、再び帰り咲くまでの一連の社内経営陣の動向を追ったノンフィクションでありながら、全くと言っていいほど面白くない。それでも読み続けたのだが、一週間経っても、100ページもすすまないくらいであった。仕事の方も行き詰まっていた時だから、気力も落ちて、本を読むスピードも落ちたのかとがっかりしていた。

本書の存在を知ったのは一昨年の冬だったと思う。書店の社会学の棚に想定のきれいな本がささっていて、タイトルも面白そうな付け方をしている。読んでみたいと思ったが、値段が6800円と結構高額な本であった。

その後、この本を天神橋筋商店街のある古本屋で見かけるが、こちらも結構な値段がついていて、あきらめにも似たためらいがあった。しかし、驚いたのは当分その本屋に近寄らず、ある日行ってみると、この本が売れていたという事。あの値段で手を出した人がいるのかと思った。

で、こないだ図書館にあったから、散財する前にどんな本か見ておこうと借りてきたのが始まり。本を読む時間も限られているし、読む場所も限られている。私の場合それが電車の中であり、通勤の途中だ。にもかかわらず、本体部分だけで400ページ近くあるこの本を5日くらいで読み上げた。やはり「昔取った杵柄」である。私もこれを隠して生きていこうと思った事もあるが、やはり出てくるところでは出るもので、受け入れて使っていこうと思うようになった。ただその後本書の内容を自分の中で咀嚼するのに手間取った。

著者のフィッシャーは社会心理学や都市社会学の学者だから、シカゴ学派の流れを汲むのだろう。シカゴ学派とは前世紀の初頭から大都会だったシカゴで栄えた社会学の一学派だ。彼らの対象は都市だが、当時のシカゴは社会不安の固まりみたいな場所であった。貧困や犯罪など。そういったところを調査というスタイルで分析し、社会改善の提唱を行っていくというのが、この社会学のスタイルでもあったが、見方を変えれば、政治学や社会政策学のような部分も見る事が出来る。しかし、本質的に社会学は政策などの提唱を行う事が主任務ではないと私も考えるようになったから、同じ社会学といっても、ある意味では方向が少し異なる分野に見える。

ちなみに私も都市とかには関心があるが、それでもその都市に内在する歴史とか建築物とかの「文化」の方向だから。最近では自分の専門を文化社会学としている。もともとそうありたかったのだが受け入れるのに相当な時間がかかった。

肝心の本書の内容だが、21世紀に入ってから日本語に訳されて、刊行されたにもかかわらず、原著は1980年代の初頭に出されている。原著作成の根拠となった調査自体は、1970年代の後半にかけて行われた訳だから、古いと言えば古い。しかし、作者はこの本が少しも古びていない事は指摘しているし、21世紀を迎えた現代でも充分通じると考えたからこそ、日本語に訳されたとするべきであろう。

ところで都市社会学は社会病理の部分を全面に出した結果、都市社会学の研究対象となる「都市」とは人間疎外が起こり社会的な紐帯(ちゅうたい)が弱まる場所としての「悪」という前提で断じられる部分があった。

確かに、都会は田舎に比べて人間関係は希薄である事は今日の日本でも感じる事であるといえる。ただ、この前提となる概念は本当に正しいのかというところから出発したのが、本書の内容である。筆者はこの問題に対して、個人間のネットワーク、すなわちどのような友人を作るのか、どのような互いの嗜好の一致が起こっているのか、どのような階層の分化が起こっているのかというところを調査している。かつて階層と嗜好の問題になるとピエール・ブルデューの研究が有名だろう。

また本書では「下位文化」の概念を用いている。下位文化、すなわちサブカルチャーという事になり、これはカルチュラルスタディーズの手法が入ってくるのだが、こうした既成の概念とは少し異なる視点で書かれている。それもそうだろう、原著が1980年代の初頭の発刊となると、それほどカルチュラルスタディーズが認知されていたとは思えないからだ。フィッシャーが用いる「下位文化」の概念は末端(ここではミクロな単位としての個人の意味で使う)の人間達が嗜好する文化の事であり、貴族的な上位概念を含む文化現象に比して、下位に置かれる文化という意味ではない。またそうして見えてきた文化にいわゆる階層と文化に関する明確な区分は、少なくともカリフォルニア(あのアメリカのカリフォルニア!)では見る事が出来なかった。その証拠に、安い賃金のトラック運転手の「好む」というより「こだわり」という意味における酒が、高価なワインであったり。比較的知識人階級のサラリーマン(大学教授と思われる)が好む新聞誌が大衆的な一般紙であったりという事例を挙げている。これらは少ないサンプルデータから導きだされた特殊な事例の誇張ではない。むしろ個人が有する文化の多様さをまとめあげることが出来ないくらいであったそうだ。

本書の調査の核心部分たる、都市における人間関係の側面によると、都市という場所に住む人々の疎外感はそれほど深刻なものでもなく、どの階層においても比較的広いコミュニティーネットワークを形成していることを明確にしている。しかし、この部分もまた非常にゆらぎの大きな結果でもある。

本書はフィールドワークの調査結果や事例をまとめたものであり、フィッシャーが導きだした、あるいは仮説として建てた理論の部分は、他の著書にまとめられているそうだ。これも日本語版が出ている。そのうちまた借りてきたい。

仮面ニートの問題

2006年06月17日 23時55分54秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
このブログはgooより提供されたスペースに書いている。gooは検索エンジンを主体としたポータルサイトの運営を行っているが、そのトップページに「退職型ニート」というキーワードが最近注目された一つとして載っていた。すぐには調べなかったけど、気になったのでこのブログを書く前に、調べてみた。

その結果、心理学を経営マネージメントに応用している寺崎文勝氏の「増殖する『仮面ニート族』への対処法」というコラムが引っかかった。その一部を引用すると以下の通り。

64万人とも85万人ともいわれるニートについて、現時点では学校を卒業したものの働くことへの第一歩が踏み出せない「新卒ニート」に関心が集まり、その対策が急がれているが、企業経営においてはむしろ、いったんは職に就いたものの、その後就業意欲を失ってしまった「退職型ニート」の存在に目を向ければならない。
(中略)
働く意欲を持ち、夢や希望を抱いて入社してきた若者が、働く意欲をなくしてしまい、失意のまま退職してしまうのは、若者にとって不幸なのはもちろんのこと、会社にとっても競争力を維持向上するうえで必要不可欠な貴重な戦力を失うという大きな損失を被ることになる。
 若手社員が退職型ニートに転落するのを防ぐためには、退職型ニートの前段階となる「社内ニート」の芽を摘むことが肝要である。社内ニートには2種類あって、一つは、なにかのきっかけで、ある日突然働けなくなって離職するリスクが高い「ニート予備軍」である。このタイプはニートとなってしまうまでは普通に、あるいは人並み以上に働いている者が多い。
 もう一つは、働く意欲や目的を失ったまま働き続ける「仮面ニート」であり、かりそめに職場に身を置いてはいるものの、実質的にニートと変わらない者である。
 このタイプは、本人に働く意欲がない、またはその結果仕事をするうえで必要なスキルを身につけることができないがゆえにやる仕事がなく、仕事を与えてもらえない社内失業状態に置かれていることが多い。
 誤解のないように言っておくが、仮面ニートを「仕事に情熱を持つことなく、会社への帰属意識もないままほとんど働きもせず、ただ来て帰るだけの給料泥棒」と単純に現象面のみを捉えてしまっては本質的な問題を見誤ることになる。


この文章を読んで「み、認めたくないけど、私のことじゃん」と思った。しかし、この文章はマクロな視点から捉えていることにも注意したい。というのも、会社にある仕事には、必ずしも高いスキルが必要ではないが、確実に行わなければならないとんでもなく「重要でありながらグレードの低い仕事」というのがあって、それもまた重要な「仕事」なのである。こういった仕事は、アルバイトや派遣社員、あるいは「低い」と能力が判断された人間に対して回される仕事になっている。しかし、見方を変えればアルバイトや派遣社員以外の雇用で来ている人(正社員か契約社員)は、月々に入ってくる額面が少なくとも、そういった単純な仕事で確実に生活が成り立つくらいの給料がもらえるわけだから、まあ「おいしい仕事」なのかもしれない。現に私の周囲でも自分を高めるような「仕事」に位置づけで仕事を行うのではなく、食い扶持のための「仕事」と思って接している人もいる。断っておくが、彼ら彼女らにやる気や実力がないわけではない。ただそういった下積みの、影の仕事を行わなっている人々の前で、「これも重要な仕事」というような仕事の意義を唱えながら、成果主義などというソリッドな部分を同時並行で出されても、困惑するだけであろう。

重要な視点とは、その仕事において確実に「結果」が出せるような内容になっているかどうかである。やる気があっても、成果を出せない人間は多い。私も必要以上に残業等を行って、ハイハイということを聞いて働いたが、あまり成果が残せていないのが現状だ。かつて、正社員の採用が企業にとって普通であった時代、企業にとって個人は「コマ」の存在であり、本人の希望や適性を無視してでも、動かすことが出来た。しかし、現在こうした方法を取ることで、ともすれば会社が潜在的ニートを生み出すだけの「生産装置」になるだけの危険性を持つことになる。そこへ成果主義などというものを導入すれば、そのシステムで高い評価を生み出すことができる人間など、社会的に見てほんの数パーセントということになる。

実は、近年言われる社会階層差の構造とは、その人間が望む仕事に就けて、きっちり働けているかどうかの問題ということになる。翻って考えてみれば、高い階層にいる人間の数が少なければ少ないほど、望む仕事につけない確率が高いということになる。それはこの国に希望が少ないということになるのだろう。

書評:竹内洋 『丸山真男の時代』(後編)

2006年03月26日 23時53分33秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
ある有名人の評伝を書くという行為は、その人物に対する意見の表明である。従ってそこには筆者のその人物に対する評価が内在するが、それは肯定的か否定的かのどちらかになるのだと思われる。しかしながら、多くの社会学者が行うような、論文中に自分の存在や痕跡を残さないという行為そのものが、この本の中にも存在していて、なかなかその作者の本意がどのあたりに存在するのかが分からない。しかし、筆者の視点を通じて丸山真男という人物の著作を紹介させると、その論文の妥当性、問題性が当時の学生一般にどのように受容されていたのかを説明していない事に気づかされる。私が気になったのは「日本ファシズムの思想と運動」について言及した次の部分だ。

ファシズムの担い手を考えるときに中間階級を第一類型と第二類型に分けなければならない。第一類型は「小工場主、街高女医の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、事に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官」である。第二類型は「都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、其他自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層」である。第二類型は「本来のインテリゲンチャ」であり、第一類型は「疑似インテリゲンチャ乃至は亜インテリゲンチャ」である。ファシズムを煽ったものは、第二類型のような本来のインテリゲンチャではなくて、第一類型のようなインテリゲンチャであり、第二類型のような本来のインテリゲンチャは、ファシズムに消極的抵抗さえおこなった、というのである。
しかし、この論文は少し読めば、ただちに不思議におもうことがあるはずである。ファシズム運動の担い手について断定しながら、国家主義団体の構成員の職業や学歴構成などを示す実証的データの裏付けが本文中にまったくないことである。
(中略)
だからこの論文は、ファシズムに加担せず、消極的であっても抵抗するのが「(本来の)インテリ」であることを宣言し、聴衆や読者をして、「本来のインテリゲンチャ」たらんとする決意を促すエッセイとみたほうがよいのである。同時にこの丸山のインテリ論にはもう一つの仕掛けがあった。大衆を悪玉にせず、疑似インテリを悪玉にしているのである。大衆は啓蒙の対象だから、半ば仕掛けられ騙された存在とされている。


私自身この文章を読んだときにすごく違和感があった。インテリの分類についても全く知らなかった訳ではない。この文章のもつロジックが問題なのである。まず、丸山は何の確信と権利があってか知らないが、決めつけにも近い方法論でもってインテリの分類を行った。この部分が問題なのである。そして同時に竹内のロジックでもって、非常に厄介な事に問題が複雑にされているのである。それは、丸山の引用箇所にインテリの事についての説明がなされているのだが、丸山論文においては竹内が使うところの大衆という言葉が見当たらない。その上竹内は、丸山が行ったような職業的分類で「大衆」を定義していない。従って、「本来のインテリゲンチャ」と「疑似(亜)インテリゲンチャ」の外に位置する職業の人々が「大衆」なのだが、それがはっきりしないという構造を持つ。このまま竹内が使うところの「大衆」という言葉を用いるにしても、本来のインテリゲンチャと疑似インテリゲンチャの他に「大衆」というカテゴリが区分され、疑似インテリゲンチャに操作されるという「自立性」の無い存在として、描きだされているが、これも今ひとつはっきりしない現実の説明である。このように見ると、丸山論文には存在しない言葉を独自の解釈で持って、自らの論文の説明を高める行為を行っている部分も見受けられるのである。

ただし、竹内に誤解を生じせしめた丸山論文にも問題がなかった訳ではない。丸山論文は圧倒的大多数の「疑似インテリゲンチャ」と圧倒的少数の「本来のインテリゲンチャ」の存在を説明しているが、その根拠を世間一般の職業的分類に基づいて行った事による、かかる弊害を全く根拠に入れていなかった研究者としての責任が、これから大学を出て、普通のサラリーマン(偶然にもサラリーマンになる事によって「本来のインテリゲンチャ」になり、「疑似インテリゲンチャ」を批判・攻撃する側になると言う不条理)になっていく学生の反感と憎悪を買うとしても無理のない話である。しかし、丸山の戦略を見直せば、このような懐柔政策を行う事で何を達成したかったのかと言う疑問が生まれる。

実は、その答えは既に戦後すぐに出ていた。

戦後、丸山達は戦前のファシズムの推進者、とりわけ文化人の追放というヘゲモニー争いを繰り広げ、それに勝利する事で自らのポジションを得た。しかし、これらの行為も時間の変化ともに、色あせていく。同時に自分たちの存在意義もまた希薄な物になっていく事の裏返しであった。大学紛争における丸山達知識人への攻撃は、その思想背景と方法論の脆弱さを露呈した物ではなかったのではないだろうかと私は考える。

ただし、本書の最も良い部分は(同時に本書の趣旨たる丸山真男論からはずれるという皮肉な部分もあるのだが)フランスの社会学者ブルデューやその他の社会学の理論を用いて、日本の知識人を説明している部分である。社会学に興味のある向きには、一応すすめておこう。

沖縄へのまなざし/偏見

2006年03月25日 23時35分44秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
3月の上旬、母と妹が新垣勉氏のコンサートに行ってきた。新垣氏は沖縄県出身。米兵の父と日本人の母を持つが、生まれてまもなく事故により失明。母親も彼を捨てるように立ち去り、施設で孤児のような不遇の生活を送った。しかし、その後幾多の困難を乗り越えて、現在は沖縄の歌を中心とする、テノール歌手として活躍している。今日、家族と車で出かけて、新垣氏のCDをかけていた。そこで不思議な事実に気づく。

「我々は今だに沖縄に対して、ある種の外国という差別的視点を有している」

のではないかと。かつて、沖縄の人々や北海道のアイヌ民族は内地の「日本人」に比べて劣る民族として扱われてきた。その結果として彼らの固有の文化を根こそぎ収奪し、破壊してきた。今頃になって反省しても遅い。
しかし、いまだ、この沖縄に対して我々とは異なる何らかの区別という差別的なまなざしを向けているのである。それは一体何か。

まず沖縄民謡や、特定のテーマを沖縄を中心にして発しているという事実なのである。独特のリズムを持つ沖縄民謡や、ブームがかつてヒットさせ、現在は遠く南米でも歌われている「島唄」。ここに我々は「沖縄」の民謡を通じて、エキゾチックな印象を与えられる/感じるという構造が現出するのだが、先に私が沖縄をかぎ括弧でくくったのは、改めて沖縄という固有名詞をつけることでの異質性を現出させる問題のことなのである。言い直せば、ここまで「沖縄民謡」と差別させている半面で、大阪民謡や奈良民謡や埼玉民謡といった固有名詞を改めて使うことがないのである。またその地方特有の歌、たとえば「東京音頭」に特別性を認めることなどないのである。

あともう一点、沖縄の唄には戦場の記憶を想起させるものが多いことである。例えば「さとうきび畑」などがその代表格である。勿論、国内唯一(当時の大日本帝国の版図を見れば国内と呼称できる場所は、今の地図と同じことでないことは明確であるが)の戦場であった沖縄では悲惨な激戦が行われた。その悲惨さを受け継ぐために、唄の形として流すことへは何の依存もない。しかし、それゆえに沖縄に戦場の記憶という立ち回りを押し付けているのではないかという疑問も生じるのである。

新垣氏の歌の中には、東京大空襲に関する歌も入っていたが、正直なところ彼の声楽の能力を批判するのではなく、あえてそれを主題として歌うことへの一つの違和感を感じ取ったのだ。言い直せば沖縄戦の対置構造としての東京大空襲という主題の設定に違和感を感じたのだ。

ある役割を押し付けられた人々から帰ってくるそのことへの疑問。それは結局のところその「役割」の「内容」を媒介にした狭い土俵の中の議論に過ぎないことが多いのである。

まだまだ我々と沖縄の人々の互いの理解が足りないのかもしれない。

書評:竹内洋『丸山真男の時代』(前編)

2006年03月17日 22時51分50秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
(書誌データ:中公新書 2005年11月)

戦前の自由主義者や戦争に反感の姿勢をもった研究者の大部分は、その社会のあり方そのものに強い反感を持った。戦後、まさしく錦の御旗を持った勢いで、そうした学者の大部分は、ファッショ化したつい昨日までの日本を批判し、かつて自分たちを排除しようとした右翼的勢力を逆に排除すると行為にでる。その結果、「あいつは戦争遂行の発言をおこなった」とか「軍に積極的に参加した知識人」というラベリングを行い、アメリカの資本主義の傘下に過ぎない自由の旗の下で、様々な自由主義の研究会や共産党の集会が行われたが、そうした「民主主義」(?)的な潮流のなかで、あるものは断罪され、あるものはひっそりと時代の中核をなした思想の中心から退くのである。

しかし、そうした人々を賛美した周囲の人間はせこくも、「ああ、熱病のごとくあんな思想にもかぶれたね」と言うように回顧しては、自分には何の責任もなかったような顔をして、日々を送っていったのである。わずかな人々、特に私個人が記憶する橋川文三というひとを除いては。

誰かが退けば、誰かかそのポジションに着く。思想家の世界も同様である。そのように考えると、こうした思想界のヘゲモニー争いにおいて、丸山真男という日本政治思想史研究家は、戦争が終結すると同時に、あの戦争を遂行した多くの人間が、無責任の総体であることを指摘し(「超国家主義の論理と心理」)、注目されるのだが、見直せば、ただそれだけの、いわば時流に乗って発言し、学問という「界」の非常に高いポジションについただけの人ではなかったのかという疑問がわいてくる。そんな疑問を持っていると、去年の11月に出された本書を読まないわけにも行かなくなった。

「ためらった」と言うのは事実である。特に筆者の授業を京都大学で受けたことのある身としては。よどみなく流れてくる歴史的な話は、聞くものをひきつける。私自身は、作者のこれまでの研究を繰り返して読んでは自分のものとしているが、それ自体が非常に危険と思うことがある。歴史を論ずると言うのは、具体例として提示することが可能であり、物事を疑うことなくして信じさせることのできる一種の麻薬でさえあるからだ。その点に留意しながら読んでいこう。

本書の始点は、戦中丸山が目撃した東京帝国大学に対する言論的暴力が行われたところから始まる。その過激さは、蓑田胸喜という帝大卒の民間学者によって推進されるのだが、最終的に帝国大学の右傾化が完成すると主に、言論の表舞台から排除される。戦後は勿論先に書いたとおりだ。

戦後の「リベラルな」思想の順風を受けた丸山たちは、「知識人による大衆啓蒙」という行動に出る。しかし、時代の流れともに、大学紛争というかつてのファシズムにもにた運動の発生に伴い、挫折することになる。しかし、彼らに何の非も無かったのか。実は、ここが神格化された丸山個人を批判する突破口となるのだが、それは次回に送りたい。

アイデアをもとめて

2006年03月08日 14時47分45秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
デザインの専門学校に通っていたころに習っていた先生がメーリングリストを主催している。実は本当に振るわないメーリングで、「あと一週間で閉鎖しますよー」と場所を貸してくれているサーバーから通知が届く。そうなると真っ青になって、登録者の誰かが、とりあえず、送信だけしておくという「幽霊メーリング」になっている。デザインがうまい人間で、文章も話題も豊富という人間は本当に少ない。私の場合、文章を書くがデザインの方は・・・・?

でも、時々とんでもない大型の話題が提供されて、参加者間で知恵をひねり出すということが行われる。いまの話題は、「コンセプトの立て方」である。要はアイデアをどうやって作るかということだ。

ほぼ例外なくといっても過言ではないのだが、アイデアなんて簡単に思いつくものではないのが事実で、そのような課題を持っている人に対しては、本を読むこと、すなわち読み方やものの見方から教えなければならないのである。決まった答えの形を覚えておけば、大丈夫というかつての受験的知識にどっぷり浸かった(漬かったといってもいいのかもしれない)方々には、特に教えるのが困難である。

1994年の春、東京大学出版会から『知の技法』という本が出された。大学1.2年の教養課程でゼミを受けるのに、どのようにして課題を設定して、調査し、まとめるかということを教えるために出された教科書だったが、一般にもウケて、かなりのベストセラーになった。私も買って読んだが、どうということは書いていない。その後のゼミでの口頭発表は、この本の内容がほとんど役に立たず、全部実地で学んだくらいだ。面白いのは、この本の編者の一人が、かのホリエモンの指導教官だったことだ。

大学時代に立てる命題など、ほとんど限られている。実は実社会に出てから面食らうような課題に対する答えを提示しなければならないこともある。

あるとき、私はストレスの計測方法の技術が確立すれば、どのような市場性があるかということを調査したことがあった。これは鉄腕アトムが実用化されたら、どのような使い方がありますかと聞くのと同じくらい荒唐無稽なことなのである。

インターネットなどを調べたが、まったくわからない。第一ストレスの計測をして「あなた今、ストレスがたまっていますよ」といわれたところで誰も喜ばない。むしろ、緩和する方法を考えるのが妥当という結論になった。

では、まずストレスの計測だが、これは尿検査でわかるらしい。トイレでももう実用化されているそうだ。そのトイレを見に、わざわざ北九州まで出張したことがあった。いま考えると傑作だが。そのトイレを利用して、ストレス緩和策を考えたが、それはトイレを半ばジュークボックスにして、音楽をかけるというものだった。笑い話ではない。まじめに取り上げて、現に経済産業省への報告書に書いたくらいだ。この事業は次年度取りやめになったが・・・。

こう書いているとアイデアの立て方も結構難しい。どうしよう、あのメーリングに立て方の提案をしなければならないのだけど・・・