tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

世界地図の正確な知識

2005年08月30日 23時28分30秒 | Weblog
ようやく仕事も一段落。
プロジェクトのリーダーは明日から、家族を連れてバリ島に行くそうだ。
もともとイスタンブールに行く計画だったそうだ。
それに対しては私たちも、
「ぜんぜん違うところじゃないですか!」
と答えてしまった。しかし、バリ島もイスラムの勢力が強く、テロも多い。
無事帰ってくることを願うが。

それにしても、同僚の1人が、バリ島の位置を知らなかった。
バリ島は、インドネシアに属するのだが、そのインドネシアの位置がはっきりわからない。話していると、自分自身も不安になってきて、職場のネットで改めて位置を確認した。実際には、カリマンタンやジャワ島とは違って、バリ島は非常に小さい。東南アジアは先ほども書いたように、イスラム圏に所属する。しかし、バリ島に限っては、ヒンズー教だと聞いたことがあるが、現在はその両方が混在しているとか。

眺めが良く、料理もゴージャスなリゾートレストランの料金が700円だとも聞いた。冗談だろうと思うが、本当らしい。2000円もあれば、充分金持ちとして通用するらしい。でも、これだけのリゾートでも社会階層における貧富の差が激しいはずだ。ある日本のジャーナリストは、下水道の充分発達していないその島における処理方法を見て、気分が悪くなったそうだ。とても浄化するなんて方法ではなかったそうだ。世界地図の正確な知識や、観光ガイドではとてもわからない真実が、実際にはこうした「楽園」には多い。

今度の会社は、少し長めに休暇をとって、海外に行きますという人が多い。
どんな会社に勤めるかによっても、このあたりの差が出やすいことを感じる。

夏目漱石

2005年08月29日 23時43分34秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
ぼちぼち学校関係者の夏休みもおしまい。というわけで、夏休みの宿題に追われていると思う。その中にある読書感想文。私は今も人権作文と一緒で、どーやって書いたらいいのかわからない。

ケーススタディー:Tyokutakaの小学校2年生の時
教科書で、かえるを擬人化した物語が出てきた。一方のカエルは憂鬱な顔で外を眺めている。その友人のカエルがたずねたところ、手紙がこれまで来たことがないことが悲しいという。そこで友人のカエルは家に帰って手紙を書くが、その手紙の配達ををカタツムリに頼む。結果、配達に手間取り、一騒ぎが起こるが、一週間かかって、ようやく配達され友情が確認される「心温まる」ような(はずの)お話。・・・・

これに対して、私はどのように感想文を書いたか?
「私はカエルが嫌いです。」
と書いた。これには先生もどのような答えも返してくれなかった。
いまでこそ、カエルが好きでもなく、嫌いでもないが・・・。
このように、教育上作文を書くという行為は、しかるべき態度を養成するという、強制的な装置としてはたらいているのだが、それが修士論文にまで付きまとったのには閉口した。

会社の同僚が、最近夏目漱石を読んでいるらしい。
『坊ちゃん』からスタートしたらしい。まだまだ若い人だから、何を順に読むのか迷っていた。とりあえず、夏目漱石の話はどれもはずれがないから、どれでもいいのだが、別の人は『三四郎』『こころ』『道草』を勧めていた。
しかし、私の予備校時代ですでに、『こころ』の本質が理解できない人が多かったから、今じゃもっと難しいかもしれない。

本当は夏目漱石は難解で、いまだに論文がかけるほど内容が豊富だ。
そういえば、私も『三四郎』が途中だった。

「ストレイシープ、ストレイシープ」

語り聞かせる

2005年08月28日 23時57分28秒 | Weblog
さらに資料を求めて奈良の市立図書館へ行ってきた。
相当疲れがたまっているので、自動車で行ったほうが楽なのだが、駐車する場所の問題が出てくる。しかも本日は祭りと、24時間テレビが開催されるので、かなりごったがえしているはずだ。というわけで自転車で行く。

奈良市立図書館は、猿沢の池の周辺にあって、窓からは興福寺の五重の塔を見ることが出来るなかなかいい場所だ。建物は比較的新しいのだが、場所が少し狭いのが難点かもしれない。分館的な位置づけで西部図書館というのもある。外壁がタイル張りの比較的近代的な建築だが、中は入ってみると少し狭い。

1980年代の中ごろ、奈良ではタイル張り外壁の重厚な建築を作ることが盛んだった時期がある。そういった建てものの中へ、今、大人になった私が入ってみると、相対的に狭さを感じる。機能よりもデザインが重視されていたのだろう。その中の一つ、史跡文化センターは昨年、取り壊しが決まった。建設から20年ほどしか経っていない建物である。しかも、跡地利用が決まっていない。

奈良市立図書館もそうした建物という印象が否めない。それゆえ、蔵書数が少し少ないことになる。

今回は、コピーをとるのではなく、新書と専門書を借りてきた。
4冊借りたので、後一冊借りることが出来る。別フロアの児童書のコーナーで行った。小川未明でも借りようかと思ったが、見つからない。そこでは、小さな子供に親が本を読んであげる場面をよく見かけた。

最近は、本屋のサービスの一環で、「お話会」というのを行う。
本を読んでくれる会なのだと思う。その影響か、意外にそんな親をたくさん見かけた。必ずしも上手な「語り」ではなかったが・・・

母校の図書館

2005年08月27日 23時50分22秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
で、体力を温存して本日大学図書館へ行ってくるつもりだったが、飲んで帰ってきて、論文の大体の構想を考えていたり、必要な資料、調査の展開方法を考えていると夜中の2時になってしまって、起きるのが7時半だったから、かなりぼろぼろだ。
用意もそこそこに家を出る。

ちなみに、今回提出する論文の募集要項はこちら

同志社大学関連の歴史について自由に書けというものだが。調べるほどにあまりに展開しにくいことがわかる。というのも、この大学の創始者、新島襄の功績があまりに大きく、ほとんど神格化したような内容の文章が多いからだ。この大学の「百年史」なんか読んでいても、最初の項目は新島に関する内容に偏っていて、当時の学生や、大学の様子も、どうしても新島の眼を通してみたものという内容に偏ってしまっている。ちなみに、母校の百年史を見てみると、その当時の息吹が非常に軽快書かれていて、なかなか読ませるルポルタージュになっている。

ちなみに今回も、これまでと同様「社会学的考察」になる。すなわちただ調べて、歴史的に書きましたという内容ではなく、そういった事実が、当時の社会とどのようにつながっていたのかという「カラクリ」を明らかにしなければならない。だとすると、集めてきた同志社関連の資料の大部分は、明らかに個人の業績を追うという内容で、今回書きたい内容からは外れてくるのだが、分析軸を複数用意することで、その社会との接点を見つけることは可能なはずである。早い話が、「ひきずり出す」ということになるのだと思う。ある意味スリリングな試みだ。

さて、母校では今日、オープンキャンパスを行っていた。だから受験生らしい人でいっぱいだ。少しうるさかったが、まあいいだろう。図書館の中に蝉が入ってきて、鳴きだすシーンもあった。受験生たちは、面白おかしく見ていたみたいだ。
オープンキャンパスということは、学食が開いているだろうと14時ごろ行くと、営業は13時半まで。ガックリ。

本日の入手コピー枚数160枚。もっと資料が必要なのだが。時間との勝負だろう。
断っておくが、私は研究者でも大学院生でもなく、社会人だ。

ビアガーデン

2005年08月27日 23時22分51秒 | Weblog
昨日は、会社主催のビアパーティーに行ってきた。ここ数週間飲みに行く機会が多く、普通に暮らしていて、一年に飲みに行く回数を軽くクリアした感じだ。その中でも、ビアガーデンは初めての経験だ。

場所は大阪のキタ、梅田の阪急ビルの屋上。最初、話が回ってきたときは、阪神百貨店が予定場所だったが、おりしも阪神-巨人戦で、混むだろうと場所を移動することになった。

屋根がない屋上を利用して、飲むのだからかなり暑いのだろうと考えていた。しかし、台風が通り過ぎたからだろうか、意外に屋上は風が強く涼しい。ただし、ヨッパライが多いのと、BGMがかなり大きくかかっていて、話がしにくいくらいだ。結構騒がしいが、下からそのビルを眺めていると、全然その喧騒が聞こえてこない。

料金は前払いで飲み放題・食べ放題。メニューもたくさんあるけど、やはり飲み会のメニュー、それほどお腹いっぱいになるものでもないし、それだから酔いの回りも早い。

私よりも若い人が多くて、その後ボーリングに行くらしい。終電がなくなるのを覚悟して行くみたい。「らしい」という表現になったのは私自身が行かなかったから。もう完全に、学生時代の行動パターンになっているが、そこまで体力がもうない。やはり歳だな。

駒大苫小牧事件

2005年08月25日 22時29分38秒 | ニュース
私個人は、高校野球そのものがとかく問題の多い制度であると考えている。
野球の強さなど、一学年の人数が多く、有名選手を中学から引っ張ってくるネームバリュー、部活動に割ける予算の割合などで決まる。こうなると、一部の私立か大規模な公立高校が有利になってくる。

毎年、ほぼすべての高校の野球部を球場に呼び出して、地方大会などを行うが、すべての高校に対して機会の平等だけを保障した茶番劇のように思える。そもそも機会以前の不平等が存在することが、うまく隠蔽されているように思われる。

ある意味では、教育とメディアに操作された「総動員」のイベントに踊らされているのだ。高校野球という制度が存在しなければ、断罪されることのなかった罪にこれから先、苦しめられるのだ。高校生に対してこんなことやってていいのかとも思う。

高校野球に、高校側の不祥事は致命的だと言われるが、まったく精錬潔癖な高校生など存在しないし、まして好ましくない行動を行った学校をいちいち処分すれば、そもそも出場できる高校など限られてくるのが現実だろう。

だからといって、処分しないわけにもいかない。
断っておくが、教育上の観点から処分を行うのではなく、これほど制度化した高野連主催の高校野球の運営上、公になった問題を解決するためという後ろ向きの考え方からだ。

ところで、あの高野連って、どんな人が運営しているのだろう。

大阪南港海水遊泳場

2005年08月24日 23時09分55秒 | 都市論
行ったことのない遊泳場なのだが、朝、地下鉄を乗るときに必ず張り紙を見かける。その張り紙の内容も、「大阪南港海水遊泳場は閉鎖中です」という内容である。

青空形式のプールそのものが最近減っている。まず遊園地の廃業に伴う取り壊し、水不足など。奈良のプールでは、水不足を理由に今年はオープンしていないとか。南港の遊泳場も同様の理由だと考えられていた。しかし、どうも理由が違うみたいで、ホームページを見てみると、老巧化が理由らしい。

確かに、年中潮風が吹く場所だから、施設も老巧化しやすい。

大阪の南港とは埋立地で、現在は公団を中心とした住宅が多くある。1960年代の前半から、大阪では千里ニュータウンの開発に重点が置かれたが、1970年の大阪万博をピークに、「山側」の開発は一段落し、海の方へ伸びていった。1970年代中ごろから、こうした埋立地の開発が盛んになり、1980年代前半には一つの街を形成した。

家にあった、南港の整備計画概要のパンフレット。そこに描かれた挿絵が子供の目に素晴らしくみえた。

きちんと整備されたその街には夢があって、運転手の要らない交通システムの「ニュートラム」に乗ってみたく、父にせがんで、南港まで行ったことがある。

大阪万博の残光は、少なくとも1980年代まで残っていたのかもしれない。
もうその残光は、ない。

「夏休み」をうらやましいと思うか

2005年08月23日 23時16分02秒 | Weblog
昨日は仕事が早く終わったので、早々と帰ることにしたが、梅田から地下鉄に乗ると、後の方から、親子連れが乗ってきた。何かのイベントの帰りだと思う。車両位置が到着駅の出入り口に近いことから、その車両はいつも混む。小学生の兄弟が二人と1歳くらいの女の子をのせたベビーカーだ。混んだ車両には、少し迷惑なくらいだ。その兄弟は二人とも小学生なのに眼鏡をかけていた。あの年頃から眼鏡の世話になるわけだから、ある意味、気の毒だ。かく言う私もいまや眼鏡だが、小6までは2.0あった。えらく年の離れた妹さんは、かなりグズついていた。無理もない、こんなに混んでいるのだから。
これを読んで、私がそうした小さな子供に対する関心が薄いと判断されたのならば、心外だ。降りるときに、その女の子を抱いた母親が言っていた。
「ごめんね、乗るところを間違えて」と
子供に語りかけるようにして、文句が言えるならば、それは結構なことだ。
こっちは文句も言えない。

ところで、義務教育課程と高校に通っている方々は、ぼちぼち夏休みが終わりに近づいている。私たちにもかつてはあったのだが、こんな長い休みごめんだと思う。昔からやることがなかった。だから叔母の家に行ったりしたが、相対的にヒマだった。あるとき、おばの家に行ったときから、せきをするようになった。11月くらいになると、それが本格的なかぜに変わり、夏休みのかぜがずーっと続いていたことがあった。体力のなかった小学生の頃のことだ。休みが続くと相対的に、調子を崩す。
小学生の後半から、中学、高校にかけて、塾の講習会に行くようになったが、こちらの方がずっと気楽だった。

企画力を持たない人間にとって、長期の休みは酷だ。

一人称単数

2005年08月22日 14時14分02秒 | Weblog
家に電話がかかってきた。
ディスプレイに相手の電話番号が出るように設定したり、登録した番号ならば、特定の音楽が鳴るように設定しているが、今回は完全な非通知だ。だいたいこうした電話は、商品勧誘の電話だ。

名乗らずに出てみる。相手が苗字を聞けば、それに答えるまでだ。
相手は苗字を確認した後、私の名前で聞いてきた。

「私ですが」

と答えた。相手は「えっ?」みたいな答えを出してきた。
もう一度名前を聞く。それでも変わらない。

「私です」

どうも相手は、「私」という言葉の用法を女性が使うものだと思い込んでいるらしい。男性ならば「僕」とか「俺」を使うものだと。

大学受験の際、小論文の勉強をしていたが、文章用語でも「私」と使う。もちろん、大学入試の論文など、自分の経験くらいしか書きようがないから、「私」という言葉を用いる。実際の論文は、書き手の存在を消すことが重要になってくる。場合によっては「私たちはこれまで・・・」という文章を用いて、読み手まで巻き込むこともある。比較的高度なテクニックだが、調査報告書などの文章ではそれほど使わないことも注意しなければならない。

もちろん、話し言葉においても、社会人ならば「私」と用いる。
よくわかっていない、学生くらいのバイトを雇ってかけさせた電話だ。
もちろん内容は、レジャー施設の会員権のご案内だとか。
興味ないことを告げて、とっとと切った。
あんなバイトを雇うくらいだ、高々知れている会社だ。もちろん信頼できないことはいうまでも無い。

大学の心臓部「図書館」

2005年08月21日 23時24分03秒 | Weblog
いつかこのブログでも書いたが、懸賞論文の計画を実行に移すにあたり、資料収集を行う事した。しかし、図書館の蔵書検索をインターネットで調べてみると、大阪府立図書館の場合、関係資料がみんな貸し出し中となっている。どうも同じような魂胆で動いている人間がいるみたいだ。それもめぼしい資料がほとんど借り出されている。

奈良にもそれなりの県立図書館があるが、こちらは3月の終わりに閉館し、11月に移転してオープンするとか、そんなに待てないし、よくそれだけも閉館していられるなとさえ思う。

結局のところ、資料のアクセスがかなり限られた状態になる。やれやれと思うが、こちらにはかつて東洋一と言われた図書館に入れる資格が存在する。なぜなら、その大学の卒業生だからだ。

パソコンの検索方法が、今のようなアイコンをクリックという方式ではなく、いわゆる簡単なプログラムの文章を放り込んで、検索画面を出す方式だった学部生の頃は、大学図書館はかなり縁の遠い存在だったが、この方法がわかるようになると、入り浸るようになった。大学4年になると、書庫に入る資格が得られて、入っていることも多くなった。それで大学院に入るのだけど、大学院も二年目になると、ゼミでさえ得るものもなく、ただ漫然と話を聞くのが嫌になって、授業に出ずに、図書館の書庫で本を読んでいる事が多くなった。後輩たちはいう。「tyokutakaに会いたければ、図書館の書庫へ行け。」
「院生は主体性をもって授業に出て、研究する。」とは、建て前で、毒にも薬にもならない授業を院生に押し付けられるのはかなりの苦痛である。更に上への進学を考えなければ、授業に出ずに好き勝手に研究していられるから、気楽なものであるし、実際、その道を進んだ。
もうその時点で、大学という場所に籍を置いて、研究などと称した演技をうつことに魅力を感じなくなっていたのかもしれない。

閑話休題。

そこで、出身大学の大学図書館を使おうかと思って、ホームページを開いてみるが、どうもつながらない。スケジュールを見てみると、いま盆休みみたい。しかし、サーバーのスイッチくらい入っているのが普通だから、検索用のページくらい開くものだがそうでもない。メンテナンスの関係上、落としてあるというのもあるが、大学の発表した注意書きを見ていると、この期間、停電・断水の状態にすると書いてある。

家庭の待機電力がバカにならないと、こまめにコンセントを抜くというのがあるが、あれと一緒で、停電の状態にしているみたいだ。
小銭をかせいでいるみたいだ。

でも、月曜日から復旧するようだ。今週の土曜日に時間があったら、行ってこよう。