tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

奈良国立博物館 『大勧進 重源』  

2006年05月22日 00時41分17秒 | Weblog
副題:東大寺の鎌倉復興と新たな美の創出

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今日は奈良国立博物館の展示を見に行ってきた。もう奈良も夏の暑さだ。日差しはきつく、少し自転車に乗ると、汗が出てくるくらいだ。

重源上人は歴史の教科書などで比較的簡単に見ることができる。東大寺大仏殿の復興に寄与した人物である。正月に、「公慶上人展」が同じ国立博物館で行われたが、今回もまた重源上人の800回遠忌を記念しての展示である。

奈良時代、聖武天皇が建てた大仏殿は平安時代の末期、平重盛らの南都焼き討ちによって灰燼に臥した。どうしたことかわからないが、この大仏殿を焼いた人物は、その後、僧兵に捕まり、殺されたそうだ。今日では観光客が集まり、天気のいい日は甲羅干しを行う亀を見ることのできる奈良の猿沢の池であるが、このとき、僧兵が取ってきた敵軍の首を池の周りにずっと並べたという逸話が残っている。

とにもかくにも、大仏殿が焼けたわけであるが、あの戦国時代の焼き討ちでも大仏殿が焼けただけで大仏そのものは残った。しかし、このときの焼き討ちでは完全に大仏そのものが溶けた状態までになったそうだ。それを復興するには莫大な資金と労力が必要であったが、重源上人はこの偉業に臨んだ。実に60歳のときだったそうだ。

彼の年賦を見るとこの60歳の時の転機以降はかなりの行数を費やすのだが、それ以前についてはあまり多くが語られていない。紀氏の出身であり、13歳で醍醐寺に入り、比叡山などの寺を回り、宋へ渡航。いわば碩学の人である。しかしこれだけの学問を積みながらも、大仏復興という大偉業がなければ、今日では本当に専門家しかわからない人生を歩んでいたかもしれないのである。そしてまた、彼が東大寺の復興を担当したからこそ、中国の文化を取り入れた日本の文化が花開くのである。

現在、東大寺大仏殿の前には南大門があるが、この門はこのときに作られたものである。両方に位置する仁王像は運慶・快慶の作といわれる(この二人だけではないらしいが)

正月の展示もそうだったが、今回もまた重源上人の坐像が展示されている。ほとんどは歴史の資料集でしか見ないあの坐像である。そしてまた、ガラスでおおっているものではないので、直に見るくらい近寄れる。実は個人的にこういった坐像を見るのが結構好きなのだ。ほりの深さや両目の大きさの違いまで、実によくあらわされている。

他の展示物を見ているとお経が聞こえてきた。大体予想がついていたが、しばらくして見にいくとやはり重源上人の前で読経している。他にも多くの人が後ろから見守っている。そう、あの坐像を私たちは「重源上人の坐像」として見るけれど、持ち主たる東大寺にとっては、自らが輩出した功労者という以上に、もう御仏なのである。しばらく貸し出して、何もしないのではなく、一日に一回くらい東大寺の僧侶が普段と同じように、ああしておまいりするのであろう。その様子を見守っていた人々の中にも、同じように手を合わせる人がいた。

本当に重源上人の遺徳を偲ぶワンシーンである。

望めば開かれる

2006年05月17日 00時34分07秒 | DTP/Web
先日のブログで、色彩検定の話を書いたが、カリキュラムが変わったということは、公式テキストの内容も変わって、それを買いなおしということになる。さすがに問題集まで買いなおすのもばかばかしいから、そのまま使うが、もう一つの懸念は過去問の入手が重要だということ。

そしてまた、世の中がっちりしているもので(いや、試験の主催元ががっちりしているのだが)この問題集が、一年分しか掲載されていないということが一番アタマにくることなのだ。その一年分の本のなかに、春季と秋季、1から3級までの問題が掲載されている。しかし、併願でもしない限り、こうしたすべての問題を一度に使うなんてことはほとんどない。

ただし、こうした編集の仕方を行う理由もわかる。級別にして過去三年分などとなると、毎年かなりの冊数を刷らなければならないし、年度が替われば、それらは断裁処分しなければならないからだ。在庫を上手にはくとなると、バックナンバーとしての価値を持つ年度別の編集・販売が賢い方法だ。

ただし、この本それぞれに、2900円という値段がついていて、それだけの経済力があれば申し分ないのだが。

今日は、仕事が速く終わった。早く終わったら終わったで、まっすぐ家に帰れるという性質でもなく、寄り道してしまう。今日はブックオフ心斎橋店へ。

普段あまり見ない資格書のコーナーをのぞいていると、この過去問が2003年度と2004年度の二冊そろっておいてある。2004年度は半額程度の値段がついていたが、2003年度は、105円の値段であった。これは買わない手はない。

ちなみに、色彩検定の過去問のコピーはかなり難しいものがある。まず誰でもわかるように、カラーコピーを使うのだが、それでもきちんと再現できないのだ。だから、色彩の講師の先生が手に入れる問題は、かなり苦労しているようだ。

しかし、今日買ってきたのは、完全な印刷物だ。私自身にはタイムリーでラッキーなことだった。

ネクストステージ始動!

2006年05月15日 01時06分23秒 | Weblog
昨日、今日と仕事は休み。

もう、こうやってブログの読者に対して断わるくらいだから、なんか滑稽だ。

働くだけでは駄目で、なにか仕掛けなければならないと、先週の9日に書店で色彩検定の申し込みを行ってきた。一昨年の春、私は色彩検定の3級を取得し、秋の検定で2級を受験したが、これはうまく行かなかった。昨年もチャンスがあったのだが、この試験は昨年1年間、見送ってきた。これには理由がある。

昨年、色彩検定の出題範囲が大きく変更された。細かく説明はしないが、1級の主題範囲の中から、2級に移ったものがあり、また2級から3級へ移ったものがあった。そのため、どのような出題になるのかが今ひとつはっきりしなかった。それと以前受験した事もあって、過去問の入手が非常に重要であることに気がついた。

以前受けたDTPエキスパートは、過去問の公開こそなされていないが、当日出る問題の半分位を直前の模擬試験として提供している。この模擬試験を受験するのも結構な持ち出しがあるのだが、これを受けているのと、受けていないのとでは結構な差がつく。また、この模擬試験を複数回集めて三回ほど繰り返せば、まず合格圏に達するくらいになるのである。

色彩検定も似たようものだ。ただ、色彩の場合、確実に新傾向の問題が出されている。しかし、全部が全部新規になるなんてまず無い話だから、かならず過去門と似たような問題があるだろう。以前の3級は過去問を全く見ずに受験を行ったが、今回の2級は入手しなければならない。それで入手したかったのだが、出題範囲の改定に伴い、過去門が変わって、あんまり意味をなさないという危険性もあったので、去年1年見送ったのだ。

ぼちぼち受験を・・・と思い書店で受験料を振り込んだのは良いが、肝心の願書の郵送が遅れていた。連日の仕事で、何かを忘れてしまうのである。それに気がついたのは木曜の話で、金曜の消印有効だったから、あわてて書類を整えた。しかし、この書類の投函を忘れたら元も子もない。なるべく忘れないようにしていると、金曜は1日忙しく、投函できない可能性が出てきた。

それで、お昼に行く同僚のナカオ君(仮名)に頼んで出してもらった。

本も読めないくらいの心理状態が続いている。こうしちゃいられないと、本屋で今、社会学研究者が読まなければならない新刊書で岩波新書の見田宗介著『社会学入門』を買ってきた。彼が以前に出した『現代社会の理論』の後編に当たる本である。この本は、大学院生のころ、2回もゼミで読んだ事がある。

いま、原点に戻って読むにはふさわしい本であろう。

部屋を片付ける

2006年05月07日 23時49分19秒 | Weblog
連休最後の今日は雨。

出かけることも出来ないので、部屋の片付けを行った。

古本屋の軒先で均一本として見つけた和辻哲郎の『日本倫理思想史研究』は二冊で1000円だった。別段こうした倫理思想史はあまり興味がないけど、この本は歴史社会学の重要な古典の一つとして紹介されている。
こころみに、Amazonで探してみると、現在は版元品切れだが、このサイトでは古本も扱われている。ちなみにそこに出ている古本は上巻だけで5万円の値段がついていた。上下そろえで10万円の値段がつくことになる。勿論、読むために買った本だから、すぐに手放すこともないだろう。ちなみに私の買った本は上下両方とも、初版本だ。こんな本が雑然と自室の床においてある。しかし、整理してベット下のプラスチックボックスに入れた。

エアーガンの規制が近づいている。法律が施行されると、売ろうにも売れない品物があるから、少し整理した。さて、どうやって売ろうか?

あんたしか読めないと母に言われ、なぜか継続して購読している「AERA」。
これもたまる一方だが、読むべきところは読んで、取るべきところは取って、整理した。

身の回りが久しぶりに片付いた一日。

高野山

2006年05月06日 23時37分33秒 | Weblog
昨日5日、家族と高野山へ行ってきた。南海線の南海高野線に乗って行楽気分で行くなどというものではなかった。家の車で行くという方法だ。これが狭く、曲がりくねった道を行く訳だから、かなりハードなものだ。車と対向するたびに、冷や汗をかく。おまけに寝不足だから気分も悪くなる。

ただ、憔悴しきった私に家族はいろいろ気を使ってくれる。

さて、高野山と言うと世界文化遺産にも登録された場所だが、裏道から行ったおかげで、奥の院から見ていくという案配になった。しかし、あれだけの場所にありながら、墓地でもったお寺と言う印象を持つ。というのも奥の院一帯が墓地になっていて、そこを観光で訪れる訳だから、本当は悪趣味な行為なのかも知れない。

奈良から高野山まで車で行くと3時間近くかかる。本当に遠い場所だというのがわかった。確かにお寺としての機能を持つ場所はある。奈良の東大寺の南大門に相当する門はあったし、本堂らしきものもあった。あまりにも広い場所だ。いや山一つがお寺と言うべきか。奥の院参拝にあたり、何枚か写真に収めておこうかと思ったが、さすがに遠慮した。墓地で撮る写真だ。何が映り込むか分かったものではない。

お昼は近くの大衆食堂的な釜飯屋に入った。他の客と店員が話をしている。
「高野豆腐を買って帰りたいのですが」と。店員は答える。「高野豆腐よりもごま豆腐ですね。高野豆腐は本当は高野山で作られたものではないのですよ」といっていた。ほう、また一つ知識が増えた。

帰りはゴマ豆腐をお土産にするつもりだったが、時間が既に15時を回っていて、豆腐屋は売り切れで店を閉めている。偶然にも予約を入れながら、取りに来なかった客の豆腐があって、それをいただくことが出来た。

帰り道はもう少し広い道を通って帰ってきた。その間私はすっと寝ていた。家族に申し訳ないとともに、ありがとうの言葉を添えたい。

06ショットショー春の部

2006年05月02日 01時11分25秒 | エアーガン/実銃
土日はショットショーであった。あのエアーガンやサバイバルグッズなどを即売するイベントである。毎年、前売り券を買って、土曜日の午前中だけ顔を出すことにしている。しかし、今年は仕事の都合でいけなくなるはずであった。そのため、前もって打診を受けていたこのショーのアルバイトの話を断わざるえない状況にあったが、不思議なことに土日が開くことになった。ホントに時間の都合が自由につかなくなる事態はどうにかしたいくらいだ。勿論、仕事のほうの話なのだが。

で金曜日の夜、morilさんに電話をかける。おそらくあの人も一緒だろうと思ったが・・・・。今回でmorilさんはイベントの元締めを引退するとか。なおさら参加したいところだった。

案の定、隠し砦の三悪人のごとく、長老三人で喫茶店でだべっているらしい。勿論、その中の1人であるあの人とは、私をシューティングの世界へ誘ったK氏である。

そこで電話口でお願いする。勿論ボランティアという形になるが、シューの手伝いが出来ないか?と。結局、K氏の出すブースの店番を行うことになる。さて、K氏は毎年、毎回、このショットショーでモデルガンやエアーガンを中古販売する。しかし、今年はエアーガン規制の前であることから、アメリカから持ち込んだ大量の実銃メーカのカタログを販売することになった。

しかし・・・

もはや、東京からフロンティア91もアングスも、アメリカンガンキッズもこなくなったショーは実につまらないし、地元大阪のファーストでさえもう出店していないくらいなのである。勿論ハード(エアーガン本体)を売る店がないから、だんだんと時化てくるという印象がある。

もうこうなると開き直って、参加するくらいしかない。今回は初めて、買い物を一切しなかった。珍しいことである。一時期、ジェムテック社のランヤードリング(銃本体に着ける負い紐)くらい買おうかと考えているうちに、二日目最終日の15時くらいになり、早々と店じまいをし始めて、買わない結果に。まあいいけど。

このショーの運営を手伝う人々は、ほとんどが私の所属するエアーガンシューティングチームのメンバー、実に世間は狭いのである。

しかし、客として入るほうと、中で店を構えるほうとはまったく違ってくる。どう違うのか?・・・・客層をじっくり観察し、その客と会話し、なおかつ客入りの状況を参与観察できるということである。まあ、変な客は見かけなかったように思うが、客の入りは本当に少なかった。

ショットショーのスタッフを行ったというよりも、いつもの仲間と過ごしたという印象が本当に強い。今回の目的は、そこにあったようなものだが。

最後にK氏は、今回大量に持ち込んだカタログから好きなものを好きなだけ、選ぶように言われた。それで私の手元には、いまたくさんの実銃メーカのカタログがある。

ありがとう!Kさん